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はじまり編

05.モブ令嬢と悪役令嬢

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 やる気なさそうだなぁ。シルヴィは、模擬刀を手に剣術の先生らしき人と向かい合っているルノーを見つけて、苦笑した。覇気がまったく感じられない。
 あのお茶会から、シルヴィは度々ルノーの家にお呼ばれしている。フルーレスト公爵夫人。つまり、ルノーの母親に何故か気に入られたらしい。
 これからもルノーと仲良くしてくださいね。と会う度、嬉しそうに言われるのだ。それにシルヴィも毎回、勿論ですと返すのだが。
 今日も午後からルノーと遊ぶ約束をしたので、シルヴィは公爵邸へと来ていた。
 遊ぶ約束をした時間よりも大分早く着いてしまったけれど、使用人の方々は快くシルヴィを中に入れてくれた。
 今の時間ルノーは剣術の授業中だと使用人が教えてくれたので、見学したいと案内して貰ったのだ。
 邪魔になっては駄目なので、少し離れた位置から見学する。先生の言葉をきちんと聞いているのかいないのか。本気でやる気の欠片もなさそうだ。
 不意に、ルノーの視線がシルヴィに向く。見すぎたらしい。視線が煩わしかったのか、不機嫌そうな瞳と目が合った。

「シルヴィ?」

 しかし、相手がシルヴィだと気付き、ルノーの雰囲気が一気に柔らかくなる。先生を置き去りにして、ルノーはシルヴィに近付いた。

「やぁ、シルヴィ。どうしたの?」
「うん、早く着いちゃっただけなの。ルノーくん、授業は?」
「…………」
「ちゃんとやろうね。邪魔だったら、応接間で待ってるから」
「邪魔ではないよ」
「じゃあ、見学しててもいい?」
「構わないよ。ねぇ、君。椅子を持ってきて」
「そこまでしてもらわなくても」
「椅子」
「かしこまりました」
「ありがとうございます」

 好意は受け取ろうと、シルヴィはお礼を言う。使用人が直ぐに椅子を用意してくれた。
 シルヴィが椅子に座ると、ルノーは満足そうにして授業へと戻っていく。さっきよりも少しやる気があるように見えた。

「ルノーくん、頑張ってー!」

 こういう時は、応援するよね。と前世での部活応援のノリでシルヴィは手を振る。
 周りはルノーが咎める気がないことをここ数日で知ったため、特に何も言わなかった。寧ろ、微笑ましげにシルヴィを見ている。

「では、先程説明した通りに」
「うん」

 模擬刀を構えたルノーから、急に只者ではない感が漂った。空気が緊張感からピリピリとする。シルヴィは唾を呑んだ。
 瞬間、ルノーが動いた。模擬刀が凄まじい速さでぶつかり合う音が耳を打つ。何度か聞こえたあと、ルノーがこれまた凄まじい勢いで模擬刀を振った。
 ガキィン! なんて音と共に、先生の手から模擬刀が吹っ飛ばされる。わお……。強い。シルヴィは思わず拍手をしてしまった。

「すごーい!」

 シルヴィからキラキラとした瞳を向けられたルノーは、紺色の瞳に喜色を滲ませた。
 模擬刀を弾かれた先生が唖然とした顔で、自身の手を見つめている。そして、俄に震えだした。

「ルノー様」
「なに?」
「いつもこれくらいやる気を出してください!」
「何の話か分からないな」
「こん、こんな実力を隠して、なん、何故!?」

 普段の授業は、どれだけやる気がないのやら。先生がちょっと泣いている。大分、苦労しているらしかった。

「シルヴィ様、お願いがございます」
「何でしょう?」

 使用人がシルヴィに跪いて、小声で話し掛けてくる。それに、シルヴィは首を傾げた。

「どうか、ルノー様にもっと声援を」
「あ、はい」

 それくらいなら、いくらでも。シルヴィは「ルノーくん、かっこいいわ。頑張って!」と声援を送る。勿論、本心から。
 分かりやすく機嫌が良くなったルノーを見て、いつも氷のような無表情で心を動かさなかったあのお坊ちゃまがと使用人達は感動でホロリと泣いた。

「うーん……」

 模擬刀がぶつかり合う音を聞きながら、シルヴィは考え込む。ルノーはチート過ぎるのでは? と。
 この世界の魔力量は白銀が標準だ。それよりも低いのが灰銀。高いのが金。膨大なのが、白金。
 魔力持ちの中では、白銀の髪がもっとも多い。次に灰銀が多く、金は少ない。それより更に少ないのが白金となる。
 つまりは、希少な白金。更に剣術の実力もあり、顔もいい。果たして、本当に天は二物を与えないのだろうか。
 まさか。この世界はルノーが主人公の物語なのだろうか。そうであるなら、納得もいく。
 その内、魔物が暴れだして冒険の旅にでも出発するのかもしれない。友情あり恋ありの冒険譚! ……怪我とか心配だな。出来れば、このまま平和な世であって欲しい。
 前世で読んでいた小説の世界に転生。なんて事もあり得ない話ではないはずだと、シルヴィは何度も記憶を探ってみてはいるのだが……。残念な事に、何も思い当たらないのだ。
 まぁ、もしそうであったとしても。今後の展開を思い出したとしても。シルヴィは、特に何もする気がない。だって、シルヴィはただの伯爵令嬢なのだから。
 せめて魔力があればなぁ。と思わない事もないが、あったとしても危険に飛び込む勇気も度胸もない。平和に暮らしたい。そう。シルヴィは平和に暮らしたいのだ。

「モニク」
「はい、何でしょうか」
「平和が一番よね」
「左様ですね」

 ルノーは公爵家の跡取りなのだから、チートでもおかしくない……はず。ということにしておいた。

「ルノー様!」

 バタバタと走ってきた使用人の声によって、剣術の授業が中断される。ルノーが怪訝そうに眉根を寄せた。

「騒がしいな」
「も、申し訳ありません。ガイラン公爵家のご令嬢がいらっしゃいまして。急ぎお知らせに」
「ガイラン公爵家? なぜ?」
「ルノー様にお会いしたいと」

 シルヴィは聞こえてきたガイラン公爵家という単語に、記憶を探る。確か、現宰相がガイラン公爵だったはず。そのご令嬢が、ルノーを訪ねてきたと。
 記憶違いでないのなら、ガイラン公爵家のご令嬢は確か皇太子殿下の婚約者だったはずなのだけれど。なぜ? とシルヴィは首を傾げた。

「追い返して」
「それはあんまりではなくて? ルノー様」

 割って入ってきた少女の声に、その場が静まり返った。ルノーの瞳が、スゥ……と不愉快そうに細まっていく。
 シルヴィは、声がした方へと顔を向けた。
 ルノーと同い年くらいだろうか。あどけなさを残した少女は、けれど公爵令嬢に相応しい雰囲気を醸し出している。
 美しいウェーブを描いた腰辺りまである暗い灰銀の髪。強い意思を宿した黄色の瞳は、つり目だからだろうかきつい印象を抱かせた。

「ごきげんよう」
「君、だれ?」

 いや、流石にそこは覚えておくべきでは? 目を吊り上げた令嬢が怖すぎて、シルヴィの口から「ひぇっ」と情けない声が出た。

「もう何年の付き合いだと!? そろそろ覚えるべきではありませんこと?」
「知らない」

 ルノーは興味をなくしたのか、フイッと顔を背ける。そのままシルヴィの方へと近付いてきた。
 シルヴィは走って逃げるべきかと悩んで、やめておいた。後が怖いからだ。

「シルヴィ」
「うん?」
「僕は着替えてくるよ。先に植物園で待っている?」
「そうだね。そうする」
「ちょっと! まだ話は終わっておりませんわよ!」

 令嬢は果敢にもルノーの後を追ってくる。ルノーは完璧に無視だが、シルヴィは令嬢と目が合ってしまった。

「あら? 貴女、見ない顔ですわね」

 ここは、マナーとして名乗らなければとシルヴィは椅子から立ち上がる。丁寧に辞儀をした。

「お初にお目にかかります。わたくし、シルヴィ・アミファンスと申します」
「アミファンス伯爵家のご長女ね」
「知っていて頂けたのですね。光栄ですわ」

 シルヴィは、にこっと淑女の微笑みを浮かべておいた。これで、問題はないはず。

「はじめまして、シルヴィ様。わたくしは、ジャスミーヌ・オーロ・ガイランよ」

 そう言って、令嬢。ジャスミーヌは優雅に微笑んだ。しかし何故だろうか。物凄く悪女っぽい笑みに見える。普通に怖い。
 シルヴィは震えそうになるのを耐えて、微笑み続けた。帰りたい。物凄く。
 それに気づいたかのように、ルノーがシルヴィを正面から抱き締めた。ジャスミーヌから隠すようにぎゅう……と腕に閉じ込められて、シルヴィは目を瞬く。

「ルノーくん?」
「ガイラン公爵令嬢、用件を聞こうか」

 ジャスミーヌは呆気に取られたような顔をしたが、直ぐに気を取り直して咳払いをした。

「様子を見に、いえ、遊びにきたのですわ」
「君は殿下の婚約者だろ?」
「幼馴染みと遊ぶくらい」
「僕をそう呼んで良いのはシルヴィだけだよ」
「あらまあ……」

 ジャスミーヌは持っていた扇子で口元を隠す。思案するように、視線を逸らした。

「こんな子、いたかしら。いや、ルノー様が生きている時点でシナリオと違うわけなのだけれど……。この後の展開が心配だわ」

 ぶつぶつとジャスミーヌが何かを呟いている。よく聞き取れなかったが、何やらシナリオとか。この後の展開とか。不穏な言葉が聞こえた気がした。
 シルヴィはきっと気のせいだ。気のせいであってくれと祈った。でも、何だか……。このジャスミーヌという令嬢に見覚えがある気がするのだ。しかし、どこで?
 喉まで出掛かっているのだが、あと一歩の所で思い出せない。もどかしさに、シルヴィは眉をしかめた。

「まぁ、いいですわ。けれど、ルノー様?」
「なに?」
「汗をかいていらっしゃるのに、淑女を抱き締めるのは如何なものかと思いますわ。嫌われてしまいますわよ?」

 意地悪に微笑んだジャスミーヌに、シルヴィもルノーもきょとんと目を瞬く。
 シルヴィは別に気にしていなかったが、ルノーは焦ったように即座に腕を離した。至近距離で目が合う。
 自分の行動に驚いたように目をまん丸に見開いたルノーが、何だかとてつもなく可愛く見えて、シルヴィは思わず吹き出した。

「……きみ」
「んふふっ、ごめ、だって」

 両手で顔を隠して、ぷるぷる震えるシルヴィをルノーが不満げに見つめる。

「嫌いはいやだ」
「こんな事で嫌いにならないよ」
「本当かな」
「本当です」
「ふぅん」

 ルノーはシルヴィの様子をじっと観察して、嘘ではなさそうだと判断する。“抱き締める”が許されたのは、ルノーだからか。それともシルヴィが無防備すぎるだけか。

「まぁまぁ、仲がよろしいこと。でもシルヴィ様、もう少し警戒心は持ちましょうね」
「……? はい」
「分かってませんね。良いですわ。お姉さんが守ってさしあげます」
「余計なことしないで」
「ルノー様は着替えてこられるのでしょう? さぁ、シルヴィ様。植物園に行きましょうね」

 ジャスミーヌがシルヴィに手を差し出す。断る訳にもいかずに、シルヴィは恐る恐ると手を重ねた。
 にこっと笑ったジャスミーヌが、そのままシルヴィと手を繋ぐ。

「シルヴィ様の事はわたくしにお任せくださいな」

 シルヴィはそろっとルノーを見上げた。これでもかと眉間に皺を寄せたルノーがジャスミーヌを睨みながら「帰れ」と低く吐き捨てる。
 ジャスミーヌはどこ吹く風でにんまりと笑うと、「では、お先に」なんて歩き出した。
 その手に引かれて、シルヴィもオロオロと歩を進める。背後でドガァン! と爆発音が聞こえたが、気のせいということにしておいた。
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