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第三章 追放令嬢リュドミラ
第六十七話 レギーナの反乱
しおりを挟む「どうして……どうしてよ? どうして私が叱られなきゃいけないの!?」
カーテンの閉め切られた部屋の片隅で、レギーナは泣いていた。今までずっと優しい笑顔を向けていた父親が、鬼のような表情で怒鳴り散らしてきたのだ。
無理もない話である。数ヶ月前の婚約破棄の真相が明かされたのだ。それもロディオン直筆の書状によって。
リュドミラには何の罪もなかった。虐めは全てでっちあげ。その他にも数々の身勝手極まりない行動が、その書状には記されていた。
これが普通の手紙であれば、誰も信用することはなかっただろう。
しかしロディオン直筆の書状には、しっかりと王家の紋章の封蝋があった。つまりそれは正式なモノであることを意味しており、ウソが書かれているということはまずあり得ない。
書状を読んだイリヤは、あまりの内容に眩暈を起こして倒れてしまった。
そしてルスタンはレギーナに謹慎を命じ、各所へ走り回っていた。
まだ火が燃え上がっていない。今のうちに策を施せば、レギーナの失態というだけに留められる。そう目論んでの行動であった。
――もっともその行動は、王宮に出没した魔物騒ぎにより、殆ど意味を成さなくなってしまったのだが。
「私は選ばれたヒロインなのに! 折角大好きだったゲームによく似た世界に転生できたのにっ!!」
レギーナは元々、ミナヅキやアヤメと同じ地球人だった。
乙女ゲームをこよなく愛する女子高生だったが、不慮の事故により他界。その記憶を取り戻したときには、既にアレクサンドロフ家のレギーナとして、暮らしていたのだった。
――これって、ずっと好きだったゲームの世界!?
ロディオンを含め、出てくる学院の生徒や貴族の跡取り息子など、その多くの男子たちが、ゲームに出てきた攻略キャラクターに酷似していた。
異世界転生はラノベなどで知っていたため、受け入れるのも楽だった。
レギーナは神様に感謝した。ずっと地味で暗くて周りに人もいない人生が、バラ色に満ち溢れた人生に切り替われたのだと。
――ここがゲームの世界なら、幸せはもう掴み取れたも同然よね!
既に人生に対して勝利を得た気分となっていた。
あくまで似ているだけで、同じではない――それを深く考えようともせずに。
「そうよ……これも全てはあの、リュドミラのせいだわ!」
レギーナは怒りの矛先を、姉だった人物に向けた。
「大体あの女の存在からしてワケ分かんないわよ! あんな女、ゲームのどこにも出てこなかったじゃない! おかげで私の人生設計が狂いっぱなしだわ!」
それは当然である。何故ならこの世界は、紛れもない現実そのもの。プログラムどおりにシナリオが進むゲームとは、何もかもが違うのだ。
ついでに言えば、どう動こうがゴールは決まっている、なんてこともない。違う道を歩けば違うゴール――ゲームで言うところのエンディングは、無限大の可能性が広がっている。
現実であればそれが当たり前だ。しかしレギーナの場合は、この世界を現実という名のゲームとして認識してしまっている。
シナリオどおりにいくことこそが、この世界の現実であると。
それが途方もない夢物語に過ぎないことを、転生した彼女は気づかない。ある意味彼女はまだ、都合の良い夢を見続けているだけなのかもしれない。
「やっとの思いで追い出せたというのに、何でまた戻ってくるのよ? バグなら早く潰してくれなきゃ困るってのよね!」
だからそもそもゲームではない。だからバグも何もない――仮に誰かがそう告げたところで、彼女がそれを信じるとも思えないが。
「……こうなったら仕方ないわ」
レギーナは深いため息をつきながら、ユラリと揺れるように立ち上がる。
「待ってても潰れないバグは、自分で潰したほうが早いわよね。フフッ、どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのかしら♪」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、レギーナは自室の窓にかけられている長いカーテンを手に取り、それを勢いよくむしり取った。
バリバリ、ガチャガチャ――引き裂かれる布や金具の壊れる音が響き渡る。
それでもレギーナは、笑顔を浮かべたままひたすら手を動かした。
傍から見れば不気味そのもの。メイドや執事がその光景を見ていれば、即座に止めに入ったことだろう。
あいにく今は、彼女の部屋の前にすらも、誰も待機していない。
王宮の魔物騒ぎによって、目論んでいた火消しができずに混乱しているルスタンのフォローと、未だベッドの中で熱にうなされているイリヤの介抱に、メイドや執事が総動員してしまっているためである。
だからこそ、レギーナの行動に気づく者は誰もいない。
大きな窓を開け、カーテンを繋ぎ合わせてロープ代わりにして、堂々と窓から脱出する姿も、誰一人として目撃していない。
「こうもアッサリ逃げられるなんて、流石はヒロインに選ばれた私よね♪」
レギーナはスキップするような足取りで、屋敷から逃げ出した。そして愛する人に助けを求めようと考えるが――
「……なんであんなに王宮が燃えているのかしら? ロディオンが心配だわ」
レギーナは迷うことなく、王宮へ向かって駆け出すのだった。
愛する人を心配する私は健気なヒロイン――そんなお花畑な考えとともに。
◇ ◇ ◇
「こっちはまだ燃えてるぞー!」
「向こうのほうは、殆ど消えました!」
「あと少しで終わりだぞ! 気合い入れて水を運べーっ!」
『おぉっ!!』
水の入ったバケツが行き交い、水魔法の使える魔導師たちも総動員されている。激しく燃えていた王宮も、ようやく消火活動が終わりを迎えつつあった。
騎士や兵士たちが駆けずり回っている中、ミナヅキたちは王の間にいた。
魔物騒動の決着。そして魔物の正体と今後について、国王に報告と相談を行うためである。
「なんと! その魔物を鎮めたのは魔法ではなく、調合薬だというのか?」
「しかもあのはみ出し者が協力したとは……驚かされましたな」
ミナヅキたちのことも含め、粗方の報告を聞いた国王と大臣は、揃って目を丸くしていた。
魔物の正体が、凶悪とはかけ離れた小動物的存在でしかなかったこと。それだけでも十分過ぎる位の驚きではあるが、国王たち二人からすれば、魔法とは無関係の分野に救われたことを、物凄く注目していた。
「飲んだ者の魔力を浄化させる――まさかそんな効果の調合薬があるとはな」
今回の危機を救った調合薬の内容を確認する意味も込め、国王はその効果を改めて口に出す。
それに対してミナヅキは、苦笑しながら小さく頷きを返した。
「ありふれた効果ではありませんし、使いどころは限られてしまいます。ですが必ず役立つ場面はある――そうグリゴリーさんは言ってました」
「確かに。今回がまさにその一例ということか」
国王は噛み締めるように言う。まさか、ずっとないがしろにしてきた存在に救われてしまうとは、と。
「調合自体は難しくありません。それなりに経験を積んだ調合師であれば、基本的には作れると思います。とはいっても、この国で当てはまるのは、丘の上で暮らしているグリゴリーさんぐらいでしょうけれど」
「うーむ……耳が痛い話だな」
ミナヅキの皮肉めいた言葉に、国王は顔をしかめる。流石に否定はできない。何もできないまま救われたことに加えて、その原因を作ったのは、そもそも自分たちの一族なのだから。
大臣もそれを感じているらしく、苦々しい表情をしてこそいるが、ミナヅキに対して口の利き方がどうのこうのなどを言うこともなかった。
「それで、こちらの魔物についてですが……どうか国王、寛大なお心を!」
騎士団長が深々と頭を下げる。もうこの魔物に危険性はない――それを詳しく説明した上で、殺処分だけは見逃して欲しいということを願い出たのだ。
最初にそれを話した時は、国王は首を縦に振らなかった。むしろ即刻処分してしまうべきだと、声を荒げたほどである。
それを後ろで聞いていたミナヅキは、まぁそりゃそう言うだろうなと思いつつ静観していた。
その隣から放たれる、凄まじい苛立ち約二名分を感じ取りながら。
「うむ……確かにその魔物に危険はないことは、十分よく分かったが……」
改めて話しても、やはり国王は良い表情をしていない。
しかし――
「国王。ここは魔物を助けるお心も、必要であるかと存じますぞ」
大臣がそう進言してきた。まさかここで大臣が味方に付くとは思わず、ミナヅキたちは揃って、驚きの表情を浮かべていた。
そしてそれを聞いた国王も、また――
「な、大臣! お前まで何を言い出すのだっ!?」
思わず立ち上がらんばかりの勢いで、声を荒げるのだった。しかし大臣は、冷静な表情を崩さぬまま、口を開く。
「下手に隠したところで、いつかは明るみに出てしまいます。それは今回の件で、よくお分かりになられたでしょう? それよりも今は、正直に全てを明かし、襟を正す姿勢を、国王自らが国民に見せるべきです」
「大臣のおっしゃるとおりです。まだ火は完全に消えておりませんから」
騎士団長も大臣の言葉に続けた。ただでさえ国全体が動揺している今、事を余計に荒立てるのは得策ではない――要はそう言っているのだ。
「し、しかしなぁ……」
「更にですよ?」
まだごねようとする国王に、大臣は更に畳みかける。
「謝罪すると同時に、魔物の命を守る――いわば償いです。もう一度やり直す意味も込めて、町の人々に納得してもらえる材料は、必要だと思われますが」
「ぐっ……!」
またしても国王は言葉を詰まらせる。確かにそのとおりだった。ただ単に心を入れ替えると言ったところで、人々は絶対に納得しないだろう。
しかし、何かしらの具体的な例があれば、まだ反応が違う可能性もある。流石にすぐ頷いてはくれないだろうが、それでもチャンスが残れば、まだ汚名返上の可能性はあるということだ。
国王は目を閉じ、しばし悩むこと数秒――ゆっくりと目を開きながら言った。
「……分かった。その魔物は、この国で保護することを約束しよう」
「国王様!」
大臣とミナヅキたちに笑顔が宿る。ひとまず最悪の事態だけは避けられた。それだけでも良かったと、嬉しい気持ちになる。
ささやかな謝礼を後日渡すことが通達され、ミナヅキとアヤメ、そしてリュドミラの三人は、王の間を後にした。
◇ ◇ ◇
「そうですか。それはなによりでございますね」
ミナヅキたちから話を聞いたラスカーは、暖かい笑みを浮かべる。
そして彼の膝元には――
「きゅっ♪」
目覚めてすっかり元気を取り戻した魔物がいた。
元々、魔力で傷は塞がっており、調合薬の効果で魔力が浄化された副作用も、特に見受けられなかった。しがって目を覚ましたら、もうすっかり元気。再び暴走する兆しもなく、本当に何事もないことがよく分かる状態であった。
ちなみにミナヅキたちがいるのは、王宮の裏庭である。
中庭や王宮内は、未だてんやわんやしており、落ち着いて休めそうにない。裏庭もボロボロの状態ではあるのだが、目立たないという理由から、片付けも含めて後回しとなっているのだった。
この場には彼ら以外の人間はいない。だから静かでのんびりできる。
魔物にとっては、最高の休息兼遊び場所とも言えるだろう。
「良かったわねー魔物ちゃん。あなたはこの国がしっかり守ってくれるってさ」
「きゅー?」
頭を撫でながら語りかけるアヤメに、魔物は意味が分からないらしく、コテンと首を傾げる。その愛らしさに、二人の少女は心に衝撃を受け、ノックアウト寸前にまで持ち込まれていた。
そんな二人の様子を呆れたように笑いつつ、ミナヅキはラスカーに尋ねる。
「これから、どうされるんですか?」
「まずはこの王宮が、再び元通りになるよう手伝います。私には色々と伝手もありますので、資材やら人手など、色々と口利きする役目を担えるかと」
「……ホント凄いんですね、ラスカーさんって」
「いえいえ。ここまで散々迷惑をかけてしまいましたから、せめてもの償いのつもりですよ」
ラスカーは笑っていた。いつもの笑顔とは違う爽やかさが感じられる。
まるで付き物が取れたかのようだ――ミナヅキはそう思った。
「ミナヅキさんたちにも、本当にご迷惑をおかけいたしました」
「あー、もうそれは良いですって。その件は、ここまでにしておきましょう」
「……はい。ありがとうございます」
ラスカーが深々と頭を下げる。そしてミナヅキとラスカーは、魔物と一緒にはしゃぎまわっているアヤメとリュドミラに視線を向け、自然と笑みを浮かべた。
穏やかな時間だった。いつまでも続いてほしいと願いたくなるほどに。
しかしそれは――突然終わりを迎えることとなるのだった。
「――っ、この気配は!」
リュドミラが何かに気づいて立ち止まった。するとその時、王宮への通路から魔力が飛び出してきた。
「きゃあっ!?」
「ぐっ!」
「こ、これは……?」
アヤメ、ミナヅキ、そしてラスカーが、あっという間に魔力の鎖に捕らわれる。無事なのはリュドミラと魔物だけとなっていた。
「拘束魔法――しかもこの形式は、まさか!?」
猛烈に嫌な予感がした。リュドミラは魔法が飛んできた通路に視線を向け、捕らわれたミナヅキたちを庇うように前に出る。
すると――
「やはりお気づきになられましたね。流石はお姉さまですわ」
通路の奥から、レギーナが姿を見せた。しかしその姿は異様であった。
煌びやかであっただろうドレスはボロボロとなっており、白いきめ細やかな肌を持つ顔には、いくつかの引っ掻いたような傷が、赤く爛れていた。
ストッキングも膝を中心に所々無残に破れており、いくつかの擦り傷から血が流れ出ている。髪の毛も酷く乱れており、所々極端に短い部分が目立つ。まるで無理やり引き千切られたかのように。
あちこちに包帯が巻かれていることから、恐らく手当はされたのだろう。しかしそれでも、痛々しさは拭えていない。
「レ、レギーナ? アンタ、一体何が……」
あまりの異様さに、リュドミラは動揺せずにはいられない。魔物も恐怖を感じたらしく、リュドミラの足にヒシッとしがみついていた。
ミナヅキたちもまた、レギーナが普通の状態ではないと思っていた。
ボロボロの恰好もさることながら、瞳孔を開いたまま笑う彼女の笑顔が、なによりも怖くて仕方がない。
「……ありゃあ、ヤバいな。まるで狂人じゃないか」
ミナヅキが小声で呟く。するとそれに反応するかのように、レギーナは唇を思いっきりつり上げさせ――
「――ヒヒヒヒヒ。もう絶対逃がしませんし、許しもしませんわよぉ♪」
凄まじく不気味な笑い声をあげながら、両手に膨大な魔力を宿すのだった。
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