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はじまり編

06.モブ令嬢と皇太子殿下

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 お伽噺みたいだ。シルヴィはきらびやかな王宮を馬車の中から見上げて、瞳を輝かせた。
 何故かシルヴィに皇太子殿下主催の小さなお茶会の招待状が届いたのである。
 ルノーと一緒に是非。是非! と書かれており、両親は心配で心配で仕方がないという顔だったが断る訳にはいかないと、シルヴィを参加させることにしたのだ。
 ルノーと一緒にと書かれていたので、シルヴィはルノーに相談をしに行った。その時のルノーの忌々しそうな顔といったら……。凄かった。
 勿論、ルノーにも招待状は届いていた。しかし、ルノーは断る気満々だったらしい。でも、シルヴィが行くのならと渋々参加を決めた。
 そして、当日。正装したルノーがシルヴィを迎えに来て、正直シルヴィは結構驚いた。まさかエスコートまでしてくれるとは思っていなかったのだ。
 まぁ、一人で行くのは心細かったので、シルヴィは大喜びでルノーが乗ってきた馬車で王宮へと向かったのだった。

「キラキラだ」
「そうだね」

 シルヴィの瞳が。と心の中で思いながらルノーは相槌を打つ。
 シルヴィが嬉しそうなのは大変良いことだ。しかし、あの皇太子は何を考えているのか。いったい何処からシルヴィの情報が漏れたのやら。
 心当たりが多過ぎてルノーは考えるのをやめた。フルーレスト公爵家のお茶会にいた貴族の子ども達が噂を広めたのだろう。そうすれば、どこからでも皇太子の耳に入る。

「面倒だな」
「でも、小さなお茶会だって書いてたよ」
「皇太子が面倒だ」
「そんな不敬な」

 皇太子にシルヴィを会わせるのも不満であるし、王宮に行くのも不満であるし、何ならシルヴィが可愛く着飾っているのも不満だ。似合ってはいるが。
 不貞腐れたようにムスッと口をへの字に曲げたルノーを見て、シルヴィは困ったように笑った。そんなに嫌なのだろうか、と。

「おいで、シルヴィ」

 ルノーの手を取って、馬車から降りる。
 この後は腕とか組むのかなと緊張していたシルヴィは、いつも通りに手を繋いでくれたルノーに少しほっとした。いつも通りが嬉しい。
 出迎えてくれた使用人の案内で会場のバラ園へと向かう。あまりキョロキョロし過ぎるとはしたないのは分かりつつも、興味津々は隠せなかった。

「素敵なバラ園。綺麗だねぇ」
「うん」

 ルノーにとっては、相も変わらずバラ園にしか見えない。しかし、シルヴィの瞳を通すと途端にバラ園がひどく美しいモノに見えるのだから、不思議だ。
 ずっと見ていられる。ルノーが湧き上がる妙な感情を持て余しながらシルヴィを眺めていれば、後ろから「ごきげんよう」と声を掛けられた。
 それに、シルヴィが驚いたように肩を跳ねさせる。ルノーは近づいてくる気配を感じていたので、特に驚く事なく振り返った。

「珍しくルノー様がいらっしゃっていると思えば、なるほど。シルヴィ様が巻き込まれたのですね」
「ご、ごきげんよう、ジャスミーヌ様」

 美しく着飾ったジャスミーヌは、呆れを顔に滲ませた。

「本当にフレデリク殿下は困った方だわ」
「君、婚約者だろ? 何とかならないの?」
「なりませんわ。相容れないので」
「姉さん、それはどうなの?」

 姉さん? シルヴィはジャスミーヌの後ろから、ひょこっと出てきた少年に目を瞬かせた。
 ミディアムショートの白銀の髪。ジャスミーヌと同じ黄色の瞳をしているのだが、優しそうなタレ目だからか、穏やかな印象を受けた。

「はじめまして、シルヴィ嬢。オレはディディエ・オーロ・ガイランです」
「わたくしの弟ですわ」
「お初にお目にかかります、ガイラン様。わたくし、シルヴィ・アミファンスと申します」

 ディディエはにこっと微笑むと「可愛らしいですね」なんて、さらっと言った。
 何ともまぁ……。同い年くらいに見えるが、すでに社交辞令をマスターしているとは。シルヴィは「ありがとうございます」と微笑みを浮かべて、ちゃんと社交辞令として受け取っておいた。
 ふと、ディディエは視線をシルヴィからルノーへと移し、びくっと体を強張らせた。剣呑な色を滲ませたルノーの瞳が、物騒に細められディディエを射抜いていたからだ。

「は、ははっ、本当に姉さんの言った通りだったとは」
「だから言ったでしょう。言葉を慎みなさい」
「ごめんなさい」

 シルヴィは不思議そうに首を傾げる。ディディエの視線を辿って、隣を見上げた。
 瞬間、スンッとルノーの表情がいつも通りの無表情へと戻る。なので、シルヴィにはいつも通りのルノーに見え、更に不思議そうにハテナマークを大量に飛ばした。
 シルヴィの視線に今気付きましたと言わんばかりに、ルノーはシルヴィへと視線を向ける。そして、「ん?」と優しげな声を出した。

「姉さん、オレはとても怖いです」
「同意するわ」
「お前達! バラ園の入り口で何をしているんだ!」

 突然入ってきた元気の良い声に、全員の視線が声の主へと向く。
 腕を組んで仁王立ちする少年の髪色は金。太陽が霞むほどに、光輝く黄金。元気さを体現したかのようなショートの髪に、活発そうなオレンジ色の瞳。しかし、そこに確かな威厳が存在した。

「誰も来ないから迎えにきてしまっただろう」
「ごきげんよう、殿下。申し訳ありません、話が盛り上がってしまいましたの」
「俺抜きで盛り上がらないでもらいたいな」

 シルヴィは近くまで歩いてきた少年をまじまじと見つめてしまった。
 彼がこのジルマフェリス王国の第一王子であり、皇太子のフレデリク・リナン・ジルマフェリス殿下。

「お招き頂き光栄です、殿下」
「心にもないことを言うな」
「そうですか。では、正直に言います。なぜこのような茶会を? 迷惑です」
「やはりオブラートに包め」

 ルノーの言葉に、フレデリクは慣れているのか呆れと諦めを滲ませた。

「お招き頂き光栄です、殿下。今日も素敵ですね」
「俺の味方はディディエだけか」
「そのような事はありませんよ。姉さんもいます」
「今日も光輝いておられますね、殿下。眩しすぎて目がチカチカしますわ」
「誉め言葉として受け取っておこう。俺は素晴らしい王になるからな」

 バチバチと婚約者同士である筈の二人の間で火花が散る。微笑み合っているのが、更に怖さを倍増させた。
 溜息を吐いたフレデリクが、シルヴィへと視線を向ける。

「君が噂のシルヴィ嬢か!」

 急に瞳を爛々とさせたフレデリクに、シルヴィは背筋を伸ばす。
 噂の、とは? 気にはなったが、ひとまず挨拶せねばとシルヴィは丁寧に辞儀をした。

「お初にお目にかかります。シルヴィ・アミファンスと申します。よろしくお願いいたします」
「うむ。俺はフレデリク・リナン・ジルマフェリス。よろしくな!」

 ニカッと太陽のように笑ったフレデリクに、シルヴィは既視感を覚えて目を瞬く。

「どうかしたか?」
「いえ! お会いできて光栄です」

 シルヴィは慌てて笑みを浮かべた。

「そうか。ふむ。この子がルノーの」
「はい! 幼馴染みです!」
「幼馴染み……。そうか。そんな感じか」

 力強く言い切ったシルヴィに、フレデリクは何とも言えない顔をする。

「前途多難だな、ルノー」
「……? 何がですか?」
「…………。そのような感じか! なるほど!」

 二人してか! となったフレデリクに、ジャスミーヌが「本気で前途多難なのですわ」と溜息を吐いた。

「ルノー様!!」

 またしても、突然誰かの声が割って入ってくる。甘ったるいソプラノがルノーの名を呼んだ。
 ストレートの白銀の髪がさらさらと揺れる。丸々としたオレンジ色の瞳に喜色が滲んでいた。
 フリルをふんだんに使った薄桃色のドレスを見に纏ったシルヴィよりも年下だろう可愛らしい少女が、こちらに走ってくる。
 そのままの勢いでルノーに抱きつこうとした。抱きつこうとしたのだが、無情にもルノーはそれを避ける。そのせいで、少女は可哀想に派手に転んだ。
 シルヴィは思わず「えぇ……」と戸惑った声を出してしまった。

「ルノー様は恥ずかしがり屋ですのね」
「王女様におかれましては、相変わらずのめんど、元気具合のようですね」
「王女様だなんて! わたくしとルノー様の仲ではありませんか。イアサントとお呼びください」
「すまない、ルノー」
「そう思われるのならどうにかしてください」

 ルノーが氷のような無表情でフレデリクを見る。フレデリクは困ったように眉尻を下げたが、次の瞬間には皇太子の顔になっていた。

「イアサント、部屋に戻りなさい」
「どうしてですか! お兄様」
「大事な茶会だ。俺に恥をかかせるつもりか?」

 フレデリクの威圧感に、イアサントは息を呑む。きゅっと悔しそうに唇を噛み、「失礼いたします」と走っていってしまった。

「甘やかし過ぎなのではありませんこと?」
「言うな、ジャスミーヌ。分かっている。しかし、どうにも父上がだな……」
「あぁ、なるほど」
「俺にも甘い人だからな」

 フレデリクはやれやれと言いたげに、イアサントが走り去って行った方を見る。
 シルヴィは呆気に取られていたが、つまりはそういうことなのだろうかと、ルノーを見上げた。

「ルノーくん、モテモテ?」
「違うよ。そうじゃない」
「そうなんだ」
「信じてないだろ」
「うーん……。たいへん?」
「面倒だ」
「なるほど」

 ルノーにその気はまったくない。一方的に好意を寄せられて、困っていると。そういうことらしい。

「騒がしくしてすまなかったな。さぁ、茶会を始めよう。こっちだ」
「シルヴィ様、一緒に行きましょう」
「オレも良いですか?」
「はい、ジャスミーヌ様。勿論です、ガイラン様」
「ディディエって呼んで欲しいです」
「えっと……」
「ちょっと」
「まぁまぁ、俺と少し話そうじゃないか」

 フレデリクに肩を組まれて、ルノーは果てしなく嫌そうな顔をした。

「お前がそんなに表情豊かになるとは思わなかったよ」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。フルーレスト公爵夫人が気に入るはずだな」
「……?」

 フレデリクはルノーから離れると、歩き出す。その後を追って、ルノーもバラ園に足を踏み入れた。

「イアサントはまだ諦めてないぞ。お前の婚約者の座を」
「それは、僕が白金色だからでしょう」
「まぁ……」

 フレデリクも妹は可愛いのか。そこは濁した。

「フルーレスト公爵夫人はお前を心配している。婚約者は慎重に選ぶべきだと。まぁ、フルーレスト公爵家は金色しか認めんことで有名だ。どのみち、白銀色のイアサントでは無理なのだが……」
「そうですね」
「シルヴィ嬢は公爵夫人には気に入られているみたいだが、フルーレスト公爵にはどうなのだ」
「なぜ?」
「なぜってお前……。本気でそういうあれではないのか? 婚約者には考えていないと?」

 気を遣ってか、フレデリクが小声でルノーにそう言った。
 婚約者。その思いもよらなかった言葉に、ルノーは目をまん丸に見開いた。

「婚約者?」
「俺は良いと思うがな。シルヴィ嬢のような存在が魔力量の高い低いよりもお前にとっては大事だろう。フルーレスト公爵夫人に賛成だ」

 そこで、ルノーは合点がいく。だから、父親であるあの人はシルヴィに良い顔をしなかったのか、と。
 婚約者。シルヴィが? ルノーは思案するように目を伏せる。不思議と悪い気はしなかった。寧ろ、そうであれば良いとさえ思った。
 ルノーは妙な心地になり、思わず口元を片手で隠した。
 フレデリクはルノーが黙ったため、余計なことを言ったかと視線を遣る。赤くなっている耳を見て、目を瞬いた。

「ほう、なるほど。そうかそうか」
「何ですか」
「いや? まぁ、ゆっくり考えてみたらどうだ。ん?」

 ニヤニヤと笑うフレデリクに、ルノーはムッと眉根を寄せる。

「それにしてもあれだな。シルヴィ嬢は、稀に見る美しい目をしているな」
「……はい?」

 これでもかと低い声を出したルノーに、フレデリクは頬を引きつらせた。これだけあからさまなのに、無自覚だったなどありえるのか。
 剣呑な色を宿した瞳に睨まれて、フレデリクは苦笑したのだった。
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