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第四章 現れた同郷者
第七十話 非現実なことが現実となった
しおりを挟むずっと、好きだった子がいた。
高校に入学して同じクラスになった子だった。最初の自己紹介で、その子が見せた明るい笑顔に魅入られた。
彼女に対する思いは募る一方であった。その子の隣に立つ人間になるべく、必死に頑張ってきた。
彼女との運命は赤い糸で繋がっている――そう心から信じて。
最大のチャンスが来た。ここで一気に畳みかけ、彼女の心を掴み取ってやる。そう意気込んでいた。
しかし――取りこぼしてしまった。
予想もしていなかった割り込みによって、全てが水の泡となって消えた。
最初から意味なんてなかった。彼女の笑顔も優しかった言葉も全て、自分の中で膨らませ続けていた幻想でしかなかった。
繋がっていると思っていた運命の赤い糸は、最初から彼女に似せたハリボテに繋がっており、そこでプツンとあっけなく切れてしまった。
そして我に返った。
――俺は何で、こんなところに立ってるんだろう?
どれだけ辺りを見渡しても、知っている景色がなかった。進もうとしていた先の道は途切れ、来た道を戻ろうと振り返っても、そこは知らない道だった。
何も考えられなくなった。
進路、受験、将来――そんな言葉が幾度となく聞こえてきた気がしたが、空虚となってしまった心に届くことはなかった。
気がついたら冬が終わっており、サヨナラという言葉を皆で学校に送っていた。
――俺だけ、どこにも行く道がない。
そう思った瞬間、歩くことを止めてしまった。
これまで築き上げてきた信頼は、跡形もなく吹き飛んでしまっていた。
当然と言えば当然だ。一番大事な時に大事な結果を残すどころか、そもそもやろうとすらしていなかったのだから。
自業自得――それ以外に、この結果を表せる言葉はない。
しかしながら、それを認めることができなかった。
――全てはヤツのせいだ。ヤツが余計なことをしたから、こんな不幸な目に。
苛立ちに任せて騒いだ。大声で喚きまくった。
そうすれば当然、注意はされる。考えなくても分かることだ。様々な思いがグルグルと渦巻いて、自分を見失ってさえいなければ。
――うるせぇんだよ、ちくしょぉっ!!
そう叫びながら家を飛び出した。まるで小さな子供がやるような家出だ。傍から見れば、実にみっともないことこの上ない。
もっとも、そんな考えができていれば、こんな行動は起こさなかっただろう。
だから走り続けた。無我夢中で、ただひたすらに。
気がついたら、誰もいない雑木林の中に、ポツンと一人で立っていた。
町の記憶を掘り起こしてみる。近所の自然公園の近くに、そのような場所があったことを思い出した。
ザァザァ――と、風に揺られる葉の音だけが聞こえる。なぜかいつも以上に、その音はうるさく聞こえてならなかった。
自然と視線が前から地面へ下がる。掃除もされていない落ち葉や枯れ枝だらけの土に、ポツポツと液体が落ちていくのが見えた。
それは涙だった。声にも出さず、ただひたすら地面にポツポツと落としていた。
惨めさか、愚かさか。それとも情けなさを感じてそうしているのか。どうしてこんなにも目から溢れ出てくるのかは、考えても分からない。そもそも考える気力すら湧き上がってこなかった。
視界が歪んできた。きっと涙が目に溜まっているからだろう。とても薄暗いハズなのに、何故か自分の周囲だけ明るいようにも感じられる。このまま遠いどこかへ飛ばしてくれたら、どんなに幸せなことだろうか。
ラノベじゃあるまいし、どうかしてるぜ――そう思い、ひたすら自虐的に笑っていたせいか、すぐには気づけなかった。
自分が本当に光に包まれ、本当に全く違う場所へ飛ばされてしまったことに。
非現実的なことが現実となって、己の身に降りかかったことに――
◇ ◇ ◇
メドヴィー王国での大騒ぎから数ヶ月。ミナヅキとアヤメは、この世界に移住してから、初めての冬を迎えていた。
とはいえ、別に何か大きな変化があるワケでもない。
早々とクエストを終えたアヤメが、ミナヅキのいる生産工房に顔を出す――そんないつもの光景が、今日も調合場で広がっていた。
「相変わらず見事な手さばきねぇ」
頬杖をつきながら、アヤメはミナヅキの調合作業に対する感想を呟く。
「これでも数はこなしているほうだからな……っと。よし! これで完成だ」
ミナヅキは仕上げたポーションの瓶にキャップを嵌め、一ダース分のケースに最後の一つとして入れる。
そこに工房の扉が開き、一人の女性がミナヅキのところに歩いてきた。
「ミナヅキさん。お疲れさまです。頼んでいたモノはできているでしょうか?」
「おぉ、ちょうど良かった。今しがた出来たところですよ」
ミナヅキは仕上げたポーション一ダース分を差し出す。それを見た女性は、嬉しそうな笑顔を浮かべてきた。
「ありがとうございます。あっちで一緒に確認していただけますか?」
「いいですよ」
ミナヅキはあっさりと頷き、ポーションを持って工房入り口の多目的スペースに向かって歩いていく。
その際に、女性も彼の後について歩き出すのだが――
「フッ」
一瞬ながら、確かにアヤメのほうを向いて小さく笑った。そしてクルッとミナヅキのほうを向いてスキップして去っていく。
残されたアヤメは、そのあからさまな態度に、思わず呆然としていた。
そこに――
「あーあ、また随分と分かりやすい態度を見せてきたもんだねぇ」
リゼッタがため息をつきながら、アヤメの元に歩いてきた。
「今の子、ポーション専門店の看板娘さんよ。美人でスタイル抜群で、狙った男を逃がさない肉食系女子……どうやらミナヅキをターゲットにしたみたいだね」
「うん、それは私も思ったけど――」
グイグイと看板娘に迫られるも、それに全く反応せずに涼しい顔をしているミナヅキを見て、アヤメは小さなため息をついた。
「大丈夫じゃないかな? ミナヅキは絶食系だし」
「あー、確かに」
苦笑しながら頷くリゼッタにつられて、アヤメも笑みを零す。
(まぁ私も、アイツと結婚して初めて知ったことだけどね)
絶食系男子――簡単に言えば草食系以上に、女性に手を出さない男のことだ。
恋愛感情がないワケではないのだが、恋愛をする暇があるのならば、自分の好きなことをずっとしていたい。更に言えば女性からのサインなども気づかず、女性に対する下心も皆無に等しいとも言われている。
まさにミナヅキにピッタリ当てはまる特徴だと、アヤメは常々思っていた。
「考えてみたらそうよね。ベアトリスがイメチェンした時も、特にこれと言った反応も示さなかったし」
「うん。今となっては少し悔しい気分でもあるよ」
「でしょうね――って、え?」
リゼッタが驚きながら振り向くと、ムスッとした顔のベアトリスが、いつの間にか後ろに立っていた。
「うわっ、ビックリした! いつの間に帰ってきたの!?」
「たった今だよ。まぁ、それはともかくとして……あっち見てみ」
ベアトリスが二人に促したその先には、ミナヅキに完全スルーされて、あからさまに落ち込んでいる肉食系看板娘の姿があった。
仕事に成功して満足そうな笑顔を浮かべている彼に対し、思いっきり肩を落としてポーションを運んでいく彼女の姿。あそこまで哀愁漂える姿を見せられるというのも凄い――そんな感想が、アヤメたちの頭の中を過ぎった。
「絶食系は浮気の心配ナシって聞いてはいたけど、あれがまさにいい例よね」
ベアトリスが軽くため息をつきながら言う。
「アタシも似たようなもんだけど、こんな姿になってからは、肉食系の仲間入りみたいなウワサもたてられちゃったりしてさ。割とうんざりしてるんだよ」
「いや……けしかけた私が言うのもなんだけど、アンタも大概よね」
リゼッタがどこか呆れたような表情でベアトリスを見る。
「あんなつまらない約束しちゃってさ。別にポイ捨てしても良いってのに」
――こうなったら、彼氏ができるまでイメチェン続けてやるわよ!
ある女子会の席において、ベアトリスは堂々とそう宣言してしまったのだ。その場にはリゼッタもアヤメも参加しており、驚き半分呆れ半分といった気持ちを抱いていたのは、色々な意味で思い出深いことであった。
「そりゃ戻したら戻したで驚くだろうけど、ちょっとしたら、すぐまた前の状態になるだけだと思うんだけどねぇ」
「仮にそうなったとしても、アタシのプライドが許さないっての」
「あぁ、はいはい、分かりましたって」
これ以上言っても聞かないと悟ったリゼッタは、投げやりに返事をする。しかしベアトリスも思うところがあるのか、少し息を整えながら言った。
「まぁでも、リゼッタの言いたいことも確かだわね。実際アタシの今なんて、イメチェンありきでしかないんだから。また元に戻したら最後、ドン引きされて周りからスーッと人が遠ざかる姿が、目に浮かんでくるよ」
自虐的な笑みを浮かべるベアトリス。リゼッタもアヤメも、何をどう言い返せばいいのか分からなかった。
つまりそれぐらい、彼女の言葉は的を射ていたのだ。
それはベアトリスも感じたらしく、両方の手のひらを上にして、やれやれのポーズを作りながら言った。
「全く、どうして男はそこまで夢を見たいんだろうかねぇ? アタシの姿なんて、所詮は幻想に過ぎないって、分かってるだろうにさ」
「そりゃあ、アレだろ。男ってのは、バカな生き物だからじゃないか?」
いつの間にか戻って来ていたミナヅキが、サラリとそう告げる。
「いや、男のアンタがそれ言うかね?」
ミナヅキの言葉に、ベアトリスは呆れたような声でツッコミを入れる。ここでリゼッタは、さっきのことについて聞いてみることにした。
「ところでミナヅキ。さっきの子から、かなりグイグイ迫られてたでしょ?」
「……そーいや、なんか距離がすっごい近かったな」
「いや、彼女が近づけてたんだって」
やっぱりまるで意識していなかったかと、リゼッタは呆れたように笑う。
「それだけミナヅキがモテるってことになるわよね。あの子も可愛かったし、多少の目移りはするかと思ったわ」
あっけらかんと尋ねてくるアヤメに対し、ミナヅキはやや引きつった表情を浮かべて振り向いた。
「……お前がそれ言うか? つーか目移りしてほしかったのかね?」
「ほしくはないけど、全くしないのもそれはそれでどうかなと思ってさ」
「あのなぁ、俺に一体どうしろってんだよ」
ミナヅキがため息交じりに言うと、アヤメは何かが面白かったのか、クスッと笑みを浮かべた。
そしてそれを見たミナヅキも苦笑を浮かべる。まるでそれは、しょうがないなぁと言っているかのように、ベアトリスとリゼッタは思った。
これはこれで、ミナヅキたち夫婦のいつもの光景だ。しかしそれが今では、どうにも羨ましく思えてならないのも確かであった。
「いいよねぇ、仲良し夫婦ってさ」
どこか拗ねたような口調のリゼッタに、ベアトリスは大きく頷いた。
「うん、ホントホント。しかも昔からの幼なじみだなんて――」
しかしそこで、ベアトリスの動きがピタッと止まる。そして改めてミナヅキたちの仲睦まじい様子を見ながら思った。
(幼なじみか。そういえばアタシにも、ずっと前に一人だけいたっけ)
脳裏に浮かび上がるのは、小さかった頃の自分。思い返せば、恥ずかしくなるほどのお転婆娘だった。そしてそんな幼い少女の目の前には、一人の小さな男の子の姿があった。
年下で弟のように可愛がっていた。毎日のように手を引いて、王都のあちこちを連れて歩いていたのだ。
もはやそれは、引きずり回していたといっても過言ではないくらいに。
(アイツが引っ越しちゃって、それっきりか……今頃どうしてるんだろ?)
もう十年以上前の話だ。別れて以来、連絡の一つすら取り合っていない。本当に何も知らないのだ。
あっという間ながらも長い年月は、人や環境を変えるには十分だ。
仮に元気だったとしても、幼い頃の彼とは別人のように変わっている可能性も、それこそ十分にあり得る話だろう。
しかし、たとえそうだったとしても――
(会えるなら……ちょっとだけでも会ってみたいかな?)
ベアトリスはそう考えていた。思わず笑みを浮かべながら思いを馳せる姿を、隣にいるリゼッタに不思議そうな表情で見られていることに気づくのは、果たしていつのことだろうか。
そして、彼女は知る由もなかった。
近いうちにその願いは叶い、なおかつ二人の関係が、予想もしていなかったレベルで大きく変わることを。
◇ ◇ ◇
非現実的なことが現実となった――彼がそれを理解するのに、随分とたくさんの時間を要した。
誰しもが一度は夢見たことがあるであろう世界。
剣と魔法のファンタジー世界に飛び込み、そこで自分は勇者となる。
そんな夢という名の妄想を抱いていた自分は、思い返せば思い返すほど、悶えたくなるほど恥ずかしい。
黒歴史――まさにピッタリな言葉だ。
そんな恥ずかしい妄想が現実となれば、きっと自分は夢を見ているに違いないと思うのも、あながち無理はない。
しかしながら彼の場合は、そのままでいたほうが良かったのかもしれない。
周りにとっても、そして――自分にとっても。
抱いていた妄想が現実と化した。それを喜ぶのは至って自然なことだ。故にそこで調子に乗ってしまうのも、残念ながら自然なことと言えるだろう。
「早いもんだな。あれからもう一年半は過ぎたか」
雪がちらつく窓の外を見下ろしながら、青年はニヤリと笑った。
(マジで礼を言うぜ神様。俺を異世界に召喚してくれてよ。そして――)
その瞬間、扉が優しくノックされた。青年は視線だけ動かし声を上げる。
「何だ?」
「失礼いたします、タツノリ様。朝食の用意が出来たとのことです」
聞こえてきたのは女性の声だった。タツノリと呼ばれた青年は、フッと小さな笑みを浮かべる。
「そうか。遠慮しないで入って来ても良いんだぞ?」
「本当ですか? それでは失礼いたします」
ガチャッと扉が開けられ、タツノリよりも少し年上に見える、抜群のスタイルと色気に満ちた女性が部屋に入ってきた。
そのまま真正面から抱き着き、首に手を回す。タツノリもそれを受け止めつつ、苦笑を浮かべた。
「朝からいきなりだな、マジョレーヌ」
「フフッ♪ タツノリ様への気持ちを全力で表現しているだけですわ」
マジョレーヌと呼ばれた女性は、タツノリの胸元に顔を埋めながら言う。そして顔を上げ、自身の唇をタツノリの唇にくっつけるのだった。
たっぷり数秒かけて感触を味わったマジョレーヌは、ゆっくりと唇を離した。
「んもぅ! タツノリ様ってば、少しはドキドキしてくださいませ!」
今度は頬を膨らませ、不満そうな表情をする。そんな彼女に対し、タツノリは小さく笑いながら優しく頭を撫でた。
「はは、そう怒るなって。お前みたいな美人にいちいちドキドキしてたら、こっちの身が持たねぇよ」
「また口が上手いんですから……そんなんじゃ誤魔化されませんわよ?」
「分かってるよ――なっ?」
最後の一言と同時に、タツノリは目に力を込める。その瞬間、マジョレーヌの目はトロンとなり、頬を赤く染めだした。
「タツノリ様ったら卑怯ですわ。そんなお顔で見つめられたら、ワタシ……」
マジョレーヌは吸い寄せられるように顔を近づける。タツノリは彼女と再び唇を重ね、そして強く抱きしめた。
彼女の温もりをたっぷりと味わいながら、タツノリは――
(そして――俺にこんな『能力』を与えてくれたこともな。まさに今の俺は、リアルなラノベ主人公ってヤツだぜ。ハハッ♪)
欲望にまみれた笑みを、ニンマリと浮かべるのだった。
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