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第一章 異世界スローライフ開始
第十九話 攻撃開始!
しおりを挟む日が沈んだ平原。夜になれば月明かりが照らしてくれるのだが、今夜は黒雲に覆われていて、真っ暗も同然であった。
それでも肉眼で分かるくらいに、それは動いている。群れを成して一直線に進んでいる。その先に見えるのは――フレッド王都。
魔物の大群となれば、間違いなく驚異だ。
たとえ中型以下の魔物しかおらず、ギルドが全力で対策を整えたとしても、人々に恐怖や不安を与えてしまうことは避けられない。
――そこに颯爽と勇者が現れ、華麗に魔物を蹴散らせばどうなるか。
そう考えたマーカスは、丘の上で進軍する魔物たちを見下ろしながら、ニヤつきが止まらないでいた。
「クックックッ、もうすぐだ……もうすぐ俺は、かつての輝きを取り戻せる!」
マーカスは両手を広げ、暗い夜空を見上げながら高らかに叫ぶ。
「俺がこの手で魔物を倒し、王都を救った英雄になる! そうすれば、父上が俺に言い渡した勘当を取り消すに違いない! そしてリトルバーン家の跡取りの座を確固たるモノとし、将来バラ色の道が開けるのだ! ハーッハッハッハッ!!」
まだ始まってもいないのに、既に結果が出たと思い込んでいるマーカス。そこに後ろから、一人分の足音が聞こえてきた。
マーカスが振り返ると、つい先日引き込んだ新たな仲間の姿があった。
「よぉ、ヴァネッサ」
ニヤついた笑みとともにマーカスが振り返る。
「お前も分かっているとは思うが、この俺様に感謝するんだぞ? なんたってお前に新たな力を与えたのは、この俺様なのだからな。もしお前が望むなら、俺様の未来の夫人候補にしてやってもいいんだぜ?」
気持ちよさげに自分の世界に浸るマーカスは、ヴァネッサがその腰に携える、禍々しい装飾を施した剣をスッと抜いたことに気づかない。
「何を黙ってる? ははーん、さてはこの俺に照れて……ぐぅっ!?」
ズッ――という鈍い音と、マーカスの呻き声が重なる。
腹に感じる、痛さを通り越した鋭さと熱さ。腹から何かが引き抜かれ、その衝撃で体の中から熱い何かが噴き出す。
それらを全て理解できたのは、地面に倒れた瞬間であった。
力を振り絞ってなんとか見上げると、黒い飛び散った液体が大量に付着させ、冷たい目で見下ろしてくるヴァネッサの姿があった。
「あなたのくだらない英雄ごっこに付き合う気はないわ。邪魔だから消えなさい」
そう言いながらヴァネッサは剣を振りかぶる。その瞬間、黒い雲に隠れていた月が姿を見せた。
マーカスは言葉が出なかった。恐怖と混乱と絶望が渦を巻き、もはや何も考えることができない。
ヴァネッサはクスッと笑みを浮かべ――
「さようなら」
そう一言だけ告げ、力を抜くように剣を振り下ろした。
◇ ◇ ◇
街門を出た平原に冒険者たちは集まっていた。
アヤメも魔法剣士として、デュークやダン、ケニーと同じ前衛の場にいたが、その表情はどこか残念そうであった。
「ご不満か?」
デュークがアヤメに話しかける。
「仕方ないだろう。ギルドマスターがミナヅキに別の用事を頼んだらしいからな。しかもフィリーネ様も関わってるって話だ。尚更断れんだろう?」
「そんなこと分かってるわよ。その上で不満に思ってるの」
「さいで」
堂々と不満を認めるアヤメに、デュークも敵わんなと言わんばかりに笑う。
ミナヅキがこの緊急クエストに参加しないと通達されてから、ずっとアヤメはこの調子なのだった。癇癪の一つでも起こすと思われたが、普通に号令に従ってここまできた。そのことについては周囲も少しばかり驚いていた。
アヤメも少しは自覚しているらしく、ここにきてようやく諦めを込めた、深いため息をつく。
「まぁ確かに、四の五の言っても仕方ないわね。私が思いっきり戦うところを見せるのは、また今度の機会にしておくわ」
「やっと納得してくれたか……んじゃせめて、これを持ってけ」
デュークがアイテムボックスから、液体の入った瓶を一つ取り出し、それをアヤメに差し出した。
「特性ポーションだ。お守り代わりにはなるだろ」
「え、そんなのもらっちゃっていいの?」
「俺が買った物でもないからな。上質ポーションならまだ結構あるし」
「そう? じゃあ遠慮なく」
戸惑いながらもアヤメは、デュークから瓶を受け取った。するとそこに、斧を担いだ大柄な男がニヤついた笑みとともに話しかける。
「おいおいデューク、いくら年下と言えど、人妻を口説くのはやめとけや」
「違うっての。冒険者の先輩として、親切にしてやっただけだ」
「自分で親切なんて言うかよ……お前らしいけど」
そう言いながらデュークはその冒険者とともに去っていく。残されたアヤメは、もらった瓶をジッと見つめていた。
瓶の形は調合者によって違うことが多く、その形はアヤメにとっても凄く見覚えのあるモノであった。
(……これ、工房でミナヅキがあげた、最上級ポーションじゃない?)
なんとなくそんな気がしてならなかった。そう考えると、この瓶詰めされた液体の正体が気になって仕方がない。
鑑定すればすぐに分かるのだろうが、残念ながらアヤメにその能力はない。
(ベアトリスさんにでも見てもらおうかしら?)
確か彼女も鑑定能力も持っていたハズだと、アヤメが思ったその瞬間――
「来たぞー、魔物の大群だあぁーっ!!」
とある男の冒険者の掛け声が平原に響き渡った。
砂煙を立てて突進してくる大群は、徐々に近づいてきているのが分かる。それぞれが武器を構え、臨戦態勢を整えていく。もはやこうなっては、呑気に後方へ確認に行くことはできない。
(まぁ良いわ。そんなことよりも……)
持っていた瓶をしまい、アヤメは新しくもらった短剣を抜いて構える。
(これが私にとって、初めてとなる大きな戦い。存分に暴れさせてもらうわよ!)
アヤメが表情を引き締める。それとほぼ同時に、ダンが皆の先頭に立つ。
剣を高らかに掲げ――それを前方に思いっきり振り下ろした。
「攻撃開始!」
『おおおおおぉぉぉぉーーーーーっ!!』
ダンの掛け声に、前衛の冒険者たちが一斉に走り出す。
一ヶ所に固まらぬよう、自然といくつかのグループにばらける形で、魔物たちを誘導しながら切りかかっていく。
魔物たちの先頭は、剣や斧を手に持つゴブリンであった。同じく武器を持つ先頭の冒険者と、武器同士でぶつかり合うのだが――
「ぐっ、このゴブリン、力が強いぞ!」
「油断するな! こいつらは皆、普通の魔物ではない!」
目の前に広がる光景にダンの叫びが相まって、冒険者たちに緊張を走らせる。
見た目は冒険者なら誰しも戦ったことがある魔物。しかしその中身は全く別物。何をどう仕掛けてくるか分からなくなった。
デュークやダンなど、それなりに修羅場を潜り抜け、実績を得ている者ならまだしも、まだ駆け出しを卒業したばかりの冒険者は、予想とは違う光景に戸惑いを浮かべる者が多かった。
早くも少し冒険者側が崩れてきた。そう思われた時だった。
「はあっ!」
――ちゅどおおぉーーんっ!
襲われかけていた冒険者の目の前で、数匹の魔物たちが爆発で吹き飛ばされる。同時に颯爽と前に出てきたのはアヤメであった。
「今のうちに立って! まだまだわんさか来るわよ!」
「は、はいっ!」
冒険者の返事を聞いたアヤメは、そのまま思いっきり地を蹴った。
ゴブリンが武器を振り上げている隙に短剣で切り裂く。そして炎の魔法を弾丸として放ち、一匹の魔物をその後ろでウロついていた魔物ごと吹き飛ばす。更にその隙をついて突進してきたイノシシ型の魔物の突進を、アヤメは咄嗟に飛んで躱しつつ魔法を放った。
――どおおぉーーん!
上手くイノシシ型の魔物の足元で爆発が起き、その巨体は吹き飛ばされる。ちょうどその場に駆けつけたダンにより、見事仕留められた。
「へぇ、アヤメの嬢ちゃんも、なかなかやってくれるじゃねぇの!」
魔物が絶命したことを確認し、ダンはアヤメがいた方向を見る。
彼女は既に次のターゲットに向かって走り出していた。激しい動きを繰り返していながらも、決して無理をしている様子はなく、自分のこなせるペースをちゃんとわきまえている。
アヤメが冒険者登録をして、まだ数ヶ月しか経っていないと聞いていた。この短い期間であそこまで鍛えたのかと、ダンは驚きを隠せなかった。
そしてそんな彼女の姿に、ケニーも目を見開いていた。
(アヤメさんはかなり腕を上げている。俺だって……!)
ケニーが剣を握る手に力を込める。ちょうど目の前には、真正面に突っ込んでくる斧を持ったゴブリンの姿。
――ここで一つ、成果を作る。
その気持ちがケニーを勢いよく走り出させた。
しかしそれは、立派な焦りでもあった。故に周囲の状況を読み切れておらず、脇から飛び出してくる魔物の存在まで頭が回っていなかった。
「ぐわぁっ!?」
イノシシの魔物が突進してきていた。防御する術もなく、ケニーは思いっきり吹き飛ばされてしまう。
衝撃で持っていた剣を手放し、ゴロゴロと転がる。ようやく止まり、なんとか立ち上がろうと見上げると、ゴブリンが斧を振りかぶってきていた。
「ケニー!」
それに気づいたダンが叫ぶが、時すでに遅し。体の痛みと恐怖で動けず、ケニーは頭が真っ白になっていた。
――もうダメだ。
そんな言葉が頭を過ぎったその瞬間――目の前で爆発が起こった。
「えっ?」
一瞬、ケニーは何が起こったのかよく分からなかった。
斧を持ったゴブリンが、黒焦げ状態で倒れていく。爆発に巻き込まれたのか、傍でケニーを吹き飛ばしたイノシシの魔物も、横倒し状態でもがいていた。
「たーまやー、ってね」
どこか呑気そうな女性の声とともに、誰かが歩いてくる。ケニーが呆然とした表情で見上げると、爆弾をボールのように弄びながら、ベアトリスが周囲の様子を伺っていた。
そして――
「ふっ!」
また一つ、爆弾を投げる。突進してきていたイノシシの魔物の眉間に当たり、大きな爆発を起こした。
そしてベアトリスは、未だ呆然と座っているケニーを見下ろす。
「大丈夫かい? ほら、ポーション!」
ベアトリスはアイテムボックスからポーションを取り出し、ケニーに投げる。
「あまり出来は良くないかもだけど、回復できないよりかはマシでしょ?」
「ど、どうも……」
戸惑いながらもケニーは立ち上がる。それを見たベアトリスは、大丈夫そうだと判断し笑顔になる。
「さぁ、もうひと踏ん張りだよ。騎士ならもっとカッコイイとこ見せてよね」
それだけ言い残して、ベアトリスは去っていく。
爆弾を取り出しては投げつけ、そしてポーションを差し出しては華麗に去る。そんな支援と攻撃を兼ね備えた美人の存在に、他の冒険者たちもポヤーッとしながら姿を追っていた。
ベアトリスのファンと化したケニーは、またしても動きが止まっていた。
ちなみにここは立派な戦場である。故にその姿を見つけたダンは――
「テメェ、ケニー! 何そんなとこでボサッとしてやがる!」
当然の如く、凄まじい形相で怒鳴りつけるのだった。
「王宮騎士がみっともねぇマネ晒してんじゃねぇ! さっさと動きやがれや!」
「す、すみませぇーんっ!」
ケニーは急いでポーションを飲み干し、傍に落ちていた剣を拾って走る。
体は軽くなっていた。さっきまで痛かったのがウソのようだった。それは他の冒険者たち数人も同じであり、互いに無言で笑い、頷き合った。
気持ちは繋がった。ベアトリスに助けられた者同士、手を取り合って戦おうじゃないかと。
傍から見れば、冒険者と王宮騎士が協力して戦っている姿に他ならない。ダンもその様子を見てフッと笑っていたが、無論彼らの内面など知る由もない。
「おーい、誰か向こうからこっちに歩いてくるぞ!」
冒険者の男がそう叫んだ。魔物の討伐に区切りをつけつつ、皆が東側――つまり魔物が攻めてきた方向を見ると、確かに人影らしき姿が見えていた。
「誰かしら? 暗くてよく見えないわね」
「油断は禁物だよアヤメ。あの騎士さんみたく、吹き飛ばされないでよ?」
ベアトリスにそう忠告されたアヤメは、クスッと笑いながら言う。
「えぇ、そーゆーベアトリスさんも、自分の爆弾で吹き飛ばされないようにね」
「そっちこそ、この天才錬金術師サマを見損なわないでもらえるかな」
「それはゴメンなさい」
二人は笑い合い、和やかな空気を漂わせつつも、前方の注意は決して怠らない。
やがてその人影が近づき、肉眼でも確認できるようになったその時――
「あれはまさか……マーカスか?」
デュークが目を見開きながら呟いた瞬間、マーカスらしき人物が顔を上げる。その目は真っ赤に染まり、鋭く不気味に光っていたのだった。
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