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第壱部-Ⅰ:人質王子

5.紫鷹 手負いの獣

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「手負いの獣ですよ、あれは。人に馴れていないし、おびえている。本当に尼嶺(にれ)の王子ですか?」

日向の部屋を離れて声の届かないことを確認し、母上を振り返る。
隣の藤夜(とうや)がにらむ気配がするが、放っておく。
母上は、一瞬瞳を開いて視線をそらし、すぐにいつもの力強い瞳でこちらを見る。おそらく何かを知っていて言い当てられ、逡巡し、定めた。

「あの子が日向王子であることは確かですよ。ねえ、春海(はるみ)。」
「ええ、確かめております。」

母の後ろに続いた侍女たちのずっと向こうから、ゆったりと女が歩いてくる。
若くも見えるし、年かさにも見える。侍女たちとは装いも異なるのに、並べばよくなじむ。一方、母上の横に並べばそれも違和感がない。
気配の不明瞭な女だ。日向とは異なり、意図的に輪郭をゆがめている。かといって、気配を悟らせないわけではない。
春海がいうのであれば、確かだろう。

「尼嶺の謀りの可能性はないと?」
「ないとは申せませんが、」
「はあ?」
「王子であることに間違いはございません。尼嶺の直系の色を確認しております。」
「王子があれか?」

観音扉の向こうで、ひどく怯えた子どもを見た。実際に見えたのは、薄い水色の瞳だけだったが。
毛布に隠れた体が小刻みに震えているのが、暗がりの中でもわかった。
驚いたように見開いた瞳にも覚えがある。森で見つけた手負いの獅子が、同じ目をしていた。――怯えと警戒、恐怖。色んなものが混じった瞳だ。
身を護るために、こちらの一挙手一投足に全神経が集中していた。

おそらくあの扉の向こうが、日向にとって唯一の安全域だったのだろう。
あの小さな子どもを、そこから引きずりだすのは酷だ。

「帝国はあの子どもに、何かひどい仕打ちをしたか?」
「そのようなことは、」

「あの子を引き受けると決めたのは、私です。」

母上がいう。そうでしょうとも。
離宮に、この国に受け入れる属国の者を――謀りのおそれがある者を――何の調べもなく、この母上が受け入れる訳がない。反意がないと判断したか、何らかの反意を知ってあえて取り込んだか。
だが。

「まさか…あれほどとは…。」
「はあ?」
「手負いの獣…そうなんでしょうね。」

急に落ち込んだ様子の母上に、眉を寄せた。何なんだ。

「王子ではございますが、尼嶺では不遇の立場におられたようです。直系ではございますが、厄介払いかと」
「春海っ、」
「人質としての面目はたつが、尼嶺への抑止効果はない?」
「紫鷹さん、」

なるほど。
春海の物言いはわかりやすくていい。
母上と藤夜が言葉が悪いとたしなめるが、春海も俺も聞いちゃいない。

尼嶺の駒か。
おそらく駒自体に害意はない。
だが、駒としての意味はある。
失っても構わぬ駒。その一方で、反意の言い訳になれば儲けものなのだろう。

「随分と面倒なものを…」

母上と藤夜の睨みを横目に見て、自室へと歩き出す。

駒ならば、使えばいい。
尼嶺が気づかぬうちに、都合のよい位置へうごかせばいい。あるいは、取って、こちらの駒にすればいい。
盤上を支配するのは、帝国か尼嶺か。

そりゃあ、帝国だろう。

手始めに、駒を手懐けようか。
手負いの獅子なら経験がある。
面倒だが、退屈していたところだ。


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