半熟卵とメリーゴーランド

ゲル純水

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アンバー、アンバー、デイドリーム。

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  だからなんだというのだ。

  その「私」は誰かと、私と書いてあれば「作者」の話だなどと考えていたら、ワトソン博士が笑い飛ばすではないか。金田一耕助と団地を見ながら会話していたのは、横溝正史であり横溝正史ではない。

  ゆらぐ、輪郭ゆらがず、はじめからない、なかった。
  
  歩きながら眠るのは気持ちいい。

  頭の半分を夢の世界に追いやって、嫌な体験と自分自身の時間を切り分ける。あちらの世界の出来事だよと、切り分けるためのまどろみは、こちらの世界にはない幸せなシーンを作り上げて、幸せな感覚だけを吸い上げる。二つの世界を四つに切り分けて、組み替える。そうやって私は生きているから、君の痛みの1つや2つは私に預けてもよいのだよ。
  などと、私は相手のいないテーブルで、簡単に崩れる模様のラテを飲む。記憶のなかの美味しいそれは、最後まで絵図柄が残り、飲み干したカップのそこで花開いていた。久しくその魔法を見ることもなく、けれどもこんな簡単なワンツースリーで類似品がそこにある。テーブルの向こうにその日のことが、ワンツースリーでは再現できないことに安堵する。あぁ、そうだ、夢でいい。もう今は、あの日の夢は見ない。

  私の心のなかにうかぶ風景は、記憶なのか夢なのかどちらなのかと思う。記憶を妄想で改編できる人間がいたのだ。被害妄想や自己肯定の妄想によって、自分の罪を逃れる弱さと、その圧倒的な力は何なのかといつも思う。あまりに弱い人間の謎の強さは、なんなのだろうかと、私はいつも面食らう。その記憶のなかで、もはや彼女は仮面をつけたモンスターだった。人の形をした怪奇現象だった。そんな人のことをかんがえないように、私はラテをのむのだ。ある部分は別のことに集中し、ある部分は麻痺をしてそもそもなにも考えないように。それなのに飲み干してもイメージが残るなんて救われないから、チェーン店のワンツースリーでいい。

「今、私は、彼女の時給を飲み干した。でも彼女にとっての私は、処理に5分かかると上司に指摘されるぐらいの存在。彼女は一人の客を3分で処理することを7時間続けないといけないのよね」

全国チェーンのカフェの一幕。向かいの席にいけばいいのに隣に座る彼女は、やみくもに触ってくるから困る。頭の半分が、「君」を思いえがく別の世界に踏み込んでいた。いけない、人といるときは起きていなければ…一人の時間を妨げられたのは、彼女の気まぐれではあるけれど、彼女なりに私のことを気にかけてのことであろうと推測する。

「そうだね、もう一時間たったから、ぼくは何かを追加注文しようと思ってるわけです。なんか食べる?」
「チーズケーキしか食べない」
「ぼくマフィンにするから、一口くださいね」

店内の階段をとんとん、上の階は喫煙席だったかとすれ違う匂いに目が眩む。そういえば、親しい喫煙者は、驚くほどにおいがしない。むしろ洗濯あがりの良いにおいがしていて、羨ましいと思うのだが…そんなことを考えている間の「私」の顔はどんな顔をしていたのだろうか。時給相当それ以上のオーダーを3分以内に提供してくれる美女は、不可解なあるいは会話が苦痛な気持ち悪い生き物を前にした顔をしたいた。それとも、くさかっただろうか。私はまた彼女の時給の3倍を葉っぱのお皿に出した。

「僕ね、どこでもいいけどあの葉っぱが好きでさ」

君の声が聞こえだ気がして振り返ったけれど、洗濯あがりのにおいのせいだった。近い年頃の若い夫婦のにおいだった。私の心の声のように、君は同じことを言うから、それなのに私と比べようもなく素晴らしいから、つらくなると私の五感は君を探している。そして、向こう側の世界が錯覚を起こさせる。

「「だから、ここを選ぶんだ。懐かしい、あの物語に似た葉っぱだもん」」

声を揃えるように呟く。閉塞感がなくなるように、自分が作り上げた幻なのだろうか。時計から鳩が飛び出して、夕方を告げた。

「おそかったね、そろそろ下校で混むかな?」
「ですかね、そのかわり奥様方はお戻りになる」

周囲の、一杯の珈琲で何時間でも楽しく過ごせるマダムたちがいなくなっていた。つい先程まで、驚くほどたくさんいたのに。私はそれが羨ましく思えた。

「階段で必ずこぼすんですよね、トレイのなかで珈琲グラグラ。どうしたら普通に運べるんだろう?」
「夕方の混雑が、不器用を襲う!」
「うん、階段はトラップだったわ」

苦笑いしながら、私はぼくの顔になる。

「あなたも私の家に帰る?」
「いえ、家には」
「つれないのね。なんで来てくれなくなったのかしら?」
「ぼくが、女性の家に上がる資格がないから」

ということにしてほしい。

「意味わかんない、さも、らしいけど。なにがあったものやらね」
「心配してくれてるんですか?」
「なにを」
「なにかを」

ざわめきとともに、女子校生がなだれこんでくる。フロアの香りそのものが変わった気がする。

「それよりね、あなたに解析してほしいものがあって」
「は?解析…ぼくそんな技術ありましたっけ?」
「でーきーるーのー」

彼女は私と正反対で、紙媒体を好まない。書類をバサバサ出すわけでなく、タブレットをさしだす。出された画面しかみない主義の私にたいし、めくって全部閲覧しろと指で指示してくる。

「あぁ、なるほど、」

夢占いという文化はあまり好きではないし、研究した記憶はないけれど、私が夢や画像を勝手に読みといたつもりで語る内容は、そのイメージの持ち主を納得させるに値するらしかった。

「ざっくりかしっかりか、報酬の有無とか、聞いたら下品ですか?」
「聞いてくれないと、私に興味ないのかなって不安になるわ」

仕事なのか雑談なのか分からないのが、友人の難しいところだと思う。

「質問することは興味があると相手に伝えること、聞く姿勢を見せつけること、あなたは人間に遠慮しすぎてる」
「そういうものなんですか…人間は難しい」

そういえば君もそうなのだ。私に人間を教えてくれる存在だ。君も彼女も、人付き合いが全くわからない私に人間を教えてくれる。中身になにもない自分が、人間として生きてきた時間をいま造ってくれている。空白に追い付いたら、私はついには人間になれる日が来るのかもしれない。

「これ」

よくみれば、フォルダ名がそれを示していた。今日読み解くことができる程度で、枚数がお札になる。手抜きをしない信用があることがありがたいけれど、その信用はどこから生まれるのか自分にはわからない。だから、仕事に向かないし、まだ人間には遠い。

誰かの夢を絵で説明してるのだろうか、それとも人の描いた絵から精神分析をさせたいだけなのか、どちらかだと聞かされたら見る印象が左右されそうな気がして怖い。ある程度見たあと、そこを確認するようにしている。知らないと言えない部分もある。見えたこと思ったことを口にするせいで「分析しないで」と怖がられた自分が、何故わかるのかと恐れられてきた自分が、この下衆の勘繰りで役立てるなら、ありがたいことだ。何故わかったのかと、

「ねぇ、それ何味?」
「ダージリンにパンプキンシード」
「パンプキン味ではないのね、へんなの」
「秋にしかパンプキン味を出さないらしいよ」

仕事させたいのかさせたくないのか、よくわからない人だと思う。右手で頬杖をつき、左手で私の太股を好き勝手に触って邪魔をしてくる。ほかにも客がいるというのに、セクシャルマイノリティでなくても人前ですべきでないことを、よくやるものだと呆れる。

「何かに書いたほうがいいですか?」
「口頭でいいわ、まとめるのは私がやるから。録音させてね」

いわく、タブレットをつんつんとしながら喋ってよいそうだ。そのまま記録されるらしく、アナログしかできない自分は感心するばかりだった。

「そろそろ、これが何なのか話しても大丈夫?」

絵の画材も書き方もバラバラだが、同じ人物の手によるものに見える。バラバラというより、その場にあるものでいそいで描いたように見える。伝えるためにその場にあるものを使ったというより、慌てて書き留めている印象がある。

「これは、ある人のみた夢。一ヶ月ぶんあるけど、ひとつの夢をシーンごとにかいたり、見てない日もあるんだけど」
「ふぅん…ここで話して大丈夫なのかなぁ」
「なんでよ」
「夢って、めちゃくちゃ個人情報ですよ」
「あぁ、そっか、でもその人ならいいわ」

そのモチーフ自体に意味はあったりなかったりする。単に見たものが影響されているだけのこともあるし、なにより「この感覚をどう著そうか」迷って使った結果かもしれない。ここにある絵にはそれをかんじた。では、ほんとうに描こうとしたものがなにで、それは何故そのシーンを見せていたのか。

「この割れたガラスは破壊ではなくて…本当に溺れているときのそれとはなにか違う、夢の中特有の息苦しさを、視覚化しただけだと思う。実際に胸が苦しくて、それは心苦しいって日本語が示してるストレスフルだったんでしょうな」

鼻からダージリンの香りが抜ける。

「それから、ここの影みたいなところ。この画面にもあって、たぶんここも同じ。いわゆるカゲガアルのとおりなんだけど、ある一つの事に集約されてそう。たったひとつの秘密を隠すためでも、いろいろ辻褄あわせるのって大変なんだ」

それを、私は、暴いていいのだろうか。絵の主は誰なのか。

「これは知られるとイメージというか、今後に関わるタイプの秘密を持ってる…のかな、たぶん、うん」

なかばひとりごとになっている私。ふいに雷がなって、女の子達の叫び声が聞こえた。窓が震えるほどの雷だった。その音に重ねて、私はひとつの秘密を呟いた。

  絵の主は、夢の主のストレスは一見して仕事の問題のようで、仕事にわだかまりを呼んでいるのは逃げられないプライベートのようだ。明かすことですべて失いそうな秘密があり、それを認められる人と一緒になりたい気持ちと、明かせばすぐに別れる可能性の恐怖と、そんな個人的なつらさを考える権利がないかのような焦りを感じた。その秘密はおそらくは…

「えぇ、その通り」
「問題は、ストレスに気づいていないところ。蝕まれてるのに、たぶん気がついてない気がするんですよね…画面に違和感がある」
「どちらがいいのかしら、ストレスを自覚してケアする道と、気付かずに壊れる道と。前者は新たなストレスを生むじゃない、気づかなきゃ幸せかもしれない」

隣の席に、仕事終わりのような若い男性がやってきて、ずっと待っていた女性客に叱られていた。待たせるなら、何か買ってくるぐらいの気をツカエト。

「そこですねぇ、救いを求めてもない人に救いを押し付けることも、苦しみを感じていない人に苦しむべき状況だと告げるのも、暴力的であまり好きではありませんよ。ぼくは」

筆圧のバランスがまばらで、怪我か老いを感じたのだ。もともと強い人間が弱ったような筆致をしている。そして画面に感じた違和感は、そうだ、たぶん絵の向きが違う。わざと逆さまにしてあるモチーフを、そうだと気付かずに正位置に写してる。作者がいないところで第三者が写したか、作者がいても撮影したものを確認しあわないような間柄か。独断か任せきり、それはなんなのか。 

とたんに、見てはならないものを見た気がした。まだ彼女に話していない、読み取ったものを胸に納めた。言っていいものなのだろうか。夢は個人情報だ。

「ほかには?」
「ぅん、なんていうか、」

言っていいのか。探偵の免許じゃないけれど、第三者の個人情報をさぐって開示するのなら、本人の委任状を用意してもらうべきだったろうか。簡単になりすませて作れるが、形式として。

「言わない方が良さそうなものが見えたの?」
「何て言い表せばいいかわかんないというか、なんというか」

隣の席にくるなり叱られていた男性が、詰る側の交際女性の言葉に耐えかねてカップを強めの音を立てて置いた。殴られでもしたかのように、女性が顔を歪めて短い悲鳴をあげるのが見えた。大きく開いた窓は、ホースで水を直接流すような雨でなにも見せてはくれない。水槽の中のような世界だった。

「(物語なら、ここで事件が起きて、私は気づいたことを語りそびれて、場合によっては死ぬ。主人公たる彼女は、私が語ろうとした内容に真相があったと信じて苦しむ)」
「ねぇ、夕御飯どこいく?」
「おなかいっぱいです」

「うちで飲みたいわ」
「…すみません、用事ができました」

人の夢を診ている場合じゃない、人の家にいくという行動は恐怖とストレスになる。また自分が、もう一つの世界を生成して苦しみを逃がさないと、この世に留まってはいられなくなる。

「はいはい、無理して誘わないわよ。で、じゃあせめて、これの話してよ」
「この絵の主は助けを求めてますか?見せることを了承してますか?」
「してるに決まってるでしょ、」
「そうですか…失礼しました」

泥を被る描写、腕を貫く蛇、ステンドグラス、弾丸の代わりにナメクジを撃ちだすマシンガン。青い髪の少女につけられた、真珠の首飾り。

「夢の主が普段触れてるものにもよるから、微妙なんですよね…」
「いつもいうけど、そういうものなの?」
「えぇ」

一説によると、夢は起きているときに収集したデータを、記録と消去で処理する際に起きる現状であるとかなんとか。記憶にとどめてない、すれちがった相手だとか、認識してないぐらいあたりまえに店内に流れていた楽曲だとか。または、人から聞いて自分は知らないもののモンタージュもそれにあたる。

「この人、何者か認識してるものは、文字で書いてますよね。忘れないうちにメモするためなのかな?マルかいてドラえもんとか、マルかいて父とか…文字で処理されてる。なら、略されてて処理されてないものは、無意識に残ってる記憶か、独自にイメージしたものかですよね」

後者の可能性だけに絞って意味を押し付け始めると、夢占いになる。モチーフが意味をもつのではなく、その人物の生活が他の人間には当てはまらない独自の意味を作ることを、経験していないのだろうか。  

「「あの本読んだ?とても面白いのです」」

ふいに君の声が自分の口に聞いた気がした。無意識に呟いて、意識が混濁してくる。人間に化けていられる時間の限界が近付いてきているのがわかった。周りの誰にも見えていない大蛇が、体を絞めないように這い上がって肩にもたれかかる。その時にすりぬけた、彼女の手には何かの感触はあるのだろうか。

「そうして分類すると、どういうことが見えるの?」
「さっきの話の繰り返しになります。ストレスに気がついてるかどうかの」

雷の度に窓が震える。

「例えばなんですけど…痛くないのに血が出てたら、傷を探す。痛みを感じないことに不安を感じる。傷の痛みではなく、感じないのは別の病である可能性を感じる。戦地とか特殊な環境にいるわけじゃない人なら、たぶんそんな感じになります?」
「まぁそうね、痛覚は危機を知らせたりリミッターをかけるための機能なの。ひどい怪我をしたりすると、脳内麻薬物質が出て一時的に感じにくくはなるんだけど…そのダメージを起こしたピンチから逃げるため?なのかな?まぁ、そういうシステムが働くの」
「なるほど。この夢もそうでしょ、自覚はないけど辛いはずの状況に気づいた。でも辛さを感じない自分にたいして、どこか壊れたのかと不安になってるんです。悪いところがあるなら修理したい、わるくないなら一安心。でも言い出せない状態にある、それがいまのストレスに見えます…」

ぶつぶつと、絵をめくりながら呟く様、あぁこの姿を人間が怖がるのだ。

「誰かに決めてほしいのか…あぁ、それでこのマークか」

うどんが食べたい。厚い丸天がほしい。

「いつも判断を委ねられてるひとだね。でもたまには、人に決めてほしいんだ。それはつらかったろう、背中が重かろう」

タブレットのなかで切り替わる絵を眺めながら、手足が痛みだすのを感じた。電流が流れるように痛い。背中にバンバンと、殴られるような痛みが響く。

「さみしい人なの?」
「周りにいる人に申し訳ないから、感じてる孤独感を否定しないといけない人。何者かな、孤高のスターとか、愛され社長みたいなひとですか?」

「あなたさ、視るほかの、なにかしてるの?」
「え?」
「ベールが見えたの」

彼女はときどき、というより、人間はときどき私に理解できないことをいう。

「背中が重かろうってあなたが行った時、あの人に光のベールがふわっとかかる様子が見えたの」
「残念ながら、貴女の満足度が見せた幻です。ぼくにそういう能力はないから」

祝福とか癒しとか、そういう力をもつ人間がたまにいるらしいが、その半分かそれ以上は、受け取る側の感受性によるものだろうと思っている。

店内に雷とともに、カランカランという音が鳴り響いた。隣の席の女性が走り去り、皿の上には投げつけられた指輪が回転していて、そのうち止まる運命に抗うように八の字の残像をみせていた。男性の頬から出血していて、その指輪の周りには僅かに苺色のドット模様が見えた。

「そうかもしれないけど、ちがうかもしれない。いい感じのほうを信じましょ?」
「つかえもしない魔法を信じるのはトラブルのもとです」

私がいうと彼女は頬を膨らませた。誰だって自分の身内のことを、目の前の友人が面識もないのに労えば、それなりに心に光が射すものだろう。光を浴びたのは相手じゃなくて彼女だ。とはいえ、医療もそうか、患者の治療だけではなく、その家族を「なにもできない」という絶望からケアする役割を担っているのか。

  私はずっと視界の済みにある、隣の席の男性に対して、先程から哀れみと労りしかない。空気は重いし、絵をみるのは疲れる。天気のせいかくらくらとする。その様子に気づいた彼女は、もういこうと私の腰にてを回して立たせた。帰ろう、どこにだったか、とりあえず私は自分の夢に逃げ込まなくてはこちら側の世界に押し潰される。

「…あれ?割れて見えたのにな」

付着した血が飛んだ小さな赤い模様には、ガラス細工の指輪の花が散ったものが混ざっていたはずだった。無傷の指輪をつまみあげる青年の頬は、みみず腫を青くするどころか、元通りの日焼けたなめらかな肌に戻っていることに、誰が気づくだろうか。私はもちろん気づいてはいなかったのだから。

【魔女はカボチャの馬車に乗らない①アンバー、アンバー、デイドリーム。】
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