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調が自分のヴァイオリンを聴きたいと言っている。
あれだけ自分を避けていた彼女が思いもかけないチャンスをくれたのだ。いったいどんな気まぐれを起こしたのだろう。
正直、調に演奏を聴いてほしいと思った。これをきっかけに親しくなりたいという計算もあった。
けれど哲郎は静かに首を振った。
「今日はやめておきます。まだ、だめだから」
「だめって、どうして?」
調は少し首を傾げて、心底ふしぎそうな顔をしていた。
子どもみたいなその率直さに、哲朗は思わず微笑んでしまう。
「しばらく手を抜いていたから、けっこうボロボロなんです。マジでもっと練習しますから、また次の機会に聴いてください」
「そうなの。残念だわ」
それもまた、ふしぎに心のこもった声だった。
その時、哲朗の心の中で何かが動いた。
「真山さん」
そんなつもりはなかったはずなのに、つい調に声をかけてしまう。
「何?」
「いや、その」
呼びかけてはみたものの、哲朗は特に何も考えてはいなかった。ただこのまま会話を終わらせたくなかっただけだ。
しかしいざ口を開いたら、今度は言葉が止まらなくなってしまった。
「真山さんが俺のこと苦手なのはよくわかってます。でも、できたら嫌わないでほしいんです。お、俺は真山さんの音が大好きだし、リスペクトしてます。もっとたくさん演奏を聴いてみたいし、仲よくなりたいとも思ってて……俺に悪いところがあれば直すようがんばりますから、いや、欠点ばかりだとは思いますけど気をつけるから、と、友だちになってくれませんか?」
調の答えを待つことさえできず、哲朗はさらに続ける。
「あの晩はすみませんでした。よく覚えてないけど、もし真山さんが傷つくようなことをしてしまったのなら、心から謝ります。許してくれるまで何でもしますから」
そうか。自分はこんなにも調と親しくなりたかったのか――哲朗は次々とこぼれ落ちていく言葉にいちいち驚いていた。
同時に、それが真実であることも思い知ったのだった。
「お、俺はハンターなんかじゃないし、あれはみんなが勝手に言っているだけで……ていうか、俺はもう女遊びはしません。きちんと音楽をやることに決めたんで」
調はあっけに取られた様子で立ちすくんでいる。何と答えていいかわからないのだろう。
「あ、す、すみません。無理ならいいです。今のは俺の勝手な――」
「待って、椎名くん!」
哲朗は自分の目を疑った。
調が舞台から飛び降りて走ってきたのだ。しかもあろうことか、自分のすぐ手前で床に足を引っかけて、派手に倒れ込んできた。
「真山さん?」
どうしていいかわからず、哲朗はバランスをくずした調をとっさに抱き止める。
「わ、私も」
胸元で、小さく震える声がした。けれどもその響きは怖いくらいに必死だ。
「私も椎名くんと仲よくなりたいの!」
それから自分の体勢に気づいたらしく、調は慌てて哲朗から離れた。
「ごめんなさい!」
「い、いや。それより大丈夫ですか?」
「うん、平気。あの、仲よくっていうのは……もちろん友だちとしてだけど」
「ありがとう、真山さん。あ、そうだ。まずホテル代を返さないと」
「そんなのいいから」
「いや、そういうわけにはいきませんよ。せめて半額だけでも受け取ってもらわないと」
財布と紙幣を手に、哲朗と調はどちらからともなく顔を見合わせてしまう。
本当に話したいのは、そんなことではなかった。けれど出会い方も、その後の展開も変化球過ぎて、互いにこれからどうすればいいかわからなかったのだ。
さらに二人とも今は時間に余裕がある身ではない。
調は学内コンサートを間近に控えていて、哲朗も練習に身を入れ始めたばかりだ。たとえ親しくなりたくても、ふつうの学生みたいに一緒に遊びに行く暇はなかった。
あれだけ自分を避けていた彼女が思いもかけないチャンスをくれたのだ。いったいどんな気まぐれを起こしたのだろう。
正直、調に演奏を聴いてほしいと思った。これをきっかけに親しくなりたいという計算もあった。
けれど哲郎は静かに首を振った。
「今日はやめておきます。まだ、だめだから」
「だめって、どうして?」
調は少し首を傾げて、心底ふしぎそうな顔をしていた。
子どもみたいなその率直さに、哲朗は思わず微笑んでしまう。
「しばらく手を抜いていたから、けっこうボロボロなんです。マジでもっと練習しますから、また次の機会に聴いてください」
「そうなの。残念だわ」
それもまた、ふしぎに心のこもった声だった。
その時、哲朗の心の中で何かが動いた。
「真山さん」
そんなつもりはなかったはずなのに、つい調に声をかけてしまう。
「何?」
「いや、その」
呼びかけてはみたものの、哲朗は特に何も考えてはいなかった。ただこのまま会話を終わらせたくなかっただけだ。
しかしいざ口を開いたら、今度は言葉が止まらなくなってしまった。
「真山さんが俺のこと苦手なのはよくわかってます。でも、できたら嫌わないでほしいんです。お、俺は真山さんの音が大好きだし、リスペクトしてます。もっとたくさん演奏を聴いてみたいし、仲よくなりたいとも思ってて……俺に悪いところがあれば直すようがんばりますから、いや、欠点ばかりだとは思いますけど気をつけるから、と、友だちになってくれませんか?」
調の答えを待つことさえできず、哲朗はさらに続ける。
「あの晩はすみませんでした。よく覚えてないけど、もし真山さんが傷つくようなことをしてしまったのなら、心から謝ります。許してくれるまで何でもしますから」
そうか。自分はこんなにも調と親しくなりたかったのか――哲朗は次々とこぼれ落ちていく言葉にいちいち驚いていた。
同時に、それが真実であることも思い知ったのだった。
「お、俺はハンターなんかじゃないし、あれはみんなが勝手に言っているだけで……ていうか、俺はもう女遊びはしません。きちんと音楽をやることに決めたんで」
調はあっけに取られた様子で立ちすくんでいる。何と答えていいかわからないのだろう。
「あ、す、すみません。無理ならいいです。今のは俺の勝手な――」
「待って、椎名くん!」
哲朗は自分の目を疑った。
調が舞台から飛び降りて走ってきたのだ。しかもあろうことか、自分のすぐ手前で床に足を引っかけて、派手に倒れ込んできた。
「真山さん?」
どうしていいかわからず、哲朗はバランスをくずした調をとっさに抱き止める。
「わ、私も」
胸元で、小さく震える声がした。けれどもその響きは怖いくらいに必死だ。
「私も椎名くんと仲よくなりたいの!」
それから自分の体勢に気づいたらしく、調は慌てて哲朗から離れた。
「ごめんなさい!」
「い、いや。それより大丈夫ですか?」
「うん、平気。あの、仲よくっていうのは……もちろん友だちとしてだけど」
「ありがとう、真山さん。あ、そうだ。まずホテル代を返さないと」
「そんなのいいから」
「いや、そういうわけにはいきませんよ。せめて半額だけでも受け取ってもらわないと」
財布と紙幣を手に、哲朗と調はどちらからともなく顔を見合わせてしまう。
本当に話したいのは、そんなことではなかった。けれど出会い方も、その後の展開も変化球過ぎて、互いにこれからどうすればいいかわからなかったのだ。
さらに二人とも今は時間に余裕がある身ではない。
調は学内コンサートを間近に控えていて、哲朗も練習に身を入れ始めたばかりだ。たとえ親しくなりたくても、ふつうの学生みたいに一緒に遊びに行く暇はなかった。
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