僕とピアノ姫のソナタ

麻倉とわ

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「真山さん?」

 はっきりした当てがあったわけではない。それでも哲朗が向かったのは、あのホールだった。

「真山さん、いますか?」

 答えはなかったし、舞台にも客席にも、誰も見当たらなかった。
 場所を間違えたのだろうかと焦りながら、哲朗は通路を前へ進む。

 彼女の姿に気づいたのは、その時だ。
 最前列の席で体を丸め、例の黒縁メガネを膝に置いてうな垂れていたのだ。

「真山さん!」

 哲朗が声をかけると、調はのろのろと顔を上げた。

 小さな顔に血の気はないのに、その目は真っ赤だった。頬には涙のあとがいく筋も残っている。

「大丈夫ですか? 滝沢さんに何かされたんですか?」

 調は何か言いかけては唇を震わせて黙り込む。そのかわり目元からは透明な雫がいくつもこぼれ落ちた。

 ひどく打ちひしがれている様子で、哲朗は動くこともできない。

「な、何もされてないわ。滝沢さんは……そういうことをする人じゃないから。でも――」
「でも、どうしたんですか?」
「どうしよう? 滝沢さん、降りるって言い出したの。学内コンサートは三日後なのに。明後日にはゲネプロもあるのに」
「何ですって?」

 滝沢は暴力こそ振るわなかったが、もっと効果的な手を打っていた。
 調が拠りどころとしている音楽を利用することにしたのだ。

「降りるって……だって今さら無理でしょ? 先生だって、そんな勝手は許すはず――」

 調は俯いて、何度も首を振る。

「私たちの練習を見てくれていたのは、ヴァイオリンの島津先生なんだけど、もう相談したって言ってた。最近は腱鞘炎がひどくて、ドクターストップをかけられていたんだって。それでも学内コンサートだけは出るつもりでいたけど……わ、私が椎名くんと親しくするのが気に入らないって。別れないなら、無理してまで弾く気はないって言うんだ」
「そんな」
「お、おかしいでしょ? 私と椎名くん、別につき合ってるわけじゃないのに。ただ交換日記をしているだけなのに。別れるも何も……」
「真山さん」
「昨日、帰る時に食事に誘われたの。でも私、椎名くんとマックスウェルのリサイタルに行っちゃって……別に隠すつもりはなかったんだけど、なんだか言い出しにくくて……そしたら、それがばれてしまって」

 袖にされた滝沢にすれば、確かにおもしろいわけがない。しかも相手がライバルとも思っていない哲朗であれば、なおさらだろう。

「真山さん、もしかして滝沢さんとつき合ってるんですか?」
「ま、まさか!」

 調は大げさなほど頭を振って、「父からきつく言われてるし」とつけ加えた。
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