螺旋の中の欠片

琴葉

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第2章 Ω

9 巻き込まれ事故

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授業が終わり放課後になるととまっすぐに駐車場へ向かう。
どうゆう基準と決まりなのかはわからないが、玖珂くが家の送迎車は校門の真ん前に待機している。
二人とも部活動などはしていないので、連絡を取り合って車の中で待ち合わせ、二人が揃えば帰宅する。
いつもどちらが早いと言うわけではなくて。
日直や教師に捕まったりで、相手を待たせる時もある。
途中買い物に寄ったりするときもあるけれど基本直行。
「大丈夫だったか」
車に乗り込むなり悠真はるまは尋ねてきた。
れいは思わず吹き出してしまった。
抑制器の一件以来、悠真は日に何度もこの言葉を口にする。
心配をかけてしまっていることに申し訳なく思いながらも、発見した悠真の新しい一面に苦笑する。
「うん、思ったより大丈夫だったよ。ごめんね、心配かけて」
「大丈夫だったならいいんだ」
澪の返事にほっとしたような表情を見せる。
澪もほっとして口元を緩めた。
急に。
なんだか急に、悠真の表情が変わって。
そう思うと、今度は悠真の顔が近付いて。
澪は咄嗟に目を閉じた。
軽く唇に温もりが触れて、しばらくすると離れて行った。
温もりを追いかけるように目を開けると、少し照れくさそうな悠真の微笑みがあって、澪もそれに微笑みを返した。
悠真の視線が逸れた隙に、そっと指先で唇に触れてみた。
微かに悠真の感触が残る。
あれから。
あれから何度か悠真とはキスをしたけれど。
それっきり。
抱きしめられたり、肩を抱かれたりするけれど。
それっきり。
賢木さかきが気を遣ってベッド上の棚に置いて行った箱は未だに開けられた事がない。
抑制器を外した初日。
澪を宥めるようにちょっと触れただけ。
賢木に勢い任せで関係を持った事を怒られたようだし、悠真なりに反省したのだろう。
また澪の体調も気にしているようだし。
未だに澪には悠真との将来を考えると不安がある。
けれど、何をどういたらいいのかわからない。
今更悠真なしの未来は考えられない。
今はただ悠真と一緒にいたい。
悠真との性交渉ももう抵抗もない。
それなのに悠真は一歩引いていて。
かといって自分から誘うとか、恥ずかしくて出来ないし。
澪は悠真との関係が進展するどころか暗礁に乗り上げた気がして、少しもどかしく思った。

「油断してはダメですよ」
賢木は澪と悠真に念を押した。
「今のところ反動は収束したかのように見えますが、発情期も始まっていないですし、お医者様も他にどんな反動があるか前例がないのでわからないとおっしゃってますし…」
くどくどと説教のように語り出した賢木に、悠真が澪に肩を窄めてみせた。
澪も苦笑いを返す。
「二人とも聞いてるんですか?!」
「聞いてるよ」
「聞いてます」
賢木に睨まれて二人して即座に答えると、賢木はむうぅっと変な音を出した。
「全く!賢木の心配性にも困ったもんだよな」
先にお風呂を済ませベッドに入っていた悠真が、やってきた澪に唇を尖らせた。
「心配してくれるんだから。それに、悠真も今は負けてないよ」
澪はくすくす笑いながら悠真の隣に滑り込む。
悠真はいつも通り日課の読書。
なんだかんだ言いながら、賢木の言いつけはきちんと守る悠真。
澪はそんな悠真を見上げた。
「ん?どうした?」
悠真がそんな澪の視線に気付いて、にっこり微笑む。
「ううん…」
澪は首を振りながら、そっと悠真に身を寄せてみた。
悠真の手が澪の頭を撫でる。
そのまま悠真の顔が澪に近づき軽く唇にキスをして離れていく。
澪が離れていった悠真を追いかけて腕を絡めると、悠真はふっと微笑み、読書を取りやめて澪の体を抱き締めた。
「おやすみ、澪」
「…おやすみ悠真…」
澪をしっかりと抱き留めて、悠真は寝息を立て始めた。
澪はそんな悠真を見つめ続けて、やがて諦めて悠真の胸に顔を擦り寄せる。
精一杯の澪のお誘いだったのだが。
悠真には通じなかったようで。
それとも躱されてしまったのか。
そのことに澪は少々悲しく思いながら眠りについた。


悠真との関係が停滞したまま、毎日は過ぎていく。
澪は高2へと進級し、悠真も中3へと進級した。
毎日代わり映えのしない日々。
楽しくもない学校へ。
そんなある日、次の授業は体育だと言うのに、もう一人のΩオメガがどこにも見当たらない。
一緒に移動しなければいけないし、何より彼が更衣室の鍵を持っている。
先に行ってしまったのだろうか。
澪は荷物を抱えて渡り廊下の隅の更衣室を目指した。
クラスの他の生徒はすでに教室で着替え始め、女子は別の更衣室へと移動して行った。
急がなければ授業に遅れてしまう。
Ω専用更衣室は3学年兼用で、使用後は必ず施錠することが義務づけられている。
鍵はクラス内で当番制になっており、授業後締めた者が次の授業で開け、鍵を次の人に渡す。
3学年分のΩの安全が架かっているため、鍵の管理は皆非常に気を遣っている。
辿り着いたΩ専用の更衣室のドアは鍵がかかっていた。
つまりまだきていない?
どうしよう。
澪は仕方なく教員トイレで着替えようと踵を返した。
教員にもαアルファが混ざっているため完全に安全というわけではないが、教室や男子トイレで着替えるよりも立場を弁えた理性ある大人な分マシ。
同時に開いたドアから伸びてきた手に腕を掴まれ、中へ引きずり込まれた。
「なっ?!」
声を上げようとするとすぐ手で塞がれる。
ドアはまた内側から鍵がかけられてしまった。
自分を掴んでいるのは別のクラスのβベーター
眉を顰めながら逃れようと身をよじると、別の腕にもう片方の腕を掴まれた。
またしても別のクラスのβ。
二人とも見た顔だ。
いつも澪を厭らしい目で見ているあのαの…。
「そいつを捕まえてろよ」
声に振り返って、澪は硬直した。
いつも通りの厭らしい視線。
額に汗を滲ませ、口端を釣り上げている。
その下。
あんなに探していたクラスメイトのΩが両手を縛られ、口には猿轡、涙でぐしゃぐしゃになった瞳で澪を見ている。
四つん這いになった衣服は乱れ、膝にぐしゃぐしゃにズボンと下着が絡まっている。
その剥き出しにさせた腰をαが力任せに掴んで、自分の腰を打ち付けていた。
軋む音と粘着質な音が同時に聞こえ、αが動いた隙に見えたのは、内股を滴り落ちる血。
「ほら、しっかり腰振れよ」
ぺちん、と音を立てて彼の双丘をαが叩くと、Ωはびくっと震え、拙くも腰を振り始める。
満足したようにαがさらに腰を激しく抽送を始めると、Ωは大粒の涙を零しながら喉の奥から高い音を出した。
ぞっと澪の背筋を悪寒が走る。
「次はお前を可愛がってやる」
αは澪を振り返りながら舌なめずりをする。
とっさに身じろいだのは逃げるためか、助けるためか。
だがすぐに二つの腕に羽交い締めにされた。
「放せっ」
身を捻って足をバタつかせて、澪は必死に抵抗を試みた。
「暴れるなっ」
悠真しか知らないのに。
悠真だけでいいのに。
こんな奴に触れられたくない。
澪は何度も抵抗する。
「うるせぇ、殴れ」
凌辱する腰の動きはそのままに、澪を鬱陶しそうに振り返る。
Ωから嗚咽とも悲鳴ともつかない音が絶えず漏れていた。
痛みと屈辱に顔を顰めながら、澪に何度も視線を投げてくる。
助けを乞うているようにも思えるし、警告にも取れる。
彼の名前はなんだったか。
澪はそんなことを考えていた。
こんなところから早く逃げ出したいのに、βとはいえ同じ男の力に叶わない。
無意識な逃避なのか、関係ないことに思考を巡らせていた。
「早く大人しくさせろ」
αの怒鳴り声にとっさに暴力を予測して身構えたが、意外にもそれは訪れなかった。
後から腕を掴んできた方のβを振り向くと、さっと顔を背けた。
もう一人も焦ってαに訴えかける。
「でもこいつ、玖珂の…」
「構うもんか。あいつ、まだ中坊じゃねぇか、いらねえだろΩなんて」
もう一度Ωの尻を叩く。
びくっとΩが体を震わせると楽しそうに笑う。
それを見ていると、澪の中にゆっくりとせり上がってくるような怒りを感じた。
「俺がそいつを貰ってやる。こいつはお前らにやるよ」
β二人から返事はない。
当たり前だ。
男のΩに興味があるのはαだけ。
男のΩを妊娠させることができるのはαだけなのだから。
お互い興味を持つのが本能だ。
だがβにしてみればただの男。
男色家でもない限り嬉しくもないだろう。
自分にとって価値があるからといって他人にとっても価値があるとは限らないのだ。
その事に気付かない、いや意図的に考えない傲慢なαはもう一度Ωの肌を叩く。
顕になった尻肉から太腿にかけての狭い範囲が紅くなった。
「だいたい生意気なんだよ、あいつは」
ぶつぶつ言い始めたαに、澪は声を荒げた。
「悠真は生意気じゃないっ。生意気だと感じるのは君が低俗で無能だから…」
「うるせぇ!早く黙らせろっ!」
今度こそ殴られる、と身構えたのだが、やはり何も起こらない。
不思議に思いながらもβを見上げると、焦っているようで、変な汗をかきながらαに訴えた。
「あ、あんたは構わないかもしれねぇけど、俺は、そうはいかねぇよっ。玖珂に睨まれたくねぇ!」
「お前っ!俺に逆らう気か!?」
「そ、そういうわけじゃねえけど…」
βの言い分もわかる。
そもそもβですら格の違いがわかるというのに、どこまでこのαは無知で傲慢なのだろう。
内輪揉めに内心唖然としていると、αと言い争っているβとは別のβの手が緩んでいることに澪は気付いた。
もともとこのαに従っているのは不本意なのだろう。
二人が言い争っているのを聞いてそれが顕著になったらしい。
このまま助けを待っていても、誰も来ないかもしれない。
いや、クラスのΩが二人共授業に現れなかったら流石に不審に思って、教師が探しに来るかも。
でもその時には全て遅いかもしれない。
βをちらりと見上げると、内輪揉めから視線を逸らして溜息を吐いている。
油断している今なら、チャンスかも。
非力な澪が彼らと腕力で争っても勝ち目はない。
けれどなんとかしないと…。
澪はそっぽを向いているβに向かって思いっきり体をぶつけた。
「うわっ」
よろけた所にもう一度ぶつかるとβは体勢を崩して、澪の腕から離れ壁にぶつかった。
αとの会話に気を取られていたβが振り向くと、澪はすかさず持っていたバッグを頭めがけて振り回した。
ごっ、という鈍い音がして、βの頭を直撃した。
悠真に賢木が児童書の原語版を読むように渡したように、家庭教師の倉石は澪に分厚い哲学書を読むように渡した。同時に有名な童話の原語版も。そして毎週顔を合わせるたびに進行具合を聞き、内容を報告させるのだ。
悠真は寝る前に読んでいるが、澪は主に学校の休み時間を利用して読んでいる。
どちらも難解で集中しないと読めない。
他に何も考えたくない学校が澪にとって一番最適なのだ。
この二冊はいつも澪のバッグの中に入っており、この時も着替えの体操服と一緒に入っていた。
それを澪はすっかり忘れていて、βに思いの外ダメージを与えたことと鈍い音にやっと思い出した。
まさかいつも自分を苦しませている二冊の本が武器になるとは澪も考えてなかったし、倉石もこんな風に澪を助けるとは露ほどにも思わなかっただろう。
βは予想外の衝撃を側頭部に受け、一瞬目を回した。
その隙に澪は第2打を放つ。
一度振り下ろしたバッグを振り戻す。
反動で握っていた澪ですらよろける速度が出て、βはバックに押されるようにして倒れ、気絶した。
αは何が起きているのか理解に苦しんでいるようで、言葉も出せず澪を凝視している。
澪は倒れているもう一人のβにもバッグを振り下ろした。
小さな呻き声をあげて動かなくなると、澪はすかさずαに駆け寄りバックを構える。
「貴様~っ」
澪が何よりも腹が立ったのは、この状況でも凌辱の手を緩めないこと。
力の限り振り上げたバッグを、重力に勢いをつけて振り下ろす。
αにヒットしたかしないか、確認もせずに何度も、何度も。
やっとαが倒れた時には澪は肩で息をしていて、身体中にじっとり汗が滲んでいた。
驚いているのは犯されていたΩも同じのようで、目を見開いて澪を凝視している。
その時やっと、澪は彼の名前を思い出した。
福田、だ。
下の名前は忘れてしまった。
澪はその目を引きつった笑顔で見つめ返すと、慌てて駆け寄り彼を縛り付けているものを解いた。
「…あ、ありがとう…」
戸惑いながら澪を見上げてくる福田の服を正してやる。
「行こう!」
散らかった彼の荷物も拾い集めて。
「早く!奴らが起きちゃう」
焦って澪がいうと、福田も覚束ないながら急いで立ち上がった。
ふらつく彼に肩を貸そうとした時、一番最初に倒れたβが呻きながら頭を振り始める。
澪の非力さではどんな強力な武器でも数分気を失わせるのが限度らしい。
澪は慌てて、もう一度βに向かってバッグを振り下ろす。
「早くっ」
今度は手で防御され、うまく当たらない。
それでも福田が出口に立ったのを確認すると、半ば強引に体ごとぶつかるようにして外に押し出してドアを締める。
背中でドアを押しながら、必死に叫んだ。
「鍵っ、早く鍵」
「あ、うん」
澪の言葉に慌ててポケットを探り出す。
ドアの中から話し声がして、さらにどん、と衝撃がくる。
ドアを押さえつける澪の手元でドアノブがぐりぐり回されるのが見えた。
「早くっ」
震える指先で鍵を散り出すと、何度か失敗しながらも鍵がかけられる。
それを確認して澪はドアから離れ、内側から揺れるドアを呆然と眺めた。
福田も呆然としていて、時々澪を振り返る。
「行こう!」
通りかかった誰かがここを開けてしまわないうちに、どこかへ身を隠さなくては。
澪は足取りの重い福田を引きずるように歩き出した。

どこに行っても安全ではない気がした。
そもそも今日乗り越えてもきっと今後何度も同じことが起こる。
どうしよう。
「ちょ、ちょっと待って」
後ろから声をかけられて振り向くと、福田は青ざめて荒い息をしていた。
そうだった、彼は怪我をしているんだった。
内股に伝い落ちていた血液を思い出して愕然とする。
あまりに必死で、焦って、彼を気遣うことを忘れていた。
澪はとりあえず保健室に向かうことにした。


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