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第壱部-Ⅲ:ぼくのきれいな人たち

23.紫鷹 幸福な皇子

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「しおうが、ごはん、おいで、って、いわない、くて」
「うん、」

体中が清浄な水で洗われていくようだった。

「いるのがいいのに、いない、くて」
「うん、」

俺の中に光が広がっていく。

「さびしい、かった、」
「うん、」

温かいようで、燃えるようで、煮えるような熱が、全身にわいてくるのを感じた。
それでいて、なんとすがすがしい熱だろう。




日向が俺の腕で震えている。
怖いのでない。怯えでもない。
寂しかった、と泣いている。




「そこへお座りなさい」と般若の目をした水蛟がいい、俺の膝に泣きじゃくる日向を乗せた。「お夕食は、殿下のお役目ですからね。ちゃんと責任取ってください」と言われて残されたのは、もう一時間も前。
泣き止んで、おにぎりを頬張り、しかしすぐにぐずって米だらけの手ですがるのを、日向は何度も繰り返している。

「しおうは、いるの、がいい」
「ごめんな」
「しおう、いないと、ごはんが、たべない」
「うん、ごめん。もういなくならない。」

初めは、泣いている日向に驚愕して、うろたえた。
日向はおびえるくせに、離宮にきてから一度も涙を流さなかった。その日向が泣いたことに、恐怖すら覚えた。


離宮を襲った賊をとらえ、尋問し、後処理に追われた三日間だった。
すぐに終わると思っていたものが、とにかくしんどくて、つらくて、癒されたくて隙をみて離宮へ逃げ出してきた。

日向に会って、疲れを癒したい。――そんな邪念を抱いた俺への罰だと思った。

だが、理由を知るにつれ、罪悪感と高揚感が俺を支配した。
いや、正直に言う。
罪悪感はある。
いくらでも謝る。
罰があるならいくらでも受ける。本気だ。
日向を泣かせた責任は、必ず取ると誓う。
本当に悪いと思ってる。―――でも、




俺、今、とんでもなく幸福だ。




日向、俺な。
この三日間、死ぬほどきつかったんだ。
本気で誰かを殺したいくらい憎んだ。
感情だけで動いた自分の行動が、どんな結果をもたらすかも考えなくて、バカなことをした。
無力な自分に絶望して、叩きのめされたよ。
しんどかった、日向に会えないのも、自分の愚かさも、大人の世界の汚さも全部しんどかった。
心がどんどん冷たくなって、考えるのも笑うのも怒るのも、全部イヤになって、生きている感覚がしない三日間だったんだ。

だから心が死ぬ前に、お前に会いたかった。
全部真っ黒になる前に、日向に会いたかった。

日向に会ったら、全部消えてった。
お前が、さびしいと泣いてくれて、全部吹っ飛んだ。


「ごめんな、日向」


これは本当に心の底からの言葉。
泣かせたかったわけじゃない。日向には、笑ってほしい。
でも、喜んでるのも本心。

ごめんな、日向。最低なやつで。
お前が泣いて、さびしいのが、俺は嬉しい。
ガキでごめん。泣かせるようなやつでごめん。
こんなに泣いているお前に、高揚して満たされるようなやつでごめん。

「しおう、いる?」
「いるよ、」

手、米だらけだな。
スープもほとんどこぼして服もドロドロだな。
でも気にならない。

「日向、ぎゅってしていい?」
「うん、する」

そうか、するのか。
俺は最高に幸せだな。

いつもは俺の腹に背中を預ける日向がこちらを振り返る。
顔、べちゃべちゃだな。涙も鼻水も米粒もよだれもぐっちゃぐちゃ。
でも水色の瞳があんまりきれいで、たまらない。
その瞳に唇を寄せると瞼を閉じたが、逃げなかった。

「ぎゅって、する」
「うん、おいで」

日向が俺の肩にすり寄って、小さな腕を回す。
腹と腹が触れて、日向の体温を感じた。
その薄い背中を抱いて、全部包み込むように抱きしめる。
頬や首筋に何度も口づけた。

愛しくて、可愛い。
いいにおいがする。
大好きだ。

小さな体が震えている。
恐怖や怯えでなく、さびしさで。
俺のぬくもりにすがって、こんなにも求めてくれる。



ごめんな、日向。
すっごい幸せだ。



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