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序章

#15 ご本人

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 謎の男は、再び溜め息を吐いてから、一見穏やかな口調で口を開いた。
「――これ以上、に用があるんでしたら……。今度はちょっと、怪我でもして頂くことになりますが……どうします?」

(こ……『コレ』!?) 

 謎の男が、後方にいる仮にも王女――であることは内緒なので百歩譲っても、レティシアのことをと、まるで物を扱うかのように指差したことに、レティシアはかなり驚いていた。
 そして、丁寧で穏やかに聞こえるのに、言っていることは確実に脅し――。先程、怒りを表に出ているように思えたが、気のせいだったのだろうか。
 穏やかに発せられる脅しの言葉が、いかに人を恐怖に陥れるか――。レティシアは、のお陰で、嫌というほど知っていた。
 後ろ姿を見る限り、髪の色も長さも違うし、その人物とは似ても似つかない。しかし、レティシアだって髪の色も瞳の色も変えている。ひょっとしたら、その人物だって同じように変えている可能性はある。
 ただ、変装魔法で変えられないものがあった。それと声色と顔だ。レティシアが思い当たる人物の声と、この謎の男の声は、似ている気がする。そして、もしこちらを向いた時に、レティシア好みのあり得ない位の綺麗なをしていれば、完全に確信につながる――。
(……あっ別に! めちゃくちゃ顔は好みでも、性格は最悪だから、そーゆーのじゃないから! 違うから!)
 レティシアは一体誰に否定しているのか、脳裏に浮かんだリュシファーの端正な顔立ちを、掻き消すように思考した。
 レティシアは、そういえば、先程水を多少浴びてしまい、びしょ濡れだったことを思い出し、自分が風邪を引いてしまわないように、簡易魔法で乾かした。
 レティシアのそんな行動にもお構いなしで、その間にも二人の会話は続いていた。
「コ、コレだと……? くそ、がくっそ美少女を助けに来るとか……。邪魔しやがって、あともう少しで――」
 くっそイケメン――。この言葉により、謎の男の正体は、ほぼ確定したも同然だった。変な輩のその言葉を聞き逃さなかったレティシアは、口元がついぎこちなく笑みを作り、緊張の糸が解れたように壁にもたれ掛かった。
 あとはもう見物さえしていれば良いことに、どれだけ安堵したことか。その人物に対して、計り知れない程の信頼を置いていたのかということに、レティシアはこの日初めて気付かされた。

「――はぁ?」
 謎の男が怒ったようにそう聞き返した途端、一瞬にして辺りに再び、緊張感のピリつく雰囲気が漂った。
「⁉︎」
 その威圧感をまだ感じ取れていないのか、変な輩はやめておけばいいのに、悪態を吐く。
「な、なんだよ。急に救世主気取りで現れやがって、ふざけ――」
 そう変な輩が口にしかけた瞬間だった。
 謎の男のその手に、パリっと小さな稲妻が発生した。
「ひっ」
 詠唱はなかったが、いつでも放てそうな音を立てている。
 謎の男は、自分の手のひらを眺めるように、それを自分で確認しながら溜め息を吐いた。
「――はぁ~……つい怒りのあまり、久しぶりに勝手に出してしまったか……。昔は、全く制御できなくて、感情のままに色んな属性を追加してしまって……訳のわからないものを作っていたんだったな……。で? 聞かせて貰っても……?」
「な、何を言ってやがる……」
「――こんな裏路地で……」
 ヒュウゥ……という音と共に、謎の男の手の内の稲妻を、氷がパキパキと凍らせていく。しかし、今度は稲妻の方が力を強め、その氷にピシピシとヒビが入ったかと思うと、パキンッと氷が破壊される。そして互いにそうやって、遊ぶように優勢劣勢を繰り返している――という謎の現象が作り上げられる。
「⁉︎」
「――に……」
 また謎の男が静かにそう言うと、今度は謎の男の辺りに、風がだんだんと吹き始めただけのようだ。いや、その風は次第に強くなって来ている。
「――何をしようとしていたのか……」
 先程の風がさらに強くなっていき、謎の男の手の内に集中し、強く吹き荒れ始めた。それは小さな嵐のようになっていき、氷と稲妻を巻き込むと、手の周りで竜巻のようにぐるぐると回り始めた。
(あ……⁉︎ あ……あええ? な、何これ……。ど、どうなってる……? というか、さっき言ってたみたいに、制御できてないってっ。わ、わざと? それとも、それくらい怒っている……?)
 こんな相手と対峙して、変な輩に勝ち目などある筈もない。変な輩の顔は、みるみる青褪め、後退り知始めている。
「ひ、ひぃ……⁉︎ ち、違うんだ。おおお兄さん、何か、勘違いしてるぜ。お、俺は別に……っ」
 その瞬間だった――。
 その見たこともない雷+氷+風の魔法に、一瞬、炎が追加しかけているように見えたので、レティシアはびくっとして心臓が跳ねそうになった。
(い……嫌ぁ、怖い……!)
 レティシアはきつく目を閉じたが、『あ』という声と溜め息が聞こえて来て、薄っすらと目を開けた。
「……ごめん」
 レティシアがその言葉に、ぱちっと目を開けてみると、謎の男の手の中に、レティシアが恐れる炎は追加されていなかった。そして、謎の男は、魔法を発生させていないもう片方の手で、レティシアの頭をぽんぽん、と二回だけ優しく撫でた。
「え?」
 レティシアが、火(炎)の魔法を怖がっていることを知っている者としか思えないその行動――。レティシアは、その名を口にしかけたが、やはり口を閉じた。
「……俺としたことが、お前なんかに四属性も混ぜてやる必要ないのにな……。で、何が勘違いだって?」
 謎の男の口調から、既に丁寧さは消え去っている。
「い、いや……う、裏路地に誘って来たのは、そ、その子だから、さ――」
 レティシアは、既にその手の内に発生しているそれだけで、十分に恐ろしかったのに、一気にその威力が増し、強い風が吹き荒れたので髪を押さえた。
「――いい加減に……しろ……。強がって簡単に悲鳴なんかあげないコイツが……悲鳴あげてただろうがっっ!」
 怒鳴るようにそう言われ、変な輩は一気に自分の危機を理解したようだ。
「ひ、ひいいいああああ、う、嘘です嘘ですごめんなさいっ! 悪かった! 助けてくれええええーーわーーーー」
 情けなく走り去って行く変な輩に向けた謎の男は、思ったより威力が小さそうな稲妻だけを放った。
 悲鳴を上げた変な輩がその場に倒れたのを、謎の男がそこら辺に生えている木に縛り付けている。

「……やれやれ。後で、誰かに捕らえに来て貰うとするか」

(う……お、終わった……)

 レティシアは胸元に手を当て、今頃になって止まらない身体の震えを落ち着かせようと、呼吸を繰り返した。
 足音が近付いてくる。俯いたその視線の先、地面に現れた人影に、レティシアは初めて、まともに謎の男のその顔を見上げた――。
 勝手にじわっと涙が浮かびそうになるのを堪えるため、レティシアは唇を軽く噛み締める。
 やっぱり、ご本人リュシファーだ。

『――大丈夫か? 起き上がれるか?』
 あの時、差し出された手――。

「――大丈夫か? 立てるか?」
 あの時と少し異なる言葉で、再びその手は差し出されている――。

 先程の恐ろしさを、微塵にも感じさせない優しい微笑みを、リュシファーはその顔に浮かべている。
 髪の色や髪型が違うので、雰囲気が少し違って見えるものの、今レティシアに向けられる瞳は、初対面の時にもつい魅入られたあの瞳だ。
 こうして、違う姿をしていても、ご本人リュシファーだと、嫌でもわかってしまう。
 それでも、確認の意味も込めて、レティシアは問う。


「リュシ……ファー……なの……?」


 座り込んでいたレティシアに、リュシファーはわざと考えたフリをして微笑んだ。

「ふ……違うって言ったら?」
「くすっ……嘘つき」
「……はは。わかってんのに聞くな。いいから……ほら、立て」
「…………」


 ――――実を言うと、昔からエルフに憧れてた。

 好きだった絵本の挿絵が綺麗だったから。

 いつか、会ってみたいとずっと思っていた。

 そして初めて会った時、本当に綺麗……と、思った。
 
 多分、一目惚れしてたのかも知れない。

 手助けされるのは、苦手だ。王女としての気位が、そうさせるのか。家族の中で常に、年齢が一番下であったからなのか。いつも、家族の中で妙に甘やかされて、子供扱いされている気がしていた。
 ひとりで平気だ、私にだってできる……。
 そう思ってしまう。

 あの時、突然、階段から足を踏み外して落っこちた階下で、ぶつかってしまった見知らぬ人だった。
 その綺麗すぎる容姿に、思わず見惚れてた。
 見知らぬ綺麗なエルフの青年は、ぶつかられたことに対して、怒りもせずに私に優しく声をかけてくれた。
 死んでも助けなど借りない、借りなど作らないと、思っていたのに、結局、見兼ねて手助けされた。

 握られた弱味――。リュシファーは、私のために隠しておいてくれたそれを、本当はちっとも告げ口する気などなかったことだろう。

 そう、リュシファーはいい人だってこと、本当は知っていた……。でも、それだと困るから……。
 敵だと思うことにしていた。
 
 今日――。
 絶対絶命の危機に、駆け付けるとか――。


 そんなの……かっこよすぎて…………。



 ずるい――――と思ってしまう。
 


 そしてこの差し出された手――。

 あの時の私なら、払い退けて借りないだろう。
 今、取ったら、意外そうな顔でもするだろうか。
 レティシアは、リュシファーの目を見上げたまま、すんなりと右手を差し出し、手を借りて立ち上がった――。

「……お」

 予想通り、リュシファーは手を差し出しておいて、少し意外そうに立たせてくれた。
 微笑んで少し調子が狂うような笑みを浮かべた。

「……大丈夫か? 腕、痛くないか?」
「……少し、強く掴まれただけだ」
「そう、か。後で帰ってから一応診よう」

 そして、リュシファーに連れられ、霞む視界の中、城への帰路へと歩き始めた――。
 レティシアは終始、少し俯いて答えていた。
 何故か頬が紅潮する。心にも否定する。

(リュシファー……怒ってた……。私に怖い思いさせて悲鳴あげさせたこと、怒ってくれた……)

 さらに否定する。ちらっとリュシファーを見上げる。また否定する。

(ち、違う……。でも、なんか、嬉しかった……)

 否定する……。でも、そうかもしれない……レティシアは、ずっと連れられて歩いていた。

 そうこうしている内に、レティシアはあることに気が付いた。あの時、立たせて貰うために掴んだリュシファーの手は、そのままずっと握り締められていたことに――。
 レティシアは、何故すぐに気に留めなかったのか。
「あ……えと、あは、繋いだままだった」
 レティシアは、リュシファーの手から自分の手を離そうとした。しかしリュシファーは、それを離してはくれなかった。
「……こら、お前がまた逃げ出したら困るから、捕まえてるんだ。諦めろ」
「えぇぇ……」

 また逃げ出したら――。

 思わぬアクシデントがあり忘れてかけていたが、レティシアが城を抜けたのは、リュシファーの特訓から逃げ出したためだった。
 そして、こんな目に遭ってリュシファーの手を煩わせたレティシアは、きっと城に到着してから、後でたっぷりとお説教されるに違いない。
「リュシファー……その、ごめん……なさい」
 リュシファーは、呆れたように微笑んだかと思うと、そのまま何も言わずにレティシアの手を、リュシファーは左ポケットに仕舞い込む。
「……手、冷た過ぎだ」
「へ?」
 そうして、リュシファーはそのまま、城へと戻るため歩き出したので、必然的にリュシファーのすぐ隣に身を寄せながら、歩みを進めることとなってしまった。
「あぁ、ちょっ――」
 レティシアは、勿論猛抗議しているが、お構いなしでリュシファーは進んで行く。
 そんなレティシアに、リュシファーは全然関係ない話をする。

「――へ? じゃあ今、このミルクティー色の髪とか、見えてないの?」
「そうだ。可視化魔法だから、変装前の状態にしか見えないからなぁ……」
「じゃ、リュシファーから逃げようとしても、すぐ見つかっちゃうじゃん」
「そうだな無駄だな……やめとけ」
「ふぅん……」
「お前こそ、よく俺だとわかったな」
「あんなわけのわからない魔法、カンタンに使おうとしてれば誰だって……。んまあ、髪の色は違ったし、耳も人間だった。ただ、目の色はいつもの金と紫の紫の方が残ってたから――」
「――紫……? お……お前、見えてたのか?」
「どういうこと? いつも、金色と柔らかい色の紫水晶みたいな――」
「……よく、後ろから視線をじーっと注いでいると、見られている者が気付くことがあるだろう? 魔力は目にもその兆候が現れると言われていて、見える人にしか見えないが、普段魔力の高さを隠している者であっても、魔力が高い者であればある程、どうしても瞳には現れてしまうようだ。しかし、それを見ることが出来るのも、当然魔力が高くないと見える筈もない」
「わたし……魔力……高いってこと?」
「お前の瞳自体は、そうは見えるわけじゃないけどな……色々とお前の魔力については、未知数な気がするな……」
「未知数?」
「まだ未熟だけど、大きく成長する可能性を秘めてる気がするってことだ……」
 レティシアがふうんと答えた後は、しばらく二人で無言で歩いていった。そうして、ゆっくりと噴水の所まで、さしかかったところだった――。
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