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第五章 ミナヅキと小さな弟

第九十五話 ちいさなせかい

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 ――ある日、僕はお父さんとお母さんに捨てられた。

 ずっと大きな家で暮らしていた。庭も広く、暖かくなると緑だった地面が黄色いタンポポで埋め尽くされる。
 けれど周りに他の家はない。庭に出て遊ぶことは許されても、家の門から外に出ることは許されない。
 だから何も知らないままだった。
 自分の家と庭、本当にそんな小さな世界しか、ずっと見てこなかったのだ。
 そして両親はいつも家にいなかった。最初は毎日のように来ていたお手伝いのオバサンも来なくなり、ずっと一人で過ごすことが多くなった。
 食事の準備だけはちゃんとしてくれており、それを温めて食べる日々。電子レンジの使い方だけは完璧になった。たまに何も用意されていない時があったが、その時は水を飲んでずっと我慢していた。
 冷蔵庫の中にはたくさんの食べ物があった。しかしそれに手を出そうと思ったことはなかった。何故ならそれは食べられないと思い込んでいたからだ。
 冷蔵庫の中にある食べ物は、親が料理して皿に盛りつけてこそ、初めて問題なく食べられる――当時は本気でそう思い込んでいたのだ。
 しかしそんな勘違いを正す機会はなかった。
 両親は何も教えてくれなかった。声をかけても何も答えてくれなかった。仕事が忙しいからと言って、そっぽを向かれるばかりだった。
 たまに一緒に食事をしても、仕事の忙しさと大きな家の自慢ばかり。
 つまらなかった。でも怖くて飽きたとは言えない。
 ――おうちのもんからおそとにでてみたい!
 そう言ったことがある。そうしたら父親から怒鳴られた。鬼のような表情で激しく吠えられた。もはや何を言っていたのかすらまともに分からないほどに。
 それ以来大人しくしていた。門の外に出てみたいという気持ちが募り、コッソリ出てみようと言ってみたが、なんと大きな壁のような門であり、その先に何があるのかは全く見えない。
 開けてみたかったけど開けられなかった。
 だからずっと家にいるしかなかった。家の外には一体何があるのか――それをずっとずっと考えていた。

 そうしたらある日、両親は慌てていた。
 ――早く準備をしろ。出かけるぞ!
 父親がそんなことを言っていた。殆ど怒鳴り声に等しい感じで。
 怖かったけど、ワクワクもしていた。きっとこれから旅行に行くんだ。おとーさんたちはきっと時間を間違えて慌てているんだと、そう思っていた。
 買ってもらったばかりの大きなリュックサックを出してきた。そこに母親が大きなペットボトルの水と、パンの詰め合わせを入れてくれた。
 ――もしかしてキャンプにでもいくのかな?
 そんなことを呑気に考えていた。
 父親の運転する車に乗った。始めて家の大きな門から外に出た。
 凄いスピードで走らせる車はとても凄かった。お外にこんなに広い場所があったなんて知らなかった。
 そんなことを思いながらとにかく感激していた。
 そして到着したのは、とある家だった。
 ――降りなさい。
 そう言われたから車から降りた。しかし両親は車から降りてこない。
 どうしたんだろうと首を傾げながら振り向くと、母親が泣きながら言った。
 ――あなたは今日からここに住むのよ。ここの家の人に育ててもらいなさい。
 そして車は走っていった。おかーさんと叫ぶ声に構うことなく、あっという間にその姿は見えなくなる。
 しばらくその場に立っていたが、車が戻ってくることはなかった。
 ――おとーさんとおかーさんがぼくをおいていった。
 そう判断するのに時間はかからなかった。
 急に怖くなった。ずっとここにいたら誰かに見つかって、酷い目にあうんじゃないかと、涙が出てきそうになった。
 こっそりと門を開けて家に入ろうとする。でもカギがかかっていて入れない。落ちていた棒を使って、遥か上にあるチャイムを何回か鳴らしてみても、中からは誰も出てこない。
 誰かに見つかるのは嫌だったから、静かに門を閉めて庭に隠れた。寒いから外にある物置に入った。ここなら誰にも見つからなくて済むと思ったからだ。
 夜になって、朝になっても、誰も帰ってこなかった。
 喉が渇いたから水を少し飲んだ。お腹が空いたからパンを食べた。
 きっとすぐに誰かが迎えに来てくれる――そう思っていたけど、待っても待っても誰も来なかった。
 車が止まらないどころか、人が歩いて尋ねてくることも全くなかった。
 物置の中でずっとうずくまっていた。とにかく怖かった。このままどうにかなってしまうんじゃないかと、本気で怯えていた。
 なによりうずくまっていれば、少しは暖かい。だからずっとそうしていた。
 段々と気の遠くなる感じがしてくる。うずくまったまま寝転がる。もう何も考えられなくなっていた。
 ――ガラッ!
 ある日突然、物置が開けられた。
 眩しい光が差し込み、何かが起こったと気づき、ゆっくり目を開ける。

「遅くなってゴメン。キミを迎えに来たよ!」

 そこには同い年くらいの男の子が立っていた。その笑顔は太陽のように眩しく、生まれて初めて見た笑顔でもあった。


 ◇ ◇ ◇


「なるほどな……話はまぁ、大体分かったよ」

 ラステカの自宅のリビングにて、ソファーに座るミナヅキは、腕を組みながら目を閉じて頷く。
 彼の目の前に座るユリスが、ストローでオレンジジュースを飲みながら、ニコッと笑顔を向けてきた。

「いやぁ、理解してくれて嬉しいよ」
「珍しく事前にアポを入れてきたときには、何かあると思ってたがな」

 ミナヅキは視線をダイニングテーブルのほうに向ける。

「まさかあんな小さな客人を連れてくるとは、流石に驚いたぞ」

 たくさん並べられた温かい料理。それを一心不乱にモシャモシャと物凄い勢いで食べていく小さな男の子。目の前に座るアヤメは、頬杖をつきながら穏やかな笑顔で見守っていた。
 ユリスが連れてきた男の子の名はリュート。ずっと何かに怯えたような表情は、生気が宿っているかも怪しく見えた。
 酷くやせ細っており、明らかにちゃんと食べていない。それを証明するかの如く鳴り響く腹の音。それを聞いた瞬間、ミナヅキとアヤメは動き出していた。
 食事を作り終え、アヤメにリュートの相手を任せ、ミナヅキはユリスからリュートの素性について聞いた。
 驚かされる内容ではあった。聞いた瞬間は理解できなかった。
 なんとか頭の中で内容はまとめられたものの、ミナヅキはどう反応して良いか分からず、自然と口から唸り声を出してしまう。

「確認がてら聞くが……リュートは俺の母親違いの弟ってことになるんだな?」
「うん。そういうことになるね」

 重々しく尋ねるミナヅキに、ユリスは小さく頷く。いつものような明るい笑みは鳴りを潜めており、それだけ大事なことを話しているのだと表現していた。

「なるほどな」

 ミナヅキは小さくため息をつきながら、改めてリュートに視線を向ける。焦って食べたせいで喉に詰まらせたらしく、アヤメが慌てて水を与えていた。
 そんな姿に、ミナヅキは小さな笑みを浮かべる。

「……あの様子なら、ひとまずは大丈夫そうか」

 まだ少々やつれてはいるが、目の光はしっかりと宿っている。なによりあんなに手を動かして食べ物を摂取できているのだ。最悪の状態からは遠ざかっていると言ってもいいだろう。
 そんなことを考えていたミナヅキは、ユリスがコップをテーブルにおいて、ニンマリと笑っていることに気づく。

「なんだよ?」
「いや、割とすんなり受け入れてる感じだなーって思ってさ」
「……まぁな。俺の知らない兄弟の一人や二人ぐらいはいるだろうって、それなりに思ってはいたからよ」

 少なくともミナヅキの記憶上、両親は家に帰ることもなく、それぞれ愛人のところで暮らしているも同然の状態であった。
 そこで男女の営みが行われ、新たな命が宿ることについては想像に難くない。
 父親と最後に顔を合わせた時に言われた言葉――お前に払う金はないと、冷たい表情を見せてきた。
 それは一体どこでのことだったか。ミナヅキ自身、長いこと思い出せないでいたのだが、リュートの登場で少し思い出していた。

(病院の裏庭だったっけな。いきなり呼び出されて来てみたら、何か一方的に言うだけ言って、そのまま別れたんだっけか)

 別れたというよりは、追い出されたといったほうが正しいかもしれない。ここはお前が来るような場所じゃないからさっさと帰れ――それが最後の、父親から聞いた言葉であった。
 まるでこれ以上、そこにいて欲しくないという態度。その理由が今更ながら分かった気がした。

(恐らくあの病院でリュートが生まれたんだ。今は七歳って言ってたし、俺が最後に会った時期と完全に重なる)

 父親からしてみれば、リュートとその母親こそが真の家族。ミナヅキはとっくの昔に他人の子供と化していたのだ。
 しかし自分との繋がりがあることも確かであった。故に下手に干渉して来ないよう釘を刺したのだ。もっとも何の事情も話さず一方的に告げただけであるため、意味の分からない物言いにしかならなかったが。

「流石にリュートくんの家族に対しては、色々と思うところがありそうだね?」

 突然そんなことを聞いてきたユリスの声で、ミナヅキは我に返った。そして後ろ頭をポリポリと掻きながら言う。

「そりゃ、まぁな……」

 七年前の時点では、確かに生まれたばかりのリュートのほうが優先されていた。しかしそれも、本当にその時限りのことでしかなかった。
 リュートがこれまでに、どんな生活を送ってきたのかは知らない。しかし今の様子からして、大体の想像はついてしまうのだった。

「リュートが俺の弟ってのはひとまず理解した。それについてはいい。問題は、何でユリスがリュートをこっちに連れてきたのかっていう点だ」

 ミナヅキはどうしても聞いておきたいことを尋ねる。

「いくら神様であるお前でも、気まぐれで世界そのものを跨いで連れてこさせるってことはできないだろ? あの子自身に何かあったとしか思えん。例えば……俺の時みたいによ」

 目に力を込めつつジッとユリスを見据える。するとユリスは、目を閉じながらフッと小さく笑った。

「――そのとおりだよ。流石はミナヅキだ。察しがいいね」

 ユリスはリュートの経緯を語る。しかしそれは、殆どミナヅキが推測していることとほぼ一致していた。
 やがて粗方聞き終えたミナヅキは、深いため息をつく。

「ふーん。まぁ、そんなことだろうと思ったよ」

 リュートが両親に連れ出され、俺が住んでいた家の前に無断で置いていった。つまり捨てられたのだ。
 何かしらの事情があったことは間違いない。しかしそれが真っ当であるとは到底思えなかった。ここぞとばかりにミナヅキに押し付けようとした――そんな考えを浮かべている姿が、如何せん簡単に思い浮かんでしまう。
 だからこそ改めてため息が漏れ出る。そんなミナヅキの気持ちを、ユリスも分かるつもりではいた。

「一応、リュートくんにもボクのほうから、ご両親について話しておいたよ」
「……話したのか?」
「状況が状況だったから、下手に誤魔化すよりはいいと思ってね。あの子も、薄々感づいてはいたようだったけど」
「そうか」

 ユリスの言葉にミナヅキは一応の納得はする。果たしてそれを聞かされたリュートはどう思っていたのか、想像すらつかないのが正直なところであった。

「いずれにしても言えるのは、もうリュートには帰る家がないということ。そしてそんなあの子を、ボクがこうして連れてきたこと……これが何を意味するのか」
「あぁ。そんなの考えるまでもないさ」

 ミナヅキは重々しく頷き、そしてアヤメに視線を向ける。

「アヤメ、リュートをウチで引き取ろうと思うんだけど、いいか?」
「うん。いいわよ」

 実にアッサリとした了承を受け、ミナヅキも満足そうに笑みを浮かべる。そんなやり取りを見ていたユリスは、思わず目を丸くしてしまった。

「押しつけたボクが言うのもなんだけど、そんな軽く決めちゃっていいの?」
「薄々予感はしてたからな。それに俺たちも――特にアヤメは、しばらくこの家にいることが多くなるし」
「えっ? それって……」

 ユリスが驚きながら視線を向けると、アヤメが腹部を優しく撫でながら、嬉しそうに笑う。

「ミナヅキとの子供が出来たのよ。もうすぐ二ヶ月だって言われたわ」
「そうなんだ、おめでとう!」

 思わず立ち上がるユリス。それだけ驚いたことであり、嬉しいことでもあった。

「いつかはこうなると思ってたけど……そっかぁ、ミナヅキもパパになるんだね」

 腕を組みながらうんうんと頷くユリス。そしてパンと両手を叩き、顔を上げてミナヅキたちに笑顔を振りまく。

「いつか神を代表して、ボクが二人にお祝いを持ってくるよ!」
「あぁ、まぁ、あまりお気遣いなくな」

 ユリスの言葉にミナヅキは表情を引きつらせる。お気遣いなく――とりあえず言ってはみたが、あまり効果はないんだろうなと思った。

「あのー……あまり大きなモノとかは、遠慮してもらえると嬉しいわ」

 アヤメも苦笑交じりに言う。ミナヅキと同じようなことを考えていたのだ。しかしユリスは嬉しそうな表情で何かを考えており――

「うん、分かってる分かってる」

 軽い口調でそう答えた。あからさまに分かってないんだろうなと、ミナヅキとアヤメは同時に思う。
 そんな中、リュートはデザートの果物を口に運びながら首を傾げていた。
 ユリスはその視線に気づき、リュートを見ながらニッコリと笑い、そして近づいて優しく頭を撫でる。

「リュートくん。お兄さんたちと仲良くね」
「えっ?」

 何を言われたのか分からず、リュートは聞き返す。しかしユリスは手を振りながら踵を返し、瞬きをしたその瞬間、リビングから姿を消してしまった。
 リュートはポカンと口を開く。加えていた果物がポロっと床に落ちたが、それに気づく様子もない。

「え、あれ……?」

 急に怯えた表情を浮かべ、リュートはブルブルと体を震わせる。
 寒い物置から助けてくれた人が突如消え、急に知らない大人しかいない場所に放り出されたこの状況が、恐ろしくて仕方がないのだ。
 もはやまともに言葉を発することもできず、リュートは再びその場で体を縮こませようとする。そうすればきっと怖くなくなると思って。
 その時――リュートはふんわりと温かい何かに包まれた。

「大丈夫よ」

 アヤメが静かに立ち、震えるリュートを優しく抱きしめたのだった。

「これからは、私たちお兄ちゃんとお姉ちゃんが、あなたのことを守るからね」

 ゆっくりと語り掛けるアヤメの声に、リュートから体の震えが収まる。そしてミナヅキもリュートの元へ歩き、大きな手のひらを小さな頭に乗せた。

 小さな世界で生きてきたリュートの人生が、ここから大きく動き出した――


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