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序章

#12 城を抜けて

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 レティシアは城の地下を抜け、物置小屋――納屋の方へと出られる扉を抜け、納屋の前へと辿り着いていた。城の裏門側に位置する納屋の近くには、塀の外に出られる勝手口があった。

 レティシアはパチンと指を鳴らし、翡翠色の髪の毛をミルクティー色へ、橄欖石ペリドット色の瞳を金色の瞳へ、普段着用のドレスをワンピースへと変えた。前に城下町に出た時に、町の女の子が来ていた服が可愛かったので、売ってる場所を聞いて買ったものだ。ドレスよりずっと動きやすいし気に入っていた。

 ――このパチン、と鳴らして姿を変えているこの魔法は、変装魔法である。『簡易魔法』と呼ばれる生活魔法で以下のものがある。

 身体や髪を洗うことが出来る洗浄魔法、着替えをする事ができる着脱魔法、髪を乾かしたり髪型を整える事ができる整髪魔法、公務やパーティー中に席を外すわけにはいかないがトイレに行きたくなってしまった時に止むを得ず排泄魔法で済ませるという用途のものもある。
 この洗浄、着脱、整髪、排泄の四魔法を基本簡易魔法として教えられていたのは、主に侍女の手を煩わさなければ身支度の出来なかった王族・貴族であった。
 たとえ捕虜として捕らえられたりして、侍女が手をかける事が出来ない状況下に置いても、身嗜みの乱れとは品位を疑われることであり、いかなる時でも乱してはならないと教えられていたのである。
 その基本簡易魔法はレティシアでも勿論使え、先程の変装魔法は髪や瞳の色を変えるだけだったが、レティシアやミグにとって、城を抜け出す時には、かなり重宝していた。
 淡い翡翠色の髪色と、紫水晶色の瞳の母リーディア、琥珀色の金の髪色と橄欖石ペリドット色の瞳の父エリック。
 二人は、髪は淡い翡翠色、瞳は橄欖石ペリドット色を受け継ぎ、どちらも緑色系統で受け継いだので、二人揃うと森に棲む精霊の化身のようだった。
『森の妖精』と称され、またその母リーディアの髪色自体が珍しかったので、そのまま外をうろつくのは、【はい、私この国のあの双子です】と、貼り紙を貼って歩いているようなものであった。
『も、もしや、貴方様はお姫様ではっ?』
 と、何度こう言われてしまったことか――。
 ノーライフノー変装魔法である。

 持ちきれないものや衣類を、異次元空間に収納することができる収納魔法は、城の書庫で見つけた魔法書で見て覚えた。
 収納魔法で着替えを何着か収納しておいて、着脱魔法で着替えをする。という組み合わせ使いをすることで、かなり実用性があり、レティシアの着替えをさせる侍女達も、特にこの魔法を多用していた。
 リュシファーが初日に、気が付けばどこから取り出したのか、突然、書類のようなもの=テストをその手にしていたことがあったが、これも収納魔法で取り出したものだ。レティシアがバルコニーで、風の魔法書を出した時も、全てこの収納魔法によるものであった。

 レティシアは、鏡魔法で身だしなみを最終チェックすると、これではまだ変装が足りない気がした。
(何というか、髪と瞳の色を変えただけの私だな……あ、そうだ!)
 レティシアは髪の毛を高くひとつに括った。
「これなら大丈夫かな? よし」
 そう思って勝手口を出て周り道すると、町へと紛れ込んだ。
 時刻は十六時三十分頃――。

 何故、レティシアが城を抜け出したのか――。
 それは――。あれからというもの、ミグとリュシファーは、レティシアが魔法を使えるように、少しずつ働きかけるようになり、特訓が行われるようになっていた。

 レティシアは、自分が集めようとして集まってくる気が、自分の思う以上集まってきてしまうことを恐れていた。いつしか、気を集めようとすることを、身体が拒むようになってしまっていた。
 またあの時のように、それらが勝手に強大な魔法に展開していってしまうのではないかと思うと、どうしても恐怖を感じてしまう。

『……大丈夫だ。何かあれば、俺がすぐに何とかしてやるから――』

 リュシファーは、そう言ってくれた。その言葉は、レティシアにとって、大きな意味を持つ言葉だった。確かにリュシファーなら、何とかできるだろうという――絶対的な安心感を、レティシアに与えたのである。

「――またか……。よし、次だ」
「く……」
 レティシアは、気を集めようとすることへの恐怖心は、リュシファーのおかげで取れてきた。勝手に大きな力が集まってきてしまっても、必ずリュシファーは何とかしてくれるからだ。
 しかし、それ以上、思うように特訓は進まなかった。
 一度、気を集めようとすれば、自分の手に負えない程の気が、必要以上に集まって来てしまうことを、何度やっても止められない。
『もう気は集めなくていいから、集めたものを固めることだけに集中』と何度言われたことか。

 何度やっても何度やっても、相変わらず勝手に気は集まってきてしまうこと――。それでも、なんとか塊にしようとしてみれば塊にはなるが、しようともしていないのに、今度は勝手に魔法としてカタチを変えようと、それが展開していくこと――。それを、ちっとも止められないこと――。その間にも、どんどん集まってきた気が、その魔法を強大な物へと、その姿を変えていくこと――。
 そう、問題は山積みであった――。

(制御とは、一体どうしたら……)

 気が必要以上に集まるのを制御。
 必要な分の気で塊は作ろうとしているが、その後も制御が効かず、不必要に集まってきてしまった気が、塊になろうとするのを制御。
 勝手に魔法が展開することを制御。
 どこに制御の意識を集中させれば良いのか――。
 あれもこれも、制御しなくてはならないことがありすぎて、とてもレティシアの手に負えるものではないと思った。
(もう……いっぱいいっぱいだ……)

「はぁ……はぁ……はぁ……っ」

 そろそろレティシアの表情からも、限界が近付いているとは、リュシファーもわかっていただろう。

 リュシファーは、これまで、一体、何をどうして、そんなことが出来るのか、全くもってわからないが、いとも簡単に、レティシアの気の塊以上――魔法未満の何かを止めてくれた。
 何度も印を結び、リュシファーは、『はい、次』『次』『次っ』『はぁ……次』と、レティシアの展開しそうになるそれを、固めてパリーンと粉々にするようにして、魔法組織を破壊してくれた。
 しかし、何十回と繰り返し、いい加減疲れたらしいリュシファーが、一旦、溜め息を吐き、ついにこう言った――。

『お……お前は俺に、魔法解除の訓練をさせたいのか?』と――。

 そして飛び出して来たのである。


(……一生懸命、やってるのにぃ!)
 


 ――――……

 こんな時でも、クロードにはちゃんと外出を伝えてきた。――それが、レティシアとクロードの間で交わされている規則のひとつだからだ。
 クロードは、レティシアが子供の頃は、付いてくるなといくら言っても、危ないからと堂々と付いてきたり、こっそりと付いてきたりしていた。しかし、ある程度、成長した今は、『付いてくるな』とレティシアが言えば、渋々納得してくれている。

『……またですか。今回は、随分と機嫌が宜しくないようですね。夕食の時間を過ぎる前に、お戻りくださいね。それまでは、上手く誤魔化しておきましょう。もし、お時間を過ぎてもお戻りにならなければ――お分かりですね?』
 レティシアが約束時間を破ってしまったら、全力で城下へとレティシアを探しにいく誓約書に、以前サインさせられている。
 これでは、どっちが主人かわからない程、度々クロードの言う条件を飲まされることがあった。しかし、その理由は、どれもレティシアを心配するが故のものだ。
 時々、付いてきて欲しいと言うと、耳を疑われる程、レティシアはほとんどひとりで城を抜けている。

「はぁ……」

 城下町――。急いでいるわけでもなく、どこに行きたいわけでもなく、レティシアはただ、ゆっくりと街を歩いて行く。
 街に出ると、レティシアはいつも、まるで牢獄から娑婆に出たかのように、清々しい気分になる。
 街は平和だ。すれ違う人と目が合った。レティシアは、口元を微笑ませると再び歩き続ける。

 美少女が、ひとりでゆっくりと街を歩いている。

 通り過ぎる人、通り過ぎる人、皆、この美少女に視線を注いでは、見惚れてしまいそうになっていた。ましてや先程目が合った者は、微笑まれたのである。
 通り過ぎた後、ふわりと上質な花から抽出した香水のようないい香りがする。
 心臓の高鳴りが落ち着かず、持っていた飲み物を一気に飲み干して、既に通り過ぎた美少女の後ろ姿を、ぼーっと見送った。よく見ると、美少女の通った後、同じように振り返って立ち止まっている男性が、何人もいる。
 自分と同じ反応をしている者の多さに、鏡を見ているようで、微笑まれた者は苦笑を浮かべる。
 声をかけようと、何人も美少女の後を付いていっている。
(ライバル……さすがに多すぎる……。しかし、あれだけの美少女だ。既に彼氏とかいるだろ……。デート場所に向かってるのかもしれないな。どんな奴が彼氏なんだ……う、羨ましい……)
 微笑まれた者は、深い溜め息を吐いたのであった。

 当の美少女――レティシアは、そんなこと全く知らず、初めは開放感のあった気分もすぐに落ち着き、俯き加減に、特訓のことを思い出していた。
 声をかけられていたことも、全く気が付かない程、ただ考えごとをしながら、レティシアは歩いていた。

(どうせ、魔法……上手く使えないもん……)

 やっと城から結構離れた所まで来て、視界が霞み始めた。目の端に溜まる涙が、溢れ落ちる前にレティシアは空を見上げる。
 レティシアは、無意識に足がある方角へと向かっていた。それは、もう退職してしまっているばあやの家だった――。自制しようとする心と、甘えようとする心――。それらが足を止めさせ、迷わせていた。
(……ダメだ。ばあやは、絶対的に優しく甘やかしてくれる……でも、甘えちゃ……ダメだ。いつまでも泣き虫だと、ばあや心配しちゃう……)
 一旦、行くかどうかは、もう少し歩いてから決めようと、レティシアは再び歩みを別方向に進めることにした。そして、できることなら、やはりばあやの元へは行ってはいけないと、レティシアは思う。

「――すみません。お嬢さん、すみません」
 気が付くとレティシアの目の前に、短髪で茶色い髪をした青年が、レティシアの方を向きながらレティシアの歩みと一緒に後退していた。
 青年は地図を片手に持っている。道でも迷ったのだろうか。
「え……」
 レティシアは思わず足を止め、眉を顰めて青年を見た。残念ながらレティシアが通るのは大きい通りがメインで、ばあやの家の道順以外は全く詳しくない。 
「お……なんて可愛いんだ……運命の出逢いを探して歩いていたら、君を見つけてしまうなんて……」
 青年はまるで劇団にでも入っているかのような動きで片手を胸に当て、レティシアにもう片方の手を向けてこう言った。
「もうこれは、運命に違いない。お嬢さん、お名前は……!」
 レティシアは、少し面倒くさいという顔をした。
(うわ……これがか……)
 レティシアはひょいっと青年を追い越し、前を向いて通り過ぎていくことにした。

 クロードにも、昔、そうしろと言われていた――。
『――御自覚がお有りではないようですから、この際、申し上げます。主君レティシア様は、人目を引く外見をしていらっしゃるのです。その……可愛らしさと美しさを兼ね備えた、その主君レティシア様の外見は、どこからどう見ても……そう、美少女! なのです。その澄んだ翡翠色の瞳に射抜かれた者は、心を鷲掴みにされ……はぁ……なんと尊い……! おっと、これは失礼……私が陶酔してしまう所でした……。と、とにかく、どうしても変な輩を招き寄せてしまうでしょう。見知らぬ男性に声をかけられたら、してください。無視が一番です! 少しでも相手してしまうと、もう少し押せばいける――と思わせてしまいます。いえ、目すら合わせてはなりません! 完全無視を徹底してください。そして、できる事ならば、こちらに足が向いてくる気配は察知できますから、察知したらすぐに、その者から離れながら歩いていき、一定のその離れた距離を決して近づかせないようにして、声をかけられないようにしてください! はい、声をかけてくる変な輩が現れたら、どうするんでしたか?』
『む……無視……だったな。わ、わかったから。そうするから……』
 圧倒されながらも、そうレティシアは承諾したものの、その後、模範演習までさせられて、うんざりした事を思い出した。
 しかし、時々始まる口うるさいクロードの指導は、レティシアを心配しての事だ。
 うるさいなどと言えば、クロードが、どれだけレティシアのことを心配し、お供したいけど我慢することにし、そして尊く思っているのか、理解してくれているのかと、涙ながらに訴えかけて来るため、こういう時のクロードの助言には従っておいた方が良いだろう。 
(それに、確かに言う通りのようだな……)
 レティシアは、本当に出くわした変な輩に、うんざりして溜め息を吐いた。

「あ、ちょっと、待って……」
 あっさり通り過ぎたレティシアに、そう言いながらめげずにレティシアの横につき、馴れ馴れしく話しかけて来た。
「どこ行くの? ねぇ、ねぇってば」
 思ったよりしつこい――。
 無視しても付いてくる時は、どうしたらいいのか、クロードは言っていなかった。
 このまま、ばあやの家にやっぱり行きたくなっても、ついて来られても困る。

 レティシアは歩きながら、その青年の目を嫌そうに睨んでから、ぷいっと前を向くと足を早めた。
 レティシアに真横で視線を合わせられた青年は、嫌そうではあったものの、澄んだその瞳に射抜かれたように見惚れ、つい立ち止まる。ふわりと上質な花の香りも、頭をぼーっとさせるようだった。そして、美しい少女が自分の目の前から、どんどん遠のいて――という所で、青年がハッと気付いた。
 遠のいてなどいかれたら困るのだ。青年は、自分が見惚れていたことに気付くが、しかしとっくにターゲットは人混みに紛れてしまった。
 青年は舌打ちをした。
 
 レティシアは、人通りがとても多い商店街の方に歩みを進めたのである。後ろを振り返っても、人混みだらけでもう青年の姿をこちらからも探せない程、人がごった返している。
 何はともあれ、撒けたようなので肩を撫で下ろした。

 その時、レティシアは知らなかった。
「……くそ、めちゃくちゃ可愛いからって、この俺を無視しやがって……。可愛いから許してやるが、後ですこーし……お仕置きが必要だな……ふふ」
 にやっと笑みを浮かべた青年も、商店街の人混みに入っていったことを――。




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