3 / 201
第壱部-Ⅰ:人質王子
3.紫鷹 気配
しおりを挟む
「日向様が、どこにもおられないと。」
「は?」
朝、常の稽古を終えて部屋へ戻ると、何やら使用人たちが騒がしい。訝しんで藤夜(とうや)に探らせれば、よく分からない返答が帰ってきた。
「菫子(すみれこ)様が朝食前の準備を手伝おうと扉を叩いたが、返答がなかった。昨夜も食事をしていないからと、心配して中へ入ったが、もぬけの殻だったそうだ。慌てて屋敷中を探したが、見つからないと。」
淡々と要件だけを話す男に、焦りは見られない。
それはそうだろう。稽古でも汗ひとつかかず、淡々と俺を打ち負かした男だ。しかも、俺の失言や失態には、般若のごとく眉を顰め、暴言を垂れるくせに、ここ数年は他に動じる様子をほとんど見たことがない。腹が立つ。
それよりも藤夜の伝え聞いた要件が気になった。
「母上が?使用人でなく?」
「今も自ら離宮内を探し回っておられるようで。」
「はあ?」
離宮の管理者とはいえ、帝国第三王妃である。それが使用人に混じって、騒ぎの渦中にいるのか。
いや、あの母上ならあり得るか。
母上が変わり者であることは、息子である俺が1番よく知っている。
「お伝えしましょうか。」
「いや、いい。俺が行こう。」
汗に濡れた上衣を脱ぎ、乾いたシャツを羽織る。
ともに稽古に勤しんだ藤夜には、タオルを一枚投げた。俺を打ち負かしておいて汗一つ見せない男には、それで十分だろう。
少しばかり眉を顰めた藤夜を伴って、部屋を出る。
尼嶺(にれ)の王子を迎え入れたのは昨日。
留学という建前上、常であれば歓迎の宴が開かれるはずだった。
だが宴もなければ、晩餐の席にもあの子どもを見かけていない。母上に尋ねれば「長旅で疲れているから、今日は休ませましょう」というばかりだった。
「後で食事を届けます」と話していたが、まさかそれも母上自ら行ったのだろうか。
真っ直ぐ中庭へ向かうと、母上の姿を見つけて声をかけた。
「母上。そんなところにいるわけがないでしょう、」
若干呆れた声になるのも仕方ない。
腕まくりをし、長い裾をたくしあげた母上が、中庭の植木を持ち上げて、件の子どもを探している所だった。
「紫鷹さん!」
悲鳴に近い声で、振り返った母が俺の名を呼ぶ。
「日向さんが、い」
「部屋におりますが」
「「「「「え」」」」」
母上と同じように植木を持ち上げたり、茂みをかき分けたりしていた者たちが、一斉に振り返った。
「彼なら、昨日部屋に案内してから一度も出ていないでしょう。…気配を偽る技をお持ちなら別ですが、」
それはないと、俺も藤夜も確信しているが。
「気配…」
「彼も多少なり魔力はあるでしょう?その気配は今も部屋にあります。こんな場所を探さずとも…」
「日向さん!」
言い終わらないうちに、バタバタと母上が駆け出す。朝の支度を済ませたであろうはずの銀髪は、葉や草が刺さって鳥の巣のようになっている。たくしあげたはずの裾は、泥に塗れていた。しまいには屋敷に入る途中で、靴を片方落としていく。
あれ、一応国母と呼ばれる人で、第三王妃なんだがな。御年55歳。
大袈裟に肩をすくめて見せると、「不敬ですよ」と藤夜が睨みつけた。
その視線を無視して、母上とその後を追う集団に続き、2階へ上がる。
「日向さん、日向さん、どこにいらっしゃるの」とよぶ母上の声が長い廊下に響いていた。
いや、いるだろう、そこに。
気配は確かに部屋にある。
昨日初めて目にした時から変わらない、独特な魔力だ。間違いようがない
訓練を積んだ者であれば、個々人特有の色をもつ洗練された魔力を感じることができる。王族や貴人であれば当然だ。
だが、彼の魔力は色の不明瞭な揺らぎの多いものだった。未熟で、なんの訓練も受けていない、低下層の民、あるいは幼い子どものような魔力の気配。
あの子どもが、王族の替え玉として送られたのならば、お粗末な話だ。
力あるものが見れば、簡単に見抜いてしまうというのに。
気配は変わらない。
けれど、開け放たれた扉の向こうからは、いまだに母上が子どもを探す声が聞こえる。
藤夜を振り返ると、彼もまた首を傾げた。
「いますよね」
「いるよな?」
足早になり、部屋を覗くと母上と侍女たちがベッドの下を覗き込んでいるところだった。
俺は再び藤夜を見る。
ベッドも家具も、ほとんど使われた形跡がなく、日向の姿はどこにもない。見た目には。
「紫鷹!」
「いますよ、そこに」
「「「「「え」」」」」
藤夜以外の全員が、俺の指さす先を振り返る。
壁に備え付けられた引き戸の衣裳部屋。その小部屋はすでに探したのであろう。引き戸は開け放たれていた。その中に、一つ衣裳棚がある。その1番下の観音扉の向こう側。
そこに、日向がいた。
「は?」
朝、常の稽古を終えて部屋へ戻ると、何やら使用人たちが騒がしい。訝しんで藤夜(とうや)に探らせれば、よく分からない返答が帰ってきた。
「菫子(すみれこ)様が朝食前の準備を手伝おうと扉を叩いたが、返答がなかった。昨夜も食事をしていないからと、心配して中へ入ったが、もぬけの殻だったそうだ。慌てて屋敷中を探したが、見つからないと。」
淡々と要件だけを話す男に、焦りは見られない。
それはそうだろう。稽古でも汗ひとつかかず、淡々と俺を打ち負かした男だ。しかも、俺の失言や失態には、般若のごとく眉を顰め、暴言を垂れるくせに、ここ数年は他に動じる様子をほとんど見たことがない。腹が立つ。
それよりも藤夜の伝え聞いた要件が気になった。
「母上が?使用人でなく?」
「今も自ら離宮内を探し回っておられるようで。」
「はあ?」
離宮の管理者とはいえ、帝国第三王妃である。それが使用人に混じって、騒ぎの渦中にいるのか。
いや、あの母上ならあり得るか。
母上が変わり者であることは、息子である俺が1番よく知っている。
「お伝えしましょうか。」
「いや、いい。俺が行こう。」
汗に濡れた上衣を脱ぎ、乾いたシャツを羽織る。
ともに稽古に勤しんだ藤夜には、タオルを一枚投げた。俺を打ち負かしておいて汗一つ見せない男には、それで十分だろう。
少しばかり眉を顰めた藤夜を伴って、部屋を出る。
尼嶺(にれ)の王子を迎え入れたのは昨日。
留学という建前上、常であれば歓迎の宴が開かれるはずだった。
だが宴もなければ、晩餐の席にもあの子どもを見かけていない。母上に尋ねれば「長旅で疲れているから、今日は休ませましょう」というばかりだった。
「後で食事を届けます」と話していたが、まさかそれも母上自ら行ったのだろうか。
真っ直ぐ中庭へ向かうと、母上の姿を見つけて声をかけた。
「母上。そんなところにいるわけがないでしょう、」
若干呆れた声になるのも仕方ない。
腕まくりをし、長い裾をたくしあげた母上が、中庭の植木を持ち上げて、件の子どもを探している所だった。
「紫鷹さん!」
悲鳴に近い声で、振り返った母が俺の名を呼ぶ。
「日向さんが、い」
「部屋におりますが」
「「「「「え」」」」」
母上と同じように植木を持ち上げたり、茂みをかき分けたりしていた者たちが、一斉に振り返った。
「彼なら、昨日部屋に案内してから一度も出ていないでしょう。…気配を偽る技をお持ちなら別ですが、」
それはないと、俺も藤夜も確信しているが。
「気配…」
「彼も多少なり魔力はあるでしょう?その気配は今も部屋にあります。こんな場所を探さずとも…」
「日向さん!」
言い終わらないうちに、バタバタと母上が駆け出す。朝の支度を済ませたであろうはずの銀髪は、葉や草が刺さって鳥の巣のようになっている。たくしあげたはずの裾は、泥に塗れていた。しまいには屋敷に入る途中で、靴を片方落としていく。
あれ、一応国母と呼ばれる人で、第三王妃なんだがな。御年55歳。
大袈裟に肩をすくめて見せると、「不敬ですよ」と藤夜が睨みつけた。
その視線を無視して、母上とその後を追う集団に続き、2階へ上がる。
「日向さん、日向さん、どこにいらっしゃるの」とよぶ母上の声が長い廊下に響いていた。
いや、いるだろう、そこに。
気配は確かに部屋にある。
昨日初めて目にした時から変わらない、独特な魔力だ。間違いようがない
訓練を積んだ者であれば、個々人特有の色をもつ洗練された魔力を感じることができる。王族や貴人であれば当然だ。
だが、彼の魔力は色の不明瞭な揺らぎの多いものだった。未熟で、なんの訓練も受けていない、低下層の民、あるいは幼い子どものような魔力の気配。
あの子どもが、王族の替え玉として送られたのならば、お粗末な話だ。
力あるものが見れば、簡単に見抜いてしまうというのに。
気配は変わらない。
けれど、開け放たれた扉の向こうからは、いまだに母上が子どもを探す声が聞こえる。
藤夜を振り返ると、彼もまた首を傾げた。
「いますよね」
「いるよな?」
足早になり、部屋を覗くと母上と侍女たちがベッドの下を覗き込んでいるところだった。
俺は再び藤夜を見る。
ベッドも家具も、ほとんど使われた形跡がなく、日向の姿はどこにもない。見た目には。
「紫鷹!」
「いますよ、そこに」
「「「「「え」」」」」
藤夜以外の全員が、俺の指さす先を振り返る。
壁に備え付けられた引き戸の衣裳部屋。その小部屋はすでに探したのであろう。引き戸は開け放たれていた。その中に、一つ衣裳棚がある。その1番下の観音扉の向こう側。
そこに、日向がいた。
379
お気に入りに追加
1,369
あなたにおすすめの小説
悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
▼毎日18時投稿予定
氷の華を溶かしたら
こむぎダック
BL
ラリス王国。
男女問わず、子供を産む事ができる世界。
前世の記憶を残したまま、転生を繰り返して来たキャニス。何度生まれ変わっても、誰からも愛されず、裏切られることに疲れ切ってしまったキャニスは、今世では、誰も愛さず何も期待しないと心に決め、笑わない氷華の貴公子と言われる様になった。
ラリス王国の第一王子ナリウスの婚約者として、王子妃教育を受けて居たが、手癖の悪い第一王子から、冷たい態度を取られ続け、とうとう婚約破棄に。
そして、密かにキャニスに、想いを寄せて居た第二王子カリストが、キャニスへの贖罪と初恋を実らせる為に奔走し始める。
その頃、母国の騒ぎから逃れ、隣国に滞在していたキャニスは、隣国の王子シェルビーからの熱烈な求愛を受けることに。
初恋を拗らせたカリストとシェルビー。
キャニスの氷った心を溶かす事ができるのは、どちらか?
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。
小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。
そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。
先輩×後輩
攻略キャラ×当て馬キャラ
総受けではありません。
嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。
ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。
だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。
え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。
でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!!
……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。
本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話
深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?
僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる