7 / 17
人質の王子③
しおりを挟む
「失礼いたします、女王陛下」
扉を軽く叩く音がしたのは、その時だった。
「恐れ入りますが、少しお時間をいただけますでしょうか?」
落ち着いた柔らかな声音は女官長のグリアーノ夫人のものだ。
「……どうぞ」
クレメンティ―ナが頷いたのを見て、マチルダがすぐさまドアを開けに向かう。
女官長は怒っているはずだし、きっとこれからうんざりするくらい叱られることだろう。いくら代理が見つかったとはいえ、九回目の婚約も破談になったのだから。
クレメンティ―ナは覚悟を決めて「ごきげんよう」と声をかけたが、意外にもグリアーノ夫人はにこやかに微笑んでいた。
「ご機嫌麗しゅう存じます、陛下」
もう五十近いというのに、その身ごなしは優雅で若い娘のようにかろやかだ。
美人で家柄もよく、非の打ちどころがない女官長として誰からも尊敬されている。もちろん娘のマチルダからも。
グリアーノ夫人は挨拶を済ませると、背後を見やって「どうぞ中へ」と声をかけた。どうやら誰かを連れてきたらしいのだが――。
「さあ、早く」
促されて入ってきたのは、見たこともない青年だった。
瞬間、クレメンティ―ナとマチルダは思わず顔を見合わせた。
(誰っ?)
青年は物怖じする様子もなく、クレメンティ―ナに礼を執る。実際、息を呑まずにいられないほど美しい若者だった。
長身で軍人のように姿勢がいいのに、いかつさがなく、濃紺の礼服がよく似合っている。しなやかな体躯と優美な立ち振る舞いは、堂々とした若い牡鹿を思わせた。
顔立ちは彫刻のように完璧だが、短い金茶色の巻き毛と真っ青な瞳のおかげでどこかあどけなく、親しみやすい雰囲気を漂わせている。
あっけに取られながらも、最初に反応したのはクレメンティ―ナだった。
(あの瞳、まるで青空みたいなあの色は……)
声を聞くまでもなかった。
あまりの変貌ぶりに混乱してしまったが、目の前にいるのはよく知っている人物だったのだ。常に女王のそばにいて、必ず支えてくれる――。
「ま、まさか……ロレンツォ……なの?」
かすれた声で問いかけると、青年は大きく頷いて、へにゃりと笑った。
「うん。そうだよ、クレメンティ―ナ」
「う、うそっ!」
ほぼ同時にマチルダの悲鳴が上がった。
「うそ、うそっ! でも……でも……その笑い方は……確かにロレンツォだわ! どうして? どういうことなの?」
すると動揺する娘を視線でたしなめながら、グリアーノ夫人が一歩前に出た。
「いかがでございましょう、陛下? たとえ仮であって許婚。こちらで少しばかり手を加えさせていただいたのですが」
伸ばしっぱなしにしていたロレンツォの髪を切り、うっすら生えていた無精ひげを剃り、衣服を整えたという。しかしたったそれだけで、ここまで変わるものだろうか?
グリアーノ夫人の機嫌がそう悪くないのは、彼の外見が合格点に達しているからなのだろう。確かにこれなら女王の隣に立っていても、恰好がつくはずだ。
「それは……ありがとう、グリアーノ夫人」
なんとか礼を言ったものの、クレメンティ―ナもまだうろたえていた。
一方で当のロレンツォは微笑みながら、いつもどおりにまっすぐクレメンティ―ナを見つめている。
(そうだわ。彼はあの時も――)
女王と従者として長い時間を重ねてきたため、それに彼が見すぼらしいくらい身なりをかまわないせいで、すっかり忘れていたが、ロレンツォはかつて目を奪われるほど愛らしい少年だった。
そして初めて会った日も少しも臆することなく、今と同じようにクレメンティ―ナを見つめていたのだった。
扉を軽く叩く音がしたのは、その時だった。
「恐れ入りますが、少しお時間をいただけますでしょうか?」
落ち着いた柔らかな声音は女官長のグリアーノ夫人のものだ。
「……どうぞ」
クレメンティ―ナが頷いたのを見て、マチルダがすぐさまドアを開けに向かう。
女官長は怒っているはずだし、きっとこれからうんざりするくらい叱られることだろう。いくら代理が見つかったとはいえ、九回目の婚約も破談になったのだから。
クレメンティ―ナは覚悟を決めて「ごきげんよう」と声をかけたが、意外にもグリアーノ夫人はにこやかに微笑んでいた。
「ご機嫌麗しゅう存じます、陛下」
もう五十近いというのに、その身ごなしは優雅で若い娘のようにかろやかだ。
美人で家柄もよく、非の打ちどころがない女官長として誰からも尊敬されている。もちろん娘のマチルダからも。
グリアーノ夫人は挨拶を済ませると、背後を見やって「どうぞ中へ」と声をかけた。どうやら誰かを連れてきたらしいのだが――。
「さあ、早く」
促されて入ってきたのは、見たこともない青年だった。
瞬間、クレメンティ―ナとマチルダは思わず顔を見合わせた。
(誰っ?)
青年は物怖じする様子もなく、クレメンティ―ナに礼を執る。実際、息を呑まずにいられないほど美しい若者だった。
長身で軍人のように姿勢がいいのに、いかつさがなく、濃紺の礼服がよく似合っている。しなやかな体躯と優美な立ち振る舞いは、堂々とした若い牡鹿を思わせた。
顔立ちは彫刻のように完璧だが、短い金茶色の巻き毛と真っ青な瞳のおかげでどこかあどけなく、親しみやすい雰囲気を漂わせている。
あっけに取られながらも、最初に反応したのはクレメンティ―ナだった。
(あの瞳、まるで青空みたいなあの色は……)
声を聞くまでもなかった。
あまりの変貌ぶりに混乱してしまったが、目の前にいるのはよく知っている人物だったのだ。常に女王のそばにいて、必ず支えてくれる――。
「ま、まさか……ロレンツォ……なの?」
かすれた声で問いかけると、青年は大きく頷いて、へにゃりと笑った。
「うん。そうだよ、クレメンティ―ナ」
「う、うそっ!」
ほぼ同時にマチルダの悲鳴が上がった。
「うそ、うそっ! でも……でも……その笑い方は……確かにロレンツォだわ! どうして? どういうことなの?」
すると動揺する娘を視線でたしなめながら、グリアーノ夫人が一歩前に出た。
「いかがでございましょう、陛下? たとえ仮であって許婚。こちらで少しばかり手を加えさせていただいたのですが」
伸ばしっぱなしにしていたロレンツォの髪を切り、うっすら生えていた無精ひげを剃り、衣服を整えたという。しかしたったそれだけで、ここまで変わるものだろうか?
グリアーノ夫人の機嫌がそう悪くないのは、彼の外見が合格点に達しているからなのだろう。確かにこれなら女王の隣に立っていても、恰好がつくはずだ。
「それは……ありがとう、グリアーノ夫人」
なんとか礼を言ったものの、クレメンティ―ナもまだうろたえていた。
一方で当のロレンツォは微笑みながら、いつもどおりにまっすぐクレメンティ―ナを見つめている。
(そうだわ。彼はあの時も――)
女王と従者として長い時間を重ねてきたため、それに彼が見すぼらしいくらい身なりをかまわないせいで、すっかり忘れていたが、ロレンツォはかつて目を奪われるほど愛らしい少年だった。
そして初めて会った日も少しも臆することなく、今と同じようにクレメンティ―ナを見つめていたのだった。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
(R18)灰かぶり姫の公爵夫人の華麗なる変身
青空一夏
恋愛
Hotランキング16位までいった作品です。
レイラは灰色の髪と目の痩せぎすな背ばかり高い少女だった。
13歳になった日に、レイモンド公爵から突然、プロポーズされた。
その理由は奇妙なものだった。
幼い頃に飼っていたシャム猫に似ているから‥‥
レイラは社交界でもばかにされ、不釣り合いだと噂された。
せめて、旦那様に人間としてみてほしい!
レイラは隣国にある寄宿舎付きの貴族学校に留学し、洗練された淑女を目指すのだった。
☆マーク性描写あり、苦手な方はとばしてくださいませ。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる