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天空のノクターン
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アンジェロはピアノの蓋を閉めると、まっすぐ駆け寄ってきた。だが千晶が口を開くより早く、順がその脚にまとわりついた。
「アンジェロ、すごくかっこよかった!」
「ほんとに? グラッツェ」
「何それ?」
「ありがとうって意味だよ」
アンジェロは笑いながら順の頭を撫で、千晶にも視線を向けてきた。
「千晶もありがとう」
「えっ?」
自分はただ彼のピアノを聴いていただけだ。それなのになぜお礼を言われるのだろう?
しかしそれを訊ねる前に、アンジェロが千晶の手を握った。反対側で順とも手をつなぐ。
「来てくれる? 会ってほしい人がいるんだ」
「会ってほしい人?」
戸惑う千晶をよそに、またも順が「いいよ」と頷いてしまう。
「こっちだよ」
パーティーの参加者には知り合いも多いらしく、次々と声をかけられる中、アンジェロは笑顔で千晶たちの手を引いていく。
「貴子さん!」
アンジェロに呼びかけられ、少し先にいたベリーショートの女性が振り返った。
年齢は四十代くらいだろうか。ほっそりしていて、洗練されオフホワイトのスーツがよく似合っている。目鼻立ちのはっきりした顔には笑みを浮かべているが、その視線はもの問いたげだ。
「千晶、紹介するよ。西崎貴子さんだ。僕のマネージャー……というか、実は叔母さんなんだ。こちらは三嶋千晶さんと甥っ子の順くん」
「ああ、アンジェロが言ってたメディカルプラザの方ね。はじめまして、西崎です。」
「は、はじめまして、三嶋です」
「お会いできてうれしいわ。あら、あなたが順くん? すごくかわいい子だって聞いてけど、本当ね。どうぞよろしく」
「はーい!」
順は西崎から手を出され、無邪気に喜んでいたが、千晶はアンジェロと彼女との間で自分たちが話題にのぼったことに驚いていた。
「アンジェロの休暇は久しぶりなの。日本に来て、さっそくいいお友だちができたようで、本当によかったわ」
西崎の笑顔は親しみやすく、口調も柔らかい。しかしあからさまではないものの、千晶は彼女から値踏みされているような気がした。
だが、それももっともだと思う。アンジェロはすばらしい芸術家で、彼女にとっては甥でもあるのだから。
(早々にダメ出しされなかっただけ、よかったのかも)
なぜこうして彼の隣にいられるのか、千晶は今もふしぎでならなかった。
その後もアンジェロは誰かに会うたびに、屈託ない様子で千晶たちを紹介し続け、なごやかな時間が過ぎていったが――。
(あら?)
千晶はふと、順がしきりに目をこすっていることに気がついた。
慌てて腕時計を見ると、八時を少し過ぎたところだった。いつもならまだ起きている時間だが、今日は一日中動き回っていたので、疲れて眠くなったのだろう。
「どうしたの、千晶?」
すぐにアンジェロが声をかけてきたので、肩をすくめて順を指差した。
「私たち、そろそろ失礼します。順、もう限界みたいだから」
千晶は身を屈め、順に「帰ろうか」と声をかけた。ところが、
「やだ!」
順は意外にも帰宅を拒み、珍しく駄々をこね始めた。
「もっとここにいようよ、ちあちゃん。帰りたくないよ!」
「だって順、すごく眠そうだよ。今日はたくさん遊んだから、おうちに帰ろう」
「やだよ、やだってば!」
いつになく機嫌が悪いのは眠いからだろうか。だが順が大声で泣き出したりしたら、この場の空気を乱してしまう。
「順、お願いだから――」
焦った千晶が順の手をつかもうとした時、アンジェロの手が先に動いた。
すばやく順と手をつなぎ、ゆっくり跪いたのだ。さらに目線を合わせ、穏やかに話しかける。
「ねえ順、星を見に行こうよ」
「星?」
「そうだよ。ショッピングモールの屋上からは、きれいな夜景や星空が見えるんだ。どう?」
「行く!」
「よし、じゃ出発!」
「しゅっぱつ!」
アンジェロが立ち上がると、半分べそをかいていた順も笑顔で歩き始めた。
「行こう、千晶」
さっきのように、ごく自然に反対側の手を差し出される。千晶は誘われるまま、その手を握った。
「アンジェロ、すごくかっこよかった!」
「ほんとに? グラッツェ」
「何それ?」
「ありがとうって意味だよ」
アンジェロは笑いながら順の頭を撫で、千晶にも視線を向けてきた。
「千晶もありがとう」
「えっ?」
自分はただ彼のピアノを聴いていただけだ。それなのになぜお礼を言われるのだろう?
しかしそれを訊ねる前に、アンジェロが千晶の手を握った。反対側で順とも手をつなぐ。
「来てくれる? 会ってほしい人がいるんだ」
「会ってほしい人?」
戸惑う千晶をよそに、またも順が「いいよ」と頷いてしまう。
「こっちだよ」
パーティーの参加者には知り合いも多いらしく、次々と声をかけられる中、アンジェロは笑顔で千晶たちの手を引いていく。
「貴子さん!」
アンジェロに呼びかけられ、少し先にいたベリーショートの女性が振り返った。
年齢は四十代くらいだろうか。ほっそりしていて、洗練されオフホワイトのスーツがよく似合っている。目鼻立ちのはっきりした顔には笑みを浮かべているが、その視線はもの問いたげだ。
「千晶、紹介するよ。西崎貴子さんだ。僕のマネージャー……というか、実は叔母さんなんだ。こちらは三嶋千晶さんと甥っ子の順くん」
「ああ、アンジェロが言ってたメディカルプラザの方ね。はじめまして、西崎です。」
「は、はじめまして、三嶋です」
「お会いできてうれしいわ。あら、あなたが順くん? すごくかわいい子だって聞いてけど、本当ね。どうぞよろしく」
「はーい!」
順は西崎から手を出され、無邪気に喜んでいたが、千晶はアンジェロと彼女との間で自分たちが話題にのぼったことに驚いていた。
「アンジェロの休暇は久しぶりなの。日本に来て、さっそくいいお友だちができたようで、本当によかったわ」
西崎の笑顔は親しみやすく、口調も柔らかい。しかしあからさまではないものの、千晶は彼女から値踏みされているような気がした。
だが、それももっともだと思う。アンジェロはすばらしい芸術家で、彼女にとっては甥でもあるのだから。
(早々にダメ出しされなかっただけ、よかったのかも)
なぜこうして彼の隣にいられるのか、千晶は今もふしぎでならなかった。
その後もアンジェロは誰かに会うたびに、屈託ない様子で千晶たちを紹介し続け、なごやかな時間が過ぎていったが――。
(あら?)
千晶はふと、順がしきりに目をこすっていることに気がついた。
慌てて腕時計を見ると、八時を少し過ぎたところだった。いつもならまだ起きている時間だが、今日は一日中動き回っていたので、疲れて眠くなったのだろう。
「どうしたの、千晶?」
すぐにアンジェロが声をかけてきたので、肩をすくめて順を指差した。
「私たち、そろそろ失礼します。順、もう限界みたいだから」
千晶は身を屈め、順に「帰ろうか」と声をかけた。ところが、
「やだ!」
順は意外にも帰宅を拒み、珍しく駄々をこね始めた。
「もっとここにいようよ、ちあちゃん。帰りたくないよ!」
「だって順、すごく眠そうだよ。今日はたくさん遊んだから、おうちに帰ろう」
「やだよ、やだってば!」
いつになく機嫌が悪いのは眠いからだろうか。だが順が大声で泣き出したりしたら、この場の空気を乱してしまう。
「順、お願いだから――」
焦った千晶が順の手をつかもうとした時、アンジェロの手が先に動いた。
すばやく順と手をつなぎ、ゆっくり跪いたのだ。さらに目線を合わせ、穏やかに話しかける。
「ねえ順、星を見に行こうよ」
「星?」
「そうだよ。ショッピングモールの屋上からは、きれいな夜景や星空が見えるんだ。どう?」
「行く!」
「よし、じゃ出発!」
「しゅっぱつ!」
アンジェロが立ち上がると、半分べそをかいていた順も笑顔で歩き始めた。
「行こう、千晶」
さっきのように、ごく自然に反対側の手を差し出される。千晶は誘われるまま、その手を握った。
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