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第壱部-Ⅰ:人質王子

3.紫鷹 気配

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「日向様が、どこにもおられないと。」
「は?」

朝、常の稽古を終えて部屋へ戻ると、何やら使用人たちが騒がしい。訝しんで藤夜(とうや)に探らせれば、よく分からない返答が帰ってきた。

「菫子(すみれこ)様が朝食前の準備を手伝おうと扉を叩いたが、返答がなかった。昨夜も食事をしていないからと、心配して中へ入ったが、もぬけの殻だったそうだ。慌てて屋敷中を探したが、見つからないと。」

淡々と要件だけを話す男に、焦りは見られない。
それはそうだろう。稽古でも汗ひとつかかず、淡々と俺を打ち負かした男だ。しかも、俺の失言や失態には、般若のごとく眉を顰め、暴言を垂れるくせに、ここ数年は他に動じる様子をほとんど見たことがない。腹が立つ。
それよりも藤夜の伝え聞いた要件が気になった。

「母上が?使用人でなく?」
「今も自ら離宮内を探し回っておられるようで。」
「はあ?」

離宮の管理者とはいえ、帝国第三王妃である。それが使用人に混じって、騒ぎの渦中にいるのか。
いや、あの母上ならあり得るか。
母上が変わり者であることは、息子である俺が1番よく知っている。

「お伝えしましょうか。」
「いや、いい。俺が行こう。」

汗に濡れた上衣を脱ぎ、乾いたシャツを羽織る。
ともに稽古に勤しんだ藤夜には、タオルを一枚投げた。俺を打ち負かしておいて汗一つ見せない男には、それで十分だろう。
少しばかり眉を顰めた藤夜を伴って、部屋を出る。

尼嶺(にれ)の王子を迎え入れたのは昨日。
留学という建前上、常であれば歓迎の宴が開かれるはずだった。
だが宴もなければ、晩餐の席にもあの子どもを見かけていない。母上に尋ねれば「長旅で疲れているから、今日は休ませましょう」というばかりだった。
「後で食事を届けます」と話していたが、まさかそれも母上自ら行ったのだろうか。

真っ直ぐ中庭へ向かうと、母上の姿を見つけて声をかけた。

「母上。そんなところにいるわけがないでしょう、」

若干呆れた声になるのも仕方ない。
腕まくりをし、長い裾をたくしあげた母上が、中庭の植木を持ち上げて、件の子どもを探している所だった。

「紫鷹さん!」

悲鳴に近い声で、振り返った母が俺の名を呼ぶ。

「日向さんが、い」
「部屋におりますが」
「「「「「え」」」」」

母上と同じように植木を持ち上げたり、茂みをかき分けたりしていた者たちが、一斉に振り返った。

「彼なら、昨日部屋に案内してから一度も出ていないでしょう。…気配を偽る技をお持ちなら別ですが、」

それはないと、俺も藤夜も確信しているが。

「気配…」
「彼も多少なり魔力はあるでしょう?その気配は今も部屋にあります。こんな場所を探さずとも…」
「日向さん!」

言い終わらないうちに、バタバタと母上が駆け出す。朝の支度を済ませたであろうはずの銀髪は、葉や草が刺さって鳥の巣のようになっている。たくしあげたはずの裾は、泥に塗れていた。しまいには屋敷に入る途中で、靴を片方落としていく。
あれ、一応国母と呼ばれる人で、第三王妃なんだがな。御年55歳。

大袈裟に肩をすくめて見せると、「不敬ですよ」と藤夜が睨みつけた。
その視線を無視して、母上とその後を追う集団に続き、2階へ上がる。
「日向さん、日向さん、どこにいらっしゃるの」とよぶ母上の声が長い廊下に響いていた。

いや、いるだろう、そこに。

気配は確かに部屋にある。
昨日初めて目にした時から変わらない、独特な魔力だ。間違いようがない
訓練を積んだ者であれば、個々人特有の色をもつ洗練された魔力を感じることができる。王族や貴人であれば当然だ。
だが、彼の魔力は色の不明瞭な揺らぎの多いものだった。未熟で、なんの訓練も受けていない、低下層の民、あるいは幼い子どものような魔力の気配。

あの子どもが、王族の替え玉として送られたのならば、お粗末な話だ。
力あるものが見れば、簡単に見抜いてしまうというのに。

気配は変わらない。
けれど、開け放たれた扉の向こうからは、いまだに母上が子どもを探す声が聞こえる。
藤夜を振り返ると、彼もまた首を傾げた。

「いますよね」
「いるよな?」

足早になり、部屋を覗くと母上と侍女たちがベッドの下を覗き込んでいるところだった。
俺は再び藤夜を見る。

ベッドも家具も、ほとんど使われた形跡がなく、日向の姿はどこにもない。見た目には。

「紫鷹!」
「いますよ、そこに」
「「「「「え」」」」」

藤夜以外の全員が、俺の指さす先を振り返る。
壁に備え付けられた引き戸の衣裳部屋。その小部屋はすでに探したのであろう。引き戸は開け放たれていた。その中に、一つ衣裳棚がある。その1番下の観音扉の向こう側。

そこに、日向がいた。

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