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第壱部-Ⅲ:ぼくのきれいな人たち
17.紫鷹 ぐちゃぐちゃの朝食
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「…ー、ぉー、おー」
「ほー、ほー、ほー」
「ぉー、ほー、ほー、にてちゃ?」
背中を俺の腹に預け、ひざの上に座った日向が、ぐるりと俺を見上げる。
そんなに首を回して平気なのか。アオバズクじゃあるまいし。
「うん、似てた、うまくなったな」
「うん、ー、ぉー、ほー、ん-ーーーーー」
うまくいかなかったらしい。
うなるのが、やばい。可愛い。
日向が離宮にきて、そろそろ半年。
初めて俺の名前を呼んでくれた日から、一月が過ぎたか。
話し始めた日向は、俺を見ると、必ず「ごはん」と繰り返した。どうやら日向の中で、俺と食事はセットらしい。
一度は諦めたその役目をもう一度担っていいと許された気がして、たまらなく嬉しかった。
今は、俺も朝夕の食事を日向と一緒にとる。
藤夜には餌付け効果が出てますねと嫌味を言われたが、意味を汲んでやる気はなく、無視しておいた。
もっぱらの困りごとはと言えば、せっかく用意したイスではなく、日向は食事のたびに俺の膝の上にいること。
一人で椅子に座らせたら、きょとんとした顔をした後、こちらの膝によじ登ってきて驚愕した。
嬉しい。
嬉しいが、理性が崩壊しそうで困っている。
力いっぱい抱きしめたい。触れたい。だがダメだ。たぶん日向は怯える。
日向の体が回復していくにつれて、日向の俺たちへの警戒はゆるゆると解かれていった。
頭をなでれば、気持ちよさそうにすりすりと寄ってくるし、自分から膝に登って食事をとる。語りかければ一生懸命に聞いて、まねて、自分もしゃべりだす。
日向の周りの張りつめていた空気が、今はとても穏やかだ。
それなのに、日向のそばにいると、いやでも思い知らされる。――日向の中には、今も消えない恐怖が巣くっている、と。
どうやら、この小さな王子は、あまり自分の体の変化を知覚できていないと、この数か月で理解した。
怖くて震えているのに、震えていることを知覚していない。
甘えたように膝の上に座ってきても、何かの拍子に体がぷるぷると震え出すことがよくあった。何かを怯え、怖がっている体が、そうさせる。
それなのに、自分が震えていることも、怯えていることも、知覚できていないようだった。
嫌なことが重なると、胃が痛むようだが、それさえも脂汗をかいて、吐いて倒れるまで、気づかなかった。
心と体の不一致が日向にはある、と小栗が言っていた。
怯え出すきっかけが、俺にはまだわからない。
どこが日向の境界線か、毎日探り続けている。
今も日向のやりたいようにさせているが、俺が手を触れた瞬間に、怯え震えるのではないかと思うと、怖くて仕方ない。
自分のことさえ分かっていない日向を、どう理解したらいいのか、手探りが続いている。
できる限り日向のペースを崩したくないが。
「ぉー、ぉー、ほー」
「日向、ホーホーの練習はあとでな。まずは食べな。」
「ぇんしゅ、ぅは、あと、で、まず、は、ちゃべな」
相変わらず、スプーンの扱いは下手くそで、すぐにぐちゃぐちゃになる。
飽きるとアオバズクの真似が始まるから、何度か声をかけなきゃならない。それさえ大丈夫なのかと逡巡するが、日向は聞き分けはいい。
あと、俺の言葉を真似するのも可愛い。
一生懸命に言葉を覚えようとしているのがわかる。本当に可愛い。
あぐあぐと食事を再開した日向を見下ろしながら、自分の食事も手早く済ませた。
あとはこの可愛い王子様のイスに徹する。
特等席で見下ろせるのは、イスの特権である。
藤夜に気色悪いと叩かれるな…。
自覚はある。
なんせ日向が可愛いくて仕方ない。
だが藤夜に蔑まれるようなやましい感情ではないはずだ。
弟がいるというのは、こんな感じなのかもしれない。同い年だけど。
「しおぉ、」
ああ、スプーンに焦れたな。
手がびしょびしょじゃないか。
なんで、スープに手を突っ込むんだ。
差し出された手に握られた小さな赤い実は、米まみれ、スープまみれのぐちゃぐちゃだ。
「俺の?」
「うん」
ぐちゃぐちゃだなあ。
でも食べちゃうなあ。
汚いとも、まずいとも思わないんだよなあ。
それよりも、嬉しくて、もっと欲しいと欲深くなる。
「ん、うまいよ。ありがとな」
見上げる水色の瞳が、嬉しそうに動いた気がした。
目に見えて喜怒哀楽が浮かぶわけではない。
表情はほとんど動かない。
それでも水色の瞳は、快や不快の感情が豊かになったと思う。
伸びっぱなしの髪を短く切ったから、瞳の動きがよく見えるようになった。
今は多分、喜んでいる。
でも同時に気づいているぞ。
いつもお前が俺に食べさせる赤い実。
トマト。
多分、お前、これ嫌いだろ。
嫌いだから俺に食わせているだろ。
気づいちゃったら、微妙なきもちになるだろ。
まあでも、気づかないふりをしておいてやる。
食ってやる。
どんなにぐちゃぐちゃでも、汁まみれでも、ちゃんと美味しく食ってやるよ。
日向が俺の膝の上でボロボロこぼすから、食事のたびにシャツもズボンもべちゃべちゃに濡れるが、それだって構わない。
藤夜がなんと言おうが、俺は満たされた気分になる。
だから、ちゃんと食わせろよ。
毎日だって、構わない。
ああ、今日もいい1日になりそうだ。
「ほー、ほー、ほー」
「ぉー、ほー、ほー、にてちゃ?」
背中を俺の腹に預け、ひざの上に座った日向が、ぐるりと俺を見上げる。
そんなに首を回して平気なのか。アオバズクじゃあるまいし。
「うん、似てた、うまくなったな」
「うん、ー、ぉー、ほー、ん-ーーーーー」
うまくいかなかったらしい。
うなるのが、やばい。可愛い。
日向が離宮にきて、そろそろ半年。
初めて俺の名前を呼んでくれた日から、一月が過ぎたか。
話し始めた日向は、俺を見ると、必ず「ごはん」と繰り返した。どうやら日向の中で、俺と食事はセットらしい。
一度は諦めたその役目をもう一度担っていいと許された気がして、たまらなく嬉しかった。
今は、俺も朝夕の食事を日向と一緒にとる。
藤夜には餌付け効果が出てますねと嫌味を言われたが、意味を汲んでやる気はなく、無視しておいた。
もっぱらの困りごとはと言えば、せっかく用意したイスではなく、日向は食事のたびに俺の膝の上にいること。
一人で椅子に座らせたら、きょとんとした顔をした後、こちらの膝によじ登ってきて驚愕した。
嬉しい。
嬉しいが、理性が崩壊しそうで困っている。
力いっぱい抱きしめたい。触れたい。だがダメだ。たぶん日向は怯える。
日向の体が回復していくにつれて、日向の俺たちへの警戒はゆるゆると解かれていった。
頭をなでれば、気持ちよさそうにすりすりと寄ってくるし、自分から膝に登って食事をとる。語りかければ一生懸命に聞いて、まねて、自分もしゃべりだす。
日向の周りの張りつめていた空気が、今はとても穏やかだ。
それなのに、日向のそばにいると、いやでも思い知らされる。――日向の中には、今も消えない恐怖が巣くっている、と。
どうやら、この小さな王子は、あまり自分の体の変化を知覚できていないと、この数か月で理解した。
怖くて震えているのに、震えていることを知覚していない。
甘えたように膝の上に座ってきても、何かの拍子に体がぷるぷると震え出すことがよくあった。何かを怯え、怖がっている体が、そうさせる。
それなのに、自分が震えていることも、怯えていることも、知覚できていないようだった。
嫌なことが重なると、胃が痛むようだが、それさえも脂汗をかいて、吐いて倒れるまで、気づかなかった。
心と体の不一致が日向にはある、と小栗が言っていた。
怯え出すきっかけが、俺にはまだわからない。
どこが日向の境界線か、毎日探り続けている。
今も日向のやりたいようにさせているが、俺が手を触れた瞬間に、怯え震えるのではないかと思うと、怖くて仕方ない。
自分のことさえ分かっていない日向を、どう理解したらいいのか、手探りが続いている。
できる限り日向のペースを崩したくないが。
「ぉー、ぉー、ほー」
「日向、ホーホーの練習はあとでな。まずは食べな。」
「ぇんしゅ、ぅは、あと、で、まず、は、ちゃべな」
相変わらず、スプーンの扱いは下手くそで、すぐにぐちゃぐちゃになる。
飽きるとアオバズクの真似が始まるから、何度か声をかけなきゃならない。それさえ大丈夫なのかと逡巡するが、日向は聞き分けはいい。
あと、俺の言葉を真似するのも可愛い。
一生懸命に言葉を覚えようとしているのがわかる。本当に可愛い。
あぐあぐと食事を再開した日向を見下ろしながら、自分の食事も手早く済ませた。
あとはこの可愛い王子様のイスに徹する。
特等席で見下ろせるのは、イスの特権である。
藤夜に気色悪いと叩かれるな…。
自覚はある。
なんせ日向が可愛いくて仕方ない。
だが藤夜に蔑まれるようなやましい感情ではないはずだ。
弟がいるというのは、こんな感じなのかもしれない。同い年だけど。
「しおぉ、」
ああ、スプーンに焦れたな。
手がびしょびしょじゃないか。
なんで、スープに手を突っ込むんだ。
差し出された手に握られた小さな赤い実は、米まみれ、スープまみれのぐちゃぐちゃだ。
「俺の?」
「うん」
ぐちゃぐちゃだなあ。
でも食べちゃうなあ。
汚いとも、まずいとも思わないんだよなあ。
それよりも、嬉しくて、もっと欲しいと欲深くなる。
「ん、うまいよ。ありがとな」
見上げる水色の瞳が、嬉しそうに動いた気がした。
目に見えて喜怒哀楽が浮かぶわけではない。
表情はほとんど動かない。
それでも水色の瞳は、快や不快の感情が豊かになったと思う。
伸びっぱなしの髪を短く切ったから、瞳の動きがよく見えるようになった。
今は多分、喜んでいる。
でも同時に気づいているぞ。
いつもお前が俺に食べさせる赤い実。
トマト。
多分、お前、これ嫌いだろ。
嫌いだから俺に食わせているだろ。
気づいちゃったら、微妙なきもちになるだろ。
まあでも、気づかないふりをしておいてやる。
食ってやる。
どんなにぐちゃぐちゃでも、汁まみれでも、ちゃんと美味しく食ってやるよ。
日向が俺の膝の上でボロボロこぼすから、食事のたびにシャツもズボンもべちゃべちゃに濡れるが、それだって構わない。
藤夜がなんと言おうが、俺は満たされた気分になる。
だから、ちゃんと食わせろよ。
毎日だって、構わない。
ああ、今日もいい1日になりそうだ。
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