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ファイエット学園編

02.モブ令嬢とお祝い

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 これは帰れないパターンか。シルヴィは目の前で優しく微笑むルノーにひとまず笑顔を返しておいた。
 教室での学校説明が終わり、寮に帰ろうと校舎を出たら待ち構えていたルノーに、「シルヴィ」と声を掛けられたのだ。それはそれはもう、嬉しそうに。
 何年間も会えていなかったかのような雰囲気をルノーは出しているが、春休みで帰ってきていたじゃないか。つい先日まで。

「ごきげんよう、ルノーくん。どうしたの?」

 いや、諦めるにはまだ早い。用件を聞いてみないことには。と、シルヴィは早々帰りたい気持ちを全面に出しながら問い掛けてみる。
 ルノーはそれに気づいてはいる筈であるが、華麗に無視して「学園の中庭を案内してあげようと思ってね。シルヴィは花が好きだろう」と柔らかい声を出す。
 シルヴィは、全力疾走すれば逃げられるかな。と考えたが、無理なことは分かっているので大人しく頷いておいた。
 魔法科と普通科は校舎が違う。王都の隣にあるここファイエット学園の敷地はかなり広い。
 敷地の中心に食堂があり、西側には男子寮。東側には女子寮。そして、北側に魔法科の校舎。南側に普通科の校舎がそれぞれ建っている。
 体育館や植物園などの設備は、魔法科校舎に近かったり、普通科校舎に近かったりとバラバラに配置されている。
 そのため普通科校舎の中庭ならば、魔法科のイベントに巻き込まれる心配はないだろう。シルヴィはそう判断して、溜息を飲み込んだ。

「でも、」

 シルヴィは気まずそうに隣に視線を遣る。そこには、2人の女子生徒がいた。
 1人は、元々仲の良かった子爵令嬢。明るめの茶色の髪にオリーブ色の瞳。落ち着いた雰囲気の少女である。幸運なことに、同じクラスだったのだ。
 そしてもう1人は、教室でシルヴィの隣の席に座っており、シルヴィから声を掛けて今日親しくなったばかりの商家のお嬢さん。黒髪に茶色の瞳。活発そうな雰囲気の少女だ。

「わたくし達の事はお気になさらないで?」
「あぁ、君は確かクラリス・アメミール子爵令嬢だったかな」
「まぁ、知っていて下さっていたのですね。光栄ですわ」
「うん。シルヴィの話によく出てくるから。君は……初めて見る顔だね」

 ルノーの視線がクラリスから隣の少女に移動する。少女は少し緊張したように、「ニノンと申します」と頭を下げた。

「商家のお嬢さんです。お友達になったの」

 シルヴィが嬉しそうにそう付け加えると、ルノーはニノンをじっと見つめて「ふぅん」と呟いた。
 どういう意味の“ふぅん”なのだろうか。シルヴィは、失礼なことは言いませんように。とルノーをハラハラと見つめる。

「シルヴィがいいなら、僕はそれでいいよ。仲良く、ね?」

 ゆるりと首を傾げたルノーに、ニノンは背筋をピンっと伸ばした。妙に威圧感がある“ね?”であったからだ。

「やめなさいよ」
「何のことか分からないな」

 しれっとそんな事を言うルノーにシルヴィは我慢できずに溜息を吐き出した。そして、ルノーは自己紹介する気が微塵もなさそうだったので、シルヴィがニノンに紹介することにした。

「こちらは、ルノー・シャン・フルーレスト公爵令息。私の幼馴染みです」
「こ、公爵家の方でしたか」
「一つ年上の先輩、ね?」
「うん」

 シルヴィの問いに、ルノーは素直に返事をする。それに、ニノンは目を瞬かせた。先程の威圧感が嘘のようだった。

「シルヴィは貰っていって構わないね?」
「勿論ですわ」
「あの、クラリス?」
「いってらっしゃい、シルヴィ。寮の部屋で待っているわね」
「じゃあ、行こうか」
「……うん」

 差し出された手を取るという選択肢しかなさそうであったので、シルヴィはルノーの手に手を重ねる。
 優雅に手を振るクラリスと状況にあまりついていけていないニノンに見送られて、校舎へと逆戻りしたのだった。

「シルヴィは相部屋なの?」
「うん。これでも伯爵家の娘だから、一人部屋も選択出来たのだけれど、寂しいねってクラリスと意見が一致したの」
「まぁ、アメミール子爵令嬢なら問題ないかな」
「問題って……」
「色々あるからね」

 何となく言わんとしていることは、貴族社会で生きているシルヴィにも分かったため、深く聞くのはやめておいた。普通に怖いからだ。
 ルノーに手を引かれて、まだまだ見慣れない校舎内を歩く。中庭に繋がる扉から外に出ると、目の前に鮮やかな景色が広がった。

「わぁ!」

 流石は由緒正しきファイエット学園。中庭の手入れも行き届いている。
 瞳をキラキラと輝かせて、落ち着きなくシルヴィが中庭を見回した。そんなシルヴィをルノーが、心底満足そうに見つめている。

「凄いね、ルノーくん! とっても綺麗!」

 シルヴィの顔がルノーに向けられる。この世の幸福を詰め込んだように笑むシルヴィに、ルノーは眩しそうに目を細めた。

「うん。君は気に入ると思っていた」
「一人で見てもきっと綺麗だと思うの。でも、ルノーくんと一緒だから、もっともっと素敵に見える。誘ってくれて、ありがとう!」

 シルヴィの言葉に、ルノーはきょとんと目を瞬く。にこにこと笑うシルヴィに、ルノーはゆるりと嬉しそうに頬を緩めた。
 しかし次の瞬間には、その笑みが意地の悪いものへと変わる。それに気付いたシルヴィは、少したじろいだ。

「ルノーくん?」
「直ぐに寮に帰らなくて、良かっただろ?」

 気にしていたらしい。そんな感じに見えなかったのだが、悪いことをしたな。と、シルヴィは「うん。なんか、その、ごめんね」しか言えなかった。

「謝る必要はないよ。入学式は疲れた?」
「うーん……。緊張はしたかなぁ」

 会話をしながら、ルノーが再び歩きだす。それに合わせて、シルヴィも歩を進めた。
 直ぐに中庭にある東屋に辿り着く。その中へと入ると、設置されているベンチへとシルヴィをエスコートしてくれた。
 シルヴィは素直にベンチに腰掛ける。その隣にルノーも座った。

「何か、された?」

 ルノーは微笑みを顔に張り付けてはいる。いるが、瞳に滲んだほの暗い何かをシルヴィは見逃さなかった。
 しかし、ルノーの言葉で入学式のことは思い出してしまう。魔法科の生徒に鼻で笑われたあれは、“何か”に入るのだろうか。多分、入るのだろう。

「何もなかったよ」

 シルヴィは首を左右に振った。ルノーにとっては“何か”に入ったとしても、シルヴィにとっては入らない。それだけの話だった。
 気にするだけ時間の無駄だ。今頃、あの生徒は楽しく過ごしているに違いないのだから。

「ふぅん」
「本当です」
「まぁ、いいよ。何かあったら、直ぐに僕に言うんだよ」
「因みに、言ったらどうなるの?」
「首を並べてあげる」
「いらないです」

 本当に殺りかねないので、困る。ルノーは魔王なのだ。その辺の倫理観は怪しい。
 そんな事を実際にされたら、シルヴィは卒倒する自信しかなかった。なので、全力で首を左右に振っておく。

「いらないの? 本当に?」
「寧ろ何でいると思ったの?」
「戦果は首が分かりやすいから」

 グロい。シルヴィは「やめて欲しい。本気でいらない」と念を押しておいた。

「前にもこのやり取りしたことある気がするけど、ルノーくんは欲しいの?」
「僕? 特にこだわりはないよ。シルヴィがいらないなら、僕もいらないかな」
「……そっかぁ。なら、やめておこうよ」

 さらっとこういう事を言う辺り、やはり魔王は魔王なのだ。ルノーはドラゴン時代、首を並べたことがあるのだろうか。あの話を聞いた感じでは、あったとしても魔物だろうとは思うけれど。
 真実は闇に葬った方が良い時もある。シルヴィは心の底からそう思った。魔物であっても首はいらない。人間のモノなら尚更だ。

「じゃあ、首よりも良いものをあげる」
「……んん?」

 急にそんな事を言い出したルノーに、シルヴィはきょとんと目を瞬く。
 ルノーはシルヴィの手を取ると、手のひらに可愛く包装された何かを「はい」と置いた。

「入学おめでとう。それと、少し早いけれど誕生日おめでとう」

 手のひらに乗せられた何かがプレゼントなのだと理解して、シルヴィの頬が嬉しさからぶわっと紅潮する。
 毎年のことだというのに。いや、きっと何年繰り返した所でシルヴィの反応は変わらないのだろう。
 ルノーはこれが見たいのだ。だから態々、毎年プレゼントを選んで、渡してを繰り返す。シルヴィの瞳をルノーが独占するためだけに。
 先程は中庭を映して輝いていた黄緑色が、今は自分にだけ向けられている。煌めきの中にいるのはルノーだけだ。あぁ、目眩がする。

「嬉しい。ありがとう」
「うん」
「開けてもいい?」
「構わないよ」

 シルヴィの視線がルノーからプレゼントに移る。それに、ルノーは残念なような。助かったような。そんな複雑な心持ちになって、小さく吐息をもらす。
 シルヴィはそれには気づかずに、プレゼントの包装を開けた。中から出てきたものに、「わぁ!」と弾んだ声を上げる。

「リボンだ!」
「うん。僕は流石に刺繍は針子に任せたけど、リボンも糸も全て僕が選んだものだよ」
「きれい……」

 鮮やかな黄緑色のリボンに焦げ茶色の糸で繊細な刺繍が施されている。そして、リボンの両サイドには白金色のレースが付いていた。それが、二本。
 シルヴィが、流石はプロの方はレベルが違う。と刺繍を眺めている隙に、ルノーがシルヴィの髪を纏めていたリボンを片方、スルッとほどいてしまう。
 令嬢らしく伸ばした髪が重力に従って、落ちた。それにシルヴィは、「えぇ……」と困った声を出す。

「鏡がないと結べないのだけれど」
「僕がしてあげる」
「ルノーくんが?」

 確かにルノーは自分の髪を一つに自分で纏めているが……。一つくくりと二つくくりでは、難易度が全然違うのだ。主に同じ高さにしなければならない点が。
 しかし、鏡がないここではルノーに頼るしかない。まぁ、両方リボンを外してしまえば良いと言えば良いのだが。
 長い髪は正直、シルヴィにとっては邪魔なのだ。前世では、ショートを好んでいたから。なので、出来ればくくりたい。

「じゃあ、お願いします」
「うん」

 シルヴィは、ルノーに背を向ける体勢になった。
 ルノーの手が髪に触れる。シルヴィは妙にドキドキとした。壊れ物に触れるかのような優しい手つきが、落ち着かない。

「シルヴィ」
「はい!?」
「……? リボン」
「えっ、あぁ、うん」

 後ろから差し出された手に、貰ったリボンを乗せる。慣れた手つきでルノーは、リボンを結んだ。
 そのまま、もう片方のリボンもほどいて新しいリボンで結び直す。ルノーはシルヴィの髪を梳くように撫でて、「うん」と満足そうに頷いた。

「こっちを向いて、シルヴィ」

 ドロリとした蜂蜜のような甘さを孕んだ低音が耳に注ぎ込まれて、シルヴィは大袈裟に肩を跳ねさせた。「びゃっ!?」と口から素っ頓狂な声が飛び出す。
 顔を真っ赤にさせたシルヴィが耳を押さえて振り向いた。はてなマークを大量に飛ばしながら、シルヴィがルノーを見る。

「あぁ……。似合うね、とても」

 うっとりと細まったルノーの瞳に、何とも形容しがたい感情が滲んでいる。逃げなくては。シルヴィは漠然とそう感じた。

「まぁ! 素敵です!!」
「そうだろう!」

 急な第三者の声に、シルヴィの肩が再び大きく跳ねる。しかし、そこは幼い頃からの淑女教育の賜物である。ささっと居住まいを正したシルヴィは、優雅な微笑みを顔に浮かべた。

「…………」

 それに対して、ルノーは不服そうな顔をする。勿論、矛先は邪魔をしてくれた誰かに向いた。とは言っても、ここは公共の場であるので誰も悪くはないのだが。
 シルヴィ達と同じで、中庭を見に来たのだろう。女子生徒の腕には、赤色の腕章。シルヴィと同じ新入生らしい。そして、男子生徒の腕には、緑色の腕章が揺れていた。
 本当に三年生は緑色の腕章なんだ。と、シルヴィはファンサイトの凄さに少し驚く。

「あら? 東屋に誰かいますよ」
「任せてくれ。俺は有名な商家の息子だぞ? 直ぐに退いてくれるさ」
「まぁ、すごーい」

 あからさまにイチャイチャとしている。しかし、雰囲気から察するに婚約者同士とかではなさそうだ。入学式で早速ナンパでもしたのだろうか。

「失礼。そこを退いてく、れ……」

 自信満々だった男子生徒の顔がさぁーと急激に青ざめていく。

「ふ、フルーレスト様!?」
「え~? 誰ですか?」
「おまっ!? ししし、失礼致しました!」

 男子生徒が直角に頭を下げる。そのまま、女子生徒の手を掴んで、凄い勢いで逃げていった。「フルーレスト様はヤバい! 殺されるぞ!!」という声はしっかりとシルヴィの耳に届いてしまった。
 シルヴィは隣のルノーを無言で見上げる。ルノーは優雅に足を組むと、シルヴィに顔を向けた。そして、態とらしくこてりと首を傾げる。サイドの漆黒の髪がさらっと揺れた。

「ん?」
「……うん」

 やはり売られたのか、喧嘩を。買ったのか、喧嘩を。ヤバい奴認定されてるじゃないか!
 いったい何があったのか。学園でも番長に君臨しているっぽいルノーに、シルヴィはマジかぁ……しか出てはこなかった。
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