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アイスクリームショップのショパンさん

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 土曜日は仕事が休みだったが、千晶は順を連れて、メイプルパークビレッジに向かった。
 秋晴れの暖かい日で、風に乗って金木犀の香りが流れてくる。ハロウィンのデコレーションで彩られたショッピングモールでは、大勢の人がそぞろ歩いていた。
 手をつないで歩く順は楽しそうに辺りを見回していたが、千晶の気持ちは重く沈んでいた。

(私……何かやらかした?)

 気にかかっていたのは、木曜に健診を担当したアンジェロのことだ。
 健康診断の流れは順調だったし、文句こそ言われなかったものの、なぜかアンジェロはけっこうな不機嫌モードで立ち去ったのだ。 
 あれから千晶は何度となく彼とのやり取りを思い返している。
 気難しいとは聞いていたが、はじめのうち彼の対応はごく普通……いや、明らかにフレンドリーだった。来院前のやり取りのおかげか、笑顔を見せていたし、会話もまずまず弾んでいたのだ。
 それなのに突然表情を強ばらせ、その後はほとんど喋らなくなってしまった。もちろんどうしても必要な時は口を開いたけれど。
 いったい何が問題だったのか、いくら考えてもわからない。
 奇跡としか言いようのない出会いだったのに、敬愛するピアニストの機嫌を損ねてしまった。しかも自分の仕事からみだったから、よけいに痛い。

「ねえ、ちあちゃん」

 ふいに順に手を揺さぶられ、千晶はわれに返った。

「あ、ごめんごめん。ちょっとぼんやりしちゃってた。なあに、順?」
「あのね。新しいアイスクリーム屋さんって、あれじゃない?」

 順が指さす方を見ると、水色の屋根のかわいらしい店があり、順番を待つ長い列ができていた。

「ああ、きっとそうだね。じゃあ並ぼうか」
「うん、早く行こ!」

 順に笑いかけられ、千晶もつられて笑顔になる。二人はアイスクリームショップに向かって駆け出した。

「アイス、楽しみだなあ。どんなのがあるんだろ?」

 今日の順はいつもよりはしゃいでいるように感じられる。もちろんアイスクリームや千晶と一緒の外出がうれしいのだろうが、そのせいだけではなかった。
 順は人の気持ちに敏感だ。千晶に元気がない時は、励まそうとしているのか口数が多くなる。
 落ち込む千晶を気遣ってくれ人は他にもいた。仲のいい里奈もそれとなく千晶たちの様子を見ていたらしく、ずいぶん心配してくれたのだが――。

 ――三嶋さん、これあげる。

 一昨日の退勤時、看護師長の田崎がアイスクリームショップの半額チケットをくれたのだ。
 いきなりだったので戸惑っていると、田崎は「私はダイエット中だから」と微笑んだ。

 ――オープン記念のチケットよ。『ジェラテリア・チャオチャオ』っていう、有名なジェラートマエストロのお店なんですって。メープルパークのショッピングモールにできるそうだから、順くんと一緒に行ってきたら? もやもやしている時って気晴らしが必要でしょ?

 あえてアンジェロの名前は出さなかったが、その件に気づいて、励ましてくれているのは明らかだった。

(ありがとうございます)

 改めて田崎の心遣いに感謝しながら、千晶は順と共に列の最後尾に並んだ。
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