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1.入学
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クラウスは今、王立学園の前に立っていた。
いよいよ、入学するのだ。
今のクラウスは、この世界の者と同じ服装をしていた。あの親切なコックがくれたものだ。それまで着ていたスーツは、とりあえずしまっておいている。
クラウスは、異世界転移したかもしれないことは、黙っていることにした。そんなことを言い出したら、頭のおかしい奴だと思われるだけだ。
しかし、学校というより小さな城のようだなぁ。
クラウスは目の前の立派な城のような王立学園を見上げながら、すでに圧倒されていた。
なぜこんなクラウスに入学許可が出たのだろうか。それは、単純に王立学園出身のコックが招待状を書いてくれたというのと、クラウスが魔力が0という特殊な人間のため、学園側が興味を示したのだ。それに、この国ではどんな素性の者でも学びを受けられるという信念があるらしい。
…とはいえ、正直クラウスは自分が浮いていると感じていた。ここは王立学園の高等部。やはり周りは貴族の子供ばかりで、皆きっちりした格好をしているのに対し、クラウスはコックからもらった平民らしい格好をしていた。まあ、クラウスにとっては、貴族のような格好は似合わないと思うし、楽なこの格好を気に入っていたが。
クラウスが浮いていると思うのには、年齢もある。クラウスは、前世で27歳だった。そのまま転移したため、高校生の中にアラサーがいるようなものだ。コックいわく、クラウスは年齢の割に幼く見えるらしいが…それはこの世界の人々が総じて高身長で大人びて見えるせいだと思う…。
どの年齢の人も入学できるこの学校だが、まあ大人になって入学する人は滅多にいないため、クラウスは一番年齢差のない高等部にいきなり入ることになっている。高等部は16歳~18歳の子がいるところだ。
いや…いきなり初等部を飛び級するって…ついていけるわけないだろう。
クラウスはそう思っているが、どうやら、大人になっても全く魔法がない人というのは、ものすごい魔力を秘めているという証拠らしい。そういう事例が過去に一度あったらしいのだ。
…しかしなぁ…俺に魔力がないのには極めて単純で明白な理由がある。俺が転移者だからだ。魔法が使えるわけがない。
それなのに謎の期待をかけられているわけだ…
だがどんなに不安でも、魔法が使えないとこの世界では生きていくのが難しい。クラウスは、入学したら少しでも魔法が使えるようになるのではないかと密かに期待もしていた。前世では考えられないことだが…魔法が使えるなんてすごいことをしてみたいものだ。
俺は前世ではうだつの上がらない平凡な男だったが…転移したんだし、少しでいいから、特別な力を手に入れてみたかった。
それに、流石にクラウスにいきなり高等魔法を学ばせるわけではなく、クラウスには特別に授業メニューを与えてくれるらしくて、そこにはホッとしている。
「おい、君。そこに立っていると邪魔だ。どこに行きたいんだ?」
その時、後ろから声をかけられて振り返る。
そこにいたのは、長身で灰色の髪と瞳をした青年だった。鋭い目をしている、短髪のイケメンだ。青年は、俺の顔を見ると怪訝そうにする。
「…学生じゃないのか?」
「いえ…学生です」
青年は俺をまじまじと見つめ、はっとした。
「…君、例の編入生か…なるほど」
青年の目が一瞬険しくなったので、クラウスはぎくりとする。
「俺は、シリル・グレイ。君と同じ高等部1年だ。君、名は?」
「俺はクラウスといいます」
「…名前だけか?」
そう。俺はこの世界で孤児だったことになっている。今まで『ダラス』で誰にも知られずに一人で生きてきたという設定だ。だから名前しかない。
「…はい」
その答えで大体察したのだろう。シリルは少し眉をひそめた。
「…そうか。これから授業が始まる。俺が連れて行こう」
なんとも近寄りがたい青年だが、親切なのかもしれない。クラウスはシリルについて城のような王立学園の門をくぐった。
まさにここは…城だ。
小さめの古城を再利用したのだろうか?中庭を通って奥の石のアーチをくぐると、目の前がひらけて、外の訓練場にたどり着いた。
1年と思わしき生徒が数十名すでにいて、皆こちらを見る。学園の規模に比べて生徒数は多くはないものの、王都の子ども、とりわけ貴族や王族が全員入学してくるため、それなりに大人数だ。
チリ…
その時、クラウスは周りの視線が自分に突き刺さるのを感じた。周りを見ると、好奇や訝しげな目線に加え、明らかに嫌悪に満ちた目をしている者がいる。
…え?
その違和感は一瞬で、先生だろう逞しい男性が喋りだすと皆の注目はクラウスから離れて行った。
異例な時期の入学生。てっきり自己紹介をさせられたりするのだろうかとクラウスは内心ドキドキしていたが、そんなこともなく授業が始まった。
皆が慣れた様子で動き出すのを見ながら、クラウスはどうすればいいか分からずぽつねんと立ち尽くす。
「君がクラウスだね?」
その時、一人のローブ姿の老人が近づいてきて、灰色の目でじっとクラウスを見た。先生だろうか?
クラウスが頷くと、老人は「攻撃魔法を専門に教えているモーリスじゃ」と自己紹介をして握手してきた。
「君の指導はワシが行おう」
なるほど。特別メニューとはこのことか。
クラウスはモーリス先生に従って、訓練場の端の方へ移動した。人気のないところに来て少しほっとする。
「さて…君は魔法が使えないのじゃな。今、どれくらい魔力があるのか、まずはそれを試そうかね」
モーリス先生は、その老熟した灰色の目に一瞬、鋭い光を灯したように見えた。
「魔法の基礎は、軽い攻撃魔法じゃ。ほれ、このように」
そう言った先生の手から、突如火の丸い玉が浮かんだ。
「火の攻撃魔法が、一番最初に習得する魔法じゃ。君には、まずこれを習得してもらいたい」
クラウスは、また目にした魔法に目を奪われる。
「…どうやればいいか分からないという顔をしてるね?君は記憶喪失だったと聞いるから…魔法の原理を理解するのが難しいじゃろう」
ふむ。と先生は長いひげを撫でた。
「魔法は、この世に存在するエネルギーを集めて生み出すものだ。その感覚というのは…生まれた時からワシらが自然と持っているものなんじゃが…言葉で説明するのは難しい。じゃがまぁ、あえて言葉にするならば…イメージすることじゃな。炎の玉をイメージすると、このように生み出すことができるのじゃ」
正直…全くわからん。俺には、超常現象のようにしか見えなくて、これを自分ができるとは思えないが…
「では、早速始めてみよう。魔法は、手を通じて生み出せる。手を広げ、そこに炎の玉があることをイメージするのじゃ」
クラウスはおずおずと手を広げて、言われた通りにイメージする。
…何も起きない。
「…えっと、何か呪文みたいなのを唱えないといけないんですか…?」
沈黙が居た堪れずに聞くと、モーリス先生は眉をひそめた。
「…ほう、呪文のことは知っているじゃな。ふむ、呪文は存在するが、それは高度な魔法に限る。例えば禁忌魔法の部類じゃ。じゃが、呪文は魔法を理解するのに必要なだけで、唱えないと魔法が使えないわけじゃない」
ふと、モーリス先生は目をキラリと光らせた。
「…ふむ…噂通り、君からは全く魔力を感じないな。やはり…」
モーリス先生は不自然に押し黙って、クラウスをじっと見つめた。
「…魔力がないと君はこれから苦労するじゃろう。じゃが…ワシらは君が魔法を使えるようになるまで、教えられることは全て教える。今日はこれで終いにしよう。この後、皆の訓練を見学ついでに、校内を案内しよう」
クラウスは早速先行きが不安になりながらも、先生に続いて訓練場を見学することになった。
モーリス先生は様々なことを教えてくれた。
この訓練場にいるのは、高等部の1年らしい。皆、基本貴族の子どもばかりで、平民の子は少ない。
ボンッ
その時、近くで炎が放たれ、クラウスは大袈裟に驚いてしまった。
見ると、皆、組になってお互いに魔法を出し合って訓練しているようだ。
今しているのは、高等攻撃魔法の授業らしい。通常、魔法学園中等部を修了時、それぞれの得意とする属性検査があり、そこで自分の属性が決まる。
属性とは、火属性、水属性、風属性、地属性、闇属性、光属性のことだ。それは生まれ持った個性みたいなもので、その属性の魔法が得意というだけで、基本どの魔法も魔力さえあれば使えるようだ。
ふと、案内をしてくれた高身長で短髪のシリルの姿が目に入った。彼は、この王国の宰相、グレイ家の長男らしい。
シリルが水柱を繰り出すのを見て、彼が水属性なのを知る。
それを難なく受け止めたのは…小柄な美少年だ。まさに天使っぽい銀の髪に碧眼の美しい外見をしている。彼も名高い公爵の息子、ノア・ウィングスというらしい。彼は風属性。
「皆が対面訓練をしているのは…近々開催される合同大会のためじゃ。合同大会は高等部の生徒が学年の垣根を越えて対戦する恒例の大会で、まあこの学園の目玉のイベントの一つじゃよ」
モーリス先生はそう教えてくれた。
「さて。あまり生徒の名前を一度に教えても覚えられんだろう。次は校内の案内じゃ」
先生と共に校内へ入る。
どうやら王立学園は、小さめの城みたいな建物が集まって、それぞれ初・中・高等部に分かれているらしい。
ああ、一応同じ場所に皆いるんだな。とはいえ、敷地は広く、それぞれの校舎は離れているため、初等部や中等部とは会うことはない。この十分広い城が高等部のみなんて、どんだけ広いんだよ。
そして、王立学園には寮がある。ほとんど皆寮に入るらしい。前の世界で学生時代、寮生活を体験したことのない俺は、なんだかワクワクする。
あとは食堂とか、図書館とか、普通の学校と同じような施設に案内してくれた。どれも規模が桁違いだが…。王宮で働いたことがあるシェフがいる食堂って…。
「この学園の図書館は、王都の人が利用するほど資料がたくさんある立派な図書館じゃ。君は分からないこともあるじゃろうから、よく利用するといいぞ」
確かに図書館の存在はありがたい。早くこの世界のことを知る必要がある。
あとは、先生に寮まで送ってもらった。寮も立派で、ファンタジーに出てくる石のレンガの壁に木製の家具が用意されていた。シャワー室まであって、ホテルみたいだ。
…ああ。すっごい癒される空間。
つい数日前まで社畜生活だったクラウスには、優しいランタンの光や木製の空間は、リラックス効果をもたらした。
突然異世界に飛ばされて、今まで緊張してたのかもしれない。
クラウスは糸が切れたかのように、ふらふらベッドに座り込んだ。
この世界に恐らく転移というものをしたのは、ほんの数日前のことだ。でもバタバタしていて、不安もあって、満足に寝れていなかった。
…やばい。数日ぶりに寝れる。
未だに異世界に来てしまったことに信じられないが、クラウスは今のところ社畜の頃より全然ストレスフリーだった。
魔法学校入学という信じられない状況だが、ようは学生に戻ったようなものだ。働かなくていいなんて最高すぎる!
…だが。
本当に異世界に来てしまったのなら、前の世界にいる家族のことだけは心残りだ。
俺の家族は両親と弟だが、社会人になってからは年に数回しか会えていない。でも、弟にはこれからも相談とかに乗ってやりたかったし、両親には親孝行もしたかった。老後だって心配だ。
あとは、しばらく会ってないけど友達とか…心配かけたかな。俺には恋人がいなかったから、それは心配ないけど…
思えば、仕事にばかり追われる寂しい人生だったかもしれない。俺のいた会社は、ブラックだった。段々経営が悪化して人も足らないし、皆忙しさにギスギスしてきて…俺は断れない性格なのもあって、あっという間に社畜になっていた。
俺は特段仕事ができるわけでもなく、年下にはあっという間に追い越されて、気づいたら無理して仕事をするために生きている状態だった。転職でもなんでもすればよかったが、それさえも考えられないくらいになっていて…
もし…もし神様みたいな存在が俺をこの世界に飛ばしたのなら。
今度こそ、俺はやり直したい。
もっとこの年でやりたいこともあった。…恋人だって、欲しかった。最後に恋愛したのが高校生って…しかも本当に好きだったかも分からないあっけない終わりだった。俺はフラれて終わり。
そもそも、俺は非常に平凡な見た目で、アラサーになってさらに覇気みたいなのも失われ、自分からいかないと絶対誰とも付き合えないと自分でも分かっていた。
もし次付き合えるなら、自分の中身を好きになってもらわないと。
…ま、こんな妄想をしているが、まずは「魔法」の問題があるからな。
俺が異世界転移してきたことは誰も知らないから、この世界の人は当然、俺が魔法を使えるようになるだろうと思っているはずだ。俺だって、そうであって欲しい。ほら、よくあるだろ?転生してチート技使えて、俺TUEEE状態になるって話。
──だけど、もし本当に全く魔法が使えなかったら…?
俺はそう考えて、心臓がドクリとした。
そうしたらどうなるか分からない。転移者ってバレたら、なんか抹殺されたり研究されたりするんだろうか。
俺は平凡に生きたい。
別に俺TUEEE状態になりたいわけでも、有名になりたいわけでもなかった。
使えるなら初級の生活必需魔法だけ習得して、「なるべく普通の職」に就いて、やり残したことをこの世界でやりたい。
幸い、この世界は今のところ平和そうだし、魔法のおかげで生活もしやすそうだ。まさに、海外の綺麗な田舎でスローライフ、みたいな生活も夢じゃない。
よし。まずは魔法の習得だ!がんばれ、俺!
いよいよ、入学するのだ。
今のクラウスは、この世界の者と同じ服装をしていた。あの親切なコックがくれたものだ。それまで着ていたスーツは、とりあえずしまっておいている。
クラウスは、異世界転移したかもしれないことは、黙っていることにした。そんなことを言い出したら、頭のおかしい奴だと思われるだけだ。
しかし、学校というより小さな城のようだなぁ。
クラウスは目の前の立派な城のような王立学園を見上げながら、すでに圧倒されていた。
なぜこんなクラウスに入学許可が出たのだろうか。それは、単純に王立学園出身のコックが招待状を書いてくれたというのと、クラウスが魔力が0という特殊な人間のため、学園側が興味を示したのだ。それに、この国ではどんな素性の者でも学びを受けられるという信念があるらしい。
…とはいえ、正直クラウスは自分が浮いていると感じていた。ここは王立学園の高等部。やはり周りは貴族の子供ばかりで、皆きっちりした格好をしているのに対し、クラウスはコックからもらった平民らしい格好をしていた。まあ、クラウスにとっては、貴族のような格好は似合わないと思うし、楽なこの格好を気に入っていたが。
クラウスが浮いていると思うのには、年齢もある。クラウスは、前世で27歳だった。そのまま転移したため、高校生の中にアラサーがいるようなものだ。コックいわく、クラウスは年齢の割に幼く見えるらしいが…それはこの世界の人々が総じて高身長で大人びて見えるせいだと思う…。
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いや…いきなり初等部を飛び級するって…ついていけるわけないだろう。
クラウスはそう思っているが、どうやら、大人になっても全く魔法がない人というのは、ものすごい魔力を秘めているという証拠らしい。そういう事例が過去に一度あったらしいのだ。
…しかしなぁ…俺に魔力がないのには極めて単純で明白な理由がある。俺が転移者だからだ。魔法が使えるわけがない。
それなのに謎の期待をかけられているわけだ…
だがどんなに不安でも、魔法が使えないとこの世界では生きていくのが難しい。クラウスは、入学したら少しでも魔法が使えるようになるのではないかと密かに期待もしていた。前世では考えられないことだが…魔法が使えるなんてすごいことをしてみたいものだ。
俺は前世ではうだつの上がらない平凡な男だったが…転移したんだし、少しでいいから、特別な力を手に入れてみたかった。
それに、流石にクラウスにいきなり高等魔法を学ばせるわけではなく、クラウスには特別に授業メニューを与えてくれるらしくて、そこにはホッとしている。
「おい、君。そこに立っていると邪魔だ。どこに行きたいんだ?」
その時、後ろから声をかけられて振り返る。
そこにいたのは、長身で灰色の髪と瞳をした青年だった。鋭い目をしている、短髪のイケメンだ。青年は、俺の顔を見ると怪訝そうにする。
「…学生じゃないのか?」
「いえ…学生です」
青年は俺をまじまじと見つめ、はっとした。
「…君、例の編入生か…なるほど」
青年の目が一瞬険しくなったので、クラウスはぎくりとする。
「俺は、シリル・グレイ。君と同じ高等部1年だ。君、名は?」
「俺はクラウスといいます」
「…名前だけか?」
そう。俺はこの世界で孤児だったことになっている。今まで『ダラス』で誰にも知られずに一人で生きてきたという設定だ。だから名前しかない。
「…はい」
その答えで大体察したのだろう。シリルは少し眉をひそめた。
「…そうか。これから授業が始まる。俺が連れて行こう」
なんとも近寄りがたい青年だが、親切なのかもしれない。クラウスはシリルについて城のような王立学園の門をくぐった。
まさにここは…城だ。
小さめの古城を再利用したのだろうか?中庭を通って奥の石のアーチをくぐると、目の前がひらけて、外の訓練場にたどり着いた。
1年と思わしき生徒が数十名すでにいて、皆こちらを見る。学園の規模に比べて生徒数は多くはないものの、王都の子ども、とりわけ貴族や王族が全員入学してくるため、それなりに大人数だ。
チリ…
その時、クラウスは周りの視線が自分に突き刺さるのを感じた。周りを見ると、好奇や訝しげな目線に加え、明らかに嫌悪に満ちた目をしている者がいる。
…え?
その違和感は一瞬で、先生だろう逞しい男性が喋りだすと皆の注目はクラウスから離れて行った。
異例な時期の入学生。てっきり自己紹介をさせられたりするのだろうかとクラウスは内心ドキドキしていたが、そんなこともなく授業が始まった。
皆が慣れた様子で動き出すのを見ながら、クラウスはどうすればいいか分からずぽつねんと立ち尽くす。
「君がクラウスだね?」
その時、一人のローブ姿の老人が近づいてきて、灰色の目でじっとクラウスを見た。先生だろうか?
クラウスが頷くと、老人は「攻撃魔法を専門に教えているモーリスじゃ」と自己紹介をして握手してきた。
「君の指導はワシが行おう」
なるほど。特別メニューとはこのことか。
クラウスはモーリス先生に従って、訓練場の端の方へ移動した。人気のないところに来て少しほっとする。
「さて…君は魔法が使えないのじゃな。今、どれくらい魔力があるのか、まずはそれを試そうかね」
モーリス先生は、その老熟した灰色の目に一瞬、鋭い光を灯したように見えた。
「魔法の基礎は、軽い攻撃魔法じゃ。ほれ、このように」
そう言った先生の手から、突如火の丸い玉が浮かんだ。
「火の攻撃魔法が、一番最初に習得する魔法じゃ。君には、まずこれを習得してもらいたい」
クラウスは、また目にした魔法に目を奪われる。
「…どうやればいいか分からないという顔をしてるね?君は記憶喪失だったと聞いるから…魔法の原理を理解するのが難しいじゃろう」
ふむ。と先生は長いひげを撫でた。
「魔法は、この世に存在するエネルギーを集めて生み出すものだ。その感覚というのは…生まれた時からワシらが自然と持っているものなんじゃが…言葉で説明するのは難しい。じゃがまぁ、あえて言葉にするならば…イメージすることじゃな。炎の玉をイメージすると、このように生み出すことができるのじゃ」
正直…全くわからん。俺には、超常現象のようにしか見えなくて、これを自分ができるとは思えないが…
「では、早速始めてみよう。魔法は、手を通じて生み出せる。手を広げ、そこに炎の玉があることをイメージするのじゃ」
クラウスはおずおずと手を広げて、言われた通りにイメージする。
…何も起きない。
「…えっと、何か呪文みたいなのを唱えないといけないんですか…?」
沈黙が居た堪れずに聞くと、モーリス先生は眉をひそめた。
「…ほう、呪文のことは知っているじゃな。ふむ、呪文は存在するが、それは高度な魔法に限る。例えば禁忌魔法の部類じゃ。じゃが、呪文は魔法を理解するのに必要なだけで、唱えないと魔法が使えないわけじゃない」
ふと、モーリス先生は目をキラリと光らせた。
「…ふむ…噂通り、君からは全く魔力を感じないな。やはり…」
モーリス先生は不自然に押し黙って、クラウスをじっと見つめた。
「…魔力がないと君はこれから苦労するじゃろう。じゃが…ワシらは君が魔法を使えるようになるまで、教えられることは全て教える。今日はこれで終いにしよう。この後、皆の訓練を見学ついでに、校内を案内しよう」
クラウスは早速先行きが不安になりながらも、先生に続いて訓練場を見学することになった。
モーリス先生は様々なことを教えてくれた。
この訓練場にいるのは、高等部の1年らしい。皆、基本貴族の子どもばかりで、平民の子は少ない。
ボンッ
その時、近くで炎が放たれ、クラウスは大袈裟に驚いてしまった。
見ると、皆、組になってお互いに魔法を出し合って訓練しているようだ。
今しているのは、高等攻撃魔法の授業らしい。通常、魔法学園中等部を修了時、それぞれの得意とする属性検査があり、そこで自分の属性が決まる。
属性とは、火属性、水属性、風属性、地属性、闇属性、光属性のことだ。それは生まれ持った個性みたいなもので、その属性の魔法が得意というだけで、基本どの魔法も魔力さえあれば使えるようだ。
ふと、案内をしてくれた高身長で短髪のシリルの姿が目に入った。彼は、この王国の宰相、グレイ家の長男らしい。
シリルが水柱を繰り出すのを見て、彼が水属性なのを知る。
それを難なく受け止めたのは…小柄な美少年だ。まさに天使っぽい銀の髪に碧眼の美しい外見をしている。彼も名高い公爵の息子、ノア・ウィングスというらしい。彼は風属性。
「皆が対面訓練をしているのは…近々開催される合同大会のためじゃ。合同大会は高等部の生徒が学年の垣根を越えて対戦する恒例の大会で、まあこの学園の目玉のイベントの一つじゃよ」
モーリス先生はそう教えてくれた。
「さて。あまり生徒の名前を一度に教えても覚えられんだろう。次は校内の案内じゃ」
先生と共に校内へ入る。
どうやら王立学園は、小さめの城みたいな建物が集まって、それぞれ初・中・高等部に分かれているらしい。
ああ、一応同じ場所に皆いるんだな。とはいえ、敷地は広く、それぞれの校舎は離れているため、初等部や中等部とは会うことはない。この十分広い城が高等部のみなんて、どんだけ広いんだよ。
そして、王立学園には寮がある。ほとんど皆寮に入るらしい。前の世界で学生時代、寮生活を体験したことのない俺は、なんだかワクワクする。
あとは食堂とか、図書館とか、普通の学校と同じような施設に案内してくれた。どれも規模が桁違いだが…。王宮で働いたことがあるシェフがいる食堂って…。
「この学園の図書館は、王都の人が利用するほど資料がたくさんある立派な図書館じゃ。君は分からないこともあるじゃろうから、よく利用するといいぞ」
確かに図書館の存在はありがたい。早くこの世界のことを知る必要がある。
あとは、先生に寮まで送ってもらった。寮も立派で、ファンタジーに出てくる石のレンガの壁に木製の家具が用意されていた。シャワー室まであって、ホテルみたいだ。
…ああ。すっごい癒される空間。
つい数日前まで社畜生活だったクラウスには、優しいランタンの光や木製の空間は、リラックス効果をもたらした。
突然異世界に飛ばされて、今まで緊張してたのかもしれない。
クラウスは糸が切れたかのように、ふらふらベッドに座り込んだ。
この世界に恐らく転移というものをしたのは、ほんの数日前のことだ。でもバタバタしていて、不安もあって、満足に寝れていなかった。
…やばい。数日ぶりに寝れる。
未だに異世界に来てしまったことに信じられないが、クラウスは今のところ社畜の頃より全然ストレスフリーだった。
魔法学校入学という信じられない状況だが、ようは学生に戻ったようなものだ。働かなくていいなんて最高すぎる!
…だが。
本当に異世界に来てしまったのなら、前の世界にいる家族のことだけは心残りだ。
俺の家族は両親と弟だが、社会人になってからは年に数回しか会えていない。でも、弟にはこれからも相談とかに乗ってやりたかったし、両親には親孝行もしたかった。老後だって心配だ。
あとは、しばらく会ってないけど友達とか…心配かけたかな。俺には恋人がいなかったから、それは心配ないけど…
思えば、仕事にばかり追われる寂しい人生だったかもしれない。俺のいた会社は、ブラックだった。段々経営が悪化して人も足らないし、皆忙しさにギスギスしてきて…俺は断れない性格なのもあって、あっという間に社畜になっていた。
俺は特段仕事ができるわけでもなく、年下にはあっという間に追い越されて、気づいたら無理して仕事をするために生きている状態だった。転職でもなんでもすればよかったが、それさえも考えられないくらいになっていて…
もし…もし神様みたいな存在が俺をこの世界に飛ばしたのなら。
今度こそ、俺はやり直したい。
もっとこの年でやりたいこともあった。…恋人だって、欲しかった。最後に恋愛したのが高校生って…しかも本当に好きだったかも分からないあっけない終わりだった。俺はフラれて終わり。
そもそも、俺は非常に平凡な見た目で、アラサーになってさらに覇気みたいなのも失われ、自分からいかないと絶対誰とも付き合えないと自分でも分かっていた。
もし次付き合えるなら、自分の中身を好きになってもらわないと。
…ま、こんな妄想をしているが、まずは「魔法」の問題があるからな。
俺が異世界転移してきたことは誰も知らないから、この世界の人は当然、俺が魔法を使えるようになるだろうと思っているはずだ。俺だって、そうであって欲しい。ほら、よくあるだろ?転生してチート技使えて、俺TUEEE状態になるって話。
──だけど、もし本当に全く魔法が使えなかったら…?
俺はそう考えて、心臓がドクリとした。
そうしたらどうなるか分からない。転移者ってバレたら、なんか抹殺されたり研究されたりするんだろうか。
俺は平凡に生きたい。
別に俺TUEEE状態になりたいわけでも、有名になりたいわけでもなかった。
使えるなら初級の生活必需魔法だけ習得して、「なるべく普通の職」に就いて、やり残したことをこの世界でやりたい。
幸い、この世界は今のところ平和そうだし、魔法のおかげで生活もしやすそうだ。まさに、海外の綺麗な田舎でスローライフ、みたいな生活も夢じゃない。
よし。まずは魔法の習得だ!がんばれ、俺!
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