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04.婚約は白紙になりましたから②

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 まずい。早く答えなければ。そう思えば思うほど、いつも向けられている失望の眼差しを思い出し、アイリスの頭は真っ白になっていく。

「あ~……。いや、泣いていたようだから」

 シャルルが気まずそうに自身の目の下を指差す。それにアイリスは、目を擦ってしまったために赤くなっているのだと理解した。

「お、お見苦しいものをお見せしました」
「そんなことは……。あっ、そうか。そういえば、スタジッグ伯爵令嬢には婚約者がいらっしゃいましたね。余計なお世話だったようだ」

 シャルルが眉尻を下げる。“婚約者”という言葉に、アイリスの胸が痛みを訴えた。

「あちゃー……。思わず引き留めたけど、オレと二人っきりは良くなかったね」
「……いいえ」
「でも」
「婚約は白紙になりましたから……」

 シャルルはキョトンと目を瞬くと、次いでばつが悪そうに視線を明後日の方向へと向ける。きゅっと口を噤んだ。

「申し訳ありません。私事で空気を悪くしてしまうなど」
「これは確実にオレが悪いです。配慮に欠けてたよ」
「お気になさらないで下さい。流石に無理がありますから」
「というと?」
「私も先ほど知ったことですので」
「あ~……なるほど」

 アイリスの涙の原因と繋がったのか、シャルルは何とも言えない顔になる。何事かを考えるような間のあと、シャルルの指がハープの弦を弾いた。

「よければ一曲、如何ですか?」
「え?」
「これも精霊が結んだ縁ですから」
「精霊が、ですか?」
「あれ? この国ではそう言わないのかな。ポプラルースでは、こういった不思議な縁は精霊が運んで来るといわれてるんだよ」
「……この国にも精霊はまだ住んでいるのですか」
「もちろん。さっきも歌っていたら精霊達が集まってきてね。キミも見たでしょう?」
「あれは、精霊魔法では」
「ないない。遊んでただけ、あぁ、いや、心を通わせてたんだよ」

 シャルルがハープの鳴らすと、答えるようにアイリスの頬を風が撫でた。池に近付くにつれて空気が澄んでいくような感覚がしていたが、あれは気のせいではなく精霊達が集まっていたからなのだろうか。

「精霊とは、どのような姿をしているのですか?」
「ん~? 姿っていうのか、丸い光の粒に見えてるかな~。力を貸してくれる時はキラキラ~って。煌めいて綺麗だよ」
「素敵ですね」

 勉学しかなったアイリスには、学ぶという行為が生の全てで。いつしか、学びが最優先事項となってしまっていた。

「では、心を通わせるというのは」
「まぁまぁ、好奇心旺盛なのは良いことだよ。でも、歌は? もしかして、これは遠回しに遠慮されてたりする?」
「も、申し訳ございません! そのようなことは! あぁ、でも、私なんかに」
「誰にも聞いて貰えない方が、勿体無いとは思わない?」

 シャルルの言葉に、アイリスは言葉を詰まらせる。同意を求めるように「ね?」と問われて、アイリスは頷くしかなかった。

「では、『とある探検家の備忘録』『絵描きの幸福』『小人の恩返し』……。明るく楽しい曲調のものなんだけど、元気になるかな~。普段、好き勝手に歌ってるから」
「えっと……」
「気になるものを好きに選んでね」
「では、『絵描きの幸福』を」
「ん、分かった」

 シャルルがハープを奏で始める。言葉の通りに、明るく楽しい音色であった。

「『これは、オレが城の使用人から聞いたお伽噺。とある街の片隅に絵描きの男がおりました。その男が描くのは、いつも美しい花々。しかし、手に取ってくれる者はなかなか現れず……』」

 語りから始まったそれに、アイリスは一瞬で引き込まれる。穏やかでゆったりとした聞き取りやすい声が、物語の世界へとアイリスを誘った。

「《花咲く街は鮮やか 絵筆を走らす僕は透明 誰か見つけて 今日も終わらぬ隠れん坊》」

 絵描きの苦悩から始まった歌は、呪いにより近くの花々が枯れてしまうようになったと嘆く魔女との出会いによって変わっていく。絵描きの花の絵に救われた魔女に、絵描きも救われ。二人の幸福の中、歌は終わりを迎えた。

「『これにて、終幕。めでたしめでたし』」

 ハープの音色が止む。アイリスは余韻に浸りながら、シャルルに拍手を送った。

「素晴らしかったです」
「何だか照れるな~。でも、少しでも元気になってくれたみたいで良かったよ」
「はい。お礼申し上げます。光栄でございました」
「大袈裟な気もするけど……。どういたしまして。オレも楽しかったよ」

 こちらの気も抜けるようなへにゃりとした笑みを浮かべた桃色の瞳に、アイリスは目をパチクリと瞬く。アイリスの様子に、シャルルは不思議そうに小首を傾げたのだった。
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