双子の石を追う者たち

西湖 鳴

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第1章

Ep2 美しく、愚かな女

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 ユリウスが築き上げすでに三百年……ディオス王国の経済発展はピークを過ぎ、王都のシーデンは都市として成熟していた。そして大陸全土に及ぶ王国の支配は、腐世界ネルジュブレイに程近いグリシャフト境界の果てにまで及んでいる。
 レイラの住んでいた村はまさにその果て。
 ネルジュブレイがその範囲を拡大し始めた十数年前から村の様子は徐々に変化していき、今は風の吹く方向によって腐世界の有毒な大気が流れてくるのだ。
 そうして腐世界の浸食に晒された村で暮らしていくのは難しく……炭鉱で栄えたこの村も徐々に過疎化し、今では大半の家々を植物や虫たちが支配している。
 昔の賑わいなどもうどこにもない。
 そしてとうとう村は崩壊し、数少なかった村人達もそれぞれに去っていった。
 「レイラ……どうしても残るのか」
 最後のキャラバン隊が村を出るとき、かつて村長であった男・ザックがレイラに問いかけた。
 彼は今まで何度も何度も彼女を説得していた。自分たちと一緒に村を出よう、と。
 「ごめんなさい、私どうしても……」
 しかし彼女は頑として首を縦に振らなかった。
 彼女は待っていたのだ。
 ザックは不憫でならなかった。そして、彼女がこのまま待ち続けるだけの人生を送ろうとしていることも歯がゆかった。
 彼女には失踪した婚約者がいる。
 レイラと婚約者の男がお互いに愛し合っていたのは覚えている。二人の仲を裂こうとする者はいなかった。
 しかし、四年前に男が失踪してからの彼女は見ていられなかった。
 男の噂を求めては何度も旅に出て、浮かない顔で帰ってを繰り返し、塞ぎ込む日々だったからだ。
 ザックがそんな彼女に求婚したのは一年ほど前の話である。
 レイラに同情したからだけではない。芯のある美しさを持った彼女に、村の男誰もが憧れていたのだ。
 ザックの目には哀愁と、彼女に受け入れてもらえない現実への寂しさが宿っている。
 レイラはただ黙って彼を見つめた。その瞳には強い意志を感じる。
 いつもそうだった。
 レイラは昔からこれと決めたら譲らない頑固者だったのだ。その辺りは父親譲りかな、とザックは内心微笑む。
 いくら自分が未練がましく彼女を止めても、簡単に意思を曲げたりしないのはわかっていたはずだ。
 「そうか、わかったよ。俺たちはそろそろ出発だ。……達者でな」
 ザックはそう言うと、レイラに軽く手を振って最後の村民たちと村を後にしたのだった。


 
 一人残されたレイラは一週間ほど滞在した後結局、村を出ることになった。
 ずいぶん連絡を取っていなかった修行時代の友人からの手紙を受け取ったからである。
 手紙には、婚約者の情報が書かれていた。しかも今度は信憑性の高い信頼できる情報。
 彼女はスカートを脱ぎ捨ててすぐさま旅の準備を始めた。今度はもう、この村に戻ってはこれない。待っててくれる村人たちはもういないのだ。
 そして荷を整理してみるとたいした量ではないことに気づいた。
 皮肉にも婚約者を捜し求めて何度も荷造りしているうちに、彼女の荷物は徐々に減っていったのだ。
 まるでこの村を出る為の準備をずっと以前からしていたようだ。
 「……でも私、またここに戻ってきたい」
 自室の様子を物思いに沈みながら眺め、彼女は小さくつぶやいた。
 彼女の胸元には、赤い輝きを放つ石をはめ込んだ、シンプルなネックレスが揺れる。
 「行ってきます」
 レイラはそう言って自室の扉を開け、旅立っていった。



 ***


 
 数ヶ月後。
 彼女の足は確実に重たかった。
 村を後にして以来、友人の情報にすがって旅を続けた結果がこれだ。

 【彼は忘れてしまった】

 それだけのことなのだ。
 五年前に結婚の約束をした男は、レイラのことをすっかり忘れていた。
 もともと何の前触れもなく突然消息を絶った男だったのだが、それでも彼女はきっと深い事情があるに違いないと、どこまでも男を信じていた。それほど、愛し合った日々の思いは強かったのだ。だから男が自分を忘れてしまっているなどと考えもしなかったのである。
 しかし、もし彼が自分を覚えていたとしても忘れなくてはいけない存在というのであれば同じである。そう思えるのは、五年ぶりに見た彼がとてつもない大出世を果たしていたからだ。
 五年前は国から派遣されたしがない一教師であった彼が、今ではディオス王国の宰相の一人なのだ。風の噂を耳にしたとき、レイラは耳を疑った。実際に会ってみて確信した。
 彼はラルフに間違いない……!
 ……しかし、あれほど追い求めた婚約者を今はあきらめている。
 彼は出世して変わってしまったのだ。自分が彼の前にしゃしゃり出たら迷惑なのだ。



 十四代目の王が崩御し、つい最近大騒ぎになったばかりだった。レイラが王都シーデンやって来たのはそんなときで、ちょうど新王の戴冠式が行われる為、国を挙げて数日前から大規模な祭りが行われていた。
 その華やかな騒ぎの中、人々が歓喜の踊りを舞うその間をすり抜けて、彼らの喜びを見せ付けられているようなそんな嫌な気分にイライラしながら、レイラはようやく静かなスラム街へとやってきた。
 ……もう旅の目的もない。会いたい人もいない。帰るところも……。
 彼女の足は重かった。先のことを考える気にはなれなかった。そんなとき……、
 「ドロボーー! 誰かつかまえてくれー!」
 突然、そんな叫び声と共にレイラの目の前を一人の男が駆け抜けていった。その男が走り去った反対の方向からは、頭髪が黄昏近いやせた男が一生懸命駆けていくのが見える。
 さっきの男を追いかけているのだろう。
 白いエプロンが薄茶色に汚れていて、年季が入っているのが分かる。露店の店主だろうか。
 静かなスラムといっても今は大きな祭りの真っ最中。周りにはたくさんの露店が立ち並んでいた。
 各地方の名産物、小物、料理、果物、あるいは変わった武器など。さまざまな物が色とりどりに染めていて、そこに集う客達も混ざって、その光景はある種の匂いを作り出していた。
 そんなゴミゴミした中、レイラの前をそのエプロン男が通り過ぎようとし、その瞬間それは起った。
 エプロン男の肩がレイラの肩と出会い頭にぶつかったのである。
 片方が走っていた為かその衝撃は大きく、レイラはバランスを崩して足を踏み外してしまった。それだけならまだしも、衝撃で揺れたレイラのネックレスの鎖が、男のエプロンの金具にうまい具合に引っかかってしまったのである。
 がしかしレイラが声をあげる間もなく、ネックレスは男のエプロンに持っていかれてしまった。
 「ちょ、ちょっと待ってぇー!!」
 倒れそうになるも、たまたま彼女の後ろにいた人々に支えられて群集の下敷きになることを免れ、レイラはなんとか起き上がり、すかさずそのエプロン男を追いかける。
 人ごみの合間を縫って、三人の追っかけっこが始まったのだ。
 人ごみの抵抗は思った以上に激しく、傭兵で生計を立てている彼女でもこの祭りの人の波に逆らって進むのには骨が折れた。しかしなくすわけにはいかない。
 あのネックレスはラルフから婚約の印にもらった物なのだ。絶対に取り戻さなければならない。
 レイラは必死だった。
 「ちょっとおじさんッ! 待ってよー!」
 三人は大通りを抜けると路地に入り込み、やがて人ごみの中から消えていった。



 「おじさーーーーん!!」
 その声に振り向くと、入り組んだ路地の向こうから一人の栗色の髪をした女が息を切らせて走り寄ってきた。
 女は男の前まで来ると一度しゃがみこんで切れた息を整え、すっくと立ち上がり……すぐさま男のエプロンを調べ始めた。訳が分からず男は口を開く。
 「な、なんだい、お嬢さん?」
 しかし女はその言葉に振り返ることもなく脂汗をかいていた。
 「……ないっ!」
 彼女の動揺した表情にエプロン男は思わず語りかけた。
 「……なんか探してんのかい?」
 レイラは愕然としていた。確かに引っかかったはずなのにネックレスはどこにも見当たらない。
 「うそ……だって! 今さっき引っかかって走ったネックレスが……!!」
 レイラは動揺していた。諦めたとはいえ……それでもラルフを愛していたのだ。ネックレスまで無くしてしまったら……。
 「あんた何言ってんだ? ちゃんと話してくれんとわからんよ」
 エプロン男は困惑しているが、レイラはショックが大きすぎて口がまともに動かない。
 真っ青になり冷や汗をかいて魚のように口をパクパクするだけだ。
 「まったく……なんなんだ。こっちだってコソ泥を捕まえんといかんのに……」
 やがて男は付き合っていられなくなったのか、腰を抜かして座り込んでいるレイラを置いて去ってしまった。
 暗い路地には、レイラ一人が残されたのである……。
 「あれが無くなったらラルフとの思い出が何も無くなっちゃう……」
 目の前が熱く潤んでくる。それと同時にがっくりとうなだれて両手を地面についてしまった。
 今ごろ祭りは最高潮を迎えているはずである。
 乾いた地面には彼女の涙ともとれる雨の粒が一つ、二つと次第に増えていく。
 今のレイラには町の賑わいの音も雨の激しさも伝わってはこない。
 なぜだかレイラには、神様がラルフのことはもう忘れろといっているようで、無性に悔しくてしかたがなかった。
 そして彼女は音もなく、激しい雨の中声を殺して泣くことしか出来なかったのだ。
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