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不思議な生き物
しおりを挟むそれからは赤ん坊に振り回される日々。
畑仕事にも小屋での作業にも、赤ん坊のカゴを抱えて。
一度泣き出せば作業を途中で放り出し、やれオシメだミルクだと世話を焼く。
幸いまだ寝てる時間の方が長いので助かっているが、夜中だろうと泣き出すので、俺は若干寝不足だ。これはまあ作業の合間に昼寝をすればいいだけなのでそこまで問題じゃない。だが狩りにも採取にも、村にも行けない。これには困った。
村から催促の手紙がとうとうきてしまったし。
「近くまできて貰うしかないか…」
卸す品と必要な買いたい物を森の中で交換ってことになるかなぁ。
荷台に乗せても泣かなければ、村まで降りて行けるけども、揺れがそれなりに酷いから…難しいだろう。往復で30分ぐらいの距離なら…いやだめだな。連れて行くのも置いて行くのも無理。
「どうしたもんかねえ…」
大木の影に入り、赤ん坊のカゴの隣で寝転んでいると、ふと大木のそばに見たこともない生き物がいるのが見えた。
薄青く長い毛並みで、結構な大きさがある。
大木に寄り添う様に座ってじっとこちらを見ている。
「なんだろ?」
大木にたまに集まる動物達は、こちらを注視したりしない。
まるで見えていないかの様に振る舞うのに、この生き物は違う。
赤ん坊のカゴはそのままにその生き物に近付いてみた。
だが俺をみているわけではない様で、かといって赤ん坊を狙ってるわけでもない。
どこか別のところをみているような…変な感じだ。
ずっと森の中で生きてきたので危険な、こちらに害を及ぼすような生き物はわかる。
この生き物には敵意がない。
真っ青な瞳はどこをみているのやら。
なんだか悲しげにも見える。
「どうか、したのか?」
目の前に腰を落とし、視線を合わせるようにして俺が声をかけると、ビクッと体を震わせた。
それから慌てたようにきょろきょろとあたりを見渡し始める。
その様子に首を傾げながら、もう一度声をかけた。
「どうした?」
今度は俺の方をみた。
少し毛が逆立っているが、敵意は感じない。
じっと見つめてくるが、どこか違和感がある。
「怪我でもしてるのか?」
そう尋ねるとゆっくりと戸惑いながら顔を横に振った。
「俺の言ってることがわかるのか?すごいな、お前」
思わず手を伸ばしてじっと見つめてくる生き物の頭を撫でた。
その瞬間、立ち上がって驚いたように俺を見る。
「お、おい、どうした」
その勢いに驚いて俺も思わず立ち上がった。
触っちゃいけなかったか?
大人しいので思わず撫でてしまったが、やばい?
だがやっぱり敵意や害意は感じない。
ただただ驚いている、というか戸惑っているというか…。
すごい勢いで周りを見渡していたかと思うと、何かに気付いたように走り出した。
真っ直ぐ赤ん坊のカゴへ。
敵意も害意も感じなかったけれど、俺は慌ててそれを追いかけた。
「待て!その子に手を出すな!」
必死で追いかけたけれど全然追いつかず、生き物はあっという間にカゴへ辿り着いた。
それからカゴの中の匂いを嗅いでいたが、そのまますっと座り込んだ。
俺が追いついたのはそんな瞬間で、生き物は赤ん坊に優しく頬擦りを始めた。
「え、っともしかして知り合い?」
声をかけるとこちらを振り向く。
先ほどまでと違いなんだか嬉しそうだ。
返事の代わりか尻尾がゆらゆらと揺れている。
「もしかして探してた?」
赤ん坊を見下ろして頬擦りすると再び俺をみた。
どうやら探してたらしい。
もしかしたらあのウロに置いたのもこの生き物かも。
布に包まれていたから、生き物的には隠したのかもな。
みた感じ食べるために攫って来た、ってわけでもなさそうだし。
「ごめんな、勝手に連れて来ちゃって。でもあのままだったらやばそうだったからさ」
生き物は赤ん坊を見下ろし、小さく尻尾を振る。
心配してるのかな?
「もう大丈夫だぞ?毎日いっぱいミルクを飲んで、いっぱい泣いて、いっぱい寝てる」
そう言ってやると、生き物は立ち上がって俺に近づくと、頬擦りをし、顔を舐められた。
微かにクルクルと喉を鳴らすような音が聞こえる。
お礼のつもりかな?
その頭や体を撫でてやれば、気持ちよさそうに目を閉じる。
ふっかふっかな毛並みだな。
撫でてるこっちが気持ちいいんだが。
「なあ、この子ってどこかに連れて行ったりするのか?」
首周りを撫でながら尋ねると、尻尾がぺたんと地面にくっつき、顔を伏せた。
なんだか悲しそうだ。
「行き場所がないんだったら、お前も一緒にここで暮らすか?」
顔を上げ、俺の真意を見抜こうとするようにじっと見つめてくる。
「俺、一人暮らしだし、この子もお前もいてくれたら寂しくないんだけどな」
生き物はじっと俺を見つめていたが、ふと赤ん坊を見下ろし、しばらくすると尻尾を振りながら頬擦りをして来た。
「いてくれるってことかな?」
さらにベロンと顔を舐められる。
「良かった」
赤ん坊が来てから一気に騒がしくなったけれど、嬉しかった。
父が亡くなって、ひとりぼっちになると、時々静寂がのしかかってくるような気がした。
ずっと賑やかだった家の中が段々と、人がいなくなり静かになって行くのが寂しくて。
考えないようにしていたけれど、ずっとは無理だと思っていた。
早々に根を上げて村に移っていたかもしれない。
それは父との約束を破ることになる。
「これからよろしくな」
ぎゅっと首に抱きつけば、嫌がりもせず尻尾が揺れるのが見えた。
離れれば頬擦り攻撃が始まって、思わず笑いが込み上げた。
「ぎゃあああん」
急に上がったけたたましい泣き声に、俺も生き物も驚いて飛びがった。
「おお、ミルクか?オシメか?」
俺はカゴごと持ち上げて、急いで家に向かう。
生き物もついて来た。
玄関の扉に飛び込むと、生き物はぴたりと足を止めた。
戸惑っているように見える。
どうしたんだろ?
「ほら入っておいで」
頭を撫でてやると、びくりと体を震わせ、恐る恐る入ってくる。
一体どうしたんだろ?
とにかく赤ん坊が先だ。
居間に飛び込んでテーブルの上にカゴを置き、赤ん坊を抱き上げた。
「よしよし、どうしたぁ?」
そう言いながらあやしつつ、オシメを確認。
「オシメじゃないな。じゃ、腹が減ったかぁ?」
抱き抱えたまま保温庫から哺乳瓶を取り出した。
自分の頬に当てて温度を確認。
「少し熱いかな」
振ったりして温度が下がるのを待って、口に当ててやる。
んくんく、言いながらすぐに飲み出した。
哺乳瓶を支えてやりながら、そのままソファーに腰を下ろすと、いつのまにかやって来た生き物が目の前に座った。
俺が抱える赤ん坊の頬を鼻先でつんと触る。
まるで挨拶してるみたいだ。
いつも飲みながらじっと俺を見つめてくる赤ん坊が、それを合図に生き物を見た。
そして小さな手を生き物に伸ばす。
その手のひらに生き物がまた鼻先をつけると、赤ん坊は手を上下に振った。
生き物はその手のひらに今度は顎を乗せる、というか触れさせる。
するとその毛先を赤ん坊がぎゅっと握った。
赤ん坊も知ってるみたいだな。
しかしそんなにぎゅっとしたら痛いんじゃないか?
生き物の方はなすがままだけども。
ミルクを飲み終わった赤子を生き物の方に向けて膝の上に座らせると、なんだかすごく嬉しそうにきゃっきゃと笑い、懸命に生き物へと手を伸ばし始めた。
押し出すように膝先に移動させてやると、生き物の方も顔を寄せ頬擦りをする。
赤ん坊の方は叩いてるんだか、撫でてるんだか、引っ張ってるんだかわからない反応をしているが、生き物はなすがままだ。
「なあ、ちょっとソファーに乗ってこの子の相手をしてくれないか?」
俺が声をかけると一瞬の後ソファーに乗って来て伏せた。
俺は生き物の顔のそばに、赤ん坊をソファーに寄り掛からせるようにして座らせた。
赤ん坊は嬉しそうに生き物の毛で遊んでいるし、生き物も赤ん坊をじっと見つめている。
これは、いい子守りができたぞ。
「ちょっと片付けてくるな」
空になった哺乳瓶を持って歩き出すと、こちらを向いた生き物がクゥーと鳴いた。
可愛い鳴き声だなあ。
ミルクの作り置きはこの居間の保温庫にはまだ2本入ってるから、大丈夫だな。
寝室にはもうないから今晩作って持っていかなきゃ。
台所はまだ大丈夫だったはず。
台所に入ると、煮沸済みで乾燥中だった哺乳瓶を食器棚に仕舞う。
先ほど空になった哺乳瓶と寝室から持って来た空の哺乳瓶とを合わせて煮沸をはじめた。
あの生き物にどのくらいの時間任せっきりにして置けるだろうか。
そんな事を考え始める。
村まで往復3時間…ちょっと長すぎるか…。
オシメを替えミルクを飲ませた後なら、少しは起きているがすぐに寝てしまう。
一度寝てしまえば3時間ぐらいは大丈夫だと思うけど。
何もなければ…。
最も急変しても俺にしてやれるのは熱があれば冷やして、症状に合う薬があれば飲ませるぐらい。
村に医者はいないので、街まで行かなければならないが、多分それじゃ手遅れになる。
弟の時はあっという間に熱が出て、熱に対応してるうちに呼吸が止まってしまった。
…ああ、そうか。
父が言った通りなんだ。
どうしようもなかったんだ…。
俺に出来るのは元気に育つように祈るだけ…だったんだな。
それは今回も同じだ。
ミルクやオシメには対応出来ても、急変したら何も出来ない。
…………。
……。
煮沸が終わった哺乳瓶を伏せて、乾燥させる。
それから居間へと戻れば、生き物がこちらを見ながらまたクゥーっと鳴いた。
見れば生き物にしがみつくようにして、赤ん坊が寝落ちしていた。
「寝ちゃったか」
思わず笑みが溢れて、赤ん坊をカゴへ戻そうと手を伸ばした。
けれどぎゅっと生き物の毛を握りしめているので、動かせない。
「これは…ちょっと動かせないな…。しばらくこのままでも大丈夫か?」
生き物は俺を見上げてまたクゥーと鳴き、尻尾を動かした。
大丈夫ってことかな?
「じゃあ、俺、ちょっと洗濯物取り込んでくるよ」
クゥーという返事を聞いて、生き物の頭を人撫でして居間をでた。
玄関から出て台所兼食堂の外に物干しがある。
天気がいいので今朝ほした洗濯物は全て乾いていた。
赤ん坊が来てからは毎日洗濯しないと、オシメが間に合わない。
洗い終わった物を入れて来たカゴに、乾いた物を全部入れる。
カゴを抱えて居間に戻れば、伏せて目を閉じていた生き物が顔を上げた。
俺は2人掛けのソファーに腰を下ろして、乾いたオシメなどをカゴから取り出し畳み始める。
「なあ、お前達、名前あるよな?」
生き物がふわりと尻尾を動かした。
「そうだよな。でも俺に名前を教える手段がないんだよなぁ」
俺の言葉はわかってくれるけれど、返事は仕草などから読み取るしかない。
一文字ずつ反応を見ながら当てていくしかないかなあ。
「いっそのこと新しく俺が名付けちゃうとか…、いや、だめだよなぁ、ははっ」
赤ん坊は親から貰った大切な名前だろうし、生き物の方も飼い主とか大事な人につけて貰ったはずだもんな。
会ったばかりの俺が勝手に変えていい物じゃない。
「名前がなかったら、俺がつけても良かったんだろうけどな」
ククゥー
先ほどまでとは違う鳴き声がした。
見ると、なんだか瞳をきらきらさせながら尻尾を振っている。
えっと、なんだろう?
多分これは俺の独り言に反応してるんだよな?
首を傾げつつ、生き物を見つめ返すと、ククゥークゥ、と鳴く。
俺の独り言の返事…?
嫌そうではない、むしろ嬉しそうだが。
俺の独り言は…。
「俺が名付けてもいい?」
ってことになるのかな?
クゥー、クゥー、と繰り返し尻尾を振り、目を閉じる。
いい、ってことだよな、これ。
「えっと、じゃあ、ブラオって呼んでもいいかな?」
クゥー、クゥーと返事が返って来た。
この鳴き方は肯定の意味だったよな?
尻尾もゆらゆら嬉しそうに揺れているから間違いなさそう。
「じゃ、改めてよろしくな、ブラオ」
クゥーっと一際大きい声で鳴く。
良かった。
「じゃあ…この子は…ロートとかどうだろう?どちらも瞳の色に因んでるんだけど…」
クゥー、っと返事が返って来たので、ほっとした。
「ブラオの許可も貰ったし、よろしくな、ロート」
寝ている赤ん坊の頭をそっと撫でた。
オシメをたたみ終えて、半分を寝室に持って行き、残りの半分を居間のコーヒーテーブルの下にしまった。
そろそろどうだろう。
ロートのブラオの毛を掴んでいた手が少し緩んでいた。
そっとロートを持ち上げると、するっと手から離れていった。
ほっと抱きかかえ直し、カゴの中を整えてそっと寝かせる。
そっと毛布をかけてやり、ブラオの頭を撫でた。
「子守りご苦労様」
クルクルと喉を鳴らす。
んー、猫なのか犬なのか、よくわからん。
「俺はちょっと外での作業が残ってるんだが、どうする?」
ブラオが首を傾げた。
あ、聞き方が悪かったな。
「ロートと一緒にここにいる?」
尻尾は揺れているけれど、ブラオはまだ首を傾げている。
「それともロートと一緒に俺と外に行く?」
クゥー、と大きく口を開けて鳴いた。
「じゃ、行こうか」
俺がロートのカゴを持ち上げると、ブラオも立ち上がりソファーから降りた。
そして小屋へと移動する俺の後ろをついてくる。
小屋の前の千場でロートのカゴを下ろすと、カゴを囲むように横たわった。
その様子は保護者というより、守護者という感じだ。
……………。
それを確認してから、俺はロートが来る前に干しておいた山菜や薬草、果物なんかを回収していく。種類別にカゴや箱に入れ、使用した乾物用の道具は小川へと持って行き洗う。小屋の前に洗った道具を広げて干し、乾燥させた山菜などは食物庫へ入れる。代わりに粉末の薬草が入った瓶を取り出して来て、小屋の前に置いた。小屋の中から薬研や摺鉢を取り出して来る。そして小さな台の上で出来立ての薬草の乾物を、薬研やすり鉢で細かく砕いていく。
「なあ、ブラオ」
声をかけると顔を上げてこちらを見てくれた。
「俺さぁ、森の外の村に用事があるんだよ。でもロートを連れていくわけにもいかないし、ここに放置する訳にもいかなくて、悩んでたんだけど」
ブラオはじっと俺を見つめ、話を聞いてくれている。
「ブラオだけでどのくらいロートを見ていられる?」
ブラオは尻尾を揺らして、首を傾げた。
「村まで往復3時間、取引するのにさらに30分ほどかかると思う。ロートはオシメも替えてミルクも飲んだらすぐ寝ちゃうと思う。一度寝たら2~3時間は大丈夫だと思うけど、途中で起きないとも限らないし、起きた時とか何かあった時が…」
クゥー、と話の途中でブラオが鳴いた。
大丈夫と言わんばかりに尻尾は大きく揺れている。
「大丈夫、みたいだな」
クゥーともうひと鳴き。
「ありがとう、ブラオ、助かるよ。早速明日にでも行ってくるよ」
クゥーと返事が返って来た。
そうと決まれば納品する物を今日のうちに荷台へ積んでおこう。
瓶詰めしたジャムと干した山菜、薬草の粉末は今日中に仕上げて…。
必要な買いたい物を書き出して、村に送っておけば時間短縮になる。
そしてミルクとオシメの替えが終わったら、とっとと出かけてさっと返ってくるぞ。
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