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ファイエット学園編

52.モブ令嬢と死亡フラグ

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 まぁ、自業自得だ。シルヴィは既に聖光教の男達に快い感情を持っていなかったので、特にルノーを止めるつもりはなかった。寧ろ、男達の心がへし折れればいいのにくらいのスタンスではある。

「封印に使われていた聖なる剣には闇魔法が掛かっていた。どうしてだと思う?」
「何を馬鹿な」
「そう。聖なる国には光魔法を使える一族しか住んでいなかった。にも拘らず精神破壊の闇魔法が掛かっていたんだよ。興味深いだろ?」

 男達は、怪訝そうにルノーを見遣る。何が言いたいのかと顔に書いてあった。
 そんな男達を見て、ルノーが笑みを深める。こんなに面白い事はないと。

「その闇魔法は、光の乙女の友が掛けてくれたそうだよ」
「……は?」
「誰だと思う? 君達のよく知る人間さ」
「しら、ない。そんなモノ知らない!」
「ソセリンブ公爵」

 男達が息を呑んだ。そして、「知らない」「違う」とうわ言のように繰り返し出す。

「信じない? あぁ、それとも信じたくないのかな? じゃあ、陛下にお会いした時にでも聞いてみるといいよ」

 男達の息がどんどんと荒くなっていく。とても息苦しそうに見えた。理解したのだろう。この話を最後まで聞けば、強固だった筈の足元が崩れ落ちてしまうということに。

「“ソセリンブ家が公爵位を賜れたのは、魔王封印に貢献したからですか?”とね。現国王陛下がご存じなくとも、王家の記録には残っている筈だ。懇願すれば、情けを掛けて教えて下さるよ。きっとね?」
「うそ、だ……」
「光の乙女の友の血筋を消して回るとはね。凄いな。さぞや神聖で崇高な信仰心なんだろう」

 言葉と声音が合っていない。感動している風を装っているが、滲んでいるのはあからさまな嘲笑だった。煽りに煽っている。

「“光の乙女のため”だったかな? 面白いことを言う。悦に入っていたのは、君達だけではないの?」

 それが止めだったらしい。一人はがっくりと項垂れ、もう一人は何やら口汚く喚き出した。ルノーは態とらしく、こてりと首を傾げる。何が間違っているのかと言いたげに。

「頭がからっぽで幸せなことだね」
「そこまで!」

 フレデリクの制止の声に、ルノーが少し不服そうな顔をする。それにフレデリクは溜息を吐きつつも、「分かった」と返した。

「懇願せずとも良い。俺が責任を持って教えてやろう。その命が尽きる瞬間まで、自らの行いを悔い恥じるためにな」

 皇太子に睨まれ、喚いていた男も大人しくなる。フレデリクが「連れていけ」と言えば、男達は警備の者に引き摺られていった。
 それを呆然と見送っていたトリスタンが、不意に笑い声を漏らす。その顔には、心底愉快そうな笑みが浮かんでいた。

「俺、本当に性格悪いんだなぁ……。ざまあみろとか思ってる」

 それで性格が悪いなんて事はないだろうとシルヴィは思った。ルノーなんて、まだ物足りないという顔をしているのに。

「奇遇ですね、トリスタン様。わたくしも好い気味だと思っておりますわ」

 罪悪感なんて感じる必要はないのだ。悪いのはあの男達なのだから。シルヴィはニンマリと悪く見えるような笑みを浮かべて、トリスタンに共感を贈っておいた。
 何処か見惚れるような視線をトリスタンがシルヴィに向ける。しかし、シルヴィの後ろにいるルノーが不愉快そうな顔をしているのに気づいて、一瞬で顔を真っ青にさせた。
 急に頭を左右に振り出したトリスタンに、シルヴィが戸惑った顔になる。シルヴィがルノーの方へと振り返った時には、ルノーの顔は普通に戻っていた。

「……んん?」
「どうしたの? シルヴィ」
「いや、何か……」

 眉間に皺を寄せたシルヴィに、ルノーは困った風に眉尻を少し下げる。シルヴィの手にスリ……と甘えるように自身の手を重ねた。そのまま指を絡めようとして、「いっ!?」とシルヴィの痛がる声に肩を微かに跳ねさせる。
 自分のせいかと焦った顔をしたルノーが、シルヴィから手を離した。自由になった手をシルヴィが少し上げる。痛みが走った手の平に視線を遣った。

「なに? それ」
「あれ? 擦りむいてる?」

 ほぼ同時にルノーとシルヴィが声を出す。シルヴィの手の平には、赤が滲んでいた。少し血が出たらしい。とは言っても、軽症。シルヴィが言った通りに、少し擦りむいているだけであった。
 そこでルノーは思い出す。先程シルヴィが地面に座り込んでいた光景を。しかも、何故かベンチの前の地面に座り込んでいた。伯爵令嬢のシルヴィが。ベンチではなく。地面に。

「誰の仕業かな?」

 飛んでもなく低い声だった。であるのに、ルノーの顔に浮かんでいるのは、何処までも美しい微笑みで。シルヴィは思わず「ひぇっ……」と声をもらしてしまった。

「だれ、だれって……」
「うん。僕に教えてくれるね?」

 有無を言わさないルノーの圧に、シルヴィは懸命に記憶を探る。そして、突き飛ばされたことを思い出した。ジャスミーヌに。これはまずいと、シルヴィは口をきゅっと閉じる。
 そして、それを思い出したのはシルヴィだけではなかった。ジャスミーヌの顔色が急激に悪くなっていく。
 二人の脳裏に浮かんだのは、同じゲーム画面だった。“魔王が暴れたことにより、ジャスミーヌ・オーロ・ガイラン公爵令嬢は亡くなってしまった”そのたった一文で締め括られた悪役令嬢の最後。

「わ、わたくし……」

 あ、ヤバい。シルヴィがそう思った時には遅かった。

「死亡フラグを踏んでしまったの!?」

 ジャスミーヌが自滅した。今まさに踏みましたと、シルヴィは両手で顔を覆う。言わなければバレないモノを。
 ジャスミーヌとシルヴィの様子から、ロラは何となく状況を把握したらしい。そして、二人と同じゲーム画面を思い浮かべる。シルヴィと同じく両手で顔を覆ってしまった。

「ガーランド」
「何でしょう?」
「死亡フラグって何だと思う?」
「ディディエ、僕に聞かないで下さい」
「死亡って、死ぬって意味だよね? 死亡するような事を姉さんがしたって事で間違いなかったりする?」
「……分かりません」
「絶対に分かってるじゃ~ん。間違いないってさ~……」

 ディディエも両手で顔を覆う。ガーランドはこめかみを押さえた。よりにもよって一番手を出してはいけない人に怪我を負わせるとは、何を考えているのだ、と。

「ち、違いますの! わたくしは、ただ、あの、トリスタン様を守りたかっただけで!」

 ジャスミーヌと目が合ったトリスタンが、ゆっくりと顔を背ける。ジャスミーヌがショックを受けた顔で「トリスタン様ぁ!」と縋るような声を出した。

「いやいやいや!! 俺にどうしろと!?」
「だって! だって! ルノー様が魔王だなんて聞いてませんわ! ゲーム会社は何を考えていらっしゃるの!?」
「何の話ですか!?」
「まぁ、ジャスミーヌ様の言いたい事は分かるわ~。どういう設定? とはなる。けれど、ジャスミーヌ様? 私~、言っておいたと思うのよ~?」
「え?」
「ジャスミーヌ様は推しの事になると更に周りが見えなくなるから、気を付けて~って。軽率な行動はダメよ~って。言ったはずよね?」

 ロラがニコッと笑う。圧のあるそれに、ジャスミーヌが息を呑んだ。それでも、助けを求めるようにロラから視線は逸らさない。

「あのね? ヒロインじゃダメなの。だってどのルートでも、ヒロインは悪役令嬢を救えないんだもの」

 ロラが眉尻を下げた。それに、ジャスミーヌが震え上がる。ヒロインと悪役令嬢は敵対しているのだ。ヒロインの力を持ってしても、いや、ヒロインだからこそなのかもしれない。悪役令嬢を救えるかは分からなかった。
 ルノーの瞳が剣呑な色を宿して細まる。肌を刺すような何かを感じて、シルヴィは両手を離して顔を上げた。
 本格的に物騒な雰囲気になってしまっているルノーに、シルヴィは目を瞬く。これは、止めた方が良いパターンだ。折角、大団円で終わりそうだったというのに。
 シルヴィは、体を反転させてルノーと向き合った。それに気付いて、ルノーはシルヴィと目を合わせる。ほの暗さを孕んだ深い紺色の瞳に、シルヴィは苦笑した。

「ルノーくん」
「……うん」
「大丈夫だよ。このくらい」
「シルヴィに怪我を負わせるなんて、許されないよ」
「えぇ……? ほら、あの、舐めとけば治る」
「それはちょっとワイルド過ぎると思いますわ。ちゃんと手当てした方がよろしいかと~」
「それは、ロラ様の言う通りかもしれない。医務室に行こうかしら……」

 しかし、擦り傷くらいで大袈裟だろうか。シルヴィが手の平を眺めながら、難しい顔をする。そんなシルヴィを見て、ロラが何かを閃いたように声を出した。

「私が治して差し上げますわ! だって、光魔法は癒しの魔法ですもの~」

 そう言えばそうだったなとシルヴィは、光魔法の設定を思い出す。攻撃魔法も勿論使えるのだが、光魔法が特別視されるのは怪我を治すなどの治癒魔法が使えるからだった。それは、光魔法だけの特権。

「なので、今回は特別に見逃して下さいませんか?」

 ロラが可愛らしく首を傾げる。ヒロインモードに突入したらしい。キラキラ二割増しに上目遣い付きだ。

「寄らないでくれる? 僕はまだ君を信用したわけではないよ」
「あら~、ダメですか……」

 ルノーが不機嫌そうに眉根を寄せる。やはり光の乙女は嫌らしい。ロラはお手上げだとジャスミーヌに向かって首を左右に振った。しかし、このロラの発言によってルノーの意識はジャスミーヌから逸れることになる。
 唯一、ルノーに扱えない光魔法。確かにロラの言う通りに、治癒魔法を掛ければこんな擦り傷など直ぐに治るだろう。そちらの方が良いに決まっている。シルヴィにとっては。分かっていたが、それ程までに気に食わないことはなかった。ルノーにとっては。
 ルノーの苛立ちの矛先が変わる。どれだけ努力しようとも、光魔法はどうにもならない。もやもやとした不快感に、ルノーがムスッと口をへの字に曲げた。
 ふとシルヴィの“舐めとけば治る”という言葉がルノーの脳裏を過る。そうだ。魔物だってそうするではないかと。

「ルノーくん?」

 何やら不穏な気配を察知して、シルヴィが後退ろうとした。しかし、それよりも先にルノーがシルヴィの手首を掴む。そのままシルヴィの手を引き寄せて、ルノーは何の躊躇もなく傷口を舐めた。

「びゃっ!?」

 シルヴィの口から素っ頓狂な声が飛び出す。防衛本能だろうか。気付けばシルヴィはルノーに頭突きを食らわせていた。攻撃こそ最大の防御なのである。
 まさかそんな事をシルヴィがするとは思っていなかったルノーは、シルヴィの頭突きを顎に食らって後ろにふらつく。その拍子にシルヴィの手首を離してしまった。

「あ、わ、な、なに、なにして」

 眉尻を下げたシルヴィが、首まで真っ赤にして狼狽する。

「わ、わたし、ただの、も、モブなのにーーー!!」

 そう叫びながら、シルヴィは脱兎の如く逃げ出した。
 何を言っているのかは分からない。しかし、シルヴィに拒絶されたと言うことだけは、ルノーにも理解できた。瞬間、校舎裏に一足早い初雪が降り出す。猛吹雪で。

「シルヴィ嬢ーーー!! 待って行かないで待って!!」
「落ち着いて下さい! 兄上!!」
「ルノー! 今のはお前が悪い!!」
「今それは言っちゃ駄目です! フレデリク様~!!」
「シルヴィ嬢の姿がもう見えない。足が速いのだな」
「グラーセス卿!? そんな事言ってる場合じゃなくないですか!?」
「シルヴィ様、待ってくださいませ! わたくしが悪かったです! 謝りますから! わたくし達を見捨てないでーー!!」

 そんな声を背後に感じながらも、シルヴィは止まらずに走り続ける。これはもうキャパオーバーである。どうしてこんな事になってしまったのやら。シルヴィだけが混乱していた。
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