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第四章 現れた同郷者

第八十三話 我が道を行く王女様

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 時は少しだけ遡る――――
 ミナヅキがタツノリと工房で出くわしていた頃、アヤメは王都の中心街を駆けずり回っていた。
 目的はタツノリの発見である。彼が突然ギルドから飛び出していくのを見て、どうにも嫌な予感がしてならなかったのだ。
 しかし――

「あぁもう! 完全に見失っちゃった!」

 中心街をキョロキョロと見渡しながら、アヤメは苛立つ。完全にどこへ行ったのかが分からなくなり、もはや当てもなく探す以外に道はなかった。

(もうクエストも終わったんだし、別に私がここまで気にしなくても……)

 そう考えたが、やはりどうしても嫌な予感がしてならない。放っておいたら面倒なことになるのではないかと。
 とりあえず彼のことを探すだけ探して、特に見た感じ何もなさそうであったら、そのまま黙って帰ることにしよう――アヤメはそう決めて歩き出す。
 そして程なくして、有力な情報を得た。
 たまたま知り合いである露店の女性と出会い、ベアトリスが若い男性に口説かれていたと教えてもらったのだ。
 その際、ベアトリスの様子が何かおかしくなっていたことも。
 アヤメがタツノリの特徴を話すと、かなり一致していることが判明する。
 露店の女性に礼を言って別れたアヤメは、工房に向けて歩き出す。

(もし、あの男がベアトリスを狙っているんだとしたら、間違いなくあそこへ向かっているハズよね。急がないと!)

 アヤメの足は自然と駆け足となりつつあった。
 工房にはミナヅキたちもいる。もしかしたら既に、何かしらの面倒事が起きているかもしれない。

(ベアトリスが……暇さえあれば錬金していたいと豪語していた子が、男に口説かれたくらいで気持ちが揺らぐとは、正直思えないわ)

 その手の展開は、彼女がイメチェンしてから幾度となく起こっていたことだ。しかしその度にベアトリスは突っぱねてきた。むしろ外見でしか判断して来ない男たちに対し、嫌気がさしてくる――そんなことも呟いていた。
 それを聞いていたアヤメとリゼッタは、二人揃って思ったのだ。ベアトリスが恋愛をするのは、当分先の話なのかもしれないと。
 ――確かに言えてるかもしれないねぇ。
 ベアトリス本人も、笑いながら確かにそう言っていたのだ。
 そんな彼女がちょっと口説かれたくらいでなびくとは、到底思えない。それがアヤメの率直な感想であった。

「おぉ! そこを歩いとるのは、アヤメではないか?」

 独特な口調で話すその声を聞いた瞬間、アヤメは足を止めた。振り向いてみるとそこには、変装こそしてはいるが、確かによく知っている少女がいた。

「……フィリーネ。アンタ、どうしてこんなところにいるのよ?」
「無論、お忍びでのお出かけじゃ♪ こうして立派に変装もしておるからの」
「お忍びねぇ……」

 フフン、と胸を張るフィリーネ。ドレスから上質のワンピースに着替え、アクセサリーを極力外した代わりにサングラスを着用している。むしろ余計に目立っているような気がすると、アヤメは思っていた。
 そして更に、あることに気づく。

「ベティさんは? 姿が見えないようだけど?」
「今日は妾一人だけじゃ。と言っても、多分どこかで見張っておるだろうがの」
「――でしょうね」

 アヤメは軽くため息をついた。元々フィリーネが、定期的にあれこれ理由を付けては王宮を抜け出し、こうして街に繰り出すことは知っていた。王都の人々もそれをよく理解していることも。
 本人は頑なにお忍びであると強調しているが、もはや意味を成していない。
 現に周囲の目も、多少なり驚きはあるが、微笑ましいと言ったそれのほうが圧倒的に多かった。

「あらあら姫様。今日も王宮を抜け出されてきたのですか?」

 そこに通りかかった雑貨屋の女性が、フィリーネの存在に気づいて話しかける。するとフィリーネは、ムッと頬を膨らませながら振り向いた。

「抜け出してはおらんぞ。お忍びの視察じゃ」
「あら、そうでしたか。よろしければ後でお店に立ち寄ってくださいね。色々と揃えてありますから」
「うむ、それは楽しみじゃの。必ず行くとしよう♪」

 ムッとしていた表情から一瞬で笑顔に切り替えるフィリーネ。まるで小さな子供のような反応だと思ったのは、ここだけの話である。
 雑貨屋の女性に手を振りながら別れを告げ、フィリーネは再びアヤメのほうに視線を戻す。

「さてと、妾はこれから生産工房へ行く予定なのじゃが――」

 何事もなかったかのように、フィリーネは話を切り出した。このスイッチの切り替えは見事だなぁと、アヤメは思わず驚いてしまう。

「む? どうかしたかの?」
「え、あ、いや、なんでもないわ」

 完全に表情に出てしまっていたことに気づき、アヤメは慌てて取り繕う。フィリーネは首を傾げていたが、それ以上は触れることもなく、話を続けた。

「とにかく妾は工房へ行こうとしていた。例の石窯の量産は、どんな調子かを確かめようと思っての♪」

 両手をそれぞれ腰に当て、フィリーネは胸を張る。実に良い笑顔であった。
 どうじゃ、立派な理由じゃろう――そんな言葉が聞こえた気がしたアヤメは、あからさまに呆れたような視線を向けていた。

「……それ、絶対に表向きでしょ? アンタの目的は別にあるんじゃないの?」
「ふむ、バレてしまったか」

 アヤメの指摘に、フィリーネは目を閉じる。すんなりと観念したかと思いきや、再び満面の笑みを浮かべ出した。

「工房にミナヅキがいると聞いたからな。石窯パンケーキを作ってくれるよう、妾から直々に約束を取り付けに行こうとしてたのじゃ♪」
「また思いっきり開き直ったわね」
「ここまで来て隠しても仕方ないじゃろ?」
「それはそうだろうけど」

 アヤメは頭を抱えながらため息をつく。それでいてフィリーネの言うことはもっともな気もするため、何も言い返せないのが悔しいところではあった。
 ならば、というワケでもないが、せめて言うだけ言っておこうとも思った。

「石窯の量産は進んでるって話だし、王宮でも食べられる日は、そう遠くないうちに来ると思うわよ?」
「ノンノン♪ それはそれで魅力的じゃが、妾が望んでおるのはそれではない」

 人差し指をリズミカルに左右に振りながらフィリーネは言う。

「あのラステカの静かな家で、ミナヅキが作った石窯パンケーキを食べてこそ、妾の願いが叶うというモノなのじゃよ♪」
「それ、暗にウチに遊びに来たいってだけの話よね?」
「正確には石窯パンケーキを食べるためじゃな」
「…………」

 どこまでもブレないフィリーネに、アヤメはもはやツッコみを入れる気力すら失せてしまった。
 とりあえずこの話題を終わらせようと、軽く息を吐く。

「あぁ、もうそれで良いから。とりあえず工房に……」

 そこでアヤメは、自分が何をしようとしていたのかを思い出す。

「そうだった! 私ってば、こんなことしてる場合じゃないんだったわ!」
「む? 何かあったのか?」

 きょとんとした顔でフィリーネに尋ねられたアヤメは、事の次第をかいつまんで説明する。
 その際にタツノリという名前は避けていたのだが――

「なるほどのう。ソヤツの名は、もしかしてタツノリではないか?」
「……まぁね」

 彼の名をフィリーネも知っていたのだと、アヤメはここで知る。名前を避けた意味なかったかなぁと、内心で軽く脱力するのだった。
 極力表情には出していないため、フィリーネはそれに気づくことはなかった。

「妾もあの男は、どうにもきな臭いと思えてならんかったのじゃ。しかしそうなってくると、面白くもなってきたのう」

 ニヤリと笑うフィリーネに、アヤメは軽く困惑する。

「お、面白いって、何がかしら?」
「考えてみろ。工房にはミナヅキがおるのだぞ? それにベアトリスだって、一癖も二癖もあるヤツで有名じゃ。これは何かが起こるやもしれん。妾も王女として見届ける義務があると言えるじゃろうな♪」

 恐らく国のためみたいなことを言っているのだろうとアヤメは思ったが、実に楽しそうに笑っているせいか、説得力は皆無も同然であった。

「……いや、だから面白そうだから早く見に行きたいってだけでしょ」
「よく分かったのう」
「さっき自分で言ってたじゃないの。面白くなってきたって」

 そう言いながらアリシアは工房に向けて歩き出した。いくらなんでも、これ以上の立ち話は時間の無駄にも程がある。

「ほら、行くわよ。早くしないと大変になっちゃうわ」
「そうじゃの。レッツゴーじゃ♪」
「はいはい」

 楽しそうにスキップしながら歩き出すフィリーネを見て、まるで小さな子供の面倒を見ているみたいだと、アヤメは思った。
 そして工房に到着した時には、既に事は起こっていたのであった。


 ◇ ◇ ◇


「フィ、フィリーネ様だ!」
「どうして工房に? 今日って視察の日かなんかだったか?」

 工房に突然現れた一国の王女に、生産職の人々はこぞって驚きを隠せない。彼女がここを訪れること自体は珍しくないのだが、アポなしで訪れたことは、流石に一度もなかったのだ。
 要はラステカの町にあるミナヅキとアヤメの家が、色々な意味で特別だということである。

「抜き打ちの視察も兼ねて来てみたのじゃが……なにやら面白いことになっておるようじゃの♪」

 ニンマリと笑うフィリーネに、工房内はより一層のザワつきを見せる。
 あれほど憎悪満載の睨みを利かせていたタツノリでさえ、まさかの人物の登場に驚きを隠せず、ただ戸惑うばかりであった。

「先ほどのやり取りは、妾もしかと聞かせてもらったぞ――タツノリよ」

 フィリーネにまっすぐ視線を向けられ、タツノリはビクッとした。

「お主のことについては、この工房での騒ぎも含め、父上に報告させてもらう。それ相応の覚悟はしておくことじゃな」
「なっ! そ、それは――」

 タツノリが慌てて何かを言いかけるが、その前にフィリーネが笑い出す。

「まぁ安心せい。せいぜいお主がこの国で得た評価の殆どを、返却してもらうというのが関の山じゃろうからな。のう――ベティよ?」
「はっ!」

 フィリーネが呼びかけた瞬間、メイド服に身を包んだベティが、どこからともなくシュタッと降り立った。
 突然の登場に周囲が――それこそミナヅキやアヤメでさえ――驚く中、ベティは何食わぬ顔でタツノリを見ながら淡々と言う。

「既に各所から、国王様の元へ報告が届いております。有力な証言も得ており、そう遅くならないうちに結果が出るかと」
「そうか。ご苦労じゃったな」
「とんでもございません。それから姫様も、できるだけ早くお戻りを」
「分かっておるわい」

 さりげなく釘を刺してきたベティにフィリーネは苦笑する。そしてベティは、汚い何かを見るような目でタツノリを睨みつけた。

「私個人としても、あの男だけは見過ごせません。ミナヅキ様の奥様であるアヤメ様に惚れただけならまだしも、手に入れるために妙な力を使った形跡まであるという情報もあります。そこらへんもじっくりと聞きたいところですね」
「えっ? それは本当なのか、アヤメ?」

 ミナヅキが驚きながら振り向くと、アヤメが戸惑いながら頷いた。

「え、えぇ、まぁ……妙な力を使ったかどうかまでは、分からなかったけど」
「マジかよ。無事で良かったな――って、あれ?」

 安堵の息を漏らしながらミナヅキが視線を前に向けると、タツノリが唖然とした表情で震えていることに気づいた。

「……何だよ? どうかしたってのか?」
「奥様」
「へっ?」

 呟かれた一言に、ミナヅキが再度聞き返した。するとタツノリが、拳をギュッと握り締める。

「アヤメが……麗しき女神が、キサマの結婚相手、だと?」

 頼むから間違いであってくれ――そんな願いを込めての問いかけだった。
 しかし――

「そーですよ。私はミナヅキの妻ですから!」

 アヤメはミナヅキに駆け寄り、そのまま彼に抱きつく。そして――

「んっ――」

 彼女は自身の唇を、彼の唇に押し当てるのだった。

「な……ぁっ!?」

 タツノリは口を大きく開け、殆ど声になっていない叫びを発する。
 そして周囲も驚きに満ちていた。男性陣は口をポカンと開けて呆けており、女性陣は揃って顔を赤らめ、熱くなった頬に手を添えている。
 中には『ひゅう♪』と口笛を吹く者もいたが、とにかくアヤメの行動が、工房を一瞬にして別の意味で騒然とさせてしまったことは確かであった。

「……はぁっ」

 そして唇が離れた瞬間、ミナヅキは若干の戸惑いを醸し出しつつ、アヤメに対して文句をぶつける。

「あのなぁ、急にこんなことするなって!」
「別にキスくらいはいいでしょ? いつもはもっと凄いことしてるじゃないの」
「いや、そーゆー問題じゃないから」

 堂々と言い切るアヤメに、ミナヅキはやんわりとツッコミを入れる。流石に二人とも軽く頬を赤らめてこそいるが、互いに目をそらすこともなく、しっかりと視線をぶつけ合っていた。

「てゆーか、何でこんないきなり?」
「夫婦だってことを証明するために決まってるじゃない」
「他にも方法あったろ。二人で指輪見せるとかよ」
「これが一番手っ取り早いと思ったのよ。別に今更恥ずかしがるモノでもないし」
「そりゃそうかもしれんが、もう少し時と場合と場所を考えて……」
「なによぉ! 大体ねぇ――」

 そんな感じで軽く言い合いを始める若夫婦。それを見ていたギャラリーは――

「ほ、本当にあの二人って夫婦なんだな」
「見せてくれるじゃねぇの。やっぱスゲェもんだよ、あの二人は……」
「なんだかんだで、ちゃんとやることはやってたってことね」
「も、もっと凄いことって、一体何を……ぶはあぁっ!」
「ちょ! こんなところで鼻血出すなよ!」
「何を想像したんだか……まだまだお子ちゃまねぇ」
「アヤメさん、カッコいいわぁ! あたしもあんな夫婦になってみたぁい♪」
「いや、アンタじゃ無理よ」

 驚いたり、腕を組みながら頷いたり、大量の鼻血をアーチ状に噴き出したり。ある意味で凄まじい光景がその場に広がっていた。
 そんな中タツノリは、大きなショックで膝からガクッと崩れ落ちる。

「ウ、ウソだ……この俺の麗しき女神が、よりにもよってヤツの……何故だ?」

 ブツブツと小声で呟くタツノリ。あからさまに不気味であり、周囲はこぞって背筋をゾクッと震わせた。
 すると――

「はぁっ!」

 ベティが素早く切り込み、タツノリの首元に手刀を叩きこむ。タツノリは一瞬で意識が刈り取られ、その場にバタッと倒れてしまった。
 またしても発生した突然過ぎる行動に、色々な意味で盛り上がっていた工房内は一気に静寂する。
 ベティは何を思ったのか、姿勢を正しながら周囲に向けて声を上げた。

「安心してください。峰打ちです」
「いや、手刀に峰も何もないと思うんだけど……」

 華麗に立ち上がりながら告げるベティに、アヤメが表情を引きつらせながらツッコミを入れる。
 しかしベティはそれをスルーし、タツノリを抱え上げた。

「それでは工房の皆さま、私はこれで失礼させていただきます。この男をギルドまで運び、然るべき処分を与えねばなりませんので」
「ベティよ。頼んだぞ」
「仰せのままに。それでは!」

 そのまま歩いて去っていくのかと思いきや、シュパッという擬音とともに、ベティはタツノリを抱えたまま、一瞬で姿を消してしまった。
 果たして今、何が起こったのか――それがちゃんと理解できた者は一人だけ。そして辛うじて受け止められる程度の認識が出来たのは、二人だけであった。

「相変わらずメイドの域を超えてるなぁ、ベティさんって」
「あの人、マジで何者なのかしら?」

 ミナヅキとアヤメが心の中で呟く。ベティとは、フィリーネが遊びに来るたびに会ってはいるのだが、未だ自分たちの知らない一面が隠されていることに、改めて気づかされたような気がした。

「何を言っておる? ベティは妾の自慢のメイドじゃ」
『いや、だからメイドの域、超えてるから』

 あっけらかんと答えるフィリーネに、ミナヅキとアヤメは見事なくらいに口を揃えてツッコミを入れた。
 その姿に、所々から小さな笑い声が発せられる。嵐が過ぎ去って何も残っていないような雰囲気が、徐々にいつもの明るさを取り戻していく。
 そんな中、幼なじみ以上恋人未満の二人は――

「ベア姉、今のって一体、何だったんだろう?」
「……さぁ?」

 未だ完全に、置いてけぼりを喰らったままとなっているのだった。


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