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第4章 渦の中の子供達
26 颯太と京香
しおりを挟むこっそりと笑い合う二人に気付いたのか、賢木の視線が向いて、二人は慌てて笑いを引っ込めた。
「げ、元気そうでよかった」
悠真が取り繕うように口にすると、賢木は微笑み、京香の頬を撫でた。
「心配かけましたね」
思わず澪の瞳が潤む。
一時は本当にどうなることか、と。
もちろんまだ安心できる状態ではないのだろうが、とりあえずはよかった、と胸を撫で下ろしつつ、鼻をすすった。
悠真の手がそっと肩を抱く。
きっと悠真も同じ気持ちなのだろう。
「…悠真さん、大丈夫、ですか?」
ふいに賢木から心配げな視線を投げられ、悠真は戸惑った。
「え、俺?ぜんぜん大丈夫だ。怪我もないし」
「…そういうことじゃないですよ…」
苦笑いする姿がまだ痛々しい。
澪も悠真を見つめていた。
「そろそろ…」
惣一がぼそりと腕時計を見ながら呟くと、皆で振り向いた。
「…短い、ですね…」
ぼそりと賢木が呟くと、即座に苦笑いが返ってくる。
「お前が言うな」
そう言いながら、惣一が悠真と京香の肩を引いた。
二人は賢木を振り向き、口々に言う。
「またくるから」
「俺、後でまたくる」
寂しげな賢木が手を振る。
後ろ髪を引かれながら、惣一に肩を抱かれて二人は後にした。
無機質な廊下は行きよりも帰りが寂しい。
足取りもどこか重く。
雰囲気を察してか、惣一が小さく言った。
「今日明日にでも集中治療室から出られる。そしたら面会時間の制限は通常になる」
二人は項垂れたまま返事もしない。
「はい」
澪は代わりに返事をした。
出て行った時よりも暗い沈んだ気持ちで戻ってきた3人を颯太が待っていた。
「待たせたな。準備は出来てるか?」
「うん」
颯太も加わって、皆で駐車場を目指す。
道中始終無言。
重い空気を察した颯太と何度か目が合ったが、澪は苦笑いするだけだった。
惣一が車の鍵を開けて促すと、助手席に颯太、残りは後部座席に乗り込んだ。
「父さんが運転するの?」
シートベルトを締めながら颯太が聞く。
「ああ、昨夜俺が私用で運転してきてるからな」
「ふうん」
言葉に笑いが含まれていたので、惣一が咎めた。
「なんだ?俺の運転じゃ不安か?」
運転席から伸びた手が、颯太の頭に触れた。
「そう言うわけじゃないって。ただ初めてだなあ、って思っただけ」
颯太の楽しそうな笑い声がした。
どうやら颯太は悠真と違い、惣一がそれほど嫌いというか苦手、というわけではなさそうだ。
むしろ、慕っている。
颯太のわくわくした気持ちが伝わってきた。
惣一と話すのが嬉しそうだ、と澪は不思議な気持ちで見ていた。
澪にとっても惣一は緊張する相手なのに、颯太はぜんぜん違う。
「引っ越しの準備はどうなってる?」
「俺は大体終わってるよ。荷物が少ないからね。京香はちょうど戻ってきたところだったから、ぜんぜん進んでない」
車が走り出しても、会話があるのは前の二人だけ。
表情を伺って見ても、悠真はぼうっと座席下を見つめているし、京香は窓の外を見ていて表情もわからない。
澪も合わせて無言を続ける。
「じゃあ、京香だけ別館に送るか」
「俺も手伝えればいいんだけどさ。京香が嫌がって、触らせてくれないんだよなぁ」
「年頃だからな」
惣一も笑い声を立てる。
惣一の笑い声など、澪は初めて聞いた。
なのに。
相変わらず無言の二人。
さすがにしびれを切らしたのか、颯太が後ろを振り向いた。
「おい、いい加減にしろよ、二人とも」
颯太の声にはっとしたように二人が顔を向けた。
「え、何?」
「あ、ごめん、聞いてなかった」
颯太はくしゃくしゃと頭を掻き毟る。
「あー、もうっ!なんなんだよ!?」
「何、って何よ」
京香が聞き返すと、颯太が呆れた顔をした。
「賢木母さん、目覚めたんだから良かっただろ?」
「もちろんよ」
京香が即答すると、颯太は悠真を覗き込んだ。
「悠真?」
「あ、ああ」
悠真は曖昧に頷く。
「じゃあ、なんでそんなに暗いんだよ」
「別に暗くなってないわ」
京香がすぐに反論した。
口調が強いのは元々らしい。
「暗いだろ?ずっと喋らないし」
「…別に…ただ寂しいな、って思っただけよ」
「寂しい?」
「だって、ずっと待ってたのに、たったあれだけしか話せなくて。…顔色も悪かったし」
「目覚めたばかりだったからだ。直前の検査では意識不明だったのが嘘みたいだって言われた。だから今夜にでも一般病棟に移れるんだ」
惣一が口を挟むと京香が黙り込んだ。
「赤ん坊は?」
悠真が口を挟んだ。
「……まだわからない…」
惣一が言い淀むと、すかさず悠真が尋ねる。
「赤ん坊の具合が悪くなったら、賢木の具合も急変するんじゃないのか」
一瞬、惣一からの返事に間が空き、颯太も表情を曇らせた。
「そうなる可能性はある。だが今考えても仕方ないことだ。お前たちはお前たちで出来ることをすればいい」
「出来ること?」
颯太が聞き返すと、惣一の手が伸びてきて颯太の肩を掴んだ。
「明日にでもまた見舞いに行ってやればいい。多分、病院暮らしに早くも飽きてるだろうからな」
颯太が軽い笑い声を上げた。
「あり得る。な、京香、また明日にでも見舞いに行こう」
「うん」
京香の不安げな表情が少しだけ消えて、しっかりとした頷きが返ってきた。
「悠真も、な?」
「…ああ…」
悠真の方はまだ何か引っかかってる様子ではあったけれど、とりあえずは頷きを返した。
そこから車内では引越しの話題に京香も加わった。
悠真は聞いているような聞いていないような、曖昧な様子。
和やか、というほどではないけれど、先ほどよりはずっと空気が軽くなったように澪には感じられた。
「俺たちの部屋ってどこにあるの?」
颯太が聞く。
「悠真の部屋の反対側に準備してある」
玖珂の屋敷は広い。
玄関から入ってすぐ右手にある階段から登って、大きな踊り場からさらに右に登っていくと、悠真の部屋がある。
澪がいつも通っている道順。
確かに玄関から左手にも階段があって、右側と共通のテラスのような広い踊り場から左に登る階段があるが、澪はまだ行ったことがない。
行く、必要もなかった。
悠真と時々遊んでいるプレイルームへは、悠真の部屋の前の廊下を玄関側から反対の突き当たりまで進んだ所の左側に降りる階段があって、そこから屋敷の裏手に出られた。
そこから右に進むとプレイルーム。
階段から降りてすぐ大きな両開きのドアがあり、そこが月に一度開かれる食事会の場所。
広い12畳ほどの部屋の真ん中に1mちょっとの幅の長いテーブルがあり、その周りに10脚ほどの椅子が備えてある。
そのどれもが精巧な彫刻が施され、値打ち品であるのは一目瞭然で、部屋には他に豪華な調度品が立ち並ぶ。
食事会の時には半分ほどの椅子とテーブルしか使わないが、惣一の会社の極秘重役会議はここで行われているらしい。
階段下から食堂の脇を通り、正面の玄関へと出られる。
澪が使う階段の向かい側にはやはり階段があって、恐らくは同じように食堂を回り込むような廊下が、玄関へと続いているはず。
もちろん、澪は通ったこともない。
食堂脇の廊下にはいくつかドアがあるが、そのどれも澪は開けたことがない。
別に悠真に止められているわけではないが、特にその必要がなかっただけ。
悠真の話では一階右側は、使用人達が利用している部屋などがあるらしい。
玄関から入って正面の踊り場の真下にも大きなドアがある。
その先は初めて澪が惣一にあった、惣一の書斎兼応接室だ。
あれ以来入ったことはないが、左手に抜けるドアがあったのを覚えている。
恐らく、廊下を挟んだ向かい側に惣一の私室があるのだろう。
それ以外はわからない。
「悠真の部屋よりも狭いが、バスルームもついてる。リビングが寝室と兼用になるんだが、不便なら苳也が戻ってきたら改善しよう」
「俺は平気だけどな」
颯太の口調には明らかに、京香はどうか知らない、と言っている。
「場合によるわ」
京香がむすっと答えた。
「苳也も住んでいたんだ、問題ないはずだ」
惣一の発言に京香と悠真が、運転席と助手席の間に身を乗り出した。
それを見て、澪はくすりと笑った。
本当に二人とも賢木のことが好きなんだなあ。
賢木の話題には食いつきが違う。
「賢木母さんが使ってた部屋があるの!?」
「ああ、大学卒業して出て行くまで住んでたからな。龍一もいたんだが、小さかったから覚えてないみたいだ」
「りーちゃんも!?」
悠真が驚きの声を上げる。
「龍は苳也が20歳の時の子だからな」
悠真は呆然とその言葉を聞き、後部座席に倒れるように戻ってきた。
澪が悠真を覗き込んでも反応がない。
「わ、私、賢木母さんが使ってた部屋がいい!」
京香が叫ぶように言うと、惣一が驚いて振り向いた。
「え、うーん、颯太はいいのか?」
「俺は…、いいよ、京香がそう言うんなら…」
颯太が苦笑いした。
その颯太に、惣一は優しく笑いかける。
「…そうか…だが俺は逆を考えてたんだがな」
「えー、なんで!?」
「苳也が使ってた部屋はクローゼットがないんだ。大きめの衣装箪笥は置いてあるんだが。もう一方は悠真の部屋と同じくらいのウォークインクローゼットがある」
「…え…」
京香が言葉をなくすと、颯太が笑い始めた。
「じゃあ、京香は無理だな。自分で買った他に、賢木母さんが買ってくれた服とかいっぱいあるもんな」
「…そんなぁ…」
「食事はみんなで集まって取ることにしよう」
「え?なんで?」
ずっと部屋で澪と二人で食べていた悠真が面倒臭そうに言う。
「人数増えるからだよ。給仕の手間を省かせたい。まあ、多分苳也がいいだすだろうと思ってな」
「はは、あり得る」
颯太が笑う。
「…面倒だな…」
悠真が思わず呟くと、颯太からツッコミが返ってきた。
「面倒言うな」
「まあ、色々決めなきゃいけないこともあるが、とりあえずは早々に引越しを完了させることだ」
「はーい」
颯太と京香が口を揃えて返事をした。
悠真はしばらく黙っていたが、やがて恐る恐る口を開く。
「賢木母さん達も引越して、くる?」
「え、なんで賢木母さんが?」
颯太が即座に聞き返し、京香が驚いて振り向いた。
惣一がバックミラー越しに見ているのがわかった。
しばらくミラー越しに悠真と惣一が見つめ合う。
「…さあな…」
「………」
曖昧な惣一の返事とともに、話題が断ち切られ、車内には変な空気が流れた。
結局、京香と颯太が別館に送られた。
颯太の荷作りは終わっていたけれど、貸し出すことになる別館から他の、玖珂家の荷物の片付けを惣一に頼まれたのだ。
別館は元々隠居した当主や、当主以外の家族が住んでいたため、代々の古い遺産、と言うか思い出が残っていた。
それも纏めて本館に移ってくる。
すでに使用人は数人を残して解雇。
もちろん望むものには玖珂の会社で別の仕事を与えたり、玖珂の力が及ぶ範囲で次の仕事を紹介してあった。
今、残ってるのはもう引退することを決めたもの達で、最後の片付けをしてもらいるそうだ。
颯太はその手伝い。
颯太達を別館に降ろした後の車内は、重い雰囲気だった。
颯太がいなくなった途端、口を閉ざした惣一と、考え込むように黙り込む悠真に挟まれて、澪は居心地悪く窓の外を眺めるしかなかった。
屋敷に着くと、二人は無言で車から降りた。
玄関へと向かう悠真に、車内から惣一が声をかけた。
「悠真」
悠真がゆっくりと振り返る。
惣一はしばらく見つめた後、顔を逸らした。
「俺は会社に戻るが、帰宅したら書斎にこい。話すことがある」
悠真は小さく頷くとさっさと歩き出した。
澪は慌ててそのあとを追う。
背後で車が走り去る音が聞こえた。
なんだか。
颯太と惣一のような親しい親子関係が惣一と悠真にはない。
悠真はどちらかと言うと惣一に反抗的だし、惣一もどこか悠真にはぎこちない、そっけない態度を取る。
それが当主跡取りへの対応なのか、それとも個人的な反応なのか、区別がつかなかった。
部屋まで戻ってくると、澪は思わず大きな伸びをした。
昨日から変に緊張し続けたせいで、なんだか体が硬くなった気がする。
それを見た悠真にくすくす笑われた。
「疲れたか」
「うん、ちょっとね」
澪が苦笑いで肩を窄めると、悠真はさらに笑った。
「俺も。ちょっと横になるか」
そう言いながら寝室へ向かう。
澪も後に続いた。
久しぶりのベッドに倒れこむように横になると、枕を抱えた。
悠真も澪の隣に寝転んで背伸びをする。
「あー、落ち着くー」
「だね」
すでに目を閉じている悠真に、澪は小さく話しかけた。
「色々…あったね…」
「…ああ…」
「悠真、大丈夫?」
ぷっ、と音を立てて悠真が吹き出すと、体を澪に向け横になった。
「みんな聞くよな。なんでだ?」
「え?それは…悠真がショックを受けてるんじゃないか、って心配してるんだよ」
枕を抱えたまま伺うような視線を送る。
「ショック、はショックだったけど、みんなが心配するようなことはないかな」
「そう、かな?僕は結構ショックだったんだけど」
澪が言うと、悠真はじっと見つめてくる。
「…どの辺が…」
「ん~、賢木さんと悠真のお父さんの関係とか」
悠真がショックを受けていそうな事柄を澪はわざと選んだ。
「ああ、あれ、な」
悠真はくすりと笑う。
「確かに驚きはしたけど、ショックというほどではなかったな」
「え、そう?」
「だってさ、賢木ってずっと俺たちとも父さんとも一緒だろ?多少の情は湧くんじゃないか?」
「…うん…」
「あとは、父さんがあまりにも賢木に頭が上がらない理由がわかった気がするし」
そういえば、出会ってすぐの頃、父親を操縦してる、とか、影の主人だとか賢木のことを言っていたのを思い出す。
澪がくすくす笑い出したのを悠真はじっと見つめた。
「…ショック、ではないけど、気になることはある…」
「…何?…」
悠真は少し躊躇したのち、ゆっくりと口にした。
「…他の、りーちゃんと圭にいは、父さんの子供なのか、って」
「龍一さん、教えてくれなかったね」
「ああ」
悠真は目を伏せた。
「あとは、賢木たち、引っ越して来ないのかなあ、とか」
全部賢木家のこと。
「みんなが引っ越してきたら賑やかになるね」
澪が言うと、悠真はにっこり笑った。
母親がどうなったとか。
他に気にすることはあるけれど。
久しぶりの自分たちの部屋で気が緩んだのか、嗅ぎ慣れた匂いに包まれながら、もそもそ話しながらうとうとと居眠りした。
澪が目を覚ました時、悠真が部屋にいなかった。
目をこすりながら部屋を出ると、話し声がする。
「悠真?」
「あ、起きてきた」
颯太が笑った。
「え、颯太さん?」
寝ぼけた頭が一気に覚めていく。
キッチン周りに颯太と悠真、それから京香が集まっていた。
「引越し、終わったんですか?」
澪が近付いていくと、颯太が大袈裟に首を振り肩を窄めた。
「京香が全然終わらない」
それから二人を振り向く。
「でも昼になったんでなんか食べようとしたら、別館には何もなくてさ。こっちきたら今度は厨房は冬休みで、夕食しか出て来ないって言われて。だから悠真のところに押しかけてきた、ってわけ」
「二人の部屋にキッチン付いてないって言うからさ。構わないだろ?」
悠真が澪を振り返りながら続けた。
「うん。賑やかでいいんじゃない?」
「騒ぐつもりはないんだけど、悠真が邪魔するから」
京香が悠真に軽く体当たりをして答えた。
「邪魔してるんじゃなくて、教えてるんだよ。京姉、下手だから」
「そんなことないわよ。龍にいたちに教わってるんだからね」
「どっちでもいいから、早くしてくれよ~腹、減ったぁ」
コントのようなやりとりに、澪は思わず口元を綻ばせた。
「颯太さんは加わらないんですか」
「俺、食べるの専門。まったく料理したことないよ」
「そうなんですね」
「でも賢木母さんの方針なら逆らいようがないよな。俺も覚えなきゃ」
「それより、キッチンの問題どうにかしてもらわなきゃ。休みのたびに悠真の部屋に押しかけても、二人が困るでしょ」
京香が肩越しに颯太を振り向きながら言う。
「あ、僕は構いませんけど」
「俺も平気」
澪と悠真が口を揃えると、京香が歯を揃えて、剥き出しにした。
「私は嫌!」
「そうだなぁ、変な場面に出くわすのも嫌だしなあ」
颯太がからかうように言うと、澪は真っ赤になった。
「へ、変な場面て」
「目の前でいちゃいちゃされたら苛つく」
京香は大真面目で答えた。
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