第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第壱部-Ⅳ:しあわせの魔法

42.紫鷹 癒しの魔法

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日向が魔力暴走を起こしてから、初めての鍛錬が始まった。

「今日はいつもと逆です。温玉(ぬくいだま)の芯からひなの内側へ、魔力を押し込める、」
「うちがわ、おしこめ、る、」

日向は、いつになく真剣な表情で、藤夜(とうや)の言葉を繰り返す。
体がこわばり緊張しているのが、抱いた腹から伝わったが、震えてはいない。

頑張れ、と応援する一方で、無理をするな、とやめさせてやりたい気持ちが沸く。
思いとどまり、見守るだけに徹するのは、日向と「やくそく」したからだ。


だが、「見守る」とは、なんて大変な仕事なんだ。




感情が豊かになるにつれて、日向は「やくそく」を守れなかった嫌悪感と恐怖を強く示すようになった。
窓の外を穏やかに眺めるかと思えば、物思いに沈む。宇継の魔法に、罪悪感を示したこともあった。早朝の誰もいない部屋で、窓の外の青巫鳥(あおじ)に「こわい」と漏らすのを、俺も侍女も何度も聞いている。

「ひな、本当に無理はしなくていい。」
「大丈夫、」

最後の確認をした藤夜がちらりと俺を見た。一瞬、返答に困ったが、うなずいておく。

腕の中に抱いた日向は震えていなかった。

今日から魔力制御の鍛錬を始めると聞いて、眠れなかったのだろう。顔色は青く、表情は固かったが、小さな両手に温玉を握って、離さない。

「や、る、」

部屋の隅に控えた水蛟(みずち)がぐっと耐える気配がする。
窓辺の萩花(はぎな)も、藤夜の後ろで渋い顔をした燵彩(たちいろ)と灯草(ひぐさ)も、何かをこらえるように日向を見守っていた。

日向が望んだ。俺たちは、それを見守る。
たとえ、しんどいと分かっていても。


「一度でできなくていい。とても難しいですから。まずはひなの内側に意識を向けることだけ考えてください。温玉の中心の深紅を消し、内側へ押し込める。」
「わかった、」

視線の先で、日向が大事なものを抱えるように、温玉を握る。
その瞬間、声が重なった。


「っ、」「う、」「わ、」「は、」「んん?」「へえ、」「わあ、」


思わず息をのむ。
日向が意識を温玉に集中した瞬間に、芯にともった深紅が色を失くした。
空気がずんっと重くなった感覚があり、わずかに息苦しさを覚える。

「…何?」

困惑する水蛟の声が聞こえた。
そうか、魔法を使わない水蛟にもわかったか。
これの意味するところが、彼女にはわかるだろうか。

腕の中で、薄い腹が小さく震えた気がした。

日向なら、わかるよな。
ここにいる誰よりも、魔力に敏感で、誰よりも深く魔法と結びついている。

「ひな、いいよ。戻そう。いつもの通り、深紅をともして、」

やはり、それも一瞬だった。
藤夜の言葉に日向の頭が揺れた瞬間、空気が変わり、温玉の芯に深紅が灯る。

「は、」「わ、」「へ、」「な、」「ん、」「へえ、」「わわっ、」

再び声が重なった。
同時に、清浄でさわやかな風が、胸の内に吹き込んでくるのを感じた。



そうか、これがーーーー尼嶺(にれ)の癒しの魔法。



腕の中でそわそわしだした小さな体をつなぎとめるために、腹に回した腕に力を込めた。
その腕に、小さな手がすがってきて、不安になる胸中とは裏腹に、安堵を感じる。

「ぼ、く、まほう、」
「うん、わかったか、」

俺の腕をつかまえた日向の手に力がこもる。
思いがけない強い力。いつもそんな手で、自分の腕を捕まえていたのか。

「つか、った。つか、てた。つかわ、ない、って、やくそく、したのに、」
「大丈夫だ、約束は守っていた。俺もみんなも知ってる。」
「でも、つか、てた、」
「いい、それは誰も怒らない。日向に必要なものだから。ちゃんと説明するから、怖がらなくていい。」

もうやめようか、そう言いたかった。
日向を怖がらせたい訳じゃない。


だが、自覚をしなければ、前に進めない。


「怖かったら、しがみついてていいから。燵彩の話を聞けるか?」
うん、
「おいで、」

小さな体を抱き直す。
横抱きにして「大丈夫だ、」と繰り返し肩をなでると、わずかに小さな体から力が抜けた。水色の小さな頭は完全に腕の中に隠れてしまったが、小さく「きく、」とつぶやく声が聞こえる。

恐怖に立ち向かおうとする小さな王子が、健気で愛おしかった。
燵彩にうなずいてやる。

「日向様が使っておられたのは、癒しの魔法です。」
「…いや、し、」
「おそらく、日向様は、無意識のうちに治癒の魔法と癒しの魔法を、使い分けておられるのではないかと推測しております。」
「むい、しき」
「はい、無意識です。日向様が、使おうと思って使っているわけではありません。」

日向が息をのんだのがわかった。

知りたくなかったよな。
無意識だから、「やくそく」を破ったことにはならない。いくらそう言ったところで、日向は自分を責めるだろう。
知らなければ、苦しまずに済んだ。

「すでにお話したように、日向様は、魔力暴走の際にも、無意識に身体守護の術を使われ、ご自身を守っておられました。―――癒しの魔法も、治癒の魔法も、身体守護も、日向様のお命を守るために、必要だったものです。」

燵彩はしわの濃くなった顔を、穏やかに緩め、柔和な瞳で日向を見つめる。
水色の瞳は、腕の中に隠れて、これを見ることができない。
大丈夫だよ、日向。見てごらん。
そう思いを込めて、小さな肩をなでた。

「日向様に、無意識の魔法があって良かったと、私は思います。」

「日向様の命を守ってくれた魔法です。日向様を私たちのもとへ残してくれました。大事な大事な魔法です。」

伝わってるよな、日向。
お前はよく聞いてるし、賢い。
怖がりながらも、ちゃんとみんなのやさしさに気づける。
だから、信じたんだよ。
俺も、藤夜も、燵彩も、灯草も、萩花も、水蛟も、みんな。


「…大丈夫、」
「そうか、」


水色の頭が、まだ震えているくせに、起き上がり、燵彩をみる。


「無意識の魔法が、日向様を守るもので、とても嬉しかったです。」
「うん、」
「でも、日向様はこれからたくさんの魔法を覚えます。その中には、自分や誰かを傷つけるものがあるかもしれません。」
「うん、」
「だから日向様が自分の意思で、魔法を制御できるように、私たちが手伝います。今日の鍛錬は、そのための最初の一歩です。少しずつでかまいません、無意識の魔法を、意識できるように鍛錬していきましょう、」
「うん、」
「私も灯草も、藤夜様も、萩花様も、日向様のために頑張りますから。日向様も頑張れますか?」
「う、ん、」


最後の方は、ほとんど声になっていなかった。
腕の中の日向が、燵彩の方へ傾いていく。寂しさを感じながらも、燵彩の腕に渡してやった。

「おねが、い。おしえて、ぼく、やくそく、やるから、」
「ええ、もちろん。そのための爺ですよ、」
うん、

藤夜が息を吐いた。ずいぶんと緊張していたな、と笑うと、お前もな、と返される。
水蛟がいそいそと動き始めたから、おやつでも準備するのだろう。よくわかっている。
萩花と目が合うと小さくうなずいた。日向が常に魔法を使っていると指摘をしたのは、この男だ。離宮に来てまだ日が浅いというのに、ずいぶんと活躍してくれるなあ、お前は。

燵彩の腕から、灯草の腕へと、日向の体が移り、小さく二人で何かを話していた。日向とさほど身長の変わらない彼女が、日向を抱き上げていることに少し驚く。灯草が泣くと、小さな手がそれをぬぐい、またささやき合うように話す。

その姿に、ようやく息を吐けた。

藤夜が言うように、俺自身、ずいぶんと緊張していたらしい。
信じる、と自分に言い聞かせたものの、日向がまた恐怖に押しつぶされるのではないかと不安だった。

「ひな、よかったな、」
「ああ、」

藤夜がしみじみというのが、素直にうなずけた。

ちらり、と日向がこちらを見る。
おいで、と手を伸ばすと灯草が抱えて連れてきた。
腕の中に温もりが帰ってくる。


「殿下にお願いがあるんですって。」
「ん?」
「聞いてくれるみたいですよ、日向様、」
「あの、ね、」
「うん、」


水色の瞳がゆらゆら揺れる。
緊張が続いたせいか、寝不足か、あるいは泣いたためか、少しぼんやりしているのが可愛かった。
今日は頑張ったもんな。いいよ、わがまま言ってみな。



「ちゅーは、する?」



遠くの方で、何かがひっくり返る大きな音がした。落ち着け、水蛟。
すぐ真横で、親友が蔑むような目で俺を見てる。燵彩、殺気が漏れてる、日向が怖がるだろ。灯草、お願いを言い出したのはお前だろ、なんだその目は。何で短刀を取り出した?萩花は相変わらず笑顔だなあ、鍛錬で俺をぼこぼこにしたときもその顔だったよな。

「ぼくが、こわいとき、しおうが、ちゅーってしたら、ふわふわした。ぎゅもいいけど、今、ね、もっと、ふわふわが、ほしい、がある、」
「そ、そうか、」
「ちゅー、する、」
「ど、どこ、に」

ぼんやりした日向が、灯草に「どこ?」と尋ねる。何でだ。
「おでこがいいですよ、」と彼女が言えば、日向は「うん、」と笑う。
日向が振り返った瞬間に隠した短刀が、増えて出てきたがどういうことだろう。


俺は今日死ぬかもしれない。


でも、どうせ死ぬなら、この小さな王子のお願いをかなえてからにしようと思う。
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