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第四章 闇の女神

4-24 ミュウの想いとアイルの決意

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 東の大陸の南方に点在する村々のうちの一つ、メイアの村には『巫女』と呼ばれる存在がいた。

 もともとハイマン族と人間の混血として北の王国を追われた人々が作った村であるために、時々特殊能力を持った者が産まれることはあった。
 その中で遠くで起きている出来事をまるで眼の前で起きているかのように見ることの出来る能力を持って産まれた娘がいた。

 メイアの村人たちは彼女を『巫女』として祀り、狩りに行く際の獲物の位置や村に迫る危険などを察知する大切な役目を与えた。

 その『巫女』は外見は人間そっくりだったが、寿命や魔力などについては成長するにつれてハイマン族としての特性が強く出たために末永く人々を支える存在として、女神の代行者であるなどと崇拝する者まで現れるほどだった。

 幼い頃からその役目を担わされていた『巫女』は、己の役割に疑問を持つこともなく日々を送っていた。
 その役目上、村から長時間出ることも叶わず、村長宅の隣に建てられた祭殿の中で丸一日を過ごすことも少なくなかった。
 彼女はその能力故に、自然と本来の目で物を見ることをしなくなった。
 常日頃から目を閉じ、その能力で全てを見る癖がついていた。

 そんなある日『巫女』は、とある村の青年にときめいている自分に気づいた。

 その青年は外に狩りに出かける役の一人で、獲物の一部を『巫女』に捧げる役目も負っていたために何日かに一度は顔を合わせていた。
 凡そ普段は村の重鎮である老人達としか顔を合わせず、村の中でさえ自由に散策することも出来ない少女が、供物を持ってくるたびに逞しく爽やかな笑顔で微笑みかけてくれる青年に恋してしまうのはごく自然な成り行きでもあった。

 遥か遠くを見通す力を以ってしても青年の心の内を知ることは出来ない。

 青年が狩りに出掛けた折などはこっそり周囲の目が無い時に、その狩りの様子を遠視したりもした。

 自分はこれほどまでに青年に恋焦がれているが、果たして青年のほうはどうなのだろうか。
 立場上、気軽に声をかけて問うことさえ出来ない己の身を初めて恨んだ。この頃から『巫女』は自由の効かない立場と、その原因である特殊な力を厭うようになった。


 青年の心の内を知りたいという欲求が日に日に増していったある日、『巫女』の神託が聞きたいという一人の拝謁客が案内されてきた。

 黒いローブを身に纏った女性の参拝客だったが、何を知りたいのかと問うた時にその女性が話した内容に『巫女』は衝撃を受けた。

「相手の心の内を知ることが出来る力を与えてあげましょうか? 代わりにあなたのその『魔眼』の力、遠くの物を見ることが出来る力をちょうだいな」

 もちろんその場では断ったが、彼女にとって余りにも魅力的すぎる提案だった。

 その力があれば青年の心を知ることが出来る。と、同時に自分を縛り付けるこの力を手放すことが出来る。
 力さえ無くなれば『巫女』として扱われることはなくなり、一人の自由な人間として生きることも許されるはずだ。

 まさに一石二鳥だった。

 だが同時に恐ろしくもあった。母を裏切ることになるし、村人や他の村の人達をも失望させることになる。
 何よりも力を失くした自分など、どう扱われるかわからない。

 結局彼女はローブの女性の提案を受け入れることは出来なかった。

 しかし、一度心に燻った小さな炎は消えることはない。

 狩りに勤しむ青年の姿を遠視しては高鳴る胸の内を自覚しながら、『巫女』はもう我慢できなくなっている自分を知った。

 深夜、フラフラと村の近くの林を彷徨い歩いていると、目の前にあの黒いローブの女性が現れた。彼女がここに来るのを知っていたかのような現れ方だった。

「ふふっ、どお? やっぱり知りたいでしょう?」

 『巫女』は力なく頷いた。

「なら、契約を交わしましょう。きっと素敵な取引になるわ」

 夜の闇に今にも溶け込みそうなその女性は、妖艶に笑うのだった。


 いざ力を失った彼女はうろたえた。

 もう能力で周囲を見ることは叶わないのだからと、しばらくぶりに目を開いてみたが何も見えなかった。

「それは無理よお。あなたの能力は『目』そのものだったんだから。私に能力を渡した時点で『目』もなくなっちゃったの。ああ、残り滓の入れ物は残ってるけどね?」

 それから女性は彼女に別の方法、すなわち元々彼女に備わっていた風系統の魔力を使って周囲の状態を知る方法を教えてくれた。
 元から素養があったのか、少しコツを聞いただけで様々な魔力の扱いについて一晩で習得した彼女は、以前と同じように目を閉じたままでも周囲を把握することが出来るようになった。

「もっと色んな魔法を使えるようになりたくなったら、また私に会いにいらっしゃいな。私に会いたいと思えば、会えるわ」

 そんな言葉を残して女性は闇へと消えた。


 翌日まだ彼女が能力を失ったと知らない村人たちはいつも通りの対応であったが、昨夜女性に注意されていた通り『巫女』自身の魔力の高さ故に村中の人間の思考が飛び込んできて彼女は思わず吐きそうになった。

 人間とは如何に表の顔と全く裏腹の事を考えて生きているのだろうか。

 それから数日かけて、意識しなければなんとか自分のごく近くにいる人間の思考ぐらいしか流れ込んでこないようにすることは出来た。

 幸い、神託を聞きに来る相手も訪れなかったために彼女が既に遠くを見る力を失くしていることに気付く者は一人もいなかった。


 そして運命の日。

 あの青年が再び供物を持ってやってきた日。

 逸る心を押さえながら、そっと青年の心を覗き見る。


「あ……」

 そこには、女性がいた。

 彼女もよく知る村の女性の一人だ。

 供物を決められた場所に置きながら、いつもの爽やかな笑顔を浮かべながら、青年はその女性の一糸まとわぬ姿と、昨夜その女性と過ごした一夜を思い出しては下品な幸せに浸っていた。



 『巫女』はその場で嘔吐した。

 それからは大騒ぎである。

 動揺する村長を始めとした人々に『巫女』は己が力を失ったことを告げた。

 口々に『なんと!』とか『それはお労しい』などと言っているが、心のうちは自分たちの村が今後他の村に対して強い立場でいられなくなることへの不安や、的確な狩りが出来なくなること、そして村に迫る獣の危険を察知出来なくなるなどそれぞれの利害についてしか考えていなかった。


 それからの彼女に対する村の扱いはそれは酷いものだった。頼みの母も自分を守ってくれないと知った時、彼女は村を出る決心をした。

 そしてある夜、村人が寝静まった頃に村を出たところで、いつぞやの夜と同じようにあの黒いローブの女性が当たり前のように立っていた。

「どうせ行く宛ないんでしょ? こうなっちゃった責任の一端は私にもあるんだし、よかったらしばらく私の所に来る?」

 別に会いたいと思っていたわけではないけど、と思いつつ他に行く宛とてない彼女はそのまま女性についていった。

 道すがら、改めてお互いに自己紹介をした。

 ローブの女性はヘレンといった。

 これが魔女ヘレンと、『元巫女』ミュウの長い物語の始まりだった。


──────────────────


(なるほど、ヘレンの狙いはそれでしたか。あの失敗というのは、永遠の寿命を手に入れるのに失敗したということ、そして今度こそアイルさんからそれを手に入れようとしている、と)

 さて、困ったことになったとミュウは考える。

 身動きひとつ、声一つ出すことさえ出来ない状態ではあるが思考は生きている。

 先程のヘレンの言葉からすれば要するに自分は人質である。

(だから助けになど来なくていいと言っているのに、本当にもう)

 もちろん言っていない。というか、アイルにその言葉を伝えてはいない。

 アイルもここで超常的な力を発揮して、自分の考えていることを読めるようになってくれればいいのに。などと無茶な注文までつけ始める。

 発言も身じろぎも出来ない今の自分には、もういいから帰れということを伝えることさえ出来ない。

(自ら命を断つことさえ出来やしない。まあ、そうさせないために呪縛の魔法をかけられたんでしょうけど。アイルさんが寿命が普通の人間になってしまったら、交換条件で私が解放されてもアイルさんが先に死んじゃうじゃないですか。そしたら私はアイルさんがお爺ちゃんになって死んでいく所を看取ってあげなくちゃいけなくなりますよ。それでその後はひとりぼっちで生きていかなくてはならなくなります。ああ、でも子供ができれば一人ではないですね。何人かの子供のうち、私のように長寿を発現する子がいてくれれば寂しさはちょっとは薄れますね……)

 そこまで思考を巡らせたところで、とても重大な事に気付くミュウ。

(え? なんで一生アイルさんと共にいることが確定事項みたいになってるんですかね? それに子供って……)

 そこで、数十年前に垣間見てしまったあの青年の心の中の男女の行為を思い出す。

(えええ、私とアイルさんがあんなことを? 他にもあの街で見たこんなことや、あの村で見たそんな行為まで? いや、アイルさんてばそんなことに興味が? 変態ですね。無表情で興味なさそうな顔をして、そういうのを確かムッツとかなんとか言うんでしたっけね)

 最早混乱してアイルが様々な行為に興味がある変態紳士であることにされてしまっているのだが、ミュウ自身もそれに気づいていない。

(まあ、ご希望とあれば旅の間に色んな事を試してみるのも悪くはないと思いますけど、お手柔らかにお願いしますねっ!!)


 心の中でアイルを睨みつけるミュウであった。


──────────────────


「で、どーお? 断ったらミュウちゃんは一生このまま人形のように動けないまま生き続けることになっちゃうけどお?」

 そうきたか。とアイルは舌打ちする。

 ミュウの力を失いたくないヘレンにはミュウを殺すことは出来ない。
 だから、ミュウの身柄と引き換えになどというのはハッタリだと踏んでいたが、殺さずにあのままの状態を解除しないというのであれば可能だ。

 そして出された条件は、ハイマン族として本来のアイルが持っている寿命をヘレンに渡すこと。

 これも別にアイルにとってはなんでもないことだ。

 人としての寿命になるのか、それともいまここで死ぬのか。

 だが。


 アイルは黙って剣を抜いた。

「あらあ? そう来るの? ざーんねん。ちょっと読みが外れちゃったなあ」

 ヘレンは心底残念そうな顔をした。

 アイルに剣を抜かせたのはヘレンへの怒りでもなく、ミュウを助けたいという想いでもなく、ましてや己の寿命を譲りたくないなどという利己心ではなかった。

 ヘレンの失敗はただ一つ、アイルに昔話をしたせいで彼に『エレノアとの約束』を思い出させてしまったことだった。

 約束を守るために魔女を討つ。

 自分が寿命を失って、この気まぐれな魔女ヘレンが永遠に生き続けるのだとしたら、エレノアが我が子のようだと言っていた人々にどのような災厄が降りかかるかわからない。
 いま、ここで、討つしかない。

 アイルはそう決めたのだった。
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