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幽霊妓女
第八話 謝霊と張慧明、小妃の秘密を突き止めること
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翌朝、日の出の頃に私は謝霊の事務所をあとにした。仕事が終わってから会いに来るという書置きを残してきたから謝霊を慌てさせることはないと思うが、どこか後ろ髪を引かれる思いはそう簡単には消えてくれない。
その日は久しぶりに何事もない一日だった。商会の仕事をし、サー・モリソンの雑用を片付けに外出し、戻ってきてまた商会の仕事をする間にも誰からも呼び出されることはなく、また謝霊の話を持ち出されることもない。猫が半地下の窓や建物の裏に現れることもなかった――少し寂しいような気もする一日だったが、その翌日のことを思うとこれくらいの日があっても良いのかもしれない。
その日は朝から興奮気味の謝霊が半地下の勝手口に現れた。赤い旗袍に丸眼鏡、長い三つ編みといういつもの姿の謝霊は数枚の紙束を私の手に押し付けた。
「今度こそやってやりましたよ。これこそがあの女が隠している小妃の病の真相です」
謝霊は得意満面に宣言する。私は何の気なしに一番上に乗っていた書類に目を通したが、そこに書いてある情報に思わず驚きの声を上げてしまった。
「それからこれも。こうして読んでいくと小妃の死因が見えてくるでしょう?」
謝霊が横から別の書類を引き抜いて一番上に乗せる。それは医者に宛てた書かれた一通の手紙だった。さらに別の紙、また別の紙と読んでいくと、あるものは多額の借用書、あるものは薬の処方箋、またあるものは別の医者とのやり取りを記したものだった――そしてこれらの書類はあるひとつのことにおいて互いに繋がっている。
「そういうことか。小妃の病は妊娠だったのか……!」
私は驚きのあまり呟いた。謝霊は得意げに頷きながら二枚の手紙を取り上げると、それぞれ掲げて言った。
「こちらの手紙は彼女の妊娠や体の状態について書かれていますが、一方でこちらの手紙には手術のことが書かれています。処方箋にある薬はどれも妊婦に出されるものですね。日付は古いものでちょうど半年前、新しいもので二か月前です。それにこの借用書にある金額は、手術の手紙にある額とちょうど一致します……これが四か月前ですね。どうやら彼女は早いうちから宿した子を降ろすことを考えていたらしい」
「二か月前でやり取りが途絶えているということは、彼女が死んだのがこのあたりだということでしょうか。一か月前にはオベールの前に現れていたことを考えると……」
「そうでしょうね。そして手術の日取りも二か月前だ」
私の推測を謝霊が肯定する。私はため息をついて頭に手を置いた――おそらく彼女はその手術が原因で死んでしまったのだ。きっと来る日も来る日も客を取り、一夜の快楽を供しているうちに誰かの種が植わってしまったのだろう。それが運悪く身請けの話がまとまった時期と重なったために小妃は病と偽って姿を見せなくなったのだ。
「そこまでしてでもオベールと共に暮らしたかったんですね、彼女は」
ここまでやりきれない話もないだろう。私が呟くと、謝霊も真面目な顔で頷いた。
「妓楼にいる者でオベールの女癖の悪さを知らない者はないでしょうし、きっと小妃もある程度は聞き知っていたと思います。だからこそ、どの客のものともしれない乳飲み子を抱えていては捨てられるかもしれないと考えたのでしょう。オベールがどんな甘い言葉をささやいたかは知る由もないですが、彼女に堕胎を考えさせるだけのことは言っていたはずです。それに身請けも後押しとなったのでしょうね……問題は、なぜ艾琳がこのことを陸綿思にさえ隠していたかです。曲がりなりにも小妃の生計や三笑楼の運営にかかわってくることなのに、なぜそれを老板娘にさえ伝えず、自分一人で小妃を操るような真似をしたのか?」
私たちは顔を見合わせた――すぐさま謝霊が私に聞く。
「慧明兄、今日のご予定は?」
「抜けようと思えば抜けられます」
私が即答すると、謝霊がニッと笑みを浮かべた。
「では、モリソン氏に外出の許可を。今から三笑楼に行きましょう」
***
私たちは陸綿思に挨拶するなり艾琳に会わせてほしいと頼み込んだ。小妃のことを調べる最後の鍵が彼女にあると言い募り、やっとのことで許可をもらうと、私たちは艾琳の持ち部屋に直行した。
艾琳の部屋は北に面した窓のある、少し薄暗い部屋だった。扉を開けると、艾琳はまだ寝巻姿だった――この訪問が失礼極まりないことは承知の上だったが、それでも私たちは彼女の動機を一刻も早く問いただす必要があったのだ。
「何事ですの?」
さすがに警戒させてしまったらしく、艾琳の声には棘が見え隠れしている。謝霊は最初に一言謝ると、例の紙束を掲げてみせた。
「艾琳さん。これが何なのか、またなぜこのようなことをしたのか、私たちに説明してくださいますか?」
艾琳はすぐには答えず、押し黙ったまま紙束をじっと見つめていた。
「……あなただったのね。一度追い返せばもう来ないだろうと思っていたのに」
ややあってから艾琳は口を開いた――その口調からは今まで見せていたような洗練された麗しの妓女という面はまるで感じられない。そこにいたのは一切を企てたことを見破られた策略家だった。
「仮にも不審な死を遂げた者がいるのです。関連のありそうなことは工部警察が全て調べるとは思わないんですか?」
謝霊が得意げに言うと、艾琳はハッと笑って美しい脚を組んだ。
「そうね。私とあの子の関係が割れているなら、私も当然あれこれ調べられるでしょうね……でも、どうしてわかったのかしら? 私があの子を生者同然に仕立て上げてオベールのところに行かせたと」
「その前にひとつお尋ねしますが、招魂探偵の名を聞いたことはおありですか? ないならここでお教えしましょう――私、招魂探偵の謝霊は、死者の霊魂を呼び出して死んだときのことやその他の情報を語らせることができるのですよ。もちろん小妃の霊魂も呼び出して話を聞きましたが、彼女はオベールとの暮らしが豊かで幸せだということ、それに病が癒えたらオベールと暮らせると友人に言われたことしか話しませんでした。オベールは彼女が気に入って身請けしたそうですが、彼女の方でもオベールを慕っていたのでしょう。だからこそ身請けされると決まったときに、それが彼女の中で一番の希望となった。
ところが、時を同じくして、彼女は自分が身籠ったことを知った――もちろん誰の子かなんて分かりません。オベールは数々の醜聞を持っていますし、ここで乳飲み子を抱えて身請けされるとなると捨てられてしまうかもしれない。その他にも心に引っかかることがいくつかあったのでしょうね、だから彼女は堕胎を決意した。それも高額の借金を作ってまで、我が身ひとつでオベールのもとに行くことを決意したんです。しかし不運なことに、彼女は手術が原因で死んでしまった。あなたは何らかの理由で小妃をオベールに身請けさせなければならなかったのでしょう……だから彼女が抱いていた唯一の希望、オベールと幸せな暮らしを送りたいという願いを吹き込んで彼女の霊魂を髑髏に乗り移らせたのです。そしていよいよ身請けの日がやってきて、小妃はオベールとの暮らしを始めた。小妃はやたらと友人がオベールとの暮らしを強調していたようなことを言っていましたから、あてはまる人物はもとよりあなたしかいないわけです」
艾琳はふうんと呟くと、
「でも、私はどうしてそんな芸当ができるのかしら? あなたのように専用の術を修めたわけでもないのに」
と言い返した。
謝霊は自信たっぷりに口角を上げると、
「それはあなたもまた、この世に存在し得ないはずの存在――鬼だからです」
と答えた。
「最初に会ったときから何かがおかしいとは思っていたのです。生者に近いが、そうではない気配があなたからは漂っている。それにあなたは、あの日部屋に忍び込んだ猫が猫の姿を借りた私だということを一目で見抜いた。おそらくあなたは、自身と同じ霊魂だけの存在を感知することができるのではないですか? だから一時的に魂魄を分離させていた私に気付き、そうだと知った上で散々に弄んだのでしょう」
謝霊の言葉を艾琳はじっと黙って聞いている。謝霊はここで一息つくと、「それに……」と言って続きを切り出した。
「それに、人が鬼になるのにおぞましい理由はいらないのですよ。愛とか幸せとか、そういったものへの執念も死者を鬼にしてしまう。あなたはこれを利用して小妃を鬼に仕立て上げたのでしょう? もっとも、彼女の執念があまり強くなかったのは誤算だったようですが。でなければ彼女が身請けされてひと月という短い時間で正体を晒すことはなかったでしょう」
その日は久しぶりに何事もない一日だった。商会の仕事をし、サー・モリソンの雑用を片付けに外出し、戻ってきてまた商会の仕事をする間にも誰からも呼び出されることはなく、また謝霊の話を持ち出されることもない。猫が半地下の窓や建物の裏に現れることもなかった――少し寂しいような気もする一日だったが、その翌日のことを思うとこれくらいの日があっても良いのかもしれない。
その日は朝から興奮気味の謝霊が半地下の勝手口に現れた。赤い旗袍に丸眼鏡、長い三つ編みといういつもの姿の謝霊は数枚の紙束を私の手に押し付けた。
「今度こそやってやりましたよ。これこそがあの女が隠している小妃の病の真相です」
謝霊は得意満面に宣言する。私は何の気なしに一番上に乗っていた書類に目を通したが、そこに書いてある情報に思わず驚きの声を上げてしまった。
「それからこれも。こうして読んでいくと小妃の死因が見えてくるでしょう?」
謝霊が横から別の書類を引き抜いて一番上に乗せる。それは医者に宛てた書かれた一通の手紙だった。さらに別の紙、また別の紙と読んでいくと、あるものは多額の借用書、あるものは薬の処方箋、またあるものは別の医者とのやり取りを記したものだった――そしてこれらの書類はあるひとつのことにおいて互いに繋がっている。
「そういうことか。小妃の病は妊娠だったのか……!」
私は驚きのあまり呟いた。謝霊は得意げに頷きながら二枚の手紙を取り上げると、それぞれ掲げて言った。
「こちらの手紙は彼女の妊娠や体の状態について書かれていますが、一方でこちらの手紙には手術のことが書かれています。処方箋にある薬はどれも妊婦に出されるものですね。日付は古いものでちょうど半年前、新しいもので二か月前です。それにこの借用書にある金額は、手術の手紙にある額とちょうど一致します……これが四か月前ですね。どうやら彼女は早いうちから宿した子を降ろすことを考えていたらしい」
「二か月前でやり取りが途絶えているということは、彼女が死んだのがこのあたりだということでしょうか。一か月前にはオベールの前に現れていたことを考えると……」
「そうでしょうね。そして手術の日取りも二か月前だ」
私の推測を謝霊が肯定する。私はため息をついて頭に手を置いた――おそらく彼女はその手術が原因で死んでしまったのだ。きっと来る日も来る日も客を取り、一夜の快楽を供しているうちに誰かの種が植わってしまったのだろう。それが運悪く身請けの話がまとまった時期と重なったために小妃は病と偽って姿を見せなくなったのだ。
「そこまでしてでもオベールと共に暮らしたかったんですね、彼女は」
ここまでやりきれない話もないだろう。私が呟くと、謝霊も真面目な顔で頷いた。
「妓楼にいる者でオベールの女癖の悪さを知らない者はないでしょうし、きっと小妃もある程度は聞き知っていたと思います。だからこそ、どの客のものともしれない乳飲み子を抱えていては捨てられるかもしれないと考えたのでしょう。オベールがどんな甘い言葉をささやいたかは知る由もないですが、彼女に堕胎を考えさせるだけのことは言っていたはずです。それに身請けも後押しとなったのでしょうね……問題は、なぜ艾琳がこのことを陸綿思にさえ隠していたかです。曲がりなりにも小妃の生計や三笑楼の運営にかかわってくることなのに、なぜそれを老板娘にさえ伝えず、自分一人で小妃を操るような真似をしたのか?」
私たちは顔を見合わせた――すぐさま謝霊が私に聞く。
「慧明兄、今日のご予定は?」
「抜けようと思えば抜けられます」
私が即答すると、謝霊がニッと笑みを浮かべた。
「では、モリソン氏に外出の許可を。今から三笑楼に行きましょう」
***
私たちは陸綿思に挨拶するなり艾琳に会わせてほしいと頼み込んだ。小妃のことを調べる最後の鍵が彼女にあると言い募り、やっとのことで許可をもらうと、私たちは艾琳の持ち部屋に直行した。
艾琳の部屋は北に面した窓のある、少し薄暗い部屋だった。扉を開けると、艾琳はまだ寝巻姿だった――この訪問が失礼極まりないことは承知の上だったが、それでも私たちは彼女の動機を一刻も早く問いただす必要があったのだ。
「何事ですの?」
さすがに警戒させてしまったらしく、艾琳の声には棘が見え隠れしている。謝霊は最初に一言謝ると、例の紙束を掲げてみせた。
「艾琳さん。これが何なのか、またなぜこのようなことをしたのか、私たちに説明してくださいますか?」
艾琳はすぐには答えず、押し黙ったまま紙束をじっと見つめていた。
「……あなただったのね。一度追い返せばもう来ないだろうと思っていたのに」
ややあってから艾琳は口を開いた――その口調からは今まで見せていたような洗練された麗しの妓女という面はまるで感じられない。そこにいたのは一切を企てたことを見破られた策略家だった。
「仮にも不審な死を遂げた者がいるのです。関連のありそうなことは工部警察が全て調べるとは思わないんですか?」
謝霊が得意げに言うと、艾琳はハッと笑って美しい脚を組んだ。
「そうね。私とあの子の関係が割れているなら、私も当然あれこれ調べられるでしょうね……でも、どうしてわかったのかしら? 私があの子を生者同然に仕立て上げてオベールのところに行かせたと」
「その前にひとつお尋ねしますが、招魂探偵の名を聞いたことはおありですか? ないならここでお教えしましょう――私、招魂探偵の謝霊は、死者の霊魂を呼び出して死んだときのことやその他の情報を語らせることができるのですよ。もちろん小妃の霊魂も呼び出して話を聞きましたが、彼女はオベールとの暮らしが豊かで幸せだということ、それに病が癒えたらオベールと暮らせると友人に言われたことしか話しませんでした。オベールは彼女が気に入って身請けしたそうですが、彼女の方でもオベールを慕っていたのでしょう。だからこそ身請けされると決まったときに、それが彼女の中で一番の希望となった。
ところが、時を同じくして、彼女は自分が身籠ったことを知った――もちろん誰の子かなんて分かりません。オベールは数々の醜聞を持っていますし、ここで乳飲み子を抱えて身請けされるとなると捨てられてしまうかもしれない。その他にも心に引っかかることがいくつかあったのでしょうね、だから彼女は堕胎を決意した。それも高額の借金を作ってまで、我が身ひとつでオベールのもとに行くことを決意したんです。しかし不運なことに、彼女は手術が原因で死んでしまった。あなたは何らかの理由で小妃をオベールに身請けさせなければならなかったのでしょう……だから彼女が抱いていた唯一の希望、オベールと幸せな暮らしを送りたいという願いを吹き込んで彼女の霊魂を髑髏に乗り移らせたのです。そしていよいよ身請けの日がやってきて、小妃はオベールとの暮らしを始めた。小妃はやたらと友人がオベールとの暮らしを強調していたようなことを言っていましたから、あてはまる人物はもとよりあなたしかいないわけです」
艾琳はふうんと呟くと、
「でも、私はどうしてそんな芸当ができるのかしら? あなたのように専用の術を修めたわけでもないのに」
と言い返した。
謝霊は自信たっぷりに口角を上げると、
「それはあなたもまた、この世に存在し得ないはずの存在――鬼だからです」
と答えた。
「最初に会ったときから何かがおかしいとは思っていたのです。生者に近いが、そうではない気配があなたからは漂っている。それにあなたは、あの日部屋に忍び込んだ猫が猫の姿を借りた私だということを一目で見抜いた。おそらくあなたは、自身と同じ霊魂だけの存在を感知することができるのではないですか? だから一時的に魂魄を分離させていた私に気付き、そうだと知った上で散々に弄んだのでしょう」
謝霊の言葉を艾琳はじっと黙って聞いている。謝霊はここで一息つくと、「それに……」と言って続きを切り出した。
「それに、人が鬼になるのにおぞましい理由はいらないのですよ。愛とか幸せとか、そういったものへの執念も死者を鬼にしてしまう。あなたはこれを利用して小妃を鬼に仕立て上げたのでしょう? もっとも、彼女の執念があまり強くなかったのは誤算だったようですが。でなければ彼女が身請けされてひと月という短い時間で正体を晒すことはなかったでしょう」
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