魔偶と越界の想い人

故水小辰

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第二章:魔鋒無忌

第十四話

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「たしかに私は狼摩兄さまの血縁だ。でもそれ以上に、私は無忌の見方だから」

 そう言った閻南天の顔には、また屈託のない笑顔が戻っていた。万松柏が無忌を見やると、無忌は金色の目を万松柏に向けて小さく頷いてみせる。それが閻南天の言葉を真剣に認めるものだと万松柏にはすぐに分かった。

「分かった。なら食糧はお前が調達して、それを無忌が料理するというのはどうだ」

 万松柏が提案すると、魔族の男と魔偶は互いに顔を見合わせた。

「じゃあそれで決まりだな。変な真似だけはするなよ」

 万松柏の念押しに、二人はそれぞれ分かったと頷いた。


 閻南天が出ていくと、無忌は再び扉の脇の椅子に腰を下ろした。

「顔色が悪い。寝ていろ」

 口数が少なくて妙に要領を得ないのは、どうやら話せる魔偶の常らしい。しかし寝る気になれない万松柏は、無忌を穴があきそうなほど見てやることにした。

「目が冴えて眠れそうにないな。それにお前が俺に手を出さないとも限らない」

「手は出さない。出すなら先に出している」

 無忌は淡々と答える。その言葉は至極まっとうだ——もしも万松柏を除きたいのなら、とどめを刺す機会は何度もあった。それが今も無事ということは、どうやら本当に万松柏に危害を加える気はないらしい。

「だが、閻南天はどうだ? 閻狼摩の弟らしいが……」

「遠い親戚だ。直接の血の繋がりはない」

 無忌は答えると、椅子から立ち上がって万松柏に歩み寄った。

「私はお前を殺さない。魔界にも引き渡さない。ここにいる限りお前は安全だ」

 身を固くする万松柏の傍らで、無忌はしゃがみ込んで万松柏と目線を合わせてくる。どきりとした万松柏の目元に温かく大きな手が被せられ、「眠れ」と深い声が耳元でささやく。

「私はお前を傷つけない。安心しろ」

 万松柏は言い返せなかった。彼の声を聞くとどうにも警戒が薄れて、彼に全てをゆだねたい気持ちになるのだ。そうでなくても、ここまで来たら無忌の敵意を疑い続ける方が難しい。
 万松柏は暗闇を見つめたまま「分かった」と答えて目を閉じた。やがて無忌の手がどけられ、部屋の明かりが消える気配がした。


***


 無忌に囲われ、介抱される奇妙な生活が始まって七日が経った。
 とはいっても、ここでも同じように時が経っているのか万松柏には分からない。部屋には窓がなく、時を知る手立てが一切ない。外に通じているのは扉だけ、おまけに壁は結界によって守られている。出入りするのも無忌と閻南天の二人だけで、おまけにどんなに耳を澄ませてもその他の声すら聞こえないのだ。無忌がいない隙に扉に耳を押し当ててもみたが、扉にも結界が施されているようだった。開けようともしたものの、どうやら扉の前に決められた人物が立たないといけないようでびくともしなかった。

 まるでこの部屋は独房だ。それなのに、無忌は手が空いたら必ず扉の脇の椅子に帰る上に、来客があれば——とはいえ閻南天が診察に来る以外は誰の訪問もないのだが——扉が叩かれる前に気づいている。気になって聞いてみると、なんとこの部屋はなんと無忌の自室だった。

「お前の部屋⁉︎  でもなんだってこんな不自由なことに?」

 驚いてさらに尋ねると、無忌は相変わらずの無表情でこう答えた。

「信頼と信用は別物だ。魔界が信じているのは私の武功であって身分ではない」

 そう言われては、万松柏は何も言い返せなかった。どんな異名を取ろうとも、やはり魔偶である以上は奴隷に過ぎないのだ。


 今日も無忌は扉の脇に座って、剣を抱いて寝台の万松柏を見つめている。視線が逸らされることはないが警戒されているわけでもなく、これがどうにもむずがゆい。

「いつからこんな暮らしをしているんだ?」

 奇妙な沈黙を追い払うように万松柏が尋ねると、無忌はすっと視線を逸らせて黙り込んだ末にぽつりと言った。

「分からない」

 いつも万松柏を真正面から見据えている金色の双眸が、珍しく頭上の壁を見つめている。無忌はそのまま、しずくが立て続けに落ちてくるように言葉を並べた。

「長い時が経った。私は人ではなくなった。閻狼摩は私を得て戦績を上げた。私は新たな名を得た。人の子を屠るたびにその名は広がっていき、その名が広がるたびに私の名は薄れていく。私がかつて呼ばれていた名、私をあの名で呼ぶ声、全てが消えていく」

 それは落ち続ける水滴が石を穿つようだった。硬い表面がほんの少しへこむように、万松柏にはこの魔偶の内面が少しだけ見えたような気がした。現に、無忌がここまで多く話したのはこれが初めてだった——途切れ途切れの言葉の中に覗く苦痛に、万松柏は初めてこの魔偶を哀れだと思った。

「魔丹は主の記憶と感情を奪う。個々の思考は消え、命令に従うことしかできない傀儡になる。修為のない人間は三日で変貌する」

 無忌は切れ長の目を少し歪めて言った。声音が変わることはないが、両目がそうなることが嫌だとはっきり語っている。

「今までは術の力に抗ってきたってことか?」

 万松柏が尋ねると、無忌は小さく首を横に振った。

「魔丹には抗えない。私は主である閻狼摩の命に逆らえない」

 今まで剣を交えた光景を思い出し、万松柏はそれはそうかと頷く。無忌は立ち上がって万松柏に歩み寄ると、色白な腕を差し出して手首の内側を触るよう告げた。
 言われるままに二本指を添えた万松柏は、たちどころに無忌の言わんとすることに気がついた——よく鍛えられた真気の外側に絡みつくように魔丹の邪気が流れているのだ。拮抗というよりも共存といったふうに、無忌は相反する二つの気功を宿していた。

「なるほど。これは特異だ」

 万松柏は独り言のように言った。

「普通なら反噬が起きてお前もろとも滅ぼすところなのに、よく害が出ないな」

「それこそが閻狼摩の手柄だ」

 無忌はそう答えて腕を引いた。

「修為がある者は魔丹による侵食を受けにくい。特に妖の類は生来より修行に励むため魔丹の影響を受けにくく、術の制約から脱しやすい。その点人間は軟弱で術もかけやすい。修為のある者は反噬を起こすが、閻狼摩は閻南天の協力のもとこの壁を破り、魔鋒を作り上げた」

「魔偶にされたときのことは何か覚えているか?」

 万松柏は続けて問うた。忌み嫌うべき敵なのに、なぜかこの男をもっと知りたいと思ってしまうのだ。それに、彼が見せる自身への庇護の理由も話しているうちに得られるかもしれない。
 無忌は金色の目をふっと伏せると、「激痛」と答えた。

「魔丹を植えつける行為は激痛を伴う。途中で死ぬ者も少なくない。魔丹が体内におさまったあとも苦痛は続く。思考が侵され、己が己でなくなっていく」

 無忌はそこで言葉を切ると、万松柏を再び見上げた。金色の双眸が果てしない喪失をたたえ、弱々しく光を放っている。

「だが、これは私が選んだ道だ。天は私が一人を救う代償にこの劫を背負わせた。私はそれを悔いてはいない」

 弱い光の中にも、ひとつの決意がしっかりと根を下ろしている――きっと無忌はこの思いにすがって生きてきたのだろう、万松柏はそんなことを考えながら「そうか」と答えた。
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