髑髏はかく語りき ~「招魂探偵」謝霊の事件簿~

故水小辰

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無常なる雨夜

第十話 レスター警部が合流すること、ならびに全ての罪が明るみにでること

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 レスター警部が出ていくと、部屋には私と謝霊と水鬼だけになった——謝霊は范救を振り返ると、「もうしばらくそこにいてくださいね」と語りかける。私が訝しんでいると、謝霊はこの落ち着いた笑みを浮かべて言った。
「先ほどの様子を見るに、逼安はこれが幻覚だと思ってまた色々と口走るでしょう。それをひとつずつ捕まえていけば必ずボロが出ます」
 私は無言のまま頷いた。何にせよ、すでに逼安は阿片の保持という罪を抱えている。深く掘り下げられれば必ずどこかで観念するであろうことは私にも想像がついていた。
 しばらく待っていると、レスター警部を先頭に逼安と李舵が部屋に入ってきた。レスター警部の姿を認めると、謝霊はさりげなく范救の前に立ってその姿を隠した。レスター警部はたしなめるように眉を吊り上げてみせたものの、謝霊はあっけらかんとして頷くばかりだ。李舵と逼安はふたりのやり取りには気付いていないらしく、逼安はおどおどと私たちを見回したのちにはっと目を見開いた。
 逼安の視線の先には阿片の器と煙管がある。逼安は焦ったように煙管に飛びつこうとしたが、後ろに控えている李舵に押さえられてつんのめってしまった。
「放せ!」
 逼安が唸りながらもがいたが、李舵はさらに力を込めて逼安を押さえつける。レスター警部は片手を後ろに回して咳払いをすると、
「そう焦らずに、落ち着いて話をしてくだされば我々も手荒なことはしません」
 と切り出した。
「しかし、どこから聞いたものか……まずはその翡翠の指輪から始めましょうか?」
 レスター警部に尋ねられると逼安は抵抗をやめ、ぽかんと首を傾げて警部を見つめた。李舵が上海語で通訳すると、逼安は途端に青ざめて床を眺め始めた。その目はうろうろと泳いでおり、ていの良い答えを探しているかのように見える。
「この指輪はどこから手に入れたのですか、逼安さん?」
「……僕じゃありません」
 逼安はぼそぼそと答え、李舵がそれを英語で伝える。
「と言いますと?」
「僕じゃありません。どうしてここにあるのかも分かりません」
 レスター警部が促したものの、逼安は目線すら合わせないままぼそぼそと言い訳めいた反論をする。
「では、元々ここにあったということですか?」
「さあ。僕は知りません」
 ここに来てきっぱり言い切った逼安に、警部と李舵は顔を見合わせた。もっとも、その声は今にも消えてしまいそうな震え声だ。
「……では阿片については?」
 警部が質問を変え、李舵がそれを上海語で尋ね直すと逼安はぎくりと肩をこわばらせた。今や額には冷や汗が浮かび、否定の言葉すら満足に出てこない様子だ。辛うじて聞き取れる掠れ声で「違います」と答えはしたものの、言っている本人がこれでは黙秘も何もあったものではない。
 ここでレスター警部は片眉を持ち上げて謝霊に目配せした――謝霊は待ってましたとばかりに笑みを浮かべると、「逼先生」と呼びかけた。
 途端に逼安が顔を上げ、震える目を謝霊に向ける。謝霊は余裕綽々な笑みを浮かべたままさらりと告げた。
「実は私から先生に見ていただきたいものがあるのです」
 謝霊がすっと横に一歩退く――そこに佇んでいる范救を見た途端に逼安は悲鳴を上げて、同じくぎょっと固まった李舵の手から大慌てで逃げ出した。すぐに我に返った李舵が急いで取り押さえたものの、逼安は今までよりも一層激しくもがき、必死の形相でこの場から逃げ出そうとしている。
 范救はそんな逼安を前にしても表情を変えることなく、ただじっとその場に立っている。一方の逼安はすっかり恐慌状態に陥り、ついに大声で喚き始めた。
「どうしてまだここにいるんだ! どうして……どうして……あの雨の中川まで連れていったのに!」
「ほう? あの雨とはどの雨のことですか?」
 したりとばかりに謝霊は言い返した。対する逼安は己が何を口走ったのかに気付いたのか、すっかり色を失って紙のような顔色になってしまった。
「レスター警部によれば、范救先生が死んだのは一週間ほど前に大雨があった頃です。范救の死体に残っていたあざと両膝の擦り傷、それに後ろにある空の水がめから察するに、あなたがこの場所で彼の頭をかめの水に押し込んで溺れさせたのでしょう――衝動的に殺してしまったのかもしれませんが、とにかくあなたは范救の死体に翡翠以外の盗品を持たせてまとめて呉湘江に投げ込むことを思いつき、大雨の中それを実行した。だから風邪をひいたのでしょう? そこまでしてでも一人の泥棒が事故で溺れ死んだと判断してくれることに賭けたかったのですね。そしてあなたは帰って来ると水がめに入っていた水を全て捨ててしまった。今このかめがすっかり乾いているのはそのせいです」
 滔々と述べる謝霊を逼安は小刻みに震えながら見つめている。すると、逼安を押さえつけている李舵が戸惑いの声を上げた。
「ちょっと待ってください。たしかに范救の鬼はここにいますが、それと水がめが空のことに何の関係があるんですか?」
 李舵は単純に分からないという顔で謝霊を見ている。謝霊はふっと笑って李舵に聞き返した。
「それを説明する前にひとつお尋ねしますが、居間の祭壇に気が付きましたか?」
「祭壇? 世話をさぼっているなとは思いましたが、それが何か……」
 李舵はますます分からないという顔で首を傾げた。謝霊は「そのとおり」と答えると、私に向かって言った。
「慧明兄、どれでもいいので祭壇から果物を持ってきてくれませんか?」
 私は頷くと、すぐさま居間に行って祭壇からぶどうを一房取り上げた。ひどく甘い匂いのするぶどうを持って寝室に戻ると、李舵は顔をしかめてこちらから目を逸らせた。
「何ですか、それ? 腐ってるじゃないですかか」
「ええ、腐っていますよ。風邪で寝込んでいたせいで替えるに替えられなかったのでしょう。ですが考えてみてください――腐らせた供え物を換えることもできない状態なら、水がめの水も取り替えられないはず。そのまま数日間放置した水を捨てて乾かしたのであれば、かめに腐った水の臭いや藻の残骸が残っているはずです。それがないということは寝込む前に水を捨ててしまったということになりませんか」
 謝霊が言うと李舵は「なるほど!」と声を上げ、危うく逼安から手を離してしまいそうになった。とはいえ逼安は諦めたように床に座り込んでいて、李舵が手を離したところで逃げはしないように見えたが。
「そして大雨の数日前、フランス租界のクルグロフ宝石店からそちらの翡翠の指輪が他の小物とともに盗まれました。残りの装飾品は范救の死体とともに回収され、それらが盗品であることはアレクセイ・クルグロフ氏自身が認めています。翡翠だけ避けて持っておいたのは翡翠が一番値が張ると踏んだからでしょう……先ほどこの家の帳簿を見させてもらいましたが、結構な額の出費が不定期でありますね。家賃や他の生活の出費ではありませんが、あなたが阿片を常用していることを考えれば辻褄が合います。それも最近はかなり無理をして買っていたようですから、窃盗の動機は阿片の代金と見て間違いないでしょう。そしてあなたたちはクルグロフ宝石店に狙いをつけ、素早く逃げるために盗む品物――厳密には品物の大きさを決めてから実行に移した。店主のクルグロフ一家が陳列窓が割られる音を聞いて降りてくるまでという限られた時間の中で素早く盗って逃げるには目立つものは盗めないという判断でしょう。ですが、窓を割った際に硝子の細かな破片が盗品にたくさんついてしまった。范救が持っていたものにも硝子片が残っていましたし、おそらくその翡翠の指輪にもまだ除ききれなかった破片が付いているのではないですか? その上范救の手には細かな切り傷がいくつかありました――あなたの手にも似たような傷があるかもしれませんね。翡翠の指輪だけ捨てなかったのは阿片の取引に使うためでしょう。中国側の仲介人から手に入れているのであれば、翡翠が役に立つと考えたのも頷ける話です。西洋のものも美しくて高価ですが、私たちにとって一番価値のある宝石といえばやはり翡翠ですしね」
 謝霊がここまで言い終わる頃には逼安はすっかりうなだれていた。謝霊はレスター警部に目配せして話が終わったことを示し、私の隣に移動してぱちりと片目を瞑った。
「もっとも、招魂探偵に言わせればここに范救の鬼が出ることが何よりの証拠なのですがね。水鬼というのは自分が死んだ水辺にとどまっているものですから……ともあれ警察官の前でこれだけの罪状が出揃ったことですし、もう私たちの出る幕ではないでしょう。後は工部警察にお任せしましょう――」
 そのとき、ゴボッと何かを吐く音がした。私は逼安かと思って部屋を見回したが、彼はレスター警部と李舵に手錠で繋がれている以外に異変はない。訝しんでいると、謝霊が小声で
「……范救が」
 と言って私の袖を引っ張ってきた。
 初めて聞いた、怯えているとさえ言えそうな切迫した声だった。しかし、私が驚いて范救を見たときにはもう遅かった――無表情だった顔に満面の怒りをたたえた范救がかっと口を開き、「逼安!」と怒鳴ったのだ!
 骨の髄まで浸み込むような怒声に、謝霊を除く全員が凍り付いた。
「お前、私が聞かれても黙っていたことを全部ばらしたな。この裏切り者! 俺たちが血で交わした約束をこうも簡単に破るとは! こいつの効力を一番信じていたのは誰だ? もしまだ覚えているのなら今すぐ地獄に落ちろ! 貴様の死でもって裏切りを贖え!」
 范救はひととおり怒鳴ると、左手のひらをぐっと前に突き出した。横向きのしわに沿って付けられた傷から真っ赤な血が垂れる。その瞬間、逼安が痛みに声を上げて自身の左手を見た――その手のひらからも横に一筋、鮮血がにじみ出ている。
 逼安は耳をつんざく悲鳴を上げると脱兎のごとく逃げ出した。すっかり呆気に取られていたレスター警部と李舵は反応が遅れ、ややあってから大慌てで走り出した。
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