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第四章 現れた同郷者
第八十一話 同郷者は工房で鉢合わせする
しおりを挟むギルドを後にしたタツノリは、工房へ向かって走っていた。理由は勿論、ベアトリスに会うためである。
(錬金術師なら、生産工房を拠点としているハズ。ならばそこへ行けば――!)
彼女がいるに違いない――タツノリはそう思っていた。
きっとさぞかし待ち焦がれていることだろう。自分が姿を見せれば、魅了に陥っている彼女は涙を流しながら笑顔となり、自分の胸に飛び込む。そしてそのまま静かに唇を重ね、愛を確かめ合う。
それが、タツノリの中で描かれているバラ色のストーリーであった。
本当はアヤメ相手にもそうしたかったのだが、それを諦めることとなったのは、今でも苦渋の決断だとタツノリは思う。
いつかチャンスがあれば、今度こそ彼女から愛を手に――そんな気持ちが、未だ彼の中にしっかりと残り続けているのだった。
(ベアトリスには魅了が効いた。それはまだ解かれてないハズだから、俺が声をかければ必ず付いてくる。もはやゲットしたも同然……あっ!)
ニヤニヤとしながら考えていたところで、タツノリはようやく思い出した。
(そういえば、クレールたちにかけた魅了がそろそろ解ける頃だな。アレって何気に時間制限があるから面倒だぜ。まぁでも、一度かけたら永続ってのも、それはそれで面白くはねぇか。幾多の困難を乗り越えてこそ、手に入れた時の嬉しさを噛み締められるってもんだからな)
そんな考えがタツノリの中にはあった。魅了を使っている時点で、幾多の困難をかなりすっ飛ばしていることを、彼は全くと言っていいほど考えていない。
(ベアトリスを手に入れてギルドへ戻ったら、クレールたちにもしっかりと魅了をかけ直してやらねぇとな。フッ、全くモテる男は辛いぜ)
タツノリは完全に酔いしれていた。この自信満々さも、勝利を確信しているからこそではある。
もう既に色々と破綻していることなど知らずに。
(さぁ、工房に着いたぞ! ベアトリス、今迎えに行くからな!)
タツノリは大きな扉を開ける。そこでは生産職の人々が忙しなく動いていた。
中でも中央部分が、ひときわ目立っていた。鍛冶師や大工などが集まり、図面を広げながらあーだこーだと話している。
しかしタツノリからしてみれば、実にどうでもいいことであった。
早速目的の人物を探そうと見渡してみるが、それらしき人物は見当たらない。工房内を少し歩いてみたが、やはりどこにもいなかった。
(おかしいな……彼女はここにいないのか?)
立ち止まりながら首を傾げるタツノリ。その悩ましげな表情に、ガルトが気づいて歩いてきた。
「おぅ、どうした兄ちゃん? 誰か探してんのか?」
片手を挙げ、フランクな態度で話しかけるガルト。ちなみに本人は、目の前にいる人物がタツノリであることをまだ知らない。残念ながら存在は知っていても顔までは把握していないのだった。
「あぁいや。ベアトリスっていう錬金術師がいると思って、来てみたんだが……」
「ベアトリス? アイツなら今、出かけてるぞ。野暮用とか言ってたな」
「野暮用……か」
ガルトの答えを聞いたタツノリは、顎に手を添えながら考える。
(どうやら行き違いになったみてぇだな。さしずめ、俺のパーティに入るための準備に出かけてるってところだろう)
タツノリはそう考えながら、フッと口元を笑わせる。それに首を傾げつつ、ガルトは声をかけた。
「まぁ、そのうち帰ってくるだろうから、のんびり待ってみるといいぜ」
「分かった。教えてくれて感謝する」
「なぁに、いいってことよ」
そう言ってガルトは手を振りながら去っていった。残されたタツノリは、再び考えを巡らせてみる。
(いや、もしかしたら彼女は、俺に会うためにギルドへ向かっているのかも?)
だとしたら、こんなところで油を売っている場合ではない。一刻も早く彼女を迎えにいかなければ――そう思ったタツノリは、急いで工房を後にしようと、出口に向かって歩き出そうとした。
その時――工房の扉が開かれた。
(フン、なかなか出入りの多い工房だ……な! あ、あれはっ!?)
扉から二人の男女が入ってきた瞬間、タツノリの表情が驚愕に染まった。
(ベ、ベアトリス? な、何で男と手を繋いでいるんだ!?)
タツノリが心の中で問いかけたように、ベアトリスは隣を歩く男性としっかり手を繋いでいる。そして二人の距離はとても近かった。
もはや誰が見ても、そういう仲なのだろうとしか思えないほどに。
「よぉ、お前たち帰ってきたか――おぉっ!」
ガルトが気づいて出迎える。そして二人の様子を見て、興味深そうに笑みを浮かべながら声を上げた。
「何だオメェら。しっかり手なんか繋いじまってよ。あれか? お前ら、そーゆー関係になったってことで良いのか? ん?」
「なっ、いや、その、ア、アタシとランディとはそんな……」
あからさまにからかうような口調で問い詰めるガルトに、ベアトリスが顔を真っ赤にして慌てだす。
それを見かねた手を繋いでいる相手――ランディが、苦笑しながら言った。
「ホントにそうだったら良かったんですが、まだそこまでじゃないんです」
「……あん? そこまでじゃないって、どーゆーことだよ?」
ランディの言っていることが、ガルトには全く分からなかった。どう見ても恋人関係のそれにしか見えなかったからだ。
そんなガルトのポカンとした表情を見て、ランディも気持ちは分かりますと言いたげに頷きを返す。
「一応、お互いの気持ちは伝えあったんです。でもまずは、その一歩手前から始めようということになりまして」
「……いや、わざわざ一歩手前から始める意味あんのか?」
ガルトの疑問に、聞き耳を立てていた他の生産職の人々も、確かにそのとおりだと言いたそうにうんうんと頷いていた。そこに黙って聞いていたベアトリスが、顔を真っ赤にしたまま叫び出す。
「だ、だって! いきなりお付き合いするなんて、恥ずかし過ぎるもんっ!」
「とまぁ、こんな感じでして」
「そりゃまた、難儀なこったなぁ」
ベアトリスの叫びにランディの様子からして、ガルトは二人に何があったのかをなんとなくながら悟った。
「わざわざセッティングまでしてもらって、その結果かよ」
「そうなんですよね……気にするなとは言ってくれましたが、流石にちょっと申し訳なかったかなと」
「ほーぉ。で? その張本人の姿が見えねぇようだが?」
「帰ってくる途中で、行きつけの素材屋さんと会ってしまいまして」
「あぁ、話が長くなるかなんかしそうだったから、二人で先に帰ってきたと」
「そんな感じです」
「なるほどな。それにしても……」
ガルトが呆れた視線をベアトリスに向ける。
「嬢ちゃんも肝心なところでヘタレちまうんだな」
「う、うっさいっ!」
ベアトリスは再び顔を真っ赤にして反論し、ガルトはそれに笑い声をあげる。周囲の野次馬たちからも次々と笑顔が浮かんでくる中――
(バカな……ベアトリスは、俺の魅了にかかってるんじゃなかったのか?)
タツノリだけが、呆然とした表情で、その光景を見つけていた。
◇ ◇ ◇
工房の中は徐々にお祝いムードになりつつあった。
まだ付き合っていない、とベアトリスはしきりに否定していたが、もうそうなってるも同然だろと、周囲はこぞってヒューヒューと笑顔で捲し立てている。
口調こそ、からかいが多分に含まれているが、ちゃんとランディに対し、よく頑張ったなという言葉も送られている。二人の中が進展したことを、周囲が歓迎していることは確かなのだ。
もっともその状況に対し、全くもって歓迎できていない人物もいたが。
(これは一体どういうことなんだ……いやいや、まずは餅つくんだ、俺!)
正確には『落ち着く』である。決して誤字などではない。
それだけタツノリが冷静さを欠いているということであった。周囲の騒ぎ声が大きくなるほど、彼の心はかき乱される。
(確かに魅了は効いていた。でもアレは間違いなく……どうなってるんだ? まるでワケが分からんぞ!?)
タツノリは無意識に歩き出していた。照れながらもしっかりとランディの手を握って離さないベアトリスに向けて、フラフラと近づこうとしていた。
その時――
「なんかベアトリス、変な魔法みたいなのをかけられてたんだって?」
「あぁ、ミナヅキの調合薬のおかげで、もうすっかり解除されたらしいぞ」
とある生産職たちの会話が聞こえてきた。それを聞いたタツノリは、ピタッと足を止めて表情を強張らせる。
(ミナヅキ……だと?)
その名前には聞き覚えがあり、ある予測が彼の頭の中を過ぎる。しかしそれはすぐに違うと思い、頭を左右に振りながら笑みを浮かべた。
(フッ、まさかな。たまたま名前が同じだけだろう。そんなことよりも、魅了が解除されているとはどういうことだ!?)
時間制限があるとはいえ、魅了の効果は絶対的である――それがタツノリの中で固めていた常識だった。それがここに来て、ピシッとヒビが入ってしまった。
頭が上手く回らなくなっていく。理解できないというよりしたくない。
これはもはや恐怖であった。絶対的だと思っていた存在が、ここに来て崩れ落ちるという可能性。それが途轍もなく怖くて仕方がない。
「あれ? あの人……」
「え?」
ランディとベアトリスが、タツノリの存在に気づき、視線を向けてくる。それに気づいたタツノリは、瞬時に姿勢を正し、笑顔を取り繕った。
その動きはとても俊敏であり、なおかつ殆ど無意識に行われた。ベアトリスの前でみっともない姿は見せられないという気持ちが、考えるよりも先に行動を起こしたのだった。
もっともこれには、周囲の大勢の人々が自分に注目し始めることを察知した意味も含まれている。
常に完璧な自分の姿を披露したい――そんな想いも強く働いているのだ。
本人はそれを、全くと言っていいほど自覚していないが。
「やぁ、ベアトリス。探したよ」
改めて爽やかな笑顔を披露しつつ、タツノリはベアトリスに近づく。
「俺のパーティに入ってくれると言ってくれたよね? だから迎えに――」
「申し訳ないけれど!」
ベアトリスがタツノリの言葉を遮るように、大き目の声を出した。
「その話はなかったことにしてくれない? アンタのパーティに入る気はこれっぽっちもないから!」
ランディの腕に抱きつき、タツノリをキッと睨みながらベアトリスは言う。完全に敵意丸出しな彼女の表情を見て、本当に魅了が解かれているのだと、タツノリはいい加減に悟るのだった。
(まぁ、いい。だったらもう一度かけるまでだ!)
タツノリはニヤリと笑みを浮かべ、そして改めてベアトリスの目を見る。
「ベアトリス。そんな強がりを言わなくてもいいんだよ――ねっ?」
この瞬間、再びタツノリは勝利を確信していた。これで再び彼女は、ウットリと頬を染めながら自分に近づいてくる――そう心から思っていた。
しかし――
「……いや。ねっ、って言われても困るんだけど」
ベアトリスは引きつった表情で、ランディの腕を組みながら距離を取った。誰が見ても、嫌悪感を丸出しにしているような彼女の態度に、タツノリはみるみる表情を驚愕に染まらせていく。
「バ、バカな……どうして魅了が効かない? さっきは効いたというのに……」
「ほぉ、その魅了ってのが、兄ちゃんの特殊な力だってことか」
ガルトが近づきながらニヤッと笑う。思わず声に出していたため、タツノリの行動は周囲に筒抜けとなっていた。
もはやその場にいる生産職の人々は、タツノリを不審な目でしか見ていない。ガルトも笑ってこそいるが、その目は全くと言っていいほど笑っていない。
「まさか兄ちゃんが、例のタツノリだったとはなぁ。ベアトリス、どうやらお前さんは今、ソイツに悪い魔法をかけられそうになっていたみたいだぜ?」
「えっ? そ、そうなの?」
ガルトにそう言われたベアトリスは、戸惑いながらタツノリを見る。自然とランディの腕にしがみつき、ランディも彼女を守ろうと抱き寄せた。
もはや完全に恋人同士の姿そのものであった。知らない人から見れば、二人が付き合っていないとはとても思わないだろう。
「ランディ、大丈夫か?」
そこに外から駆けつけた人物が歩いてくる。ランディは嬉しそうな表情で振り向きながら頷いた。
「ミナヅキさん! はい、おかげさまでなんとか」
「そりゃ良かった」
駆けつけた人物――ミナヅキがニッコリと笑う。その時――
「なぁ……っ!」
タツノリが言葉を失うほど驚愕した。その視線は、ミナヅキを捉えていた。
(バ、バカな! どうしてヤツがこんなところに……)
絶対に会うハズのない顔だった。国以前に、住む世界そのものが違うのだから。しかし現に目の前にいる。それは紛れもない現実であった。
「な、何故だ――何故キサマがここにいるっ!!」
タツノリはビシッと指を突き立てて、ミナヅキに怒鳴りつける。
その行動に工房中が唖然とした。まさかランディではなく、駆けつけたミナヅキに矛先が向けられるとは。
そして一方のミナヅキだが――
「えっと……すみません、どちらさんで?」
思わずそう尋ねてしまった。その悩ましげな表情が、本気で尋ねていることを如実に表している。
対するタツノリは、ますます怒りで顔を真っ赤に染め上げていた。
「キサマ、俺のことを覚えてないのか!? 同じ高校の先輩であるこの俺を!」
「……同じ高校? 先輩?」
ミナヅキは戸惑いながらも、記憶という名の倉庫を漁り出す。
(何かの間違い――って感じでもなさそうだよな。同じ高校って言うからには、この人は俺と同じ地球から来た人ってことか?)
それ自体は別に驚く程でもない。何らかのキッカケで次元を超えて、この世界に来る人はそれなりにいる。きっと彼もそうなのだろうとミナヅキは思った。
問題は同じ高校の先輩というキーワードである。記憶の中で検索してみたが、なかなかお目当ての結果が出てこない。
(誰だったっけかなぁ? そもそも部活にも委員会にも所属していなかった俺が、先輩と接する機会なんてあるワケ……あっ!)
考えるのをやめかけたその瞬間、とある光景が頭の中に浮かび上がった。
その光景はどんどん鮮明と化していき、やがてハッキリとした記憶となって、目の前にいる人物と照合される。
『キサマぁ……何を勝手なことをしてくれやがったんだ!』
地の底から出てきたかのような低い声で、そう呟きながら睨まれた。その時に向けられていた怒りの形相と、目の前にいる人物の表情が重なる。
「そうだ思い出した! あの時の実行委員長か」
そしてミナヅキは隣を振り向く。そこには呆然とした表情を浮かべている、ランディとベアトリスがいた。
(驚いたな。あの時の先輩も、こっちの世界に来てたのか……いや、そんなことよりもこの状況って……)
ベアトリスとランディ、そしてタツノリ。この三人の関係性を改めて脳内で整理していくと、ミナヅキは一つの大きな結論に達した。
(なんてこった。これじゃまるで、二年前のあの時と一緒じゃないか!)
それは、ミナヅキがまだ地球にいた時のこと。高校の文化祭前に起きた、実行委員会での一つの恋愛模様。
その時の記憶が、ミナヅキの中で鮮明に映し出されてきた。
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