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序章

#16 一応

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 リュシファーが溜め息を吐くと、その歩みを止め、レティシアの方を向いた。
「あぁ……お前という奴は、本当に……いつまでそうしているつもりだ……」
 それは突然だった――。リュシファーは、レティシアを、しっかりと自分の身に抱き寄せた。
「な、何……急に……何をして――」
「……怖かったんだろう? さっき」
「……べ、別にもう……っ私……は……」
「はぁ……俺、ずっとお前の手握ってやってるんだからな……? ずっと冷たいままだし、それに震えてもいることに、俺が気付かないとでも……?」
「う。は、離せ……っ私は……ただ……寒いだけ……だ……」
「ほぅ……じゃあ余計にこうしていた方が良いな……。熱でも出されたら、手間かけさせられんのは、どーせ俺だし?」
「……わ、私はっ」
「あーもう……いいから……っこんな時にまで、平気なフリなんていい……。今お前が何を言っても、泣き喚こうと……全部、綺麗に忘れてやるから……。我慢なんて……もうやめていいんだ……バカ」
「う……っ――」
 その言葉にレティシアは、自分ではもう止められない涙が勝手に溢れ出ていた。
 リュシファーの言う通り、ずっと泣くのを我慢していたのである。でも、もはや何を弁解しても無意味だとわかった途端、一気に溢れ出ていってしまっていた。
 そして、レティシアは、ついに強がるのをやめた。

「う、うわぁぁん……怖かったぁぁ…………! リュシファぁぁぁ」

 リュシファーは、ほっとしたように息を吐くと、レティシアを強く抱き締めて、ただ黙って胸を貸してくれた。
「…………」
 こういう時くらい素直に泣けよ、と言ってくれた事に、レティシアは心の中で感謝していた。
 本当はこうして慰められるのは不服でもあったが、そういうのを全て理解してくれているミグは、今そばにいない。
 リュシファーにも、もういつの間にか理解されていたことに、やはり悔しいとレティシアは思った。

 少し落ち着いて来てからレティシアは、リュシファーにもう怖くて不安だった気持ちを打ち明けていた。

「道も……わからなくて……っ」
「……うん……」
「だんだん暗くなってきたし……っ」
「……そうだな……」
「誰も……いないし……っ」
「……確かにあの辺はなぁ……」
「そんなの……知らなかっ……たし……ひっく」
「物騒な事件が起きてるから、気を付けてって……教えてくれた友達がいたんだけど……っ」
「うん……うん……って、え? 友達? お前、町に友達なんていたのか……?」
「きょ、きょお……友達になったの」
「こ、こんな短時間の間に……どうやって知り合った……? お、女か? 男か? へ、変な奴じゃないだろうな?」
「……えぇぇ? お兄さん達、二人とも良い人達だったよ。その……巡回兵とすれ違いそうになったから……その、ちょっと背中を拝借させて貰って……なんとか上手くすれ違えたのは良かったけど、なんか気付かれたみたいで振り向かれて……なんか成り行きで……あはは」
「背中を借りたって……まさかこっそり陰に隠れただけじゃなくて、背中に触れて――じゃないだろうな?」
「え……? あー……あ、あんまり覚えてないなぁ……あは……服くらいは掴んで、引っ張ってた……かも……」
「お、お前……そんなの気付かれるに決まってるだろうが。こんなカワ――いや、こほん。その……女の子に急に背中なんて借りられたら、喜んで貸すだろうしな。で、歳は?」
「えと……十九とか言ってたような。リュシファーより歳上だね」
「職業は……あ、旅してるって言ってたから、冒険者か何かか?」
「あ、そお。そう言ってた。……てゆか、何でそんなに、根掘り葉掘り……」
「い、いや俺は目付け役でもあるから、こ、交友関係も知っておかなくては……いや、確かに聞きすぎだな。はぁ……わかったわかった。もう聞かないから……その友達とやらが言った物騒な事件とは、どんな……?」
「――って聞いたんだけど、その……犯人が……さっきの人だったみたいなの……っ」
「な、何だと……⁉︎ その犯人と対峙してたのか……あっぶな……。もし、俺が助けに行ってなかったら――」
「ふ、ふぇぇぇ……怖いこと言わないでぇ……」
「あぁぁっすまん……っ」
「ふぇぇ……剣も部屋に置いて来ちゃってて……無くて……っ」
「……うん……うん……」
「……魔法も……無理だし、もう駄目だと……思っ……っく、……誰か、助けに来てって……おもっ――」
「…………うん」
「……来て……くれ……なかったら……っ」
「……ああ。……怖かった……怖かったな……よしよし。もう大丈夫だから……」

 リュシファーにこうしてが増えて行くたびに、何故かレティシアは悔しいと思う。
 今回も、借りがまたひとつ増えてしまったと――。
 そう思う……ことにいつもしていたから。

 少しして――――。

「ママー。あのお兄ちゃん、お姉ちゃんのこと泣かしてるー」
「ダメよ、こら。す、すみません」
 通りがかりの親子にそう言われ、リュシファーは苦笑いを浮かべた。

「あ……えー……こほん。な、なんか俺が酷いことして泣かしたみたいに……なっているような……」
「――ぶふっ……は……ははっ……」

 リュシファーのその様子に、泣いたことで怖い気持ちも落ち着いたレティシアは、おかしくなって笑っていた。

「少し……落ち着いたか? じゃ、そろそろ戻らないと、十八時五十五分だ」
「え、じゃあもう無理だよー。諦めて怒られよう……」
 あっさり諦めたレティシアに、リュシファーは不敵に微笑んで言った。

「――間に合わせるよ」 
「まっ間に合わせるって、どうやって……⁉︎」

 レティシア達の周りに、風が巻き起こっている。
 リュシファーが、珍しく魔法呪文を詠唱している。

「――……――……――――」

 しかし、レティシアには、何語か理解出来ない言葉だ。何か特別な魔法なのかもしれない。

 詠唱が終わると同時に、レティシア達のいるちょうど真上の位置を中心軸として、空に水色にぼわんと光る大きな魔法陣が広がった――――。
 魔法陣に、小さく細かいキラキラと輝いて光を放つ、銀色の魔法文字が陣の中に浮かび上がり、それがゆっくりと各列不揃いに回転する。
 辺りには強い風が吹き荒れ、銀色の魔法文字が眩く発光し、魔法陣全体が強く光を放っているように見えた。
 そして、突然、魔法文字が各列毎に、地面に吸い込まれる様に、真っ直ぐに下へ降り注ぎ、視界が眩しくなった時――。急にリュシファーに身を引き寄せられたレティシアは、その反動のまま、少しぶつかるようにしてリュシファーの身体に抱き寄せられた。
「――掴まってろ。置いてけぼりになるぞ」
「う、うん」
 レティシアは、眩しさのあまり目を閉じて、リュシファーの懐に顔を埋める形で、リュシファーの衣服を掴みながら身を寄せる。
 そのまま吹き荒れる風に、少しの間耐えていたレティシアは、ある瞬間から急激に風が収まり、空気感が変わったことを感じた。

「――さて、着いた。バカ姫の部屋と同じ階にある俺の部屋だがな……」

 リュシファーの声が聞こえ、レティシアは顔を上げた。辺りを見回すと、確かにリュシファーの部屋のようだ。先程の魔法は、帰還場所として設定した場所に、瞬間移動できる特殊な魔法で、一度、設定した帰還場所に戻ったら、設定は解除されてしまうらしい。
 リュシファーは、万が一のために帰還場所を自室に設定してあったようだ。
「……ちなみに、自由に何度も使える魔法ではないから、緊急用の魔法だった。一度この魔法を使うと、一年はこの魔法は封印されてしまう」
「え、そんな魔法を……なんかごめん」
「いいや、お前にとっては緊急事態だろう? 早々、緊急事態など起きないからな……別にいいよ」
「そう……か。ありがと。それにしても、確かにここはリュシファーの部屋だな……って、あれ?」
 視線をひと通り部屋を一周させた後、目の前のリュシファーの顔に移して、レティシアは冷静になった。
(えっ……あー……)
 転移するためとはいえ、リュシファーと密着していた事実を改めて認識したレティシアは、どんどん顔が紅潮していったため、慌てたようにリュシファーから離れた。
「!」
 リュシファーの手は、とっくにレティシアから離されていたため、いつ離れてもいい状態だったのである。
 それに加え、レティシアを慰めるためにリュシファーが抱き締めてくれたからとはいえ、街中でも堂々と抱き合ったことまで、レティシアにトドメを刺すように記憶が蘇ってくる。

(う……わぁぁぁぁっ。もう無理っ)

「そ、そうだ! わ、私っもう行かなくては――」
「あ……えと、その方がいいな。走れば間に合うだろう」

 レティシアは、赤らめた顔をリュシファーに背けながら、逃げるようにしてドアの方へと駆けていく。
 ドアノブに手をかけたレティシアは立ち止まると、指をパチンと鳴らして変装魔法を解いた。
 そして、リュシファーの方は振り返らず、こう言ってから、リュシファーの部屋を出た。


「リュ、リュシファー。えと、今日は……その……一応、ありがと! じゃあ……またねっ!」

「あ、あぁ……また後で。腕、診るから――って、もう行ったか……」

 淡い翡翠色の髪の毛が、最後にさらりとドアの外に消えるのを、部屋に残されたリュシファーは、ぱちぱちと瞬きをしながら見送った。
 その走っていく足音が、聴こえなくなるまで、呆然とそうしていた。
 この部屋に到着して、この腕の中にいたレティシアが、顔を上げた時の表情が、リュシファーの脳裏に浮かぶ。
 リュシファーは、ふ……と口元を緩ませて呟いた。



「――…………ねぇ……」

 
 
 エンブレミア城、西塔塔上――。
 西塔、東塔ともに、塔上には、あまり人が現れない場所であった。だからこそ、レティシアは東塔塔上がお気に入りの場所であり、何かあると足を運ぶ場所であるのだが……。

 夕食も終え――、就寝の支度が整った静かな夜のこと――。滅多に姿を現すことのない、ある二人の人影があった。

「今日は、星が綺麗だな~」

 二人の間を、穏やかな風が通り抜けていく――。
 澄み渡った夜の闇に散りばめられた星々が、月とともに世界を見降ろしている。
 少し後ろに控えたまま黙って男の背後を見ていたもう一人の人影も、ゆっくりと天を仰ぐ。
「ええ」
「――ところで、今回の者はなかなか見所があるようだな……」
「ええ、そのようです。今の所恙無つつがなく、姫様も勉学に御励みになられておられるそうですじゃ……」
 
 エンブレミア王国国王エリックと、エンブレミア王国の白き虎眼――宰相レイモンドの二人だ。
 二度頷いた後、最初に開口した声の主、エリックは息を吐いた。
 エンブレミアの白き虎眼と呼ばれた男レイモンドは、エリックの隣に立ち、西塔側から見える東塔を眺めた。
 レティシア達の部屋の窓側は、その裏側――つまり反対側なので、レティシア達の事をここから伺い知ることは出来ない。

「うむ……。あの時の私の見る目は狂ってはいなかったようだな……。では、この調子でいけば、“あの件”も――――」
 レイモンドがその視線を受け、頷いている。

「ええ、恐らくは……“予定通り”――」
「……レイモンドよ。あの者に、期待しておる……と伝えよ」

 そう言って塔上から、その身をひるがえすように背を向けると、エリックは歩みを進める。

「仰せの通りに――」
「お前も、もう休むといい――」
 レイモンドは頷くとエリックと視線を交わし、エリックのその後ろ姿が見えなくなるまで目で追っていた。エリックの足音が遠のく中、月を見上げた。


「…………姫様…………」


 レイモンドは、どこか物悲しげに月を眺めながら、深い溜め息を吐き、自身も階段を降りて行ったのであった。
 ――――…………

 こんな不穏なやりとりなど、
 まだ誰も知るよしはなかった。
 それを知ることになるのは、七ヶ月後のことである――――。
 


(序章終わり)
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