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オレンジジュースの海に沈む
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その日、彼はゲンナリという言葉を体現したかのような顔をしていた。
「これでもいちおう美術家のはしくれなんだけどなぁ」
技量はミジンコでも感受性がないわけではなくてだね、世間一般からみてひねくれてたとしても…とブツブツいいがら、子供のようにミルフィーユを一層一層はがしながら食べる姿は、お手紙を食べる山羊の歌のようだった。
何の話かというと、とある作家の作品についてだ。彼の友人でもある人間女性の作品展に呼ばれたのだそうだが、それがいやでいやで、閉店後の私の店に逃げ込んだそうである。
前提として、彼女の作品はグロさやゴシックだといった、不快感の美を追求するようなものではなく「さも」芸術的な美しい作品を作る。彼は「さも」というので、いわゆる正統派のお稽古の向こうのものだろう。
が、
作品から「ヒトを傷つけて、その人の魂の傷から滲み出たイタミを吸って輝く人間」のオーラが襲ってきて、見苦しくてつらいという。
彼女はたしかに若い取り巻きをもつ優雅な熟女だから吸血鬼タイプかもしれないが、もちろん人間だ。では人間のなかでも、悪代官ともサイコパスのイメージを彼がもってるかというとそうでもない。
どんなに、人間の身でありながら人間ではない外道が描いたのかとおもって、楽しみにしていた。私もあったことがあるのだが、普通の人というか、世間でいう『キラキラの特別なパーソン』の、つまらない人間だった。
特別な自分のキャラクター作りに必死な、凡人の金持ち人間にみえた。
天性のワガママだけど、渇望は見受けられない。
搾取する立場には、いる。
それは絵の気配と大まかにはおなじだけど、気配の種類が違う。
じゃあ、別のひとがかいてるの?
じゃあ、描いてる間は別のひとになってるの?
そうでもない。本人はいたって普通の人で、そのような要素は何一つなかった。例えるなら、禁忌のおぞましい儀式と知らずに、お遊戯のつもりで踊る子供に近いのかもしれない。では、何かに操られるだけの受信力があるかというと、それすらない。何かに操られたわけでも、神憑りな悪いものを降ろしたわけでも、自分が二重人格というわけでもない。お稽古の延長のつたない作品の、人が迫力と呼んでいるのは高級素材のもつ力と、おそらく彼がキャッチした禍々しさをそれとわからずになんとなく感じた人間。あるいは、なにも感じず、彼女の作品という価値だけに騒いでる凡人?
今日の売れ残りで、明日に持ち越せないケーキとサラダを総て食べ尽くす天才画家は、とにかく落ち込んでいるようだった。
「まぁ、見て魂が削られるような穢らわしさがあるんだね?不快感というか、目の前で人が切り刻まれている様子や、それを従者にやらせて抽出物を楽しんでるやつが」
彼の話を聞かなければならないので、私は自分の感覚を前にしてはいけないはずなのだが、まとめるつもりが、つい口にしていた。
「エリザベータ?バートリーだったかな、いたよね、若い娘の血を浴びる美容法のセレブ」
「貴族って言おうよマスター」
「貴族というとね、私は平安貴族しかうかばないんだよねー」
「へー、俺ベルサイユのあれっぽいやつ。男も女も髪くるんくるんのさ、かわいいよね」
そんなに知らない彼女の悪口を言いたくないし、彼もそのつもりではないのだ。作品からうけるダメージから逃げたいというだけで、彼女のことは嫌いではない。ただ、彼女と作品がギャップという言葉でも繋がらないというはなしが、周りの人間に理解されないことがわかっていて漏らせない状況に疲れている。彼女の通りに清らかであるとか、彼女の中の龍のような強さにあてられたのだとか、芸術家のくせにわからんかと凡人たちにいわれることは、私の目の前の天才画家にとってさぞわずらわしいことだろう。
知らない人間は強いことをいう。
目の前の画家が勢いよくすすると、牛乳がその腕にピシャリと飛んで、鱗の隙間にすっと滲んでいくのがみえた。本人も感覚でわかっているので、苦笑いして「風呂いくのめんどい」とぼやいた。いつになったらお風呂かシャワーのある家に越すのだろうか、そのせいで銭湯なり実家なりに行くのも面倒だろうに。
私のため息に視線を向けた天才画家は、突然大笑いした。
「温泉旅行いこうよ、一緒に」
そして、上半身を乗り出して銀色のお盆を持って手を伸ばした。我々二人が写っている。
「そうですね、ストレスたまってますお互い」
お盆のなかの、角を生やした鰐のようなものと、三つ目の牛のようなもの。あぁ、普通の人間であることは難しいのに、普通でない自分を演出する普通の人間はうまくいってるのは不思議だなと、天才画家と喫茶店のマスターのとある夜の話。
「これでもいちおう美術家のはしくれなんだけどなぁ」
技量はミジンコでも感受性がないわけではなくてだね、世間一般からみてひねくれてたとしても…とブツブツいいがら、子供のようにミルフィーユを一層一層はがしながら食べる姿は、お手紙を食べる山羊の歌のようだった。
何の話かというと、とある作家の作品についてだ。彼の友人でもある人間女性の作品展に呼ばれたのだそうだが、それがいやでいやで、閉店後の私の店に逃げ込んだそうである。
前提として、彼女の作品はグロさやゴシックだといった、不快感の美を追求するようなものではなく「さも」芸術的な美しい作品を作る。彼は「さも」というので、いわゆる正統派のお稽古の向こうのものだろう。
が、
作品から「ヒトを傷つけて、その人の魂の傷から滲み出たイタミを吸って輝く人間」のオーラが襲ってきて、見苦しくてつらいという。
彼女はたしかに若い取り巻きをもつ優雅な熟女だから吸血鬼タイプかもしれないが、もちろん人間だ。では人間のなかでも、悪代官ともサイコパスのイメージを彼がもってるかというとそうでもない。
どんなに、人間の身でありながら人間ではない外道が描いたのかとおもって、楽しみにしていた。私もあったことがあるのだが、普通の人というか、世間でいう『キラキラの特別なパーソン』の、つまらない人間だった。
特別な自分のキャラクター作りに必死な、凡人の金持ち人間にみえた。
天性のワガママだけど、渇望は見受けられない。
搾取する立場には、いる。
それは絵の気配と大まかにはおなじだけど、気配の種類が違う。
じゃあ、別のひとがかいてるの?
じゃあ、描いてる間は別のひとになってるの?
そうでもない。本人はいたって普通の人で、そのような要素は何一つなかった。例えるなら、禁忌のおぞましい儀式と知らずに、お遊戯のつもりで踊る子供に近いのかもしれない。では、何かに操られるだけの受信力があるかというと、それすらない。何かに操られたわけでも、神憑りな悪いものを降ろしたわけでも、自分が二重人格というわけでもない。お稽古の延長のつたない作品の、人が迫力と呼んでいるのは高級素材のもつ力と、おそらく彼がキャッチした禍々しさをそれとわからずになんとなく感じた人間。あるいは、なにも感じず、彼女の作品という価値だけに騒いでる凡人?
今日の売れ残りで、明日に持ち越せないケーキとサラダを総て食べ尽くす天才画家は、とにかく落ち込んでいるようだった。
「まぁ、見て魂が削られるような穢らわしさがあるんだね?不快感というか、目の前で人が切り刻まれている様子や、それを従者にやらせて抽出物を楽しんでるやつが」
彼の話を聞かなければならないので、私は自分の感覚を前にしてはいけないはずなのだが、まとめるつもりが、つい口にしていた。
「エリザベータ?バートリーだったかな、いたよね、若い娘の血を浴びる美容法のセレブ」
「貴族って言おうよマスター」
「貴族というとね、私は平安貴族しかうかばないんだよねー」
「へー、俺ベルサイユのあれっぽいやつ。男も女も髪くるんくるんのさ、かわいいよね」
そんなに知らない彼女の悪口を言いたくないし、彼もそのつもりではないのだ。作品からうけるダメージから逃げたいというだけで、彼女のことは嫌いではない。ただ、彼女と作品がギャップという言葉でも繋がらないというはなしが、周りの人間に理解されないことがわかっていて漏らせない状況に疲れている。彼女の通りに清らかであるとか、彼女の中の龍のような強さにあてられたのだとか、芸術家のくせにわからんかと凡人たちにいわれることは、私の目の前の天才画家にとってさぞわずらわしいことだろう。
知らない人間は強いことをいう。
目の前の画家が勢いよくすすると、牛乳がその腕にピシャリと飛んで、鱗の隙間にすっと滲んでいくのがみえた。本人も感覚でわかっているので、苦笑いして「風呂いくのめんどい」とぼやいた。いつになったらお風呂かシャワーのある家に越すのだろうか、そのせいで銭湯なり実家なりに行くのも面倒だろうに。
私のため息に視線を向けた天才画家は、突然大笑いした。
「温泉旅行いこうよ、一緒に」
そして、上半身を乗り出して銀色のお盆を持って手を伸ばした。我々二人が写っている。
「そうですね、ストレスたまってますお互い」
お盆のなかの、角を生やした鰐のようなものと、三つ目の牛のようなもの。あぁ、普通の人間であることは難しいのに、普通でない自分を演出する普通の人間はうまくいってるのは不思議だなと、天才画家と喫茶店のマスターのとある夜の話。
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