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勇敢さの証
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マリウスがエミーユの家に向かったとき、あとで思えば、いやな感じがあった。肌でそれを感じていた。
少しでも違和を感じたとき、慎重になるべきだった。そうすれば今回の予定を中断していたかもしれない。
しかし、平和に慣れ切ってしまったのか、あるいは、エミーユの自宅に招かれて浮かれていたせいか、マリウスは予定を中断することはなかった。
陽光を照り返して、石畳の路面が照り返ってまぶしかった。
エミーユの家に向かえば、通りには焼栗や揚げ菓子の露店があり、郵便配達員や犬の散歩をするご婦人、ステッキを手にした紳士、新聞を脇に挟んだ若者など、雑多な人たちが行き交っていた。
マリウスにはすべてが輝いて見えた。
(俺は家族に迎え入れてもらえるんだ。よろしくね、ご近所さん)
マリウスはスキップしたくなるのを抑えてエミーユの家に向かった。
花屋の横にある玄関のドアを鳴らすと、エミーユが出てきた。足元に男の子がいる。
「やあ、リベル! また会ったね」
視察のときに、燃えるような真っ赤な髪の男の子には覚えがあった。
「へいか。いらっしゃいましぇ」
マリウスにおずおずと話しかける。しかし、その小さい体からは嬉しさがにじみ出ていた。
来訪を楽しみにしてくれているのがわかり、マリウスもまた一層に嬉しくなった。
「マリウスだよ! お揃いの髪の色だね!」
マリウスはリベルの頭を撫でた。
そのころのマリウスの髪は色を取り戻していた。エミーユとの関係が始まった途端、また燃えるような赤が根元から生えてきた。銀髪の部分を切り落とせば、元の赤毛となった。
そのとき、マリウスは込み上げる幸せをかみしめていた。
その背中が凶弾に狙われていることにも気づかずに―――。
通りに犬がひょこひょこと現れた。
「あ、いぬ。しぇしるのこいぬの、おとうしゃん、かな」
リベルが犬に向かって走って行った。玄関から犬に向けて五歩ほど走ったとき、割れるような音が路上に響いた。
―――キャアアッーーー!
婦人の声が上がった。
エミーユはマリウスの肩に赤い花びらが舞ったように思った。
マリウスの背後の路上、老人がいた。
老人の手にした新聞の中に、銃身が光っていた。
老人は身動きする前に、地面にたたきつけられた。
どこからともなく幾人もの護衛兵士が現われて、老人を地面に押さえつけている。
老人は最後のあがきとばかりに、腕を振り上げた。
その銃口がリベルに向いた。
エミーユの顔が悲壮に歪んだ。
もう一度、銃声がとどろく。
エミーユにはその瞬間が止まったように感じた。
マリウスが横跳びにリベルに跳ねた。リベルの体を自分の体で覆った。マリウスの背中から鮮血がブシュッと音を立てて飛び散った。マリウスの髪の色と同じ真っ赤な鮮血だった。
マリウスの動きには何の躊躇もなかった。
エミーユは倒れ込もうとするマリウスに駆け寄り、その足元のリベルを抱き上げた。
リベルに怪我がないのを見て取ると、リベルを玄関に押し込んだ。
ドアを閉めると、エミーユは地面に崩れ落ちていくマリウスに飛びついた。
エミーユは震える手でマリウスの上衣を破いた。自分の上衣の前もすごい勢いで破ると、マリウスの上半身に覆いかぶさった。
ぬるぬるとした血は熱かった。
マリウスに覆いかぶさるエミーユに、三度目の銃声が聞こえ、射殺された老人が鈍くなっていく目を向けているのが映ったが、エミーユには必死のあまり目に入らなかった。
「エミーユ! やめろ! あなたは怪我のゴミ入れじゃない!」
マリウスはごぼごぼと口から血を出しながら言った。何を言っているのかもわかりづらい。
護衛兵士が口々に叫ぶ。
「陛下!」
「陛下ァ!」
マリウスが護衛兵士らに向かって言う。
「エミーユを、おれ、から、はなせ」
それを聞いて、マリウスの側近が苦しそうな顔でエミーユをマリウスから離そうとした。
「レルシュ楽長……! 今はグレンでは妖人をゴミ入れにするのは禁止されています」
「い、いやだっ!」
エミーユはマリウスにしがみついた。
マリウスは必死にエミーユを押し返すも、次第に力を失い、その手が地面へとバタリと落ちた。目を閉じたマリウスの顔は土色だった。
エミーユは後ろから引っ張られてもひたすらマリウスに抱きついている。
(怪我よ、移れ……。マリウスの怪我よ、私に移れ……)
エミーユの体がマリウスの体の上でビクンッと跳ねてその背中の白いシャツから血がにじみ出てきた。
「レルシュ楽長ッ、だめです!」
エミーユはマリウスから引きはがされた。
「マリウスッ! マリウスーーーッ」
マリウスの腕はだらりと垂れて、ピクリとも動かなかった。
少しでも違和を感じたとき、慎重になるべきだった。そうすれば今回の予定を中断していたかもしれない。
しかし、平和に慣れ切ってしまったのか、あるいは、エミーユの自宅に招かれて浮かれていたせいか、マリウスは予定を中断することはなかった。
陽光を照り返して、石畳の路面が照り返ってまぶしかった。
エミーユの家に向かえば、通りには焼栗や揚げ菓子の露店があり、郵便配達員や犬の散歩をするご婦人、ステッキを手にした紳士、新聞を脇に挟んだ若者など、雑多な人たちが行き交っていた。
マリウスにはすべてが輝いて見えた。
(俺は家族に迎え入れてもらえるんだ。よろしくね、ご近所さん)
マリウスはスキップしたくなるのを抑えてエミーユの家に向かった。
花屋の横にある玄関のドアを鳴らすと、エミーユが出てきた。足元に男の子がいる。
「やあ、リベル! また会ったね」
視察のときに、燃えるような真っ赤な髪の男の子には覚えがあった。
「へいか。いらっしゃいましぇ」
マリウスにおずおずと話しかける。しかし、その小さい体からは嬉しさがにじみ出ていた。
来訪を楽しみにしてくれているのがわかり、マリウスもまた一層に嬉しくなった。
「マリウスだよ! お揃いの髪の色だね!」
マリウスはリベルの頭を撫でた。
そのころのマリウスの髪は色を取り戻していた。エミーユとの関係が始まった途端、また燃えるような赤が根元から生えてきた。銀髪の部分を切り落とせば、元の赤毛となった。
そのとき、マリウスは込み上げる幸せをかみしめていた。
その背中が凶弾に狙われていることにも気づかずに―――。
通りに犬がひょこひょこと現れた。
「あ、いぬ。しぇしるのこいぬの、おとうしゃん、かな」
リベルが犬に向かって走って行った。玄関から犬に向けて五歩ほど走ったとき、割れるような音が路上に響いた。
―――キャアアッーーー!
婦人の声が上がった。
エミーユはマリウスの肩に赤い花びらが舞ったように思った。
マリウスの背後の路上、老人がいた。
老人の手にした新聞の中に、銃身が光っていた。
老人は身動きする前に、地面にたたきつけられた。
どこからともなく幾人もの護衛兵士が現われて、老人を地面に押さえつけている。
老人は最後のあがきとばかりに、腕を振り上げた。
その銃口がリベルに向いた。
エミーユの顔が悲壮に歪んだ。
もう一度、銃声がとどろく。
エミーユにはその瞬間が止まったように感じた。
マリウスが横跳びにリベルに跳ねた。リベルの体を自分の体で覆った。マリウスの背中から鮮血がブシュッと音を立てて飛び散った。マリウスの髪の色と同じ真っ赤な鮮血だった。
マリウスの動きには何の躊躇もなかった。
エミーユは倒れ込もうとするマリウスに駆け寄り、その足元のリベルを抱き上げた。
リベルに怪我がないのを見て取ると、リベルを玄関に押し込んだ。
ドアを閉めると、エミーユは地面に崩れ落ちていくマリウスに飛びついた。
エミーユは震える手でマリウスの上衣を破いた。自分の上衣の前もすごい勢いで破ると、マリウスの上半身に覆いかぶさった。
ぬるぬるとした血は熱かった。
マリウスに覆いかぶさるエミーユに、三度目の銃声が聞こえ、射殺された老人が鈍くなっていく目を向けているのが映ったが、エミーユには必死のあまり目に入らなかった。
「エミーユ! やめろ! あなたは怪我のゴミ入れじゃない!」
マリウスはごぼごぼと口から血を出しながら言った。何を言っているのかもわかりづらい。
護衛兵士が口々に叫ぶ。
「陛下!」
「陛下ァ!」
マリウスが護衛兵士らに向かって言う。
「エミーユを、おれ、から、はなせ」
それを聞いて、マリウスの側近が苦しそうな顔でエミーユをマリウスから離そうとした。
「レルシュ楽長……! 今はグレンでは妖人をゴミ入れにするのは禁止されています」
「い、いやだっ!」
エミーユはマリウスにしがみついた。
マリウスは必死にエミーユを押し返すも、次第に力を失い、その手が地面へとバタリと落ちた。目を閉じたマリウスの顔は土色だった。
エミーユは後ろから引っ張られてもひたすらマリウスに抱きついている。
(怪我よ、移れ……。マリウスの怪我よ、私に移れ……)
エミーユの体がマリウスの体の上でビクンッと跳ねてその背中の白いシャツから血がにじみ出てきた。
「レルシュ楽長ッ、だめです!」
エミーユはマリウスから引きはがされた。
「マリウスッ! マリウスーーーッ」
マリウスの腕はだらりと垂れて、ピクリとも動かなかった。
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