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ずっと隣にいられたら

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 きっと夢を見たのだ。あんなすてき過ぎること、まさか実際にあるはずがないもの――翌朝ベッドで目を覚ました時、千晶は真っ先にそう思った。

「そうよね。うん、そうよ。夢に決まってるじゃない」

 憧れの天才ピアニスト、アンジェロ・潤・デルツィーノとデートして、すてきな服をプレゼントしてもらい、間近で彼の演奏も聴いた。それから一緒に夜景を見て……キスをしたのだ、何度も、何度も繰り返し。

「……ありえないよね」

 千晶はかぶりを振って、乾いた笑い声を上げた。
 彼とキスするなんて妄想にもほどがあるし、あまりに恥ずかし過ぎる。きっと昨日のきらめくような記憶は、途中からは夢だったに違いない。
 お酒を飲んだ覚えはあるから、『ジェラテリア・チャオチャオ』のパーティーには行ったのかもしれない。とすると、少なくともアンジェロとは会ったのだろうが、その先は――。

「もういい!」

 気持ちを切り替えて起き上がろうとした時、千晶は小さく悲鳴を上げた。

「えっ?」

 隣に寝ているはずの順がいなかったのだ。

「じ、順?」

 シーツを触っても、ぬくもりは感じられない。どうやら順はずっとそこにいなかったらしい。
 トイレに起きたのだろうか? でも、だったらどうして戻ってこなかったのだろう? 今までこんなことは一度もなかったけれど。
 千晶は急いでベッドを出ると、寝室のドアを開けた。

「順、どこなの?」

 呼びかけても答えはなく、家の中は静まり返っている。思っていたよりずっと早い時間だったようで、外は明るくなっていたが、カーテン越しの光はまだぼんやりしていた。

「順?」

 トイレにも浴室にも、順の姿はない。

「ねえ、どこ? 順、どこに行ったの?」

 パニックを起こしかけているのか、頭がうまく働かなかった。千晶は泣きそうになりながら、リビングへと駆け込む。
 瞬間、そのまま動けなくなった。

「う……そ」

 リビングにはオレンジのソファが置いてある。たまに誰かが泊まる時はベッド代わりにもなるような大きなものだ。
 順はその上で、スヤスヤと眠っていた。ただし彼はひとりではなかった。

「な、何で?」

 千晶が順と暮らすマンションの一室は、小さいけれど、あたたかい雰囲気の暮らしやすい空間だ。だが今朝はそこに、本来いるはずのない人物がいた。

「あ、お……はよ……千晶」

 慌ただしい気配で目を覚ましたのだろう。

「……アンジェロ?」
「チャオ」

 順を抱いてソファに横たわっていたアンジェロが、千晶を見上げ、目をこすりながら微笑んだ。
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