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感謝と感謝

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 目を覚ますとそこは俺の家だった。
 俺はどうやらベッドで横になっているようだった。
 屋内は暗く、窓から差し込む月明かりだけが光源だった。

「うっ!」

 全身が痛んだ。
 肩の傷が特に酷く、鈍い痛痒が走り続けた。
 左手の上に重みを感じ、思わず視界を移す。
 ロゼがベッドに突っ伏して寝ていた。

「リッド……死なないで……ううっ、ぐずっ」

 泣きながら寝言を漏らしている幼馴染の頭をそっと撫でた。
 相当に心配を掛けたようだ。

「起きたみたいね」

 物陰から生まれた声には聞き覚えがあった。
 月明かりの下に現れたのはエミリアさんだった。
 ボロボロになっていた服は着替えているが、身体の至る所に布を巻いている。
 手には杖が握られている。恐らく歩行補助のためだろう。
 彼女もかなりの傷を負っていたことを思い出す。

「……無事だったんですね、よかった」

 足の傷が最も深かったはずだ。
 だが顔の血色はいいし、動けているようだ。
 俺はほっと胸を撫で下ろした。

「……なんで」

 エミリアさんは小さく呟く。
 耳を澄まさなければ聞き取れないほどの声量だった。
 俺は意味がわからず首をかしげる。

「なんでよ……わたしは、あんたにひどい態度を取った。なのに、どうして。どうして助けになんか来たのよ」

 エミリアさんは俯いていて、顔があまり見えなかった。
 だが声は震えていた。
 理由を問いただす理由は何となくわかってもいた。
 うん、これはあれだ。
 多分、腹が立っているんだな。
 嫌っている相手に助けられたことで、あんな奴に助けられるなんて! と苛立っているわけだ。
 ふむ、とするとなんと答えるべきか。
 ゲームの完全クリアのためです、とは言えない。
 もちろん村人に愛着が湧いたからって理由もあるのだが。
 どちらにしても素直に話せば、何言ってんだこいつと思われるだろう。
 ならば、俺に残された選択肢は一つ。

「エミリアさんを助けたかったから。それだけです」

 なんかいい感じのことを言って、うやむやにする!
 言っていることも嘘ではないわけだし。
 我ながらいい選択だと思ったのだが、エミリアさんの反応は薄い。
 ありゃ、ダメだったか、この選択。
 まずい、ここはゲームの世界だが、現実だ。
 セーブもロードもない。選択肢をミスったからといってやり直しはできないのだ。
 どうしたものかと考え始めたところで、声が耳朶を震わせた。

「ばっかじゃないの! あ、あんた死ぬところだったのよ! それなのに、わたしのためなんかに一人で追いかけてきて、命がけで戦って、死ぬところだったのよ! なのに、なのに、わたしを助けたかった? それだけ? そんなの……そんなの!」

 エミリアさんがくずおれた。
 頬を涙で濡らし、悲し気に顔を歪ませている。
 初めて見る顔だった。
 エミリアさんが苛立ち以外の感情を俺に向けるのは初めてだった。
 俺は戸惑った。何が起こっているかよくわからなかったのだ。

「そんなの……ずるい。ずるいわよ! ううぅっ、うえぇぇっ!」
「え? あ、す、すみません……」

 何を言っているのかわからず、俺は狼狽えることしかできない。
 とりあえず謝っておいたが、効果は皆無だった。
 中身のない謝罪は無意味ということを痛感した瞬間だった。
 それからしばらくエミリアさんは泣き続けた。
 子供のように泣きじゃくっていたが、やがて落ち着きを取り戻し始める。
 すんすんと鼻を鳴らす音が響くだけで、それ以外は静寂が訪れていた。
 どうしたものかと困っていると、エミリアさんが口を開いた。

「わたしの、生い立ち、知ってるんでしょ……?」
「え、ええ、まあ。他の村出身で、色々あったと」
「……わたしは生まれた瞬間に親を亡くして、それ以降は奴隷みたいな生活をしていたわ。十歳の時、売られそうになって、村から逃げ出して、シース村までやってきた。村の人たちは優しくて、わたしみたいな身元のわからない子供も受け入れてくれて、色々教えてくれた。わたしは頑張った。それでようやく今みたいな生活ができたの。でも、あんたは優しい村人たちに甘えてやりたい放題して、反省もせず、努力もせず、クズみたいな生活をしていた。それなのにちょっと反省の色を見せたからって、周りの人たちに認められたのが許せなかった」

 まあ、ぶっちゃけ悪童リッドの悪行は目も当てられないものだったし、嫌われて当然だ。
 反省したとしても、許す許さないは自由だし、好きになるなんて余計に難しいだろう。
 努力してるから、変わったからと認めなければならないなんて俺は思わない。
 俺は頼む立場なのだから。

「でも、でもね。わかってたの。あんたは本当に変わった。そしてこれからもどんどん変わるんだろうって。わたしも同じだったから、わかってた。なのに……村の人たちを裏切ってた過去が許せなくて、恵まれている環境が妬ましくて、許せなかった」

 エミリアさんは自分に言い聞かせるように話し続ける。
 俺は何も言えず、ただただ彼女の話を聞いていた。

「ごめん」

 エミリアさんはぽつりとつぶやいた。

「ごめん、なさい……」

 次の言葉は最初の言葉よりも大きかった。

「ごめん、ごめん……ごめ、ん……ごめんなさい。許せなくてごめん……素直になれなくてごめん……助けてもらってごめん、怪我をさせてごめん、迷惑かけてごめん……ごめん、なさい……許して……っ」

 大粒の涙が頬を伝っていた。
 これほど真っすぐな謝罪を俺は知らない。
 エミリアさんのことを俺は知らなかった。
 だが今はわかる。
 この人は心根が真っすぐすぎるのだ。
 だから俺を許せず、そして今は許せなかったことで心を痛めている。
 だったら俺のできることは一つだ。

「一つだけ、お願いをしていいですか?」
「……な、なに? 何でもする。許してくれるならなんでも」
「過去の俺を許してください。そうしたら俺もエミリアさんを許します」
「そ、そんなの当たり前よ。ううん、もうとっくにわたしは……」

 エミリアさんが顔を上げると、俺と目が合った。
 俺はじっと彼女の目を見据えた。
 目を見開いていたエミリアさんは、観念したように小さく嘆息する。

「…………わかった。それでお願い」
「ありがとうございます。じゃあ、交渉成立ということで」

 俺はニッと笑った。
 エミリアさんは何かに驚き、そして目を逸らしてしまう。
 耳が赤い気がするのだが気のせいだろうか。

「……やっぱりずるい」

 確かに我ながらずるかったかもしれない。
 明らかに断れない状況で出した交換条件だった。
 だがこれでエミリアさんとの因縁も終わるだろう。
 最初はぎこちないだろうが、確かに俺とエミリアさんの間には絆が生まれていた。
 憎しみや苛立ち、嫉妬とは違う、別の絆が。

「ねぇ」
「はい」

 顔を背けていたエミリアさんはおずおずと正面を向く。
 視線は地面に向けられていた。
 気まずそうな顔のまま、エミリアさんは言った。

「ありがと」
 と。

 俺は嬉しさを感じつつ、笑顔を浮かべてこう答えた。
 どういたしまして、と。
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