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意外過ぎる立候補者①
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なんとか謁見を終えたものの、クレメンティーナはひどく気が重かった。
このまま執務室に戻れば宰相たちが待ちかまえているだろうし、かといって自室に向かえば間違いなく女官長から叱られてしまう。
ーー陛下、いったいどういうおつもりなのですか? ご自分から破談を認めるようなことをおっしゃられたと聞きましたよ! たとえ少しばかり話がこじれたとしても、ディ・ジョルダノ様ならうまくごまかしてくださったかもしれないのに。
耳元で容赦ない、しかも的を得た叱責が聞こえたような気がした。
かつては乳母だったからか、クレメンティーナはいまだに女官長のグリアーノ夫人に頭が上がらない。その娘で、女王付きの侍女であるマチルダもきっと鋭く突っ込んでくるはずだ。
ほとんどの場合は彼女たちの意見は正しいし、今度の件も同様だが……だからこそいっそう気持ちが沈んだ。
もしかしたらもっと他にやりようがあったのだろうか? たとえたどり着く結論は同じだとしても。
(あーあ)
さて、執務室と自室ーーどちらを選べば、浅い傷で済むだろうか?
重い足取りで歩いていたクレメンティーナは、ふと背後の気配に気がついた。
ゆったりしているのにどこかかろやかな、聞き慣れた足音。
もちろんその存在を忘れていたわけではない。そう、先ほども玉座の後方に控えていたのだ。常に影のようにつき従い、誰よりも忠実で、女王を心から敬う騎士のーー。
「ねえ、クレメンティーナ」
だが聞こえてきたのは慇懃さのかけらもない、若者らしい明るい声だった。しかもまるで家族か、ごく近しい友人のように女王を気軽に呼び捨てにしている。
クレメンティーナは肩を竦めて、歩き続けた。
声の主は確かにいつもそばにてくれて、とても忠実ではあるけれど、自分を敬っているかどうかは怪しいものだと思いながら。
(それに全然騎士らしくないし……ていうか、わたくしの従者だし)
すると、またのんびりした調子で呼びかけられた。
「クレメンティーナってば、元気をだしなよ。そんなに落ち込むことないって」
銀色の繻子の靴を履いた足がピタリと止まった。
「いいえ、さすがに今度ばかりはまずいわ」
クレメンティ―ナは眉を寄せて振り返る。しかし次の瞬間、思わず吹き出してしまった。
「もう、ロレンツォったら!」
目の前には小さな銀のカップが差し出されていて、中には大好きなサクランボの砂糖漬けがこんもりと盛られていたのだ。
紅玉のようにきらめく菓子を手をしているのは最側近のロレンツォ・カルロ・ディ・メリエ―レーー女王付きの従者である。
ただし不思議なことに、その風貌はまったくそれらしくなかった。さらにいえば騎士らしくもなければ、かといって文官のようにも見えない。
「いいこと? わたくしはこんなものではごまかされなくてよ」
「いや、ごまかすつもりはないよ。だけど君、さっきの謁見ですごく疲れただろ? そういう時は甘いものを食べた方がいいから」
ロレンツォはへにゃりと笑って、クレメンティーナの鼻先にカップを近づけた。
「さあ、どうぞ」
しかし甘くかぐわしい香りに誘われて、うっかり手を伸ばすと、
「ああ、ちょっと待って。これをお使いくださいませ」
ロレンツォはカップを少し遠ざけ、銀のフォークを差し出してきた。
「君に手で食べさせたりしたら、グリアーノ夫人にこっぴどく説教されちゃうからね。だって女王陛下なんだから」
「いやな人ね。でもーー」
クレメンティ―ナは唇を尖らせながらも、素直にフォークを受け取った。
二十一歳で王位について以来、はや三年。ふだんは女王として恥ずかしくないよう常に気を張っているが、なぜかこの従者といる時だけは肩から力が抜けるような気がするのだった。
「どうもありがとう」
ひと粒を舌の上にのせると、口中にトロリとした甘みが広がっていく。
「……おいし」
「よかった」
主の反応に満足したのか、ロレンツォは口角を上げてみせた。
それにしても謁見中はずっとそばにいたし、当然ながら何も手にしていなかったはずなのに、彼はどうやってこのサクランボを持ってきたのだろう? もしかしてあらかじめ控えの間のどこかに用意していたのだろうか?
このまま執務室に戻れば宰相たちが待ちかまえているだろうし、かといって自室に向かえば間違いなく女官長から叱られてしまう。
ーー陛下、いったいどういうおつもりなのですか? ご自分から破談を認めるようなことをおっしゃられたと聞きましたよ! たとえ少しばかり話がこじれたとしても、ディ・ジョルダノ様ならうまくごまかしてくださったかもしれないのに。
耳元で容赦ない、しかも的を得た叱責が聞こえたような気がした。
かつては乳母だったからか、クレメンティーナはいまだに女官長のグリアーノ夫人に頭が上がらない。その娘で、女王付きの侍女であるマチルダもきっと鋭く突っ込んでくるはずだ。
ほとんどの場合は彼女たちの意見は正しいし、今度の件も同様だが……だからこそいっそう気持ちが沈んだ。
もしかしたらもっと他にやりようがあったのだろうか? たとえたどり着く結論は同じだとしても。
(あーあ)
さて、執務室と自室ーーどちらを選べば、浅い傷で済むだろうか?
重い足取りで歩いていたクレメンティーナは、ふと背後の気配に気がついた。
ゆったりしているのにどこかかろやかな、聞き慣れた足音。
もちろんその存在を忘れていたわけではない。そう、先ほども玉座の後方に控えていたのだ。常に影のようにつき従い、誰よりも忠実で、女王を心から敬う騎士のーー。
「ねえ、クレメンティーナ」
だが聞こえてきたのは慇懃さのかけらもない、若者らしい明るい声だった。しかもまるで家族か、ごく近しい友人のように女王を気軽に呼び捨てにしている。
クレメンティーナは肩を竦めて、歩き続けた。
声の主は確かにいつもそばにてくれて、とても忠実ではあるけれど、自分を敬っているかどうかは怪しいものだと思いながら。
(それに全然騎士らしくないし……ていうか、わたくしの従者だし)
すると、またのんびりした調子で呼びかけられた。
「クレメンティーナってば、元気をだしなよ。そんなに落ち込むことないって」
銀色の繻子の靴を履いた足がピタリと止まった。
「いいえ、さすがに今度ばかりはまずいわ」
クレメンティ―ナは眉を寄せて振り返る。しかし次の瞬間、思わず吹き出してしまった。
「もう、ロレンツォったら!」
目の前には小さな銀のカップが差し出されていて、中には大好きなサクランボの砂糖漬けがこんもりと盛られていたのだ。
紅玉のようにきらめく菓子を手をしているのは最側近のロレンツォ・カルロ・ディ・メリエ―レーー女王付きの従者である。
ただし不思議なことに、その風貌はまったくそれらしくなかった。さらにいえば騎士らしくもなければ、かといって文官のようにも見えない。
「いいこと? わたくしはこんなものではごまかされなくてよ」
「いや、ごまかすつもりはないよ。だけど君、さっきの謁見ですごく疲れただろ? そういう時は甘いものを食べた方がいいから」
ロレンツォはへにゃりと笑って、クレメンティーナの鼻先にカップを近づけた。
「さあ、どうぞ」
しかし甘くかぐわしい香りに誘われて、うっかり手を伸ばすと、
「ああ、ちょっと待って。これをお使いくださいませ」
ロレンツォはカップを少し遠ざけ、銀のフォークを差し出してきた。
「君に手で食べさせたりしたら、グリアーノ夫人にこっぴどく説教されちゃうからね。だって女王陛下なんだから」
「いやな人ね。でもーー」
クレメンティ―ナは唇を尖らせながらも、素直にフォークを受け取った。
二十一歳で王位について以来、はや三年。ふだんは女王として恥ずかしくないよう常に気を張っているが、なぜかこの従者といる時だけは肩から力が抜けるような気がするのだった。
「どうもありがとう」
ひと粒を舌の上にのせると、口中にトロリとした甘みが広がっていく。
「……おいし」
「よかった」
主の反応に満足したのか、ロレンツォは口角を上げてみせた。
それにしても謁見中はずっとそばにいたし、当然ながら何も手にしていなかったはずなのに、彼はどうやってこのサクランボを持ってきたのだろう? もしかしてあらかじめ控えの間のどこかに用意していたのだろうか?
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