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第一章 色無しの魔物使い

026 魔物たちの隠れ里

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 そこはまさに『楽園』だった――
 広々とした森の広場。そこに差し込む日の光。飛び交う魔力の粒子が光に反射することで、より幻想的な光景と化している。
 穏やかに流れる川の水はどこまでも透き通っており、その中を泳ぐ魔物や精霊たちの姿もくっきりと見えるほど。湧き水なのか、魔物たちが顔を突っ込んで美味しそうに飲む姿もあった。
 ヒトの手が全く加わらず、自然に作り上げられたその光景。
 隠れ里という言葉では足りないくらいだ――少なくともアリシアには、そう思えてならなかった。
 そこにいる魔物たちもまた、楽しそうに遊んでいる。否――安心しきっていると言ったほうが正しいかもしれない。この隠れ里にヒトが足を踏み入れることは、基本的に皆無なのだから。
 故に、ヒトである自分たちが顔を見せればどうなるか。
 それが分からないほど、アリシアも決して愚かではなかった。

(今更だけど、本当に私たちが足を踏み入れて良かったのかしら?)

 恐れ多いとはこのことか。すぐにでも立ち去ったほうがいいんじゃないかとさえ思えてきてしまう。
 アリシアは戦々恐々としていたが、マキトはどこまでもマイペースであった。
 全く気にすることもなく、物珍しそうに周囲を見渡している。それなりに緊張してはいたが、あくまで初めて訪れる場所故のものだ。アリシアのように委縮している様子は全く見られない。
 ――ガサッ!
 近くの草むらから音が鳴った。
 マキトが振り向くと、スライムが体を少し出しながら、ジッと視線を向けてきているのが見えた。
 決して友好的ではない――マキトはすぐさま、それを察した。
 警戒されている。どうしてここにお前たちのようなヤツが入ってくるんだと、そう言われているような気がした。
 茂みのスライムに向けて、無意識に手を伸ばしてみる。
 しかしその瞬間、スライムはガサガサッと音を立てて逃げ出してしまった。
 近づいてくるどころか離れてしまった。マキトは心にぽっかりと穴が空いたような気分に駆られる。
 マキトが寂しそうに俯いたその時――

「無理もない話じゃ。この里にヒトが入ってくるなど、滅多にないからの」

 老人のような声が聞こえてきた。しかしそれは――スライムだった。
 ポスンポスンと弾んでくる、他よりも一回りは大きいそれは、赤いスライムの前で止まる。そしてプルルッと大きく震えた。

「しかしまぁ、お主も無事でなによりじゃった。そしてラティ……お主もな」
「えへへ……ただいまなのです」
「ピキィッ♪」

 ラティと赤いスライムが、老人らしきスライムの言葉に喜びを示す。その様子をマキトとアリシアは、後ろで呆然としながら見つめていた。
 ここで老人らしきスライムは、改めてマキトたちのほうに視線を向ける。

「ワシはこの里の長を務めておる。気軽に『長老』とでも呼んでくれ」
「あ、あぁ。俺はマキト」
「私はアリシアです」

 互いに軽く自己紹介を済ませたところで、長老スライムが改めて切り出す。

「お主たちのことは他の魔物たちから聞いておる。特にそちらの少年には、ラティが随分と世話になっておるようじゃな」
「え、あぁ、まぁ……」

 話を振られたマキトは、戸惑いながらも相槌を打つ。その瞬間、長老スライムはため息をつきながら目を閉じる。

「まさか従えてしまうとは予想外じゃったがな。どんな黒いモンを抱えた小僧なのかと思いきや、これまた不思議な雰囲気を持つ少年だったとは……なんじゃ?」

 珍しい何かを見るような目を向けていることに気づき、長老スライムは目を細く開けながらマキトを見上げた。
 すると――

「いや、スライムなのに喋れるんだなーって思って……」

 マキトが素直にそう言った。アリシアも同じことを思っており、聞こうかどうか迷っていたため、ひっそりと心の中で彼に感謝する。
 ここで長老スライムは、心外だと言わんばかりにフンっと息を鳴らす。

「お主たちヒトの言葉など、ワシにかかれば造作もないわい。もっとも、この里でそれができるのは、ラティを除けばワシぐらいじゃがの」
「そっか。そーゆー魔物もいるんだな」

 物珍しそうな反応を示すマキト。心から驚いており、決して偽りの気持ちではないことが分かったのか、長老スライムも少しだけ優しげな表情となる。

「ワシのように、ヒトと意思疎通をこなせる魔物も少なくはないじゃろうて。こうして普通に喋る者もおれば、何かしらの不思議な力で、脳に直接語り掛けてくるヤツもおるやもしれん」
「へぇー、そんな不思議な魔物さんもいるのですか」
「世界は広いんじゃ。何があっても不思議ではないじゃろう――というか!」

 相槌を打ってきたラティを、長老スライムは半目で見る。

「お前さんには、ついこないだも話した記憶が、ワシにはあるのじゃがな」
「――てへっ♪」
「誤魔化すならば、もう少しマシなやり方をせんか、全く……」

 長老スライムが深いため息をつき、改めてラティについて語り出す。

「まぁ、お主たちも既に知っておるやもしれんが、ラティも元は、この里を拠点としておったのじゃ」
「あ、うん。それはここに来る途中に聞いたよ」

 あっけらかんと答えるマキトに目を見開き、そして長老スライムは、ラティに対して呆れ果てた視線を送る。

「……少年と出会って、もう数日は経過しておるはずじゃろう?」
「いやぁ、うっかり話すのを忘れていたと言いますか……」
「はぁ……もうよい」

 これ以上ため息をつきたくない――長老スライムはそんな気持ちに駆られた。
 ついでに言えば、完全に話が脱線してきているため、それを修正しなければという思いもあった。

「数日前、光の柱が発生したのを見たラティは、興味本位で里を飛び出し、それっきりとなっておった。少年と仲良くしておる姿を見たと、魔物から報告は受けていたのだが……まさかお前さんから従われにいくとは思わなんだぞ」
「ですよねぇー。わたしも不思議でならないのです」
「ラティが言うことじゃないと思うけど……」

 思わずアリシアが苦笑しながらツッコミを入れる。全くじゃと言わんばかりに、長老スライムもうんうんと頷いていた。

「数日前にも他の隠れ里から、フェアリーシップが消えたという情報が入ってきて心配しておった。とにかく無事でなによりじゃわい」

 長老スライムはプルプルと震える。何故だかマキトには、それに物凄く気持ちが込められているような気がしてならなかった。
 それとは別に、気になる単語もあった。

「フェアリーシップって?」
「霊獣の一種じゃよ。精霊を司る、魔物の中でも特別な存在なんじゃ」

 長老スライムがマキトの問いに答えた瞬間、アリシアが目をパチクリとさせる。

「……ホントにいるのね。おとぎ話の存在かと思ってたわ」

 つまり、それだけ人前に出てくることがない存在の一つが霊獣なのだ。妖精でさえ目撃証言はチラホラとあるが、霊獣はそれが全くない。
 否――見たという証言自体はごく稀に出てくる。しかしそれを信じる者は皆無と言っても差し支えない。あまりにも現実味がなさ過ぎるからだ。霊獣の姿そのものは図鑑などで確認することもできるが、殆ど伝説上の存在ともされており、実在を信じない者も決して少なくない。

「ねぇ! もしかして、フェアリーシップ以外の霊獣もここにいるのかしら?」

 アリシアが興奮しながら尋ねるが――

「……それを聞いてどうすると言うんじゃ?」

 長老スライムから冷たい視線を送られてしまうのだった。

「お主のような者がそのような反応を示すから、ワシらも警戒し、こうして隠れ住む生活を送っておるのじゃよ」
「えっ、あ、その……」

 やらかしてしまった事を自覚し、アリシアはしどろもどろになる。そんな彼女を睨んでいた長老スライムは、改めて深いため息をついた。

「別にお主らを悪と決めつけてはおらん。じゃが用心に越したことはない。どこから漏れてどのように広まり、どんな良からぬことを企む者が乗り込んでくるやもしれんからな。ワシらが何かを仕掛けた覚えがないにもかかわらずじゃ」
「ご、ゴメンなさい」
「構わん。じゃが軽率な行動や発言は控えることじゃ。たとえ恩人とはいえ、里を守るためならば、ワシらも容赦はできんからな」

 断言する長老スライムに、アリシアは何も言い返せなかった。
 間違いなく言っていることは正しい。全ては調子に乗った自分が悪いと、申し訳ない気持ちがのしかかってくる。
 するとここで、長老スライムがマキトの立っている方向を向いた。
 さっきからずっと無言――というより会話に参加しておらず、今の話だけは念を押しておかねばと思ったのだ。
 すると――

「少年よ。お主、も……」

 振り向きざまに呼びかけた瞬間、長老スライムは唖然とする。
 何事だろうとアリシアも振り向いてみると、そこには見たことがある驚きの光景が広がっていたのだった。

「ニュー♪」
「ニャウニャウニャウ♪」

 たくさんの魔物たちが集まり、一つの塊と化していた。皆がそれぞれ楽しそうに懐いている姿から、それに対して襲っているのではないことがよく分かる。

「よーしよし、順番に撫でてやるから……ん? なに?」

 その中心にいるマキトが、ケロッとした表情を向けてくる。
 どう見ても楽しそうに魔物たちとじゃれ合っていた。もはや完全に埋もれてしまっている状態だが、双方ともに楽しそうである。
 いつの間にこうなったのか――アリシアと長老スライムの気持ちが、ここに来て初めて一致した瞬間であった。

「うーむ……少年からは、邪気の類が一切感じられんと思ってはおったが……」

 それでも心の奥底では信じ切れていなかった。妖精を従え、里の魔物を助けたという少年も、ヒトであることは事実。どこで本性を見せてくるのかと、警戒を解くことはなかったのだ。
 ある意味、盛大な肩透かしを食らったも同然であった。
 魔物の本能は凄まじく敏感だ。安全か否かを見極める力を舐めてはいけない。
 だからこそ目の前の光景には驚きを隠せない。それだけ魔物たちが、マキトというヒトを認めていることを意味する。そうでなければ、嬉しそうな表情で魔物たちがすり寄るような行為は、絶対にしないだろう。

「あーゆーのを見てしまうと、少年に対しては信じる他なくなってくるな」
「アハハ……」

 もはやアリシアは、苦笑いをするしかなかった。
 言葉よりも行動で示す――まさにそれをマキトはやらかしたのだ。ドン引きさせながらも里の長を認めさせたことは事実。もっとも、当の本人にその自覚が一切ないであろうことは、アリシアも長老スライムも想像はしていたが。

「――ん?」

 ふと、アリシアが気づいて振り向く。そこには、マキトたちに対して警戒しているスライムのグループがいた。
 マキトたちもそれに気づいて視線を向けると、スライムの一匹が前に出る。

「キィキィッ! キキキキキィ、キィキキキイィーッ!」

 何かを訴えている――それだけはマキトもすぐに理解できた。そして、そのスライムの視線が自分のすぐ隣に向けられていることも。

「裏切者、俺たちの里からさっさと出ていけ――そう、言ってるのです」

 消え入りそうな声でラティが言う。
 その言葉だけで、マキトもすぐに察した。ヒトを連れ込み、ヒトに従う存在が信じられないということを。それをスライムたちが、突きつけてきたことを。
 言いたいことを言い終えたのだろう。相手のスライムは踵を返し、そのままグループで茂みの奥へと去っていく。
 今のやり取りは、マキトたちに懐いていた魔物たちも大いに戸惑わせていた。
 一匹、また一匹と、気まずそうに離れてゆく。
 少しずつ温もりが失われていく感覚が、妙な寂しさを感じてならない――そんな気持ちを込めた笑みを浮かべ、マキトは俯きながら言う。

「……俺たち、あんまここにいないほうが、いいのかもしれないな」
「ですね。わたしもそう思うのです」

 ラティの言葉が、妙に大きく里の広場に広がる感じがした。
 さっきまではあんなに暖かかったのに、今はなんだか少し肌寒い気がすると、マキトは思えてならないのだった。

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