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第一章 旅立ち
#18 こんな所誰も来ないし
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リュシファーは、思わず大広間の大扉から聴こえてくる会話に、耳を澄ませてしまった――。
『――しかしっ。あの子は、今月やっと十六になるのに』
『……リーディア、十六だからこそ、だ。先先先代の王の頃に、わが国とダムルニクス公国で結ばれた盟約――。その証として、ダムルニクス公国からは王子、わが国からは王女を結婚させ、盟約をより確かなものへとする証としようではないか――という話になった。……戦争中、公国のマルクス王子と、我が国のラミスティナ王女が恋仲にあったのだが、当時の時代背景では互いに敵国同士……二人の仲は、当然許されず、それを苦に二人は戦火の中、どこか遠い所で一緒に暮らそうと、二人で逃げようとしていた。戦争とは恐ろしいものだ。二人の消息は不明――となり、きっと戦火に巻き込まれ、命を落としたのだろうとされた……。世界中を周り、二人の情報を得ようとしたが、全く掴めなかったそうだ。その当時で叶わなかった二人を葬う意味も込め、わが国には王女が必要だったが、当時もラミスティナ王女以外にその後も王女は産まれず、次の代も、次の代も……全く王女が産まれることがなかった……。ラミスティナ王女の怨みとまで言われていた……。しかし、リーディア……お前が、やっと王女を産んでくれたのだ。これで、やっと……やっと……“盟約の証”を立てられると、レティシアが産まれた時に皆、喜んでいたのだ。そして、レティシアがこの年齢になるのを、どれだけ両国とも待ち侘びていたことか……! この話は、ちゃんと以前にも話しただろう?』
『……そ、そうですがっ……。はぁ……いえ、ごめんなさい。そうですね……わかってはいましたが……なんだか、実感がなかったんです……。いざ、十六年……経ってしまって、改めて聞かされてみると、そんな話――と、つい……思ってしまいました。私、少し気分が優れないので、休ませていただきます…………っ』
『リ、リーディア……。あぁ、また後でゆっくり話そう……』
『…………』
王妃の声に、リュシファーは慌てて見つからないように、柱の影に身を潜めた――。
王妃が大広間の扉を開け、ゆっくりと閉める。
レティシアやミグと同じ、淡い翡翠色の長い髪の毛の美しい女性。二人とは異なるのが、紫水晶のような色の瞳であるが、その瞳には、きらりと光る涙が浮かんでいる。
大扉に背中を向け、後ろ手に大扉を閉めたまま、王妃は耐えられなくなったのか、少し声を押し殺しながら泣いているようだ。
(えっと……ま、待て。今の話……何だ……。し、思考が追いつかない……。し、しかし、王妃様もこうして泣いている所を見る限り、本当の話っぽいな……ふーむ)
王妃は涙をハンカチで拭い、溜め息を吐くと、通路の先をよたよたと消えて行った。
リュシファーは、とても大広間へも入れる雰囲気ではなさそうであったので、部屋に戻ることにした。
自室のある東棟の五階への通常階段を上がったものの、何故か足が勝手に、東塔の出入り口である方へと向かっていた。東塔への出入り口に到着すると、リュシファーは口元を緩ませた。
(……ここで、あいつが降って来たんだったな)
『――レティが、東塔の塔上が好きだからね』
突然、ミグの言葉が頭を過ぎる。
東塔の出入り口から東塔に入り、まるでレティシアを辿っているかのように、リュシファーは、階段をゆっくりと階段を上がっていく。
東塔塔上――。塔上に上がるなり、初夏の心地いい陽気な風に吹かれ、リュシファーは深呼吸した。
(……俺は、何故こんな所に来てるんだ。確かに驚いて衝撃を受けたが……。いや……多分、それだけじゃない……な)
レティシアがよく座っている塔上の格子。
そこに肘を付き、レティシア達がいるであろう街並みを、ただぼーっと見下ろしていた。今現在、執事や侍女と護衛兵を付けてはいるが、今日、レティシアとミグは正式に町へと出ることを許されているのである。
空には、天気が変わりそうな暗雲も、遠くからこちらへと静かに向かって来ているようだった。
(天気が良いと思ったが、そうでもないな……少ししたら結構降りそうな雲だ……)
レティシア達が雨に降られぬ内に帰ってこられるか案じながら、リュシファーは暗雲の進行状況をしばらく見ていた。
レティシアとミグは、しばらく帰って来ないだろう。
この塔上は、レティシアを探す時、割と高い確率でこの塔上にいるので、一番最初に探しに行く場所だった。
レティシアが良くここに来るのは、一見当たり前のような理由だが、レティシア以外ほぼ誰も来ないからだ、と言っていた――。
『――ここから見渡して見える世界なんて、すごく限られているんだよね。世界の何パーセント? 私の存在なんて、その内の一パーセントですらないかも――。なんか落ち込んだりしてることすら……大したことないとか、思えるからな……』
ほぼ誰も来ないこの東塔塔上は、レティシアがしばらくの間は確実に来ず、意外と早めに帰ってきたりする少ない可能性を考えても、今ここで誰かと遭遇する確率はせいぜい五パーセントにも満たないと、リュシファーは見積った。
(……大昔、先先先代の王達の時代に、ダムルニクス公国とエンブレミア王国の同盟が結ばれた時に交わされた盟約……。その盟約の証として、ダムルニクス公国の王子と、エンブレミア王国の王女を結婚させる話になっていた……が、今の代まで、実現していなかったと……いう話だったな……。理由は、エンブレミア王国に何代も王女が産まれていなかったから――)
盟約の証として、両国の王子王女の婚姻を結ばせるだけで良いなら、別にダムルニクス公国側の王女と、エンブレミア王国の王子でも問題はなかった筈だ。
しかし、そうはいかない理由は、戦争の犠牲者とも言える悲恋の王子と王女――ダムルニクス公国のマルクス王子とエンブレミア王国のラミスティナ王女に、何としてでも合わせて王子と王女の婚姻を結ぶ事で、二人への葬いとしたい思いも含まれている――。
(……というか、そうして葬おうとしているのに、先先先代もラミスティナ王女以外に王女なし、先先代にも王女は産まれず、先代にも王女が産まれてなかった――って、本当に何かラミスティナ王女の怨念か何か……呪われているとしか思えんが……そして、ようやく今の代になってバカ姫が産まれた――と……産まれながらに、既に婚約者が――って、あれ? この話……もしかして、国王と王妃様とレイモンド様しか知らない……? アイツもミグも知らないのでは……?)
以前、ミグが過去の話をしている時、入浴当番の説明をしている時、確か――。
『――この当番が義務付けられいるのはお姫様だけ。……こう言っちゃ何だけど、お姫様なんて聞こえはいいかもしれないけど、実際は道具だろ……? きっと、常日頃から……綺麗に磨き上げてその価値を高め、ここぞという時に最強の交渉道具にするつもりなんだろう』
こう言っていたが、もう既に産まれた時から使い道が決められているというのに、『ここぞという時の最強の交渉道具にするつもりなんだろう』とは言わないだろう。その後も、『それに……さ、実は二代くらいずっと男しか生まれてなくて、久しぶりの女児の誕生だったからな……余計にだろうな』と、少し惜しい発言はしていたが、だからこの話があるという事は知らない風だった。
ということは、二人とも何も知らず、ダムルニクス公国へ旅行に行く気分でいるということである。日付的に夏休み期間中にレティシア達の誕生日が来るので、向こうで盛大に祝ってくれるらしいという話も、二人が話していた。
そこで、衝撃的事実が投下され、二人はどう思うのだろうか。
「はぁ…………」
そう溜め息を吐いたリュシファーは、実は何度溜め息を吐いているかわからない程、溜め息を吐いていた。
(明日……か…………)
王女の宿命ではあるが、政略結婚というのを皆、すぐに受け入れられるものなのかと思うと、やはりリュシファーはレティシアが気の毒に思えた。
しかし、それだけでまっすぐ部屋に帰る気がしなかったわけではない。勝手に足がここに向いたのも、レティシアが落ち込んだりした時に気晴らしに来るというこの場所に、つい来てしまったのも……きっと、リュシファー自身が気分が落ち込んでしまっているからであることは、自分でも自覚はあった。
「はぁ…………」
(……俺は、何故こんなに落ち込んでいる……? そんな理由など、ない筈だ……。いつかは、バカ姫が政略結婚する事など、わかっていた筈だ。ただ、いつか――じゃなくて、もうとっくに誰かのものだったとは、考えてもみなかった……。そもそも手に入るものでもないから、最初から手に入れようとなど、全く考えてはいなかったからな。ちゃんと、線は引いている――つもりだった……。もし、普通にそんな線引き必要ない相手なら、こう言っては何だが……おそらく簡単に落とせると断言できる。でも、バカ姫は絶対に線引きが必要な相手だから、そういう括りで見ないようにして来た。しかし、そういう括りで見ていなかった筈なのに、何だ……この様は……。思いっきり大ダメージを食らっているとは……。可愛い奴だと……放っておけない奴だ……と、思っていた事に……今更、思い知らされるみたいに、こんなにショックを受けるとは……。いいや、考えるのはもうよそう……考えても仕方がないだろう……)
「はぁ……俺は……どんな顔をしたらいいんだ……」
リュシファーは溜め息を吐くと、塔上の床に空を見上げて寝転んだ――。
『――それにさ、こんなとこ、私くらいしか誰も来ないから、独り言言っても聞かれることもないし?』
『独り言とは、例えばどんなことを言うんだ?』
『んー。……リュシファーがムカつくとか? サイアクとか』
『はあそうですか、それはそれは。宿題がもっと欲しいようだな……』
『あはは冗談だってば、そう怒るな――』
レティシアの言葉を思い出し、ふっと笑みが溢れてしまった自分に呆れ、溜め息を吐いた。
そのまま空を見上げていると、風が少し出てきて、太陽は出ていて天気が良いのに、先程の暗雲が流れて来たようだ。
そろそろ降りそうだと思った。
それでも、まだ動く気にもならなかったので、リュシファーは頭の後ろに両手を当てて枕にすると、空を眺めて呟いた――。
「――あのバカ姫が……婚約とは…………」
その瞬間、ついに突然顔にポツッと当たる一粒の雨と、少し横から照らしていた太陽が、何かで影を作り暗くなったようなので、そろそろ起き上がることにした。
そして起き上がった途端、背後の気配に気付き、リュシファーはぎくっとして振り返った――。
そこにいたのは、先日、リュシファーが二人に教えた浮遊魔法を使い、足音もなく浮かんだミグだった――。
リュシファーははっとして口元を押さえる。
しかし、既に遅かっただろう――。
「――お、おお、意外に早かったんだな。雨が降って来る前に帰って来られて良かったな。でも、もう降りそうだから、降りた方がいいぞ。俺も失礼しよう。ははは……」
ミグの動揺した表情に、このまま切り抜けられるとは全然リュシファーも思ってはいなかったが、リュシファーはポンとミグの肩に一度手を置いてから、塔上の階段を降りるための歩みを進めた。
その瞬間――。
リュシファーの袖の衣服をクシャッと掴み、掴んだ生地にミグの腕の重みが感じられた。
乗せられた重みが服を引っ張り、リュシファーの動きを止めさせると、ミグは一度息を飲み込んでから言った。
「――今の……何?」
リュシファーは、背後を振り返ることが出来ないまま、後ろ向きに目を閉じた。
(――やってしまった……。誰だ。こんなとこ、ほとんど誰も来ないって言った奴……っ。マズイな……はぁ……)
ポツ……ポツ……ポツ……ザァ……アアアア……
雨が二人を濡らしていく――。
突然降り出した雨の中、二人は互いにしばし動かなかった。
ガルニア暦三九〇年、双子の月十九日のことであった――。
『――しかしっ。あの子は、今月やっと十六になるのに』
『……リーディア、十六だからこそ、だ。先先先代の王の頃に、わが国とダムルニクス公国で結ばれた盟約――。その証として、ダムルニクス公国からは王子、わが国からは王女を結婚させ、盟約をより確かなものへとする証としようではないか――という話になった。……戦争中、公国のマルクス王子と、我が国のラミスティナ王女が恋仲にあったのだが、当時の時代背景では互いに敵国同士……二人の仲は、当然許されず、それを苦に二人は戦火の中、どこか遠い所で一緒に暮らそうと、二人で逃げようとしていた。戦争とは恐ろしいものだ。二人の消息は不明――となり、きっと戦火に巻き込まれ、命を落としたのだろうとされた……。世界中を周り、二人の情報を得ようとしたが、全く掴めなかったそうだ。その当時で叶わなかった二人を葬う意味も込め、わが国には王女が必要だったが、当時もラミスティナ王女以外にその後も王女は産まれず、次の代も、次の代も……全く王女が産まれることがなかった……。ラミスティナ王女の怨みとまで言われていた……。しかし、リーディア……お前が、やっと王女を産んでくれたのだ。これで、やっと……やっと……“盟約の証”を立てられると、レティシアが産まれた時に皆、喜んでいたのだ。そして、レティシアがこの年齢になるのを、どれだけ両国とも待ち侘びていたことか……! この話は、ちゃんと以前にも話しただろう?』
『……そ、そうですがっ……。はぁ……いえ、ごめんなさい。そうですね……わかってはいましたが……なんだか、実感がなかったんです……。いざ、十六年……経ってしまって、改めて聞かされてみると、そんな話――と、つい……思ってしまいました。私、少し気分が優れないので、休ませていただきます…………っ』
『リ、リーディア……。あぁ、また後でゆっくり話そう……』
『…………』
王妃の声に、リュシファーは慌てて見つからないように、柱の影に身を潜めた――。
王妃が大広間の扉を開け、ゆっくりと閉める。
レティシアやミグと同じ、淡い翡翠色の長い髪の毛の美しい女性。二人とは異なるのが、紫水晶のような色の瞳であるが、その瞳には、きらりと光る涙が浮かんでいる。
大扉に背中を向け、後ろ手に大扉を閉めたまま、王妃は耐えられなくなったのか、少し声を押し殺しながら泣いているようだ。
(えっと……ま、待て。今の話……何だ……。し、思考が追いつかない……。し、しかし、王妃様もこうして泣いている所を見る限り、本当の話っぽいな……ふーむ)
王妃は涙をハンカチで拭い、溜め息を吐くと、通路の先をよたよたと消えて行った。
リュシファーは、とても大広間へも入れる雰囲気ではなさそうであったので、部屋に戻ることにした。
自室のある東棟の五階への通常階段を上がったものの、何故か足が勝手に、東塔の出入り口である方へと向かっていた。東塔への出入り口に到着すると、リュシファーは口元を緩ませた。
(……ここで、あいつが降って来たんだったな)
『――レティが、東塔の塔上が好きだからね』
突然、ミグの言葉が頭を過ぎる。
東塔の出入り口から東塔に入り、まるでレティシアを辿っているかのように、リュシファーは、階段をゆっくりと階段を上がっていく。
東塔塔上――。塔上に上がるなり、初夏の心地いい陽気な風に吹かれ、リュシファーは深呼吸した。
(……俺は、何故こんな所に来てるんだ。確かに驚いて衝撃を受けたが……。いや……多分、それだけじゃない……な)
レティシアがよく座っている塔上の格子。
そこに肘を付き、レティシア達がいるであろう街並みを、ただぼーっと見下ろしていた。今現在、執事や侍女と護衛兵を付けてはいるが、今日、レティシアとミグは正式に町へと出ることを許されているのである。
空には、天気が変わりそうな暗雲も、遠くからこちらへと静かに向かって来ているようだった。
(天気が良いと思ったが、そうでもないな……少ししたら結構降りそうな雲だ……)
レティシア達が雨に降られぬ内に帰ってこられるか案じながら、リュシファーは暗雲の進行状況をしばらく見ていた。
レティシアとミグは、しばらく帰って来ないだろう。
この塔上は、レティシアを探す時、割と高い確率でこの塔上にいるので、一番最初に探しに行く場所だった。
レティシアが良くここに来るのは、一見当たり前のような理由だが、レティシア以外ほぼ誰も来ないからだ、と言っていた――。
『――ここから見渡して見える世界なんて、すごく限られているんだよね。世界の何パーセント? 私の存在なんて、その内の一パーセントですらないかも――。なんか落ち込んだりしてることすら……大したことないとか、思えるからな……』
ほぼ誰も来ないこの東塔塔上は、レティシアがしばらくの間は確実に来ず、意外と早めに帰ってきたりする少ない可能性を考えても、今ここで誰かと遭遇する確率はせいぜい五パーセントにも満たないと、リュシファーは見積った。
(……大昔、先先先代の王達の時代に、ダムルニクス公国とエンブレミア王国の同盟が結ばれた時に交わされた盟約……。その盟約の証として、ダムルニクス公国の王子と、エンブレミア王国の王女を結婚させる話になっていた……が、今の代まで、実現していなかったと……いう話だったな……。理由は、エンブレミア王国に何代も王女が産まれていなかったから――)
盟約の証として、両国の王子王女の婚姻を結ばせるだけで良いなら、別にダムルニクス公国側の王女と、エンブレミア王国の王子でも問題はなかった筈だ。
しかし、そうはいかない理由は、戦争の犠牲者とも言える悲恋の王子と王女――ダムルニクス公国のマルクス王子とエンブレミア王国のラミスティナ王女に、何としてでも合わせて王子と王女の婚姻を結ぶ事で、二人への葬いとしたい思いも含まれている――。
(……というか、そうして葬おうとしているのに、先先先代もラミスティナ王女以外に王女なし、先先代にも王女は産まれず、先代にも王女が産まれてなかった――って、本当に何かラミスティナ王女の怨念か何か……呪われているとしか思えんが……そして、ようやく今の代になってバカ姫が産まれた――と……産まれながらに、既に婚約者が――って、あれ? この話……もしかして、国王と王妃様とレイモンド様しか知らない……? アイツもミグも知らないのでは……?)
以前、ミグが過去の話をしている時、入浴当番の説明をしている時、確か――。
『――この当番が義務付けられいるのはお姫様だけ。……こう言っちゃ何だけど、お姫様なんて聞こえはいいかもしれないけど、実際は道具だろ……? きっと、常日頃から……綺麗に磨き上げてその価値を高め、ここぞという時に最強の交渉道具にするつもりなんだろう』
こう言っていたが、もう既に産まれた時から使い道が決められているというのに、『ここぞという時の最強の交渉道具にするつもりなんだろう』とは言わないだろう。その後も、『それに……さ、実は二代くらいずっと男しか生まれてなくて、久しぶりの女児の誕生だったからな……余計にだろうな』と、少し惜しい発言はしていたが、だからこの話があるという事は知らない風だった。
ということは、二人とも何も知らず、ダムルニクス公国へ旅行に行く気分でいるということである。日付的に夏休み期間中にレティシア達の誕生日が来るので、向こうで盛大に祝ってくれるらしいという話も、二人が話していた。
そこで、衝撃的事実が投下され、二人はどう思うのだろうか。
「はぁ…………」
そう溜め息を吐いたリュシファーは、実は何度溜め息を吐いているかわからない程、溜め息を吐いていた。
(明日……か…………)
王女の宿命ではあるが、政略結婚というのを皆、すぐに受け入れられるものなのかと思うと、やはりリュシファーはレティシアが気の毒に思えた。
しかし、それだけでまっすぐ部屋に帰る気がしなかったわけではない。勝手に足がここに向いたのも、レティシアが落ち込んだりした時に気晴らしに来るというこの場所に、つい来てしまったのも……きっと、リュシファー自身が気分が落ち込んでしまっているからであることは、自分でも自覚はあった。
「はぁ…………」
(……俺は、何故こんなに落ち込んでいる……? そんな理由など、ない筈だ……。いつかは、バカ姫が政略結婚する事など、わかっていた筈だ。ただ、いつか――じゃなくて、もうとっくに誰かのものだったとは、考えてもみなかった……。そもそも手に入るものでもないから、最初から手に入れようとなど、全く考えてはいなかったからな。ちゃんと、線は引いている――つもりだった……。もし、普通にそんな線引き必要ない相手なら、こう言っては何だが……おそらく簡単に落とせると断言できる。でも、バカ姫は絶対に線引きが必要な相手だから、そういう括りで見ないようにして来た。しかし、そういう括りで見ていなかった筈なのに、何だ……この様は……。思いっきり大ダメージを食らっているとは……。可愛い奴だと……放っておけない奴だ……と、思っていた事に……今更、思い知らされるみたいに、こんなにショックを受けるとは……。いいや、考えるのはもうよそう……考えても仕方がないだろう……)
「はぁ……俺は……どんな顔をしたらいいんだ……」
リュシファーは溜め息を吐くと、塔上の床に空を見上げて寝転んだ――。
『――それにさ、こんなとこ、私くらいしか誰も来ないから、独り言言っても聞かれることもないし?』
『独り言とは、例えばどんなことを言うんだ?』
『んー。……リュシファーがムカつくとか? サイアクとか』
『はあそうですか、それはそれは。宿題がもっと欲しいようだな……』
『あはは冗談だってば、そう怒るな――』
レティシアの言葉を思い出し、ふっと笑みが溢れてしまった自分に呆れ、溜め息を吐いた。
そのまま空を見上げていると、風が少し出てきて、太陽は出ていて天気が良いのに、先程の暗雲が流れて来たようだ。
そろそろ降りそうだと思った。
それでも、まだ動く気にもならなかったので、リュシファーは頭の後ろに両手を当てて枕にすると、空を眺めて呟いた――。
「――あのバカ姫が……婚約とは…………」
その瞬間、ついに突然顔にポツッと当たる一粒の雨と、少し横から照らしていた太陽が、何かで影を作り暗くなったようなので、そろそろ起き上がることにした。
そして起き上がった途端、背後の気配に気付き、リュシファーはぎくっとして振り返った――。
そこにいたのは、先日、リュシファーが二人に教えた浮遊魔法を使い、足音もなく浮かんだミグだった――。
リュシファーははっとして口元を押さえる。
しかし、既に遅かっただろう――。
「――お、おお、意外に早かったんだな。雨が降って来る前に帰って来られて良かったな。でも、もう降りそうだから、降りた方がいいぞ。俺も失礼しよう。ははは……」
ミグの動揺した表情に、このまま切り抜けられるとは全然リュシファーも思ってはいなかったが、リュシファーはポンとミグの肩に一度手を置いてから、塔上の階段を降りるための歩みを進めた。
その瞬間――。
リュシファーの袖の衣服をクシャッと掴み、掴んだ生地にミグの腕の重みが感じられた。
乗せられた重みが服を引っ張り、リュシファーの動きを止めさせると、ミグは一度息を飲み込んでから言った。
「――今の……何?」
リュシファーは、背後を振り返ることが出来ないまま、後ろ向きに目を閉じた。
(――やってしまった……。誰だ。こんなとこ、ほとんど誰も来ないって言った奴……っ。マズイな……はぁ……)
ポツ……ポツ……ポツ……ザァ……アアアア……
雨が二人を濡らしていく――。
突然降り出した雨の中、二人は互いにしばし動かなかった。
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