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第1話【幾望】~満月前夜~
第4章 再会
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明日美と知り合ってから1年が経った頃、安住の元に1本の電話が入った。
「安住さん、ご無沙汰しております。」
「おお、その声は坂井か。久しぶりだな。今何してるんだ?」
坂井は、安住の大学時代のアルバイト先にいた1つ年下の好青年だった。
「今はNPO団体をつくって、地域と地域のコミュニケーションを繋ぐ活動をしています。」
「人の為に働くっていうのは、相変わらずお前らしいな。」
「安住さん、実は、私の団体に協力していただきたくてお電話を差し上げました。安住さんの持つ言葉の力で、多くの人の希望と希望を結ぶ活動を広げていきたいと思っているんです。」
電話を切ると、四谷三丁目の坂井の事務所に向かった。
「そういえば、明日美の勤務先も四谷じゃなかったか?」安住はそんなことに思いを巡らせながら、事務所のインターホンを押すと、坂井が満面の笑みで安住を迎え入れた。
こじんまりとしたオフィスには、整然と家具が配置され、室内はすっきりとしていた。
「そういえば、大学時代に研究していた蛍光タンパク質って結局どうなったんだ?」
「あの研究は もう止めました。僕は、科学で人を幸せにするよりも、心で人を幸せにしたい。文明が、僕たちを幸せにしてくれたのでしょうか?これだけ科学技術が発達しても、幸せを感じられない人が多い。今求められているのは、物質の豊かさじゃない。心の豊かさなんです。」
「お前変わったな。昔は他の人のことなんてどうでもいい人間だったのに。」
「昔のことは止めてくださいよ。」
恥ずかしそうにうつむく坂井。
ガチャッと事務所の扉が開く音がすると、1人の女性が入ってきた。振り返ると、そこには明日美がいた。
「え」
「あ」
安住と明日美は共に困惑した表情を浮かべた。
明日美は、役所で入手してきたと思われる書類の束を手提げ袋に入れていた。
「四谷の事務所って・・・まさか、ここだったとは。」
「あれ、二人はお知り合いでしたか。」
坂井は、不思議そうな表情で尋ねた。
「う、うん、ちょっとね。明日美さんはどんな仕事を?」
「明日美さんには、うちの事務全般を手伝ってもらっていまして、とても助かっています。私は元来、研究者肌で事務作業は不得意なもので。あぁ、明日美さん、安住さんと僕とは学生時代のアルバイト先が一緒でね。ほら、前に話したでしょ?学生時代に、小さな映画館で働いていたって話。従業員なんて、館長以外に、僕と安住さん、それにパートのおばさんしかいないような小さなところだったけどね。」
「そうなんですか。びっくりしました。」
明日美は、本当に驚いたのだろう。大きな瞳を、より一層丸くして、こちらを見ていた。
ふと、手元に抱えたままの資料のことを思い出し、慌てて坂井へ手渡した。
「坂井さん、こちらお願いされていた資料です。」
「ありがとう。そうだ、折角だし、これから3人で食事に行きませんか。この近くに、美味しいイタリアンのお店があるんですよ。」
―― 3人の会話はとても弾んだ。
お酒の力も借りてか、坂井はいつになく饒舌だった。学生時代のアルバイト先での思い出の数々を、楽しそうに語り出した。
坂井は堅物な一面もあるが、元来悪戯が好きで、よく一緒に悪さをしたものだ。
明日美は、頬杖をつきながら、ほろ酔いの状態で、坂井の話を楽しそうに聞いていた。
安住にとっても、それは楽しい時間だった。
店を出ると、坂井は「私はまだ仕事がありますので、事務所へ戻ります。」と安住に一礼をすると、足早に去って行った。
安住は、隣りを歩く明日美の顔を見た。初夏に差し掛かろうという季節ではあるが、風がとても涼しく頬を撫でていた。
「ねぇ、安住さん。変なことを話してもいいですか?」
「何でしょうか。」
「私、今まで人を好きになったことがないんです。きっと、前に安住さんに話したように、私自身、孤独であることが好きだからなのかもしれません。」
「それは意外でした。」
「でもね、今、好きかもって思う人がいるんです。その人は、私のことなんて、何とも思ってないかもしれないけれど。」
安住は、俯きながら聞いていた。
少し歩くのが遅い明日美に、歩幅を合わせながら、ゆっくりと尋ねた。
「明日美さんは、その人とどうなることを望んでいますか?」
「安住さんがね、いつか言ってくれたでしょ?太陽と月と地球は、いつも側にいるって。そういうふうにありたいなって思うんです。いつも離れずに側に寄り添って、その人を支えてあげたいって。」
「そうですか。それならば、あなたが思っていることを、その人にしっかりと伝えるべきです。想いは、言葉にしないと相手に伝わりませんから。」
「そうですよね。」
「でもね、明日美さん、ひとつだけ約束してください。もしあなたが望む通りの結果が得られなくても、自分のことを粗末にしないでください。あなたの人生は、あなただけのものです。」
「安住さん・・・安住さんって優しいね。」
それから先は、2人はずっと無言だった。
そして、この日以降、明日美は安住の元を訪ねなくなった。
―― その後、坂井と明日美は結婚した。
安住は、以前のように、また駅前に腰を下ろし文字を起こし始めた。
「永遠の片思いこそが、ずっと相手を好きでいられる秘訣だ。」
吹き抜けていく風が、安住を優しく包んで去っていった。
「やっぱり、ここが俺の居場所だな。」
吹っ切れたように微笑む安住は、これからも文字を贈り続ける。
「安住さん、ご無沙汰しております。」
「おお、その声は坂井か。久しぶりだな。今何してるんだ?」
坂井は、安住の大学時代のアルバイト先にいた1つ年下の好青年だった。
「今はNPO団体をつくって、地域と地域のコミュニケーションを繋ぐ活動をしています。」
「人の為に働くっていうのは、相変わらずお前らしいな。」
「安住さん、実は、私の団体に協力していただきたくてお電話を差し上げました。安住さんの持つ言葉の力で、多くの人の希望と希望を結ぶ活動を広げていきたいと思っているんです。」
電話を切ると、四谷三丁目の坂井の事務所に向かった。
「そういえば、明日美の勤務先も四谷じゃなかったか?」安住はそんなことに思いを巡らせながら、事務所のインターホンを押すと、坂井が満面の笑みで安住を迎え入れた。
こじんまりとしたオフィスには、整然と家具が配置され、室内はすっきりとしていた。
「そういえば、大学時代に研究していた蛍光タンパク質って結局どうなったんだ?」
「あの研究は もう止めました。僕は、科学で人を幸せにするよりも、心で人を幸せにしたい。文明が、僕たちを幸せにしてくれたのでしょうか?これだけ科学技術が発達しても、幸せを感じられない人が多い。今求められているのは、物質の豊かさじゃない。心の豊かさなんです。」
「お前変わったな。昔は他の人のことなんてどうでもいい人間だったのに。」
「昔のことは止めてくださいよ。」
恥ずかしそうにうつむく坂井。
ガチャッと事務所の扉が開く音がすると、1人の女性が入ってきた。振り返ると、そこには明日美がいた。
「え」
「あ」
安住と明日美は共に困惑した表情を浮かべた。
明日美は、役所で入手してきたと思われる書類の束を手提げ袋に入れていた。
「四谷の事務所って・・・まさか、ここだったとは。」
「あれ、二人はお知り合いでしたか。」
坂井は、不思議そうな表情で尋ねた。
「う、うん、ちょっとね。明日美さんはどんな仕事を?」
「明日美さんには、うちの事務全般を手伝ってもらっていまして、とても助かっています。私は元来、研究者肌で事務作業は不得意なもので。あぁ、明日美さん、安住さんと僕とは学生時代のアルバイト先が一緒でね。ほら、前に話したでしょ?学生時代に、小さな映画館で働いていたって話。従業員なんて、館長以外に、僕と安住さん、それにパートのおばさんしかいないような小さなところだったけどね。」
「そうなんですか。びっくりしました。」
明日美は、本当に驚いたのだろう。大きな瞳を、より一層丸くして、こちらを見ていた。
ふと、手元に抱えたままの資料のことを思い出し、慌てて坂井へ手渡した。
「坂井さん、こちらお願いされていた資料です。」
「ありがとう。そうだ、折角だし、これから3人で食事に行きませんか。この近くに、美味しいイタリアンのお店があるんですよ。」
―― 3人の会話はとても弾んだ。
お酒の力も借りてか、坂井はいつになく饒舌だった。学生時代のアルバイト先での思い出の数々を、楽しそうに語り出した。
坂井は堅物な一面もあるが、元来悪戯が好きで、よく一緒に悪さをしたものだ。
明日美は、頬杖をつきながら、ほろ酔いの状態で、坂井の話を楽しそうに聞いていた。
安住にとっても、それは楽しい時間だった。
店を出ると、坂井は「私はまだ仕事がありますので、事務所へ戻ります。」と安住に一礼をすると、足早に去って行った。
安住は、隣りを歩く明日美の顔を見た。初夏に差し掛かろうという季節ではあるが、風がとても涼しく頬を撫でていた。
「ねぇ、安住さん。変なことを話してもいいですか?」
「何でしょうか。」
「私、今まで人を好きになったことがないんです。きっと、前に安住さんに話したように、私自身、孤独であることが好きだからなのかもしれません。」
「それは意外でした。」
「でもね、今、好きかもって思う人がいるんです。その人は、私のことなんて、何とも思ってないかもしれないけれど。」
安住は、俯きながら聞いていた。
少し歩くのが遅い明日美に、歩幅を合わせながら、ゆっくりと尋ねた。
「明日美さんは、その人とどうなることを望んでいますか?」
「安住さんがね、いつか言ってくれたでしょ?太陽と月と地球は、いつも側にいるって。そういうふうにありたいなって思うんです。いつも離れずに側に寄り添って、その人を支えてあげたいって。」
「そうですか。それならば、あなたが思っていることを、その人にしっかりと伝えるべきです。想いは、言葉にしないと相手に伝わりませんから。」
「そうですよね。」
「でもね、明日美さん、ひとつだけ約束してください。もしあなたが望む通りの結果が得られなくても、自分のことを粗末にしないでください。あなたの人生は、あなただけのものです。」
「安住さん・・・安住さんって優しいね。」
それから先は、2人はずっと無言だった。
そして、この日以降、明日美は安住の元を訪ねなくなった。
―― その後、坂井と明日美は結婚した。
安住は、以前のように、また駅前に腰を下ろし文字を起こし始めた。
「永遠の片思いこそが、ずっと相手を好きでいられる秘訣だ。」
吹き抜けていく風が、安住を優しく包んで去っていった。
「やっぱり、ここが俺の居場所だな。」
吹っ切れたように微笑む安住は、これからも文字を贈り続ける。
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