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第三章 子供たちと隠れ里
085 森の集会所
しおりを挟む森の村はちょっとした騒ぎに包まれていた。
悪い出来事が起こったからではない。森の賢者ユグラシアが、村の集会所に顔を出しているからだ。
職員と打ち合わせ中も、外から人々のざわめきが聞こえてくる。
お世辞にも静かとは言えないその状況に、担当職員は途轍もなく気まずそうな表情を浮かべるのだった。
「も、申し訳ございません、ユグラシア様。できる限り静かにするよう、我々も呼び掛けてはいるのですが……」
「気にする必要はありませんわ。賑やかなのはいいことですよ」
「はぁ……」
戸惑いながらも頷く職員は、本当にいいのかという疑問が頭の中をグルグルと駆け巡ってならなかった。
目の前に絶世の美女がいるとなれば、男として意識せずにはいられない。
しかし手を伸ばすことすら躊躇ってしまうほどの、高い場所に立つ存在であることも確かなユグラシアが相手では、その美貌に酔いしれる余裕などなく、むしろ恐れ多いという気持ちのほうが圧倒的に強かった。
現に職員は、資料を片手に緊張を解くことができないでいた。
どうして自分が担当になったのか、もっと他に適任がいるはずじゃないかと、そんな考えも浮かんできては、冷や汗が流れ落ちてくる。
そんな彼の様子は、完全に表情に出ており、誰が見ても明らかであった。
無論、ユグラシアも例外ではなく――
「そんなに緊張することはありませんよ? もっと楽にしてくださいな」
逆にこちらが申し訳なくなってくる気持ちになりながら、苦笑とともに優しく語り掛けた。
「別に私は王族でも貴族でもない、ただの一般人も同然です。森の奥で引きこもっているだけの私なんかに、気を遣っていただく必要はありませんわ」
「い、いえ、それはいくらなんでも違うと思います!」
職員は勇気を振り絞って断言した。
「ユグラシア様は、この森を造られた偉大なる方として知られております。森の賢者と呼ばれているのは、ただの形でもなんでもなく、人々がそれだけの大きな存在であることを認めている証でもあるんです! どうか……どうかそんなご自身を貶すようなことは、たとえ冗談でも言わないでくださいっ!」
感情的な口調で言い切った職員は、軽く息を切らせていた。そしてようやく頭が冷えたらしく、ハッと気づいた反応を示し、段々と表情を強張らせる。
「も、申し訳ございません! 下っ端の自分が出過ぎた真似を――」
「いえ、もっともな言葉だったと思いますわ」
凛としたユグラシアの声に職員は顔を上げる。そこには小さな笑みを浮かべながらも確かなオーラを放つ、森の賢者と呼ばれる女性の姿がそこにあった。
「この森を心から愛する者として、言ってはいけないことを言ってしまいました。それを正そうとしてくれたことを感謝します。本当にありがとう」
「……とんでもございません」
職員は目を閉じ、会釈をする。そこでユグラシアは、再びニッコリと明るい笑みを浮かべた。
「話を逸らしてしまってゴメンなさい。今日の打ち合わせを始めましょう」
「はい!」
職員もようやく笑顔になる。もうそれまでに見せていた硬い表情は、どこかへ吹き飛んでしまっていた。
そうするために敢えてユグラシアが仕向けたことだったのか――それは本人のみが知ることである。
「本日はシュトル王国から、冒険者候補となる子供たちが課外活動で訪れます。ユグラシア様には、今年も講演を務めていただければと」
「えぇ。私も楽しみにしているのよ。例の準備はしてくれているかしら?」
「抜かりはございません」
真剣な表情で、資料を目で追いながら話す職員。もはや緊張の欠片もなく、やり取りもスムーズに進められていた。
それからいくつかの確認を済ませたところで、扉がノックされる。
職員が返事をすると、扉がゆっくりと開けられ、女性職員が顔を覗かせてきた。
「会議中失礼します。ユグラシア様にお客様がお見えなんですが……」
「私に?」
ユグラシアは軽く目を見開きながら立ち上がる。公演を控えているため、他の予定は一切入れていなかったはずだった。
すなわち訪れた客は、完全なるアポなしということになる。
一体誰が来たというのか――ユグラシアが疑問を浮かべていると、女性職員の後ろから魔人族の青年が姿を見せる。
「どーも。今回はちゃんと手土産持参で来ましたよ」
そこに現れたのは、定期的に森に訪れるドラゴンライダーの青年であった。
「ディオン? また突然ねぇ」
「近くまで来たので、ちょいとばかり寄ってみたんですわ」
ニヤッと笑いながら部屋に入ってくるディオンに、ユグラシアは頭を抱えながらため息をつく。あくまで偶然を装ってはいるが、正直全く信じられなかった。
彼ならばアポなしも不思議ではない。問題は訪れたタイミングだ。
これから他国の人たちを招いての行事が行われる。そんな時にフラッとやってこられては困るというものだ。
もっともそれは――あくまで普通に考えればの話である。
どうしてディオンがこのタイミングでやって来たのかについては、ユグラシアも大いに心当たりがあるのだった。
「……まぁ、いいわ。深くは聞かないでおいてあげる」
「それはどーも」
どこまでも飄々とするディオンに対し、ユグラシアは再度ため息をつきたくなる衝動に駆られたが、余計に疲れるだけだと思い、踏みとどまった。
職員は会場のセッティングに向かうと言って退出し、ユグラシアはしばしの待機がてらディオンと二人で雑談を交わすことに。
彼の持参した手土産の菓子をつまみながら、温かい紅茶を一口含む。
「そういえば……どうですか? ここ数日で環境が変わられたようですが」
カップを置きながらディオンが切り出した。
「マキト君たちが神殿で一緒に暮らすようになって、さぞかし賑やかになったことでしょうね」
「えぇ。本当に……」
この数日間を軽く思い出したユグラシアは、思わず笑みを零す。
「意外だったのは、ノーラがマキト君たちに懐いたことよ。今じゃ毎日のように一緒にいるわ。むしろ離れている時間のほうが少ないんじゃないかしら?」
「へぇ、そりゃ確かに意外ですね」
彼女の話を聞いて、ディオンも素直に驚く。
「彼が連れている魔物たちと一緒に遊べるから、という感じですか?」
「それはそれで間違っていないけれど、マキト君にも懐いていることは確かね。多分マキト君は、私以上にノーラの笑顔を見ていると思うわ」
「……なんてゆーか、普通に凄いですね、それ」
笑顔を向けるどころか、まともに相手すらしてくれた試しがない――それがディオンから見る、ノーラの印象であった。
当たり前のように避けられ続け、恐らく誰に対してもそうなのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
そう思ったディオンが、少しだけショックを受けたのは、ここだけの話である。
「今日もマキト君たちと一緒に?」
「えぇ。魔物ちゃんたちが特訓したいらしくて、朝早くから出かけていったわ」
ユグラシアがにっこり微笑みながら頷く。
「ノーラなら森にも詳しいし、それほど心配もしてないのよ」
「そうですか……ん?」
ディオンがカップを手に取ろうとしたその時、外から賑やかな子供たちの声が聞こえてきた。
かなりの人数が、この集会所に集まってきているようだと判断する。
「どうやら来たみたいね」
「えぇ……無事にここまで辿り着けたようで」
なんてことなさげな笑みを浮かべるユグラシアに対し、ディオンはどこか含みのある笑みを浮かべていた。
そしてゆっくりと立ち上がり、扉の前へ向かう。
「フフッ、この気配も相変わらずか……」
そう呟きながら、ディオンは扉を開けた。今まさにノックをしようと手を掲げていた人物が、呆気にとられた表情でそこに立っていた。
「久しぶりだな――シュトル王国の騎士団長、ネルソン君?」
そう言われた彼は、すぐさま噴き出すように俯きながら、笑みを零す。
「ハッ! まさかテメェがいるとはなぁ……ドラゴンライダーのディオンさんよ」
そして互いに手を掲げ合い、ガシッと固い握手を交わすのだった。更にその後ろから顔を出した人物も、困ったような笑みを浮かべていた。
「まさかあなたがここにいるとは……想像もしてませんでしたね」
「エステルも相変わらずだな。宮廷魔導師になってからも、キミはキミってか」
軽く肩をすくめるディオンに対し、ネルソンがビシッと指を突き出す。
「てゆーかディオン! テメェ、俺たちが来ること知ってて、先回りして待ち構えてやがったな?」
「さぁね。今はとにかく、久々の『三羽烏』の再会を祝おうじゃないか」
「ディオンも変わらないみたいですねぇ」
なんやかんやで和気あいあいと語り出す三人の男たち。ユグラシアはその姿を、微笑ましそうに見ていたのだった。
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