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第二章:魔鋒無忌
第十八話
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「数さえ確保できれば、使い捨ての兵士ほど使い勝手の良いものはない。死んだり、使い物にならないほど重傷を負ったりしても、戦力が減ることがないからね。けれどそれは、今まで戦力を保つために健康な兵士を揃えることに尽力していた人たちの職を奪うってことだ。おかげで魔界じゅうに名を馳せた先輩たちは次々と職を失っていった。今では僕と僕の師尊が軍医として控えているだけだ」
淡々と語っていた閻南天の顔に、ここでふっと影が差した。まるで大切な夢が破れてしまい、一生続く悔恨を抱え込んでしまったように閻南天は目を伏せる。
「僕たち閻家は、魔界が戦で魔偶を使うよりずっと前から続いている。とある兵卒がずば抜けた戦功を上げて閻姓を賜り、将軍として活躍したのが始まりなんだ。だから本家の血筋には代々将軍や軍師が多い……僕は元々分家の出で、両親を亡くして本家に引き取られたんだけど、知と技の限りを尽くす医師に憧れていた僕と違って、狼摩兄さまは兵を操って敵を蹴散らすことこそが閻家の男のすることだとそのときから信じていた。父上について従軍するようになったときも、魔偶が実用化されたときも、兄さまはとても楽しそうにしていたんだ。果ては僕みたいな時代遅れで役に立たない弟はいらない、魔偶がいれば十分なんて言っちゃってさ。父上たちは医術が必要だった頃の人たちだから、兄さまが何と言おうと僕のことを否定しなかったけれどね」
「俺だって、後方で味方を助ける仲間を否定するつもりはない。医術がなければ戦力が保てないからな」
万松柏は答えながら、あり得ない話ではないなと一人納得していた。閻南天自らが語った魔界の事情もさることながら、閻狼摩自身が無忌という唯一無二の戦力を手にしているのだから尚更だ。
「そういえば」
無忌のことを考えたとき、万松柏の頭にとある疑問が浮かんだ。
「無忌はなぜ、他の魔偶のようになっていないんだ? やはり彼の修為が関係しているのか?」
閻南天の腹の内を探ってやろうという魂胆がなかったわけではない。そんな万松柏の企みを知ってか知らずか、閻南天はあっさりと「そうだね」と答えた。
「魔丹は昔から使われていたけれど、今使われているのは何の修為もないモノを魔化させるために改良されたものだ。だから君たち仙師や、修行を積んだ妖族なんかは影響を受けにくい傾向にある。とは言っても多くの場合は相反する功力によって経脈が破損して、死ぬか廃人になるかするだけなんだけどね」
修行者にとって最も命取りな末路を、閻南天は涼しい顔でさらりと言ってのける。万松柏は思わず無忌や比連の顔を思い出していた——例外的に生き残った彼らと出会い、親交を深めているのは、運命の悪戯とでも言うべきことだったのだ。
「まあでも、無忌の場合はもっと特異だね。彼は反噬にやられなかったばかりか、共存することに成功したから」
閻南天はそう言うと、この話は終わりだと言うように立ち上がった。
「それじゃあ、僕は仕事に戻るよ。良い暇つぶしになったかな?」
閻南天はひらりと手を振って、すたすたと部屋から出ていった。
残された万松柏は、深く息を吸って閻南天の話を反芻した。元々の修為がある者は魔丹に影響されにくい——万松柏が魔化された比連から邪気を取り除けたのも、おそらくこのせいなのだろう。妖とは動植物が自然の霊気を取り込んでなるもので、功力を養って修行するという点では仙師にも通ずるところがある。その上人の形を取れるようになるには何百年とかかるため、比連の修為は仙門の十代の弟子よりもずっと高いはずだ。閻南天の話から察するに、比連は修行していたおかげで魔丹の束縛が他より緩かったのだろう。
では、無忌は。雲歩剣を使うということは、仙師の中でも相当な修為がある。そんな体に全く性質の違う気を植え付けられるとなると、想像を絶する苦痛があったはずだ。それを耐え抜き、魔丹を我が物にしたのだから、すさまじい意志の強さだ——それでもなお、魔偶としての本能に逆らうことはできず、自我との間で苛まれている。
考えれば考えるほど、無忌が哀れに思えてくる。それは炎上し、崩壊する街の真ん中で比連と出会ったときの感情に似ていた。無忌は恐怖と孤独に震えてこそいないが、望まぬ殺戮とそれを止められない己に苦しんでいる。別れ際に見せた姿こそが無忌の本当の姿なのだと万松柏は確信していた。当たり前だ、蒼生を護るために身につけた武功を、蒼生や同志たちを殺すために使わなければならないのだ。もし自分がそうなれば自刃してもおかしくないと声を大にして言える。
そう考えると、なぜ無忌が魔偶の身分に耐え続けているのかが分からなかった。元から邪な考えがあったならまだしも、正気充満たる誇り高い仙師なら魔界の手先になるなど死んでも願い下げだ。万松柏ですらそうなったら自刎を選ぶのだ——そこまで考えたところで、万松柏はふとあることに思い至った。
「あいつ、やっぱり、大切な人がいたんじゃないか……?」
だからこそ、邪魔外道に堕ちてもなお、耐えしのぶことができるのではないだろうか。どんな姿になってでも、命ある限り探し求めるような相手がいれば、たしかに闇に争う力になる。それに無忌は実際に、「一人を救うために劫を背負った」と語っていたではないか。
しかし万松柏は、その考えを声に出したことを痛いほど後悔した。自分自身の思案と声が、よく研がれた剣のように己の胸を刺したのだ。そして傷口から鮮血が流れるように、理解はできるが納得したくない、自分にとっての無忌はそんな男じゃないという思いが溢れてきた。そんな自分に驚いてもいた——敵の大将首にここまで思い入れるなど、本来あってはならないことだ。
途端に孤独が押し寄せてきた。敵地の只中で、いつ見つかるともしれない日々を過ごすことの心細さを万松柏は初めて感じた。数少ない味方は四方の壁に施された監禁の術といつ密告するか分からない魔族の男、とても信用できたものではない。やはり無忌だけだ——彼とていつ密告するかという点では閻南天と同様に信用できないが、二人でいるときの絶対的な安心感に勝るものはない。
万松柏は立ち上がると、ふらふらと床に歩いていった。硬い寝床に横たわり、かすかに無忌の匂いを留めた布団を抱き寄せる。
ここまで痛烈に誰かを欲したことは、今までに一度もなかった。
淡々と語っていた閻南天の顔に、ここでふっと影が差した。まるで大切な夢が破れてしまい、一生続く悔恨を抱え込んでしまったように閻南天は目を伏せる。
「僕たち閻家は、魔界が戦で魔偶を使うよりずっと前から続いている。とある兵卒がずば抜けた戦功を上げて閻姓を賜り、将軍として活躍したのが始まりなんだ。だから本家の血筋には代々将軍や軍師が多い……僕は元々分家の出で、両親を亡くして本家に引き取られたんだけど、知と技の限りを尽くす医師に憧れていた僕と違って、狼摩兄さまは兵を操って敵を蹴散らすことこそが閻家の男のすることだとそのときから信じていた。父上について従軍するようになったときも、魔偶が実用化されたときも、兄さまはとても楽しそうにしていたんだ。果ては僕みたいな時代遅れで役に立たない弟はいらない、魔偶がいれば十分なんて言っちゃってさ。父上たちは医術が必要だった頃の人たちだから、兄さまが何と言おうと僕のことを否定しなかったけれどね」
「俺だって、後方で味方を助ける仲間を否定するつもりはない。医術がなければ戦力が保てないからな」
万松柏は答えながら、あり得ない話ではないなと一人納得していた。閻南天自らが語った魔界の事情もさることながら、閻狼摩自身が無忌という唯一無二の戦力を手にしているのだから尚更だ。
「そういえば」
無忌のことを考えたとき、万松柏の頭にとある疑問が浮かんだ。
「無忌はなぜ、他の魔偶のようになっていないんだ? やはり彼の修為が関係しているのか?」
閻南天の腹の内を探ってやろうという魂胆がなかったわけではない。そんな万松柏の企みを知ってか知らずか、閻南天はあっさりと「そうだね」と答えた。
「魔丹は昔から使われていたけれど、今使われているのは何の修為もないモノを魔化させるために改良されたものだ。だから君たち仙師や、修行を積んだ妖族なんかは影響を受けにくい傾向にある。とは言っても多くの場合は相反する功力によって経脈が破損して、死ぬか廃人になるかするだけなんだけどね」
修行者にとって最も命取りな末路を、閻南天は涼しい顔でさらりと言ってのける。万松柏は思わず無忌や比連の顔を思い出していた——例外的に生き残った彼らと出会い、親交を深めているのは、運命の悪戯とでも言うべきことだったのだ。
「まあでも、無忌の場合はもっと特異だね。彼は反噬にやられなかったばかりか、共存することに成功したから」
閻南天はそう言うと、この話は終わりだと言うように立ち上がった。
「それじゃあ、僕は仕事に戻るよ。良い暇つぶしになったかな?」
閻南天はひらりと手を振って、すたすたと部屋から出ていった。
残された万松柏は、深く息を吸って閻南天の話を反芻した。元々の修為がある者は魔丹に影響されにくい——万松柏が魔化された比連から邪気を取り除けたのも、おそらくこのせいなのだろう。妖とは動植物が自然の霊気を取り込んでなるもので、功力を養って修行するという点では仙師にも通ずるところがある。その上人の形を取れるようになるには何百年とかかるため、比連の修為は仙門の十代の弟子よりもずっと高いはずだ。閻南天の話から察するに、比連は修行していたおかげで魔丹の束縛が他より緩かったのだろう。
では、無忌は。雲歩剣を使うということは、仙師の中でも相当な修為がある。そんな体に全く性質の違う気を植え付けられるとなると、想像を絶する苦痛があったはずだ。それを耐え抜き、魔丹を我が物にしたのだから、すさまじい意志の強さだ——それでもなお、魔偶としての本能に逆らうことはできず、自我との間で苛まれている。
考えれば考えるほど、無忌が哀れに思えてくる。それは炎上し、崩壊する街の真ん中で比連と出会ったときの感情に似ていた。無忌は恐怖と孤独に震えてこそいないが、望まぬ殺戮とそれを止められない己に苦しんでいる。別れ際に見せた姿こそが無忌の本当の姿なのだと万松柏は確信していた。当たり前だ、蒼生を護るために身につけた武功を、蒼生や同志たちを殺すために使わなければならないのだ。もし自分がそうなれば自刃してもおかしくないと声を大にして言える。
そう考えると、なぜ無忌が魔偶の身分に耐え続けているのかが分からなかった。元から邪な考えがあったならまだしも、正気充満たる誇り高い仙師なら魔界の手先になるなど死んでも願い下げだ。万松柏ですらそうなったら自刎を選ぶのだ——そこまで考えたところで、万松柏はふとあることに思い至った。
「あいつ、やっぱり、大切な人がいたんじゃないか……?」
だからこそ、邪魔外道に堕ちてもなお、耐えしのぶことができるのではないだろうか。どんな姿になってでも、命ある限り探し求めるような相手がいれば、たしかに闇に争う力になる。それに無忌は実際に、「一人を救うために劫を背負った」と語っていたではないか。
しかし万松柏は、その考えを声に出したことを痛いほど後悔した。自分自身の思案と声が、よく研がれた剣のように己の胸を刺したのだ。そして傷口から鮮血が流れるように、理解はできるが納得したくない、自分にとっての無忌はそんな男じゃないという思いが溢れてきた。そんな自分に驚いてもいた——敵の大将首にここまで思い入れるなど、本来あってはならないことだ。
途端に孤独が押し寄せてきた。敵地の只中で、いつ見つかるともしれない日々を過ごすことの心細さを万松柏は初めて感じた。数少ない味方は四方の壁に施された監禁の術といつ密告するか分からない魔族の男、とても信用できたものではない。やはり無忌だけだ——彼とていつ密告するかという点では閻南天と同様に信用できないが、二人でいるときの絶対的な安心感に勝るものはない。
万松柏は立ち上がると、ふらふらと床に歩いていった。硬い寝床に横たわり、かすかに無忌の匂いを留めた布団を抱き寄せる。
ここまで痛烈に誰かを欲したことは、今までに一度もなかった。
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