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はじまり編
08.モブ令嬢と前世の記憶
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何事が起きたのか。あまりの衝撃に、シルヴィの涙が一瞬で引っ込んだ。
庭園のあちこちで、爆発が起こっている。美しく手入れされていた庭園が、炎と煙に包まれていく様は、まさに地獄絵図だった。
シルヴィを突き落とした令嬢達だろうか。いや、たぶんそれだけではないのだろう甲高い悲鳴が飛び交う。
と、とめなければ。頭のどこか冷静な部分がそんな事を考える。けれど、前世の溺れた記憶に混乱したままのシルヴィには、ルノーの腕の中で呆然と爆発する庭園を見る。ということしか出来なかった。
「許さない」
聞こえてきた低い声に、シルヴィはルノーの顔を見上げる。
ほの暗い怒気を孕んだルノーの瞳が、ギラギラと好戦的に光っていた。抑えが効かないのか瞳と同じ紺色の魔力が、ルノーの背後でバチチッと迸っている。これ程までに膨大な魔力を見たのは初めてだったシルヴィは、息を呑んだ。
そして同時に、このスチルどこかで見たことあるなぁ。と場違いなことが頭に浮かんだ。それにシルヴィは、ん? と固まる。
スチル。スチル? 乙女ゲームの? そんな訳が。そこまで考えた瞬間、シルヴィの頭に激痛が走った。
「いっ!!」
思わず痛みに呻いたシルヴィに、ルノーがビクッと反応を返す。「シルヴィ?」心なしかルノーの声が震えて聞こえた。
痛みを訴える頭をシルヴィは押さえる。何か大事なことを忘れている。いや、思い出せていないと言った方が正しいかもしれない。何が。何を。なに。ここは、なに?
「何の騒ぎだ!」
「ルノー様!?」
魔力の元を辿ってきたらしいフレデリクとジャスミーヌの声が聞こえる。シルヴィは、二人をルノーの肩越しに捉えた。
知っている。やっぱりあの二人をどこかで、見た。見たのだ。シルヴィは確かにそう確信した。
ぼやける視界の中に、幼い二人がいる。その背後。二人の背後に、高校生くらいだろうか。制服姿の男女が見える。その男女が二人と重なった気がした。
「シルヴィ? シルヴィ!」
「る、の、くん……」
瞬間、クラっとシルヴィの視界が揺れる。そのままシルヴィの意識は、テレビを消すようにぶつっと途切れた。
「シルヴィ?」
ルノーは腕の中でぐったりと目を閉じたシルヴィの名を恐る恐ると呼んだ。返事がない。その事実に、ルノーは今まで感じたことのない感情に支配された。
荒々しい怒りを表すような爆発が急に治まる。しかし、ルノーの背後には相も変わらず魔力が迸って見えた。
フレデリクとジャスミーヌはお互いに顔を見合わせる。瞬間、ヒヤッとした風が吹き抜けた。
池が氷に覆われていく。しかし、魔法を使っている筈のルノー自身はそれに気付いていなかった。
どうすればいい。ルノーは呆然とシルヴィを見つめるばかりで、動けずにいた。感情の制御が上手く出来ずに、ルノーの魔法が暴発しているらしい。
「ルノー!」
「フレデリク殿下、危ないですわ!」
近付こうとしたフレデリクを拒むように、冷たい吹雪が吹き荒れる。それに、フレデリクは両手を前に出した。
「炎よ! 凍てつく氷を押し返せ!」
フレデリクに答えるように、炎魔法がルノーの氷を押し返そうとぶつかる。拮抗する炎と氷に、フレデリクは舌打ちをこぼした。
「こぉの! シルヴィ嬢の手当てをさせろ! バカ者!!」
フレデリクがキレた。それに、ルノーが微かに反応を示す。
ぶつかっていた炎と氷が、ぶわっと打ち消し合って消えた。
「ルノー! シルヴィ嬢!」
「何があったのですか!」
好機を見逃さずに、フレデリクがルノーに駆け寄る。その後ろをジャスミーヌも付いてきた。
水に濡れたシルヴィをルノーが呆然と抱き締めている。その光景に、フレデリクとジャスミーヌは息を呑んだ。
「息はしているか!?」
「いき……」
「しっかりせんか! ルノー!」
フレデリクはその場に膝を付き、シルヴィの口元に手を近付ける。息をしているのを確認すると、「無事か」と安堵した。
「風よ、彼の者達の水を吹き飛ばせ」
ふわっと風がルノーとシルヴィの水を吹き飛ばしてくれる。あっという間に、濡れていた体が綺麗に乾いた。
「いったい、何があったのですか?」
「シルヴィが、池に突き落とされた」
「そんな……!」
ルノーは先程の光景を思い出して、忌々しげに眉をしかめる。
イアサントから逃れて、シルヴィを探しにルノーは庭園へと向かったのだ。透視魔法を使って場所を探れば、直ぐにシルヴィは見つかった。
なぜ、池に? そう思った瞬間、シルヴィが池に突き落とされて、思わず転移魔法を使ってしまった。あんなに焦ったのは、産まれて初めてだった。
そうだ。あの女。あの女を殺さなければ。いまだに、ルノーの中で沸々と怒りが煮えたぎっていた。許せない。許す気もなかった。
「炎よ、彼の少女に暖かな恵みを」
フレデリクの声が、ルノーの暗く沈みかけた意識を浮上させた。
シルヴィの周りを炎の玉がふわふわと漂う。あぁ、そんなことは二の次だった。シルヴィが一番大事なのだから。
「医師に見せよう」
フレデリクの提案に、ルノーは静かに頷く。
ほの暗い感情がルノーの瞳から消えないのを見て、フレデリクは心の中で舌打ちをした。どこの誰だか知らないが、余計なことをしてくれた、と。
この男は、酷く危ういのだ。初めて合った日。冷めた瞳で人間を眺めていたルノーの横顔をフレデリクは一生忘れないだろう。
「シルヴィ」
ルノーの声が不安げに揺れた。
******
黒髪の女性が、ゲーム機片手にクッキーを口に入れた。
ゲーム機の画面には、ズラッとスチルが並んでいる。それをカチカチとボタンを操作して、女性は眺めているらしかった。
『うーん……。やっぱ、皇太子のフレデリクルートが一番かなぁ。でも、ガーランドルートも素敵だった』
女性はニマニマと幸せそうに、そんな事を呟いている。
そして、一枚のスチルで手を止めた。
「白金色のドラゴンがラスボスとか、かっこよすぎだけど、怖かったなぁ」
しみじみと頷いて、女性は画面を切り替える。
【新しく始める】
そこにカーソルを合わすと、ボタンを押した。
「よーし! 最後の隠し黒幕ルート、これをクリアすれば全クリだぜ!」
とても、楽しそうだ。シルヴィはそう思った。いや、楽しかった。とても、楽しいゲームだったのだ。
『でも、終わっちゃうのも悲しい』
ゲームの名前は、確か……。
「【聖なる光の導きのままに】」
ふわりと浮上した意識に、シルヴィは目を開けた。見慣れた天井。ここは、シルヴィの寝室だった。
いつの間に寝たのだろうか。シルヴィは状況が理解できずに、目を瞬いた。
不意に、部屋に扉をノックする音が響いた。「お嬢様、おはようございます」といつも通りにメイドのモニクが入ってくる。
入ってきて、シルヴィと目が合うと大層驚いたように目を丸めた。
「だ、旦那様!! 奥様!! お嬢様がお目覚めに!!」
血相を変えて部屋を飛び出していったモニクにシルヴィは、あらぁ? と記憶を探る。そして、思い出した。
「シルヴィ!!」
声を揃えて焦った顔の父親と涙目の母親が部屋に飛び込んできた。
「あぁ、よかった。私の可愛いシルヴィ。本当に、よかった」
「シルヴィ、シルヴィ。本当に心配したんだぞ」
そうだった。池に突き落とされたのだった、と。
シルヴィはあれから、丸二日間も眠っていたのだ。両親の心配ようも頷ける。
池に落とされた恐怖。前世の死に際を思い出した恐怖。
生きている安堵。手を握ってくれている両親のぬくもり。
シルヴィの涙腺が崩壊するのには、十分な要素であった。
「う、うわぁあん!!」
急に号泣し出したシルヴィに母親もポロポロと涙を流す。父親がシルヴィと母親を抱き締めてくれた。
シルヴィは、両親の腕の中で気分が落ち着くまで、泣き続けたのだった。
庭園のあちこちで、爆発が起こっている。美しく手入れされていた庭園が、炎と煙に包まれていく様は、まさに地獄絵図だった。
シルヴィを突き落とした令嬢達だろうか。いや、たぶんそれだけではないのだろう甲高い悲鳴が飛び交う。
と、とめなければ。頭のどこか冷静な部分がそんな事を考える。けれど、前世の溺れた記憶に混乱したままのシルヴィには、ルノーの腕の中で呆然と爆発する庭園を見る。ということしか出来なかった。
「許さない」
聞こえてきた低い声に、シルヴィはルノーの顔を見上げる。
ほの暗い怒気を孕んだルノーの瞳が、ギラギラと好戦的に光っていた。抑えが効かないのか瞳と同じ紺色の魔力が、ルノーの背後でバチチッと迸っている。これ程までに膨大な魔力を見たのは初めてだったシルヴィは、息を呑んだ。
そして同時に、このスチルどこかで見たことあるなぁ。と場違いなことが頭に浮かんだ。それにシルヴィは、ん? と固まる。
スチル。スチル? 乙女ゲームの? そんな訳が。そこまで考えた瞬間、シルヴィの頭に激痛が走った。
「いっ!!」
思わず痛みに呻いたシルヴィに、ルノーがビクッと反応を返す。「シルヴィ?」心なしかルノーの声が震えて聞こえた。
痛みを訴える頭をシルヴィは押さえる。何か大事なことを忘れている。いや、思い出せていないと言った方が正しいかもしれない。何が。何を。なに。ここは、なに?
「何の騒ぎだ!」
「ルノー様!?」
魔力の元を辿ってきたらしいフレデリクとジャスミーヌの声が聞こえる。シルヴィは、二人をルノーの肩越しに捉えた。
知っている。やっぱりあの二人をどこかで、見た。見たのだ。シルヴィは確かにそう確信した。
ぼやける視界の中に、幼い二人がいる。その背後。二人の背後に、高校生くらいだろうか。制服姿の男女が見える。その男女が二人と重なった気がした。
「シルヴィ? シルヴィ!」
「る、の、くん……」
瞬間、クラっとシルヴィの視界が揺れる。そのままシルヴィの意識は、テレビを消すようにぶつっと途切れた。
「シルヴィ?」
ルノーは腕の中でぐったりと目を閉じたシルヴィの名を恐る恐ると呼んだ。返事がない。その事実に、ルノーは今まで感じたことのない感情に支配された。
荒々しい怒りを表すような爆発が急に治まる。しかし、ルノーの背後には相も変わらず魔力が迸って見えた。
フレデリクとジャスミーヌはお互いに顔を見合わせる。瞬間、ヒヤッとした風が吹き抜けた。
池が氷に覆われていく。しかし、魔法を使っている筈のルノー自身はそれに気付いていなかった。
どうすればいい。ルノーは呆然とシルヴィを見つめるばかりで、動けずにいた。感情の制御が上手く出来ずに、ルノーの魔法が暴発しているらしい。
「ルノー!」
「フレデリク殿下、危ないですわ!」
近付こうとしたフレデリクを拒むように、冷たい吹雪が吹き荒れる。それに、フレデリクは両手を前に出した。
「炎よ! 凍てつく氷を押し返せ!」
フレデリクに答えるように、炎魔法がルノーの氷を押し返そうとぶつかる。拮抗する炎と氷に、フレデリクは舌打ちをこぼした。
「こぉの! シルヴィ嬢の手当てをさせろ! バカ者!!」
フレデリクがキレた。それに、ルノーが微かに反応を示す。
ぶつかっていた炎と氷が、ぶわっと打ち消し合って消えた。
「ルノー! シルヴィ嬢!」
「何があったのですか!」
好機を見逃さずに、フレデリクがルノーに駆け寄る。その後ろをジャスミーヌも付いてきた。
水に濡れたシルヴィをルノーが呆然と抱き締めている。その光景に、フレデリクとジャスミーヌは息を呑んだ。
「息はしているか!?」
「いき……」
「しっかりせんか! ルノー!」
フレデリクはその場に膝を付き、シルヴィの口元に手を近付ける。息をしているのを確認すると、「無事か」と安堵した。
「風よ、彼の者達の水を吹き飛ばせ」
ふわっと風がルノーとシルヴィの水を吹き飛ばしてくれる。あっという間に、濡れていた体が綺麗に乾いた。
「いったい、何があったのですか?」
「シルヴィが、池に突き落とされた」
「そんな……!」
ルノーは先程の光景を思い出して、忌々しげに眉をしかめる。
イアサントから逃れて、シルヴィを探しにルノーは庭園へと向かったのだ。透視魔法を使って場所を探れば、直ぐにシルヴィは見つかった。
なぜ、池に? そう思った瞬間、シルヴィが池に突き落とされて、思わず転移魔法を使ってしまった。あんなに焦ったのは、産まれて初めてだった。
そうだ。あの女。あの女を殺さなければ。いまだに、ルノーの中で沸々と怒りが煮えたぎっていた。許せない。許す気もなかった。
「炎よ、彼の少女に暖かな恵みを」
フレデリクの声が、ルノーの暗く沈みかけた意識を浮上させた。
シルヴィの周りを炎の玉がふわふわと漂う。あぁ、そんなことは二の次だった。シルヴィが一番大事なのだから。
「医師に見せよう」
フレデリクの提案に、ルノーは静かに頷く。
ほの暗い感情がルノーの瞳から消えないのを見て、フレデリクは心の中で舌打ちをした。どこの誰だか知らないが、余計なことをしてくれた、と。
この男は、酷く危ういのだ。初めて合った日。冷めた瞳で人間を眺めていたルノーの横顔をフレデリクは一生忘れないだろう。
「シルヴィ」
ルノーの声が不安げに揺れた。
******
黒髪の女性が、ゲーム機片手にクッキーを口に入れた。
ゲーム機の画面には、ズラッとスチルが並んでいる。それをカチカチとボタンを操作して、女性は眺めているらしかった。
『うーん……。やっぱ、皇太子のフレデリクルートが一番かなぁ。でも、ガーランドルートも素敵だった』
女性はニマニマと幸せそうに、そんな事を呟いている。
そして、一枚のスチルで手を止めた。
「白金色のドラゴンがラスボスとか、かっこよすぎだけど、怖かったなぁ」
しみじみと頷いて、女性は画面を切り替える。
【新しく始める】
そこにカーソルを合わすと、ボタンを押した。
「よーし! 最後の隠し黒幕ルート、これをクリアすれば全クリだぜ!」
とても、楽しそうだ。シルヴィはそう思った。いや、楽しかった。とても、楽しいゲームだったのだ。
『でも、終わっちゃうのも悲しい』
ゲームの名前は、確か……。
「【聖なる光の導きのままに】」
ふわりと浮上した意識に、シルヴィは目を開けた。見慣れた天井。ここは、シルヴィの寝室だった。
いつの間に寝たのだろうか。シルヴィは状況が理解できずに、目を瞬いた。
不意に、部屋に扉をノックする音が響いた。「お嬢様、おはようございます」といつも通りにメイドのモニクが入ってくる。
入ってきて、シルヴィと目が合うと大層驚いたように目を丸めた。
「だ、旦那様!! 奥様!! お嬢様がお目覚めに!!」
血相を変えて部屋を飛び出していったモニクにシルヴィは、あらぁ? と記憶を探る。そして、思い出した。
「シルヴィ!!」
声を揃えて焦った顔の父親と涙目の母親が部屋に飛び込んできた。
「あぁ、よかった。私の可愛いシルヴィ。本当に、よかった」
「シルヴィ、シルヴィ。本当に心配したんだぞ」
そうだった。池に突き落とされたのだった、と。
シルヴィはあれから、丸二日間も眠っていたのだ。両親の心配ようも頷ける。
池に落とされた恐怖。前世の死に際を思い出した恐怖。
生きている安堵。手を握ってくれている両親のぬくもり。
シルヴィの涙腺が崩壊するのには、十分な要素であった。
「う、うわぁあん!!」
急に号泣し出したシルヴィに母親もポロポロと涙を流す。父親がシルヴィと母親を抱き締めてくれた。
シルヴィは、両親の腕の中で気分が落ち着くまで、泣き続けたのだった。
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