猫の喫茶店『ねこみや』

壬黎ハルキ

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16 雨、灰色の果てに

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 灰色の世界を歩いていた――
 昇ってくる太陽、電気の付いたオフィス、ビルの間から覗き出る夕焼けの光。その全てがグレースケールに感じるのは、一体いつからだっただろうか。
 そんな疑問も、数秒経てばどうでも良くなってしまう。
 何故ならすぐさま現実に引き戻されるからだ。
 明るい夢を見る時間はない。そんなことをしている暇があるのであれば、色のない現実を見据えたほうがよっぽど効率的だ。

 ――やっぱりさぁ、夢はでっかく持つべきだよねぇ。僕はそれを実行するよ!

 そしてその実行する際に動かす『足』は、全て人頼み。もはや期待するのも馬鹿らしくなってくる。
 否定も皮肉も通用しない。聞こえる言葉は『はい』か『イエス』のみ。どこまでも都合がいいという言葉では済ませたくない――その気持ちすらも、もはやどこかへ投げ捨ててしまったのかもしれない。
 だからどうした――自然と笑みが零れてくる。
 それは、何の笑みか。
 自分に対する皮肉だろうか。それとも――

『――お降りのお客様は、お忘れ物のないようご注意ください』

 流れる景色が止まろうとしていた。今朝も確かにここにいた。目の前の壁が動くと同時に自分も動き出す。そしてそのまま、大勢の波に流されていく。
 朝だろうが夜だろうが変わらない。
 では、昼は――そんな考えを抱くことすらもうない。

『お客様にお知らせします。大雨の影響により――』

 そんな言葉を耳から耳へ通り抜けさせながら、コツコツという足音をリズミカルに鳴らせていた。
 数年前は自分で鳴らす音に、何故か心地良さを覚えたものだった。
 もはや、遠い昔の話とも言える気がする。思い出すのも億劫なのに思い出してしまうのは何故なのか――それこそ考えるのも面倒でしかない。

『ただいま、五分遅れで運転を――』

 別にどうということはない。五分だろうが十分だろうが、一時間だろうが――もう影響はないのだから。
 これが朝でなくて本当に良かったと、ただそう思うだけなのだから。

 ――どおおおぉぉーーーんっ!

「うわっ! 落ちたぜ!」
「すぐそこじゃん!」
「もー、マジでビックリしたしー!」

 そんな若者たちの声が、まるで耳鳴りのように聞こえてくる。
 別に叫ばなくても皆分かっている、いちいち叫ばないとやってられないのかと、そんな苛立ちが募る。
 しかしそれを発散させる手段は、如何せん持ち合わせていないのだった。

『お待たせいたしました。まもなく、三番線に――』

 助かった――初めてそう思った。これに乗れば帰れる。余計なことを考える必要はもうしなくていいのだと。
 そんなことを考えているうちは平和だった。数分後にそれを思い知らされる。
 混雑に加えて、流れる景色が途中で止まってしまうアクシデントの発生に、ふんわりとした思考が急に地面に着地した。なぜ今になって『おしくらまんじゅう』をしなければならないのか。
 押されて泣くようなことはしない。
 ただ、潰されるだけだ。
 むぎゅむぎゅと、ひたすらにむぎゅむぎゅと潰され、蒸れる空気の中をひたすらやり過ごす。ほんの些細な数分が、途方もなく長い時間に感じてならない。

『お出口は左側です。どなたさまも、お忘れ物をなさいませんよう――』

 それでも気がつけば、辿り着きたかった場所に辿り着けている。
 焦る必要なんてなかった。当たり前の話なのだ。落ち着けば全て事が上手く運ばれていくのは、これまでにもたくさん経験してきたことだ。
 そして動く壁を通り抜けて降り立った瞬間――激しい音が鳴り響いていた。
 雨だ。
 考えるまでもなく、水の叩きつける音がうるさ過ぎる。
 近くに大きな滝でもできたのだろうかと、そう思いたくなるほどに。

『お客様にお知らせします。ただいま大雨の影響により――』

 そんな機械じみた声を聞きながら、バッグの中から折り畳み傘を取り出す。
 正直、もう傘をさして歩くのも億劫だ。
 しかしながら、そうしないわけにはいかない。
 これから向かう場所で、自分のことを待っている人たちがいる。一人の彼と二匹の子たちに、びしょ濡れとなった自分の姿を見せたくない――そんな想いを強く抱きながら歩き出した。

「もう少し……あともう少し……」

 無意識に口から声が漏れ出る。しかしそれを気にするだけの思考を、今は持ち合わせていなかった。
 ここ何日も寄り道せずに帰っており、愛する『白い子』に会えていない。
 きっと寂しがっている。少しでも甘やかしてあげたい。抱っこしてあげたい。顎や背中をたくさん撫でてあげたい。
 そこに行けば――灰色の世界から暖かな世界に切り替われるのだ。
 雨は更に激しくなる。周りの音を完全にかき消している。
 しかし、そんなことは気にならない。
 重々しく感じていた気持ちが、今では嘘のように軽々しく感じていた。これもあの子たちの――そして彼のおかげなのだろうと思った。

「ふふ、なぁに食べようかなぁ?」

 いつになくフワフワした気分になっていた。
 あの美味しいナポリタンを、また作ってもらおう。グリーンサラダも大盛りで付けてもらい、コーヒーもたくさんお代わりしてしまうのだ。
 いっぱい――今日はもういっぱい、甘えてしまおうじゃないか。
 そんなことを考える中、目の前が明るくなった。
 自分が憩いの場と認めるあの場所が、やっと見えてきた――それが分かり、更に足取りがゆらゆらと大きく揺れる。
 不思議な感じだった。いつもならこんなに左右に動くことなんてないのに。
 宙に浮くような感覚なんて、味わうことはないのに。

 ――カランコロン♪

 その音を最後に、地面を感じなくなった。


 ◇ ◇ ◇


 土砂降りの雨は、うるさい音を立て続ける。夕方からパラパラと振り出してきたその雨が、まさかここまで凄まじいものになるとはと、猫太朗もさすがに驚かずにはいられなかった。

「凄いな……こりゃあ天気予報も、完全に外れちまってるや……」

 一人の客もいない静かな店内の窓から、猫太朗は外の景色を見つめる。
 日も暮れて、更にこの凄まじい雨とくれば、もう今日はお客さんが来ることもないだろうと思えてしまう。
 こんな町外れに、土砂降りの中わざわざ訪れるとも思えない。
 恐らく『彼女』も来ないだろう――猫太朗がそう思い、少しずつ閉店作業でも進めてしまおうかと思った、その時であった。

「にゃーっ!」

 マシロが扉の外に向けて、大きな鳴き声を上げる。何事かと思い、猫太朗も改めて外を見てみると――

「……あっ、めいさんじゃないか!」

 よれよれのスーツ姿で、確かにこの『ねこみや』に向かって歩いてきている。心なしかいつも以上にフラフラと体を揺らしているが、今の猫太朗にそこまで気にかけるだけの余裕はなかった。
 久しぶりに訪れた知人の姿に、ただただ驚いていた。
 思わず彼のほうから、店の扉を開けてしまう。

「めいさん!」

 猫太朗が大きめの声で呼びかけると、俯いていためいが顔を上げる。完全に虚ろとなったその表情に驚くも、すぐさまいつもの笑みに切り替えた。

「いらっしゃいませ……というか、お帰りなさい。最近また、忙しくして――」

 言葉は途中で止められてしまった。目の前でぐらりと――めいの体が傾いた。
 そしてそのまま、音を立てて倒れてしまった。

「め、めいさんっ!?」
「にゃっ!」
「にぅ!」

 猫太朗と二匹の猫が、慌てて駆け寄る。うつ伏せとなった彼女は、目を閉じたまま動かない。傘も路上に放り出されてしまっているが、それどころではない。

「めいさん! しっかりしてください! めいさん――めいさんっ!」

 猫太朗が必死に呼ぶ中、雨の音が更に強くなってきていた。

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