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第五章 迷子のドラゴン

172 ドラゴンの父親

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 頂上で発生していた異変は去った。
 戻ってきたマキトたちから、事のあらましを聞いたリスティは、驚きながらも納得の頷きを返していた。

「ありがとう。マキト君たちは、いい判断をしてくれたよ」

 リスティは腕を組みながら苦笑する。

「あれだけ禍々しい空気を作り出すほどの魔力だもの……そうなんだろうなって予想はしてたんだよね」
「ごめん。大切な魔力スポットを、一つ失うことになっちゃったけど……」
「皆の命には代えられないよ」

 心配そうなマキトの頭を、リスティは優しく撫でた。

「それに、あのおチビちゃんの親も無事に助かったことだし、遠くに避難していたドラゴンたちも、恐らくすぐに戻って来ると思う。結果としては上々だよ」
「そっか」

 マキトはひとまず、少しだけ心が軽くなった気がした。頭を撫でられる際、視線は自然と彼女の服に向けられる。それ故にマキトは、どうしても気になって仕方がないことがあった。

「それよりも、リスティは大丈夫なのか? すぐ手当てしたほうが……」
「あぁ。どうってことないよ。こんなのかすり傷だから♪」

 手をヒラヒラと振りながら、リスティはケタケタと笑う。服も所々破れ、肌も泥だらけで髪の毛も少々焦げているその姿からして、明らかに説得力はない。
 現にマキトも、表情を引きつらせていた。

「いやいや、かすり傷の範囲越えてると思うけど……」
「細かいことは気にしない。そんなことより、おチビちゃんとそのお父さんが、マキト君とお話がしたいみたいだよ?」

 リスティに促されて視線を向けると、子ドラゴンと親ドラゴンが、マキトのことをジッと見つめてきていた。

「マスター。通訳はお任せなのですっ♪」

 ラティが意気揚々と前に出ようとした、その時――

「少年よ――此度は誠に感謝する」

 重々しい声とともに、親ドラゴンが大きな頭をゆっくりと下げてきた。それに対してマキトは、驚きながらも珍しそうな笑みを浮かべる。

「へぇ、アンタも喋れるんだ?」
「無論だ。私にかかれば、ヒトの言葉など造作もない話というもの」
「はは、なるほど」

 どっかで聞いたような言葉だなぁ――マキトがそう思っていると、ラティが不満そうに頬を膨らませる。

「むぅーっ、わたしの出番がなくなったのですー!」
「そう怒るなって――あれ、リスティ?」

 マキトが苦笑しながらラティを宥めていると、リスティがポカンと口を開けていることに気づく。

「何? どうかした?」
「……ドラゴンがしゃべった」
「それが?」
「いやいやいや! それが、じゃないから! むしろ驚くところだから!」

 慌ててリスティがツッコミを入れるも、マキトはきょとんとするばかりだった。

「――そんなに驚くことか?」
「普通はおどろ……あぁ、うん、キミの場合はそうだったね」

 ツッコみかけてリスティはようやく理解した。ラティやフォレオとともに行動するマキトの環境を。彼からすれば、別に珍しいことでもなんでもないのだと。

「む? そういえば娘は、我が話せることを知らなかったか」
「……はい、全く知らなかったです」

 首を傾げる親ドラゴンに、リスティは項垂れながら答える。

「私、もう何回もここに通ってるのに……」
「だからと言って、なんでも理解できることもないだろう。我からお主に話しかけるような理由もなかったからな」
「それは、まぁ確かにそうだったかもしれないけど……」

 リスティは何も言い返せない。そもそも魔物と会話できる可能性など、今日までこれっぽっちも考えたことがなかったのだ。いわば自分が歩み寄ろうとしていなかったと言われているようなものであり、文句を言う筋合いはない。
 そんな悔しそうな表情をするリスティから、親ドラゴンの視線はマキトのほうへと移動する。

「少年に明かしたのも、彼が妖精や霊獣を連れているからこそだ。なにより少年の不思議な目に、我自身が惹かれたというのも大きい」
「……なるほど」

 リスティは素直に受け入れるしかなかった。そして彼女も、きょとんとしているマキトに視線を向ける。

(まぁ、確かになぁ……マキト君の不思議さには、私も目を奪われたもんだし)

 まだ出会って数時間しか経っていないが、リスティもマキトたちのことを、完全に興味を抱いていた。
 できれば今回限りの関係で終わりたくないと、心からそう思えるほどに。

(あの子たちにはちゃんと、私のことを話さないといけないよね……)

 リスティが決意を固めたその瞬間、強めの風が吹きつけた。短めな金髪のポニーテールが、ふんわりと煌びやかに浮かび上がった。


 ◇ ◇ ◇


 改めてマキトたちは、親ドラゴンから話を聞いていた。

「――へぇ、チビスケのお父さんは、ここの一番偉いドラゴンだったんだ」
「くきゅくきゅ」

 驚きを見せるマキトに、子ドラゴンは誇らしげに頷く。
 親ドラゴンだけがこの山に残っていたのは、子供を逃がすためでもあり、長として皆を逃がす役割を担っていたからだ、ということが判明した。
 他のドラゴンたちは皆、親ドラゴンの決断を渋ったらしい。なんであなたも一緒に逃げないんだとこぞって叫ばれ、中には力づくでも連れて行こうとするドラゴンもいたらしい。
 結局、親ドラゴンのほうが力づくで言うことを聞かせ、子ドラゴンを連れて山から離れたとのことだった。

(魔物とヒトは大きく違うと思ってたけど……)

 一緒に話を聞いていたリスティは、ひっそりと苦笑する。

(意外と考え方は、似たり寄ったりなのかもしれないね)

 ドラゴンがそうしているとなると想像はつかないが、それをヒト――リスティの場合は魔人族――に置き換えると、ありありとその光景が思い浮かんでしまう。
 思わずクスクスと笑っていたところに、バッサバッサと翼を羽ばたかせる音が聞こえてきた。

「おーい、マキト君!」

 空から男性の声が聞こえてきた。振り向くと、ディオンがドラゴンの背から大きく手を振ってきていた。
 マキトたちもそれに気づき、笑顔で大きく手を振り返す。

「ディオンさーん!」
「やっほーなのですー!」
「キュウーッ!」

 ディオンが降り立つ際、親ドラゴンが慌てる様子は見せなかった。彼とは知り合いだからである。
 どんなドラゴンが来るかは、羽の羽ばたきだけで分かる。彼らも助けに来てくれたのかと思い、嬉しくなったのはここだけの話だ。
 むしろ、驚いたことがあるとすれば――

「くきゅーっ♪」

 自分の子供が自らディオンとドラゴンに向かって、笑顔で出迎えるべく飛んでいったことだろうか。
 記憶ではまだまだ幼く、引っ込み思案で弱虫な部分が目立っていた。
 同じドラゴンの子供の中でもか弱いと見られがちでもあり、父として幾度となく情けないと思ったこともあった。
 正直、再会した子供は見違えるほど大きく見えていた。
 無事に帰って来てくれただけでも凄いのに、まさか魔物を従える心優しきヒトに救われるとは、想像すらしていなかった。

「全ては、少年のおかげか……」

 親ドラゴンはマキトに視線を向ける。ちょうどディオンを出迎え、彼の相棒の頭を撫でているところだった。
 見間違いでなければ、彼の相棒は自ら少年に頭を差し出した。
 ここで親ドラゴンは思い出す。数ヶ月前に、ディオンたちが様子を見に来てくれた時のことだ。
 そこで彼の相棒から、魔物を従える幼きヒトのことを教えてもらったのだ。
 ――あのような純粋で不思議な目は見たことがない!
 珍しく興奮しながらそう言っていた。
 もっともその際、親ドラゴンは話半分にしか聞いていなかった。驚かせるために話を盛っているのだろうと。
 しかし、今になって分かった気がする。あの話は全て本当だったのだと。
 妖精や霊獣ばかりテイムしている、幼き魔物使いの少年の存在――まさか目の前に現れるとは、親ドラゴンも思っていなかった。

「やぁ、この度は大変だったね」

 ディオンが近づきながら話しかけてくる。親ドラゴンが唸り声とともに頷くと、彼は薄っすら笑みを深めた。

「俺の仲間たちにも協力してもらって、この山を早く復興させる。キミの同胞たちも安心して暮らせるよう、責任を持って全力を尽くすよ」
「よろしく頼む」
「あぁ、任せておけ……へっ?」

 ナチュラルに言葉で返してきた親ドラゴンに、ディオンは目を見開いた。

「え、いや、その、えぇっ?」
「あぁ、うん。私もさっき似たような反応をしたよ」

 リスティが察しながら近づいてきた。ディオンも親ドラゴンがヒトの言葉を話せることを、今この時まで全く知らなかったのだ。
 そしてディオンは、リスティから経緯を聞いて、改めて納得する。

「そうか……流石はマキト君たちだな」
「隠していたことは謝罪しよう」
「いや、気にしないでくれ。そちらさんの気持ちも、分かるつもりだからさ」

 ディオンは気さくに笑いかける。そもそもヒトの言葉を話せる魔物がいること自体が珍しいのだ。騒がれたくない気持ちは、大いに理解できる。たとえ知り合いだろうと明かしたくないというのは、むしろ当然だと思えた。

「えっ、ストロングパンサーが助太刀してくれたって?」

 マキトのほうを向くと、ディオンの相棒から話を聞いているようだった。
 正確には、ラティとフォレオの通訳を通してではあったが。

「アイツ、群れのボスだったのか」
『わるいとうぞくたちは、みんなしとめたっていってるよー』
「ん。それなら安心。チビがもう狙われる心配もない」
「そうだな。ストロングパンサーに、ありがとうの一言でも言いたいけど……」

 マキトがそう言うと、ディオンの相棒は唸り声で何かを語る。ラティを通してそれを聞いた彼は、残念そうな表情を浮かべるのだった。

「そっか。アイツはもう、群れでどっか行っちゃったんだな」
「またどこかで会えるのですよ」
「ん。信じることが大事」
「ハハッ、確かに……お前たちの言うとおりだ」

 ラティやノーラに励まされ、マキトは小さな笑みを取り戻す。それを遠巻きに見ていたリスティは、小さな笑みを浮かべていた。
 そして――彼女は動き出した。

「ねぇ、マキト君。私からちょっと、話したいことがあるんだけど――」
「ん、なに?」

 リスティの正体を聞いて、マキトたちが驚くのは、それからすぐのことだった。

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