【本編完結】溺愛してくる敵国兵士から逃げたのに、数年後、××になった彼に捕まりそうです

萌於カク

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レルシュ邸にて④

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 天気の良い晴れた日だった。
 リージュ公はレルシュ邸の一室でまどろんでいた。
 リージュ公とウォルターは、エルラント王宮への訪問を終えたのち、レルシュ邸へ寄った。マリウスの第二子――本人は第一子と思っている――の顔を見るためだ。
 宰相として多忙なウォルターは、本当に顔を見るだけで帰ってしまった。暑苦しいウォルターがいなくなったので、リージュ公は誘われるままにレルシュ邸に一泊することにした。
 レルシュ邸は日向の匂いがする。グレンの自邸のように土埃臭くもなければ、隠れ宿のように甘ったるい匂いがするわけでもない。
 明るい日向の匂いだ。

(マリウスの家にいるんだったな)

 似たような環境に育ったのに、いや、幼い頃に母親を亡くした分、より過酷に育ったのに、リージュ公にとってはマリウスはどこまでも純真だ。

(以前はただの愚鈍なガキでしかなかったのに)

 マリウスは、剣術も馬術もうまくこなしたが、実戦では足手まといになるばかりだった。初陣で兵を率いさせれば一個小隊まるごと無傷で戦場を逃げ帰ってきて、父に殴り殺されそうになっていた。
 その後は小さな武勲を立てたのちは、なるべく目立たないように逃げ帰ることに苦心していたようだった。そのせいか、マリウスの配下は常に9割以上の兵士が無傷で戻ってきていた。
 しかし、逃げを考えているマリウスが無傷のままでいられるはずがなかった。ノルラント侵攻で前線に配備されたとき、マリウスは敵の攻撃を受け、マリウスの率いた旅団は総崩れとなった。
 再びマリウスがリージュ公のもとに現れたとき、マリウスは愚鈍なガキではなかった。
 伯父と父の寝首を掻き、みずからを皇帝だと宣言した。抵抗する貴族には夜討ち、間者による毒殺など、平然と卑怯な手を使ってきた。
 なのにマリウスはいまだに純真なままに見える。

 むくりとリージュ公はベッドから起き上がった。窓からの子どもたちの笑い声が騒がしくて寝るどころではなくなった。

(朝っぱらからうるせえな)

 バルコニーに出ると、庭で数人の子どもたちが駆けまわっている。

(赤毛が増えてる)

 昨日、大家族の隅から隅まで紹介されたが、赤毛の子どもは、リベルに、まだ歩けないマリアだけだった。
 しかし、眼下で遊ぶ子らの中には三人の赤毛がいる。
 リージュ公は目を細めて、子どもたちを眺めた。

(あの子らも、今はこんな感じかな)

 ふと我が子たちを思い出した。 
 クーデターを起こす前に、ノルラントへ送った妻と子どもたち。別れたときには子どもたちはまだ一歳だった。
 クーデター後、戦場は国外ではなく、国内となる。大切なものの近くで危険が起きることになる。守りきる自信などない。それどころか彼らは足かせになる。
 屋敷から出て行こうとしない妻を無理矢理引きはがして、馬車に押し込んだ。
 すべてを終えたら迎えに行くと告げたが、迎えに行かなかった。そのかわり、残ったままの荷物をノルラントに送った。ひと財産とともに。
 リージュ公には、すべてを終えた日など来るような気がしなかった。
 平定を終えて、大陸各国に親善訪問をして回ったときでさえ、まだ、悪夢の中にいるような気がしていた。
 平定のさなかでは、幼い子どもを盾にして身を守ろうとする貴族もいた。幼い子どもごと、その貴族を殺してきた。
 その血が自分の回りにはまだ滴っている。 

(俺はマリウスとは違う。もともとの素材がそんなに良くはねえんだ。真珠みたいに血を弾くようにはできていない。木綿みたいに血を吸えば汚れるだけだ)

 妻と子どもにどんな顔で会えというのだ。
 そのときのリージュ公は、マリウスがまさかユリアを自宅に呼んでいることを皆目気づいていなかった。



 リージュ公は階下に降りるなり、ハッと身構えた。
 リージュ公には忘れられない形、どれだけ遠く離れていてもひと目でわかる人、を認識したからだ。

(ユリア………?!)

 そのまま誰にも気づかれずに、もう一度、二階のゲストルームに戻る。

(どうして、ユリアが?! ノルラントにいるはずだ。だけどあれは確かにユリアだった)

 次にリージュ公が取った行動は、荷物をまとめてシーツにくるんで背中に縛り付けることだった。
 北に面する窓から出ると、屋根伝いに裏通りに出る。
 貴婦人との火遊び経験が豊富なリージュ公は、屋敷からの脱出など慣れたものだ。

(あれがユリアかどうかは確証はないが、姿を消しておいたほうがいいだろう)

 鼻の利くリージュ公は、そうやって突然帰宅してきた貴婦人の夫を回避してきたことは数知れず。
 しかし、裏通りに着地する前に、赤いものが揺れているのに気付いた。そこに、もう一人鼻の利く人物がいた。
 待ち受けているのはマリウスだった。

「リージュ公!」
「何だ?」
「何してるんだ」
「帰ろうかと」
「挨拶もなしにか」
「ちょっと急いでてな」
「忘れ物がある」
「あとで送ってくれ……」

 リージュ公の声が突然止まった。マリウスの後ろからブロンドの女性が出てきた。
 リージュ公にとって忘れられない形の人、ユリアだ。

「あら、ダニー。久しぶりですわねえ」

 リージュ公は久しぶりに、ダニー、という愛称を聞いた。異母弟ですら、もう、公称でしか呼ばなくなったのに。
 見ればユリアと目が合った。30を超えているはずだが、十分に若く美しい。
 ニッコリと微笑んでいるが、壮絶に怒っているのがわかる。
 ユリアはニッコリと笑いながら、恐ろしいことを始めた。ぽきぽきと自分の肩を鳴らしたかと思うと、今度は指を一本一本丁寧に鳴らし始める。

(ひいぃぇっ………!)

 気がつけば、リージュ公は、ユリアの前でひざまずいていた。

「迎えに行かないで、すんませんっした! ほんとーに、すんませんしたっ!」

 ユリアは石畳に額を擦り付けるリージュ公の後ろ襟をむんずと掴むと、そのまま摘まみ上げる。
 ユリアはリージュ公に往復びんたをかました。

(いてっ、いてっ、いてっ、いてっ、いてっ、いてっ、いてっ)

 渾身のびんただ。抵抗することなく受け止める。頬が真っ赤になったころ、やっと、びんたは終わった。
 ユリアはニッコリと微笑みながら言った。

「手を出した女と女に生ませた子どもをいつまでも放っておくんじゃありませんのよ。次やったらぽきっと殺しますわよ」
「ひゃ、ひゃい!」
「さて、帰りますわよ」
「ひゃい!」


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