猫の喫茶店『ねこみや』

壬黎ハルキ

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01 小さな黒猫に導かれて

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 青空がオレンジ色に差し掛かる時間帯――まだそれなりに空いている電車の手すりを背もたれにしながら、一人の女性が流れる景色をぼんやりと見ていた。

「はぁ……なんか不思議な気分ねぇ……」

 西園寺めいは、誰にも聞こえないような小声で呟いた。
 二十代後半で主任という役職を会得し、業績も年々右肩上がりな彼女は、まさにキャリアウーマンと呼ばれるに相応しいだろう。
 しかしそれは、あくまで周りから認識されている評価に過ぎない。
 当の本人からすれば、そんなのいつ誰が望んだんだと問いかけたくなるくらい、心の底から疲れ果てていたのだった。
 毎日が激務だ。
 朝から晩まで仕事のことしか考えてない。主任の立場を得てから、更に忙しさが増したような気がする。
 期待されていると言えば聞こえはいいだろう。
 しかしめいは知っている。周りが自分を『使い勝手のいい存在』としか見なしていないことを。
 おかげで毎日が残業だ。ちゃんと残業代が出ているから文句はない。
 むしろ世の中の不況を考えれば、素晴らしいとすら言える。
 実際、ここ数年でかなりの額を稼いでおり、それを使う暇もないため、貯金は増えていく一方なのだ。
 しかし――

(幸せって、ホントなんなんだろ?)

 めいの表情に笑みこそ宿ってはいるが、『幸せ』の二文字からは程遠い。
 トンネルの中、電車の窓ガラスに映し出される自分の顔を見て、改めてめいは自分でそう思えてならないほどであった。
 全くもって、意味が分からない。
 金も、それなりの地位も得ているはずなのに、どうして自分の人生は、こんなにもお先真っ暗なのだろうかと。
 今となってはそれを考えるのも、ただ面倒なだけであった。
 考えたところで何かが起こるわけでもない――むしろ余計なため息をつくだけだと分かっているからだ。

(多分この先も……私はずっと一人なんだろうなぁ)

 恋愛なんてする暇もない。同期が結婚したり社内恋愛する話は、右から左へ聞き流している。厳しくも冷たい表情が出ているのか、もはや男から声をかけられることも全くない状態だ。
 果たして周りは、それをどう解釈したのだろうか。
 西園寺めいは恋愛に関しては『鉄壁』だから、アタックしたところで笑顔なんて見せてもくれないよ――なんていう噂が社内で広まっている。
 無論、そんなのは誤解もいいところである。
 余計なエネルギーを使うのはまっぴら御免だから、うんざりしながらもそのままにしている感じだが。
 もう彼氏や結婚は諦めているも同然だ。
 就職して以来、自分の生活を安定させるのに必死だったのだ。
 それ自体は成功したと言える。しかしそこから『幸せ』に繋がらない自分を、果たして過去の自分が見たらどう思うだろうか。

(……まぁ、いいけどね。今は今日という『奇跡』を楽しまないと!)

 目を背けるという名の開き直りを心の中で行いつつ、トンネルを抜けて再び流れてゆく夕焼け空を、めいは見上げる。

(まさか、定時退勤日でもないのに定時退勤できるなんてね……最初は何かの冗談かと思ったわよ)

 それぐらい、めいにとっては奇跡を通り越した信じられない出来事だった。珍しく仕事が早く片付き、追加の仕事が割り振られることもなかった。
 おかしい、絶対に何かがある――そう思いながら、めいは身構えていた。
 しかし実際にあったのは、今日は何もないので帰りましょうという、部長からの優しいお言葉のみ。疑いながらも会社を出たが、本当に何もない。やっぱり戻ってきてという連絡も来る様子はなかった。
 ――たまにはこーゆーこともあるのだろう。
 そう結論付け、めいはつかの間の幸せを満喫することに決めたのだった。
 夕焼け空の景色を見ながら乗る電車もさることながら、最寄り駅についてもまだ真っ暗でないというのは、果たして何年ぶりになるだろうか。

(あぁ……奇跡って素晴らしいわぁ♪)

 しばらくそんな感激に酔いしれていたせいだろうか、めいは無意識のうちに駅から歩き出しており、いつの間にか閑静な住宅街のど真ん中を歩いていた。
 そして我に返った瞬間、めいは幸せそうな笑顔から一転、きょとんとしながらも目はしっかりと見開かれた表情を浮かべる。

「……あ、あれっ?」

 めいは思わず立ち止まり、キョロキョロと周囲を見渡す。明らかに見覚えがあるようでない風景だった。
 バッグからスマホを取り出し、地図アプリを立ち上げてみる。
 GPS機能のおかげで、自分が今どこにいるのかは、すぐに判明した。

「あー……ウチに近づいてはいたのね」

 ただしいつも通っている道とは全然違う。家に向かいつつ、いつもと違うルートを歩いてみよう――それを無意識に行っていたらしい。
 どれだけ浮かれてたんだと、めいは自分に対してため息をつく。
 同行人がいなかったのは幸いだった。こんな自分を通行人に見られてしまっていただろうが、今更それを悔いても仕方がない。

「でも、晩ごはんどうしよう? 今から戻るのもなぁ……」

 よくお世話になっているチェーン店の居酒屋や定食屋が並んでいる駅前からは、大分離れてしまっている。わざわざ来た道を引き返す気にはなれない。

(かと言って、ウチには碌な食材もないし、スーパーは遠回りになるし……やっぱここはコンビニかなぁ? うん……結局そうなるか)

 思わずめいは肩を落とす。残業中の夕食は、決まってコンビニであった。とどのつまり、家で食べるか会社で食べるかの違いでしかない。折角こうして定時で帰ってこれたというのに、これはどうなのだと、流石に思わずにはいられない。

「……まぁでも、しゃーないか」
「にゃあ」
「人間開き直りが肝心だから――ん?」

 物凄く近くで可愛らしい鳴き声が聞こえた。足元を見下ろしてみると、一匹の小さな黒猫が佇んでおり、ジッとめいのことを見上げてきていた。

「あらら、いつの間に……」

 めいは思わず後ずさりしそうになりながらも、黒猫をマジマジと見つめる。
 首輪が付けられており、少なくとも飼い猫であることは分かる。飼い主の家から抜け出して、散歩でもしているのだろうか――そう思っていた矢先に、黒猫は踵を返して歩き出してしまう。

「あっ――」

 思わず手を伸ばそうとしためいだったが、それはすぐに止まる。

「ハハッ、何してるんだかね、私……」

 誤魔化すように笑みを浮かべるめい。もしかして自分を気にかけてくれたのではと思ってしまったことを自覚し、そんなはずはないと思ったのだった。
 たまたま近くを通りかかっただけのこと。それ以上でもそれ以下でもない。
 そう結論付けながら、なんとなく抱いた寂しい気持ちを押し殺し、そのままコンビニへ向かって歩き出そうとした。
 しかし――

「ん?」

 前方で黒猫が立ち止まっており、めいのほうを振り向いていた。めいは首を傾げながら歩き出すと、黒猫も合わせて歩き出す。そして立ち止まってみると、黒猫も少しして同じように立ち止まって振り向く。
 どうしたの、早くついてきて――何故かそう言われているような気がした。

「何か分からないけど……」

 めいは黒猫の後をついて歩き出した。

(知らない人について行くなとは言われてるけど、知らない猫について行くなとは言われてないもんね!)

 そんな謎理論を脳内で展開しつつ、めいは黒猫に連れられる形で歩いていく。
 気がついたら、住宅街の端っこまで来てしまっていた。
 そこは小さな自然公園がある場所だった。近所にこんな場所があったのかと、思わぬ形で新しい発見をしてしまう。

「なにこれ……喫茶店?」

 小さな一軒の建物をめいが見つめる。手前のボードに『ねこみや』と書かれているのが見え、恐らくそれが店名だろうと判断する。
 周囲には他の一軒家も少なく、ポツンと建っている感じが割と目立っていた。

(営業はしているのよね? 明かりはついてるんだし……)

 そう思っていると、黒猫がトコトコと喫茶店に向かって歩いてゆく。そして扉の前にちょこんと座ること数秒――カランコロンという音とともに扉が開いた。

「やあクロベエ、お帰りなさい」
「にゃっ!」

 店主らしき青年がしゃがみ、クロベエと呼ぶ黒猫の頭を撫でる。めいは呆けた表情でそれを見つめていた。

「――ん?」

 そして青年も、立ち尽くしているめいの存在に気づく。二人の視線が交錯し、不思議な空気が流れてゆくのだった。

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