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第三章 追放令嬢リュドミラ
第五十六話 ミナヅキのファン?
しおりを挟む「黙秘か……怪しいな。ちょっと一緒に来てもらおう」
私服の男がミナヅキを強制連行しようと、手を伸ばそうとした。
その瞬間――
「おい、大変だ!」
マントを羽織った冒険者らしき男が、酷く慌てた様子で走ってきた。そしてミナヅキの目の前で私服の男に、何かを耳打ちする。
「それは本当なのか?」
「間違いない。特徴は一致しているとのことだ!」
「チッ、コイツはハズレかよ……急ぐぞ!」
「おう!」
そして私服の男は、吐き捨てるように言うだけ言って、ミナヅキに詫びはおろか挨拶の一つもなく、冒険者らしき男とどこかへ走り去っていった。
「……何だったんだ、一体?」
ミナヅキが呆然とした様子で呟く。そこに旅人の青年が歩いてきた。
「なぁ、アンタがミナヅキって男であってるかい?」
「え? あぁ、まぁ……」
急に呼びかけられ、ミナヅキは思わず反射的に返事をしてしまう。しかしその青年は特に気にする様子もなく、一枚のメモを差し出した。
「これ。アンタに渡すよう言われたんだ。何も書いてない紙切れだけどな」
「俺に?」
「確かに渡したぞ。じゃあな」
青年はミナヅキにメモを押し付けるように渡し、踵を返して去った。
ワケが分からないまま、ミナヅキは渡されたメモを見る。確かに何も書いてないまっさらな紙きれだ。
「こんなの渡されてもな……ん?」
ミナヅキはメモの様子が変化し始めたことに気づいた。ただ普通に手で持っているだけなのに、何故か自然と文字が浮かび上がってきたのである。
そしてそこには、こう書いてあった。
『ミナヅキを探しているヤツらは引きつけておく。安心して調査してくれ』
そのメッセージが誰からの発信であるかは、もはや考えるまでもなかった。そして読み終えると同時に、そのメモは粒子となって消えてしまった。
「随分と手の込んだことしてくれるな。どんな仕組みなんだか」
ミナヅキは思わず苦笑してしまう。太陽の光にさらしたからなのか、それとも魔力か何かを仕込んだ特殊な紙きれだったのか。
どちらにせよ、ラトヴィッジに再び助けられてしまった。
それを改めて認識し、心の中で彼に対して感謝しつつ、ミナヅキは歩き出す。もう顔を隠す心配もないかと思い、被っていたフードも脱いでしまった。
すると――
「お、さっきの兄ちゃんじゃねぇか?」
突然男の声に呼びかけられ、ミナヅキは驚きながら振り向いた。そこには、さっき会話した露店の店主の男が立っていた。
「なんだよ、フードしてっからどんな顔してるのかと思ったが、なかなか良いツラしてるじゃねぇか。ハッハッハッ!」
「はぁ、それはどうもです。で、俺になんか用でも?」
心を落ち着けるために深い息を吐きつつ、ミナヅキはやや投げやりに尋ねる。すると店主の男は、改めて思い出したような素振りを見せた。
「おぉ、そうだった。お前さんを探してたんだよ。さっき話してたことで、言いそびれちまってたことがあってな」
そして店主の男は語り出す。わざわざ探してくれたのかと改めて驚きつつ、ミナヅキは耳を傾けた。
「この町の外れに、はみ出し者の爺さんが住んでるんだがな。その爺さんはかなり腕のいい調合師らしいんだ」
「調合師?」
ミナヅキが目を見開きながら反応すると、店主の男はニヤリと笑いながら、とある方角を指さした。
「興味があるんなら、行ってみるといい。この王都に長く暮らしてるらしいから、色々なことが聞けるかもしれねぇぞ?」
「そうか。わざわざありがとう」
「いいってことよ。じゃ、確かに伝えたからな」
店主の男は片手を上げつつ、踵を返して立ち去っていった。そしてミナヅキは、指をさされた町外れの方角を見る。
(とりあえず、行くだけ行ってみるか)
ミナヅキは早速歩き出す。その表情は、この国に来てから始めて見せる、ワクワクした笑顔であった。
◇ ◇ ◇
天気は良好だった。熱い太陽の光と冷たい海風が、ちょうど良い心地良さを感じさせてくれる。
海の上を高速で流れる船は、思わず疑問に思いたくなるほど揺れない。だから乗客は皆、優雅に思いのまま過ごしている。
そんな中――
「……ミナヅキは大丈夫かしら?」
気が気でない表情で、アヤメは俯いていた。リュドミラに誘われてデッキを散歩しているのだが、お世辞にも気晴らしが出来ているとは言えていない。
「あのねぇ、アヤメさん。今からそんなに心配してたら身が持たないよ?」
「で、でもぉー……」
誰が聞いても情けないにも程がある声のアヤメ。普段から見せている凛々しさはどこへ行ってしまったのか――リュドミラは疑問に思えてならなかった。
しかしながら、その気持ちも分からなくはなかった。
愛する旦那が消えた。それがアヤメにとって、予想外のショックとなった。
恐らくはそれだけのことなのだろうが、そのたったそれだけが、彼女にとっては効果抜群となる攻撃だったのだ。
それは何故なのか――恐らく理屈などではないのだろう。
あいにく自分には結婚する相手はいない。正確に言うならば、アヤメのように本気で人を愛したことがない。
そこまで考えたリュドミラは、いくらなんでもそれはないだろうと自分で自分に対してツッコミを入れ、これまでの人生を振り返ったのだが――
(見事なまでに、ありそうでなかったと来たもんだ)
常に周りの意思で動いてきた。自分の意思なんて最初から捨てていた。周りが望んだから優秀になった。そうすれば周りは自分を見てくれるから。
――なんてつまらなくて薄っぺらいんだろう。
それがリュドミラの自分に対する、率直な感想であった。
そして思う。全て奪われて捨てられて良かったと。
あくまで結果論ではあるが、抗うことなく国を出て大正解だった。こんなことならもっと早くそうしていればよかった。動き出すことを諦めていた自分が、本当に情けなくて仕方がない。
「いい加減シャキッとしてくださいって。このあたしがついているじゃない!」
「リュドミラ……」
アヤメが驚きの表情で振り向くと、リュドミラは強気な笑みを浮かべる。そして冗談めいた口調で明るく言った。
「案外ミナヅキさんも、向こうで元気にやってるかもしれないよ? 今頃誰かの手を借りて脱出して、町の中を探索してたりとかさ」
「いや、流石にそんな出来すぎたことがあるとも思えないんだけど……」
あります。それはもう見事なまでに現在進行形で。しかし当然ながら、それを二人が知る由もない。
「でも、そうね。心配ばかりしていても仕方がないわ。ありがとう」
「いえいえ。あたしこそ、カッコつけちゃって」
やっと笑顔を見せたアヤメに明るく振る舞いつつ、リュドミラは少しだけ羨ましく思っていた。
ミナヅキを必ず取り戻す――そんな彼女の強き想いに対して。
(もし、あたしもあのままロディオンと結婚していたら……いや、多分アヤメさんたちみたいにはなってないだろうなぁ。むしろ典型的な仮面夫婦みたいな?)
リュドミラは試しにその仮面夫婦な姿を想像してみる。実に鮮明な光景が浮かび上がってしまった。
(……やっぱりあの男は無理だね。うん、絶対に無理だよ)
大事なことだから二回思いました。それぐらいリュドミラの中で、その気持ちは紛れもない本心なのだ。
ここで彼女は、数ヶ月前まで妹の立場にいた少女のことを思い出す。
(レギーナもレギーナで自己中ワガママな部分は変わってないだろうし……化けの皮が剥がれるのも、恐らく時間の問題だろうからなぁ)
リュドミラは自然とアヤメから視線を逸らしつつ、ひっそりとため息をつく。
婚約破棄の場面で見せていた悲劇のヒロインの顔。それがいつまでも続けられるとは到底思えない。むしろ立場が確約された今、早々に本性を丸出ししている可能性もあり得る。
立場があればなんでも思いのまま――リュドミラの記憶の中にあるレギーナは、そう心から信じているように見えていた。
もちろん、そんなことはない。たとえどんな立場だろうと、永遠に保たれる保証など全くないのが普通だ。
たとえそれが、王族であったとしてもだ。
(先々代の国王ですら、何かしでかして追われたっていう話だもんねぇ。向こうに着いたら騒ぎになっていました――なーんてことになってなきゃいいんけど)
流れる白い雲を見つめながら、リュドミラはそう願うのだった。
そして、そんな彼女たちの様子を、ラスカーが物陰から、意味ありげな視線で見つめていたことに、当の本人たちは気づいていない。
◇ ◇ ◇
ミナヅキは路地裏を抜け、なだらかな丘を歩いていた。建物も少なく、緑の原っぱが広がるその光景は、まるで中心街とは別世界のようであった。
(ここらへんは静かでいいな。まるでラステカの町みたいだ――ん?)
ゆったりとした気分を味わいながら歩いていると、古ぼけた一軒家を発見する。それだけなら特に反応することもなかったのだが――
「これは……ポーションか?」
風に乗ってほのかな甘みが漂ってきている。いつも自分が調合する際に嗅いだことのある匂いと同じであった。
つまりこれは、誰かが調合をしているということだ。風の流れからして、一軒家から漂ってきているのは間違いない。
(調合師の爺さんとやらは、あそこに住んでるのかもしれないな)
そう思ったミナヅキは、その一軒家を尋ねてみることにした。
空きっぱなしの門を入っていくと、広い庭には薬草を育てている畑があった。そして家の隣には、小さな煙突付きの小屋が。そこから煙が出ており、誰かがいそうだと判断する。
「ごめんくださーい」
ミナヅキは小屋の扉をノックしながら呼びかけてみると、中からガタガタと物音が聞こえた。どうやら当たりだったようだと、ミナヅキはほくそ笑む。
「しつこいのう。今度は誰じゃ?」
聞こえてきたのは老人らしき声だった。しかしその口調は、明らかにうんざりとしたそれであった。
「言っておくがワシは、この地を離れる気は一切ないぞ。何度来ようが、こればかりは絶対に譲れ――」
扉を開けながら顔を覗かせてくる。見るからにガンコそうな老人であった。しかしミナヅキの顔を見た瞬間、ピタッと動きを止めて呆然としてしまう。
そしてゆっくりと扉を開けながら、マジマジとミナヅキの顔を凝視し始めた。
「えっと、その……実は俺、旅をしている調合師でして……」
微妙に居心地の悪さを感じながらも、ミナヅキは切り出した。
「調合師のお爺さんがいるって聞いて来たんですが……ここで合ってます?」
恐る恐る尋ねてみるが、それでも老人は呆然としたまま動かない。それどころか完全に硬直している。
何か驚かせるようなことでもしただろうか――ミナヅキはなんとか笑顔を取り繕いながらも、頭の中で不安を募らせていた。
すると老人は、プルプルと震えながら口を開く。
「アンタ……もしやアンタは、フレッド王国のミナヅキさんではないかね?」
「え、えぇ。確かに俺はミナヅキですが」
「やはり!!」
老人は突然大声を上げ、目をクワッと見開く。そして両手でガシッと、ミナヅキの手を握り出した。
「ワシは調合師のグリゴリーと申す者じゃ。調合師として名を馳せ、あまつさえ生産職に対する認識を変えさせたとも言われるミナヅキさんに、まさかこうしてお目にかかる機会が来ようとは……この度は本当に、お会いできて光栄ですぞ!」
グリゴリーと名乗る老人は拝むような姿勢を見せる。まるでミナヅキを神様と崇めているかのように。
当然ながら、あまりの突然過ぎる展開にミナヅキは反応ができず、今度は彼が呆然とする番となってしまっていた。
(なんつーか……また濃ゆい人が出てきたもんだなぁ……)
ありがたやありがたやと、未だ拝み倒しているグリゴリーを見下ろしながら、ミナヅキは苦笑せずにはいられなかった。
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